若菜(わかな)
「おぬしの性格を少しは理解しているつもりだが、なかなか思い切ったことをする」
そう告げてくる小早川秀秋の声は、どこか楽しそうだ。
「このままだと蚊帳の外で終わりそうだからな」
立花宗茂は主張する。
「なので、勝手に混ざることにした。ある程度楽しんだら、近江に帰る」
「今回の単独行動、おぬしの部下たちは止めなかったのか? それとも、部下たちには知らせずに飛び出してきたのか?」
小早川秀秋からの問いかけに、立花宗茂は少し沈黙してからつぶやく。
「部下の主な者たち全員に文句を言われた。『それでも皆の上に立つ殿ですか』と全員合わせて百回以上」
正確に数えたわけではないが、そのくらいは言われたと思う。
「それなのに、関ヶ原に来たのか?」
「文句は言われたが、反対はされていない。『すまん、そういう殿だ』と返したら、みんな笑いながら送り出してくれた」
「できた部下たちだな」
「まったくだ。俺のことをよく理解してくれている」
近江の大津城、あっちは問題ないと考えていた。
すぐにとはいかないが、あの城は数日中に落ちる。そういう攻城戦だ。
無理に攻めれば、味方に余計な被害が増える。だから、敵をじわじわ疲弊させる方法を指示していた。あの場に自分がいてもいなくても、兵たちのやることは変わらない。
――騒げ。とにかく敵を眠らせるな。昼も夜も区別なしに。
そのように立花宗茂は命じていた。
この作戦を数日も続ければ、敵の兵は疲労困憊だろう。それから本気で攻めればいい。一気にぶっ潰す。
一方で、もしも敵が疲労困憊する前に、城から出撃してくるようなら・・・・・・。
城の外に、いくつもの罠を仕掛けておいた。敵の目につきやすい方法と、目につきにくい方法とで。
だから、近江は問題ない。
それで部下たちに留守を任せて、ここ関ヶ原に来た。
自分の勘が告げている。戦が近い。その気配が一段と強まってきている。
眼下の関ヶ原には、戦の兆候が漂い始めていた。
かなりの数の忍者たちが暗躍しているのを感じる。すでに結構な血が流れているようだ。
「そうそう、おぬしがここに到着する少し前になるかな。この関ヶ原で面白いことがあったぞ」
「面白いかどうかは、自分で決める。何があった?」
「この関ヶ原に徳川家康のような男が、たった一人で現れた」
立花宗茂は覆面の下で、その内容を声に出さずに繰り返す。
徳川家康のような男が、たった一人で関ヶ原に現れた?
「・・・・・・それが本当なら興味深い」
徳川家康は東軍の総大将だ。さすがに、たった一人で西軍の前に現れるはずがない。どうせ影武者か何かだろう。
だが、立花宗茂は考える。
本来なら自分も、ここには「いない」はずの人間だ。近江の大津城を攻めていることになっている。
だったら、その徳川家康のような男も、本当に「影武者」だと言い切れるだろうか。
ひょっとしたら、ということもある・・・・・・。
その場合、「どういう意図があっての行動なのか」はわからないが・・・・・・。
しかし、自分の勘が告げている。戦が近い。そして、この関ヶ原に強い気配が近づいてきている。そんな予感がしていた。
近づいてくる気配の正体を、立花宗茂は予想してみる。
(井伊直政か、福島正則か)
それとも、東軍最強の本多忠勝か。
三人とも、東軍を代表する猛者である。
自分のこれまでの経験からすると、こういう勘は得てして当たりやすい。あの三人の誰かが今、関ヶ原に向かってきている。
思わず笑みがこぼれてくる。あのまま近江にいては、この機会を逃すところだった。ここに来たのは大正解。
「面白いことになりそうだ」
こうなってくると、どうも気になる。この関ヶ原に一人で現れたという、徳川家康のような男。
ただ似ているだけの男なのか。それとも、徳川家康の影武者なのか。
(または、本物か)
この関ヶ原に向かって、強い気配が近づいてきている。
その気配の正体は、井伊直政か、福島正則か、それとも、本多忠勝か。
あの三人の誰かが出てくるような事態となると・・・・・・。
関ヶ原に現れた家康のような男、影武者ではなく、「本物」の可能性もある。
(まあ、何にせよ、強い相手と戦える。それは間違いなさそうだ)
覆面の下で薄笑いを浮かべながら、立花宗茂は小早川秀秋に言う。
「家康が一人で現れたという話、もっとくわしく聞かせろ」




