松風(まつかぜ)
「あの家康はたぶん偽者です。こちらの質問に対して、ずっと『うんこ』と叫んでいました」
真面目な顔で報告する部下に対して、石田三成は内心で困惑していた。
しかし、そんな感情を顔には出さないように苦心する。自分はそれで過去に幾度となく失敗してきた。部下のやる気を削ぐような言動は、可能な限り慎むべきだ。
ここ数年、こっそりと禅寺に通っている。そこの住職が次のような助言をしてくれた。
――自分一人でできることには限界があります。それを悟ることができれば、おのずと他の人への言動も改まりましょう。
その通りだ。天下分け目の決戦も近いわけだし、ちょっとしたことで部下を叱責するなど、もっての他だろう。自分一人でできることには限界があるのだ。最悪のタイミングで、この部下に裏切られても困るし。
とはいえ、今の報告を褒めるのは・・・・・・。う、うんこ?
ここで自分に、「島津の曲者にしてやられたな。はっはっはっはっ」と笑い飛ばすほどの度量があればいいのにと、そこそこ本気で思う。
こういう時、どうするのが正解なのか?
部下を労いつつ、自分が親しみやすい上司だと印象づけるためには・・・・・・。
(冗談でも言った方がいいのか?)
慣れないことなので、まずはイメージトレーニングをしてみる。
――そうか。では、切腹な。
駄目だ。部下の引きつる顔が思い浮かぶ。
そのあとに「冗談だよ♪」と言ったところで、部下が変に深読みして本当に切腹するかもしれない。
やはり、自分に冗談は向いていないようだ。
そういう意味では、今は亡き「太閤殿下(豊臣秀吉)」は偉大だったと、しみじみ思う。
比べるのもおこがましいが、自分にあの方の一割でもいいから、ユーモアの才能があれば、もう少し他の大名たちからの風当たりが、今よりも「まし」だったかもしれない。
とりあえず、部下には何か言葉をかけないと・・・・・・。
石田三成は内心の動揺を隠して、
「自分はどうも口下手な方だから、うまく言えないと思うが、もしかしたら誤解を招くような言い方になってしまうかもしれないけれども、正直な報告ご苦労だった。些細な情報があとで重大な事実の裏付けになる、そんな可能性は否定できなくもなくもない」
言い終わったあとで気づく。部下の顔が緊張しているような・・・・・・。
この雰囲気をどうにかしたいと思って、さっと出た言葉が、
「他に何か気づいたことはないか?」
「そう言えば・・・・・・」
家康っぽい男を閉じ込めている檻、その中に「畳」と「座布団」と「椅子」があったという。
「なるほど。ただの捕虜にするような待遇ではない気がするな」
これは何か重要な真実への入り口ではないだろうか。あの家康っぽい男、ただ者ではない? まさか本物か?
さらに石田三成は考える。
(ひょっとして、島津義弘は東軍と内通しているのか?)
いや、それならば、あの家康っぽい男を檻の中には入れないだろう。檻の中にいる以上、捕虜は捕虜だ。東軍との間を結ぶ秘密の使者とは考えにくい。
しかし、ただの捕虜にしては、いくらか待遇が良いような。それがどうも気になる。
(島津義弘は何を考えているのか?)
あの家康っぽい男、本物ではないが、何か重要な意味を持った人物?
となると、この部下は悪くないところに着目したかも。この糸の先にあるのは、黄金の情報かもしれない。
「良い報告だ。お前に任せて正解だったぞ」
ふと口から出た言葉だったが、それで部下の顔が明るくなる。
石田三成はホッとすると、
「他にも気になったことがあれば、ぜひ聞かせて欲しい」




