雲隠(くもがくれ)
「四人いたので、わざと一人だけ逃がしました。その者に運があるようなら、関ヶ原の西軍陣地に戻ることができるでしょう」
ただ全滅させるのではなく、黒田長政は今後を見据えて、少し欲張ることにしたらしい。
派遣していたすべての部隊から連絡が途絶えた場合、西軍は「こちらの城に、ちょっかいをかけてくる」ことを、完全にあきらめるかもしれない。
それはそれで一見良さそうだが、その場合、西軍は関ヶ原に専念できてしまう。
それよりかは、西軍の意識を複数の場所に分散させておきたい。そうすることで、相手が失敗する可能性を高めておく。
だから、わざと一人だけ逃がしたのだ。西軍の選択肢を増やすために。
その一人が関ヶ原に戻れば、すぐに島左近あたりに報告するだろう。戻ってきた者の情報を元に、西軍は次の手を考える。
この時、選択肢の数が多ければ、考える内容もおのずと増える。
しかし、時間は有限だ。
最終的に「関ヶ原に専念する」となっても、そこまでの思考に費やした時間は、もう戻ってこない。
現在関ヶ原に向かっている服部半蔵なら、そういう状況をうまく利用するだろう。
そんな説明を聞いたあとで、井伊直政は尋ねた。
「では、この近くにもう敵はいないのだな?」
「忍者部隊に確認させていますが、その可能性は低いかと」
「うむ」
黒田長政の判断を全面的に信用する。
これで後顧の憂いを断つことができた。準備が整い次第、この城から出撃する。
そこで、井伊直政は思い出した。黒田長政に相談しておきたいことがあるのだ。
とはいえ、いくらか迷いもする。今の状況で相談すべきことなのか。それとも、後回しにした方がいいのか。
だが、もうここまで口から出かかっている。
井伊直政は切り出した。
「今の状況だと、気が早いと思われるかもしれないが・・・・・・」
殿が西軍に捕まっているのだ。救出作戦の成否によって、今後の予定が大きく変わってくるに違いない。
けれども、殿の救出に成功する前提として、井伊直政は話を続ける。
「明日か明後日のことになると思うが」
東軍が関ヶ原に現地集合するのは明日、「九月十五日の正午」だ。
そのあと、いつ戦いが始まるのか。
西軍は「持久戦」を考えているだろう。根拠地が近く、補給の面で有利だからだ。
これが東軍では逆になる。根拠地が遠く、補給の面では不利だ。戦いが長引けば、嫌でも兵糧の残りを意識することになる。
したがって、東軍としては「短期決戦」の方がいい。西軍からは動かないだろうし、こちらが先に仕掛けることになりそうだ。
では、いつ戦いを始めるのか。
明日か明後日には戦端を開きたい、と井伊直政は考えていた。
最初に睨み合っているだけの時間にも、兵たちは米を消費する。その時間を少しでも短くしたい。
関ヶ原にいる西軍の各武将が、どのように布陣しているのか。それについては、服部半蔵の忍者軍団がすでに調べてくれている。
東軍が最も狙うべき人物は「石田三成」だ。奴がいるのは西軍の本陣。そこまでどうやって攻め込むか。
味方の福島正則は、「西軍に一番に斬り込むのは自分の部隊だ!」と息巻いている。しかし・・・・・・。
(短時間で敵陣を突破できるとは思えない)
福島正則の兵数は「六千」だ。
で、最初にぶつかる相手はおそらく宇喜多秀家。その兵数は「一万七千」だ。
福島正則の兵が弱いとは思わない。東軍の中でも強い方に入るだろう。でなければ、最前線の重要な場所を任せたりはしない。しかし、相手の兵数はおよそ三倍・・・・・・。




