絵合(えあわせ)
暗号の解読はすでに終わっている。そこに書かれていた内容は頭に入っていた。
問題なのは、この『信玄密書』の内容が真実かどうかだ。
そして、島津家と上杉家の者以外に、誰が『信玄密書』を受け取ったのか。
書状は「五つ」存在するというから、残りは三人。
(石田三成は違うと思うが)
誰が受け取ったのかを、あの時使者に尋ねたが、知らないという答えが返ってきた。
武田家家臣団のまとめ役だった人物だけが知っていたが、その人物は使者たちに個別に指示を出したあと、自ら口を封じてしまったらしい。すでに、この世にはいないという。
石田三成以外で気になるのが、
(徳川家康が『信玄密書』を受け取ったかどうか)
これは非常に重要だ。
だから、あの家康が「本物」ならば、腹を割って話して欲しい。
拷問で無理やり吐かせようとすれば、欲しい情報にたどり着けるかどうかは、運任せになる。そんな気がしていた。
島津義弘が『信玄密書』について熟考していると、いきなり変な声が聞こえてくる。
「うんこー!」
男の声だ。あの家康がいる幕の内側から聞こえてきた。
そのあと静かになったものの、
「うんこー!」
またもや同じ声がする。
どうやら、あの家康が叫んでいるらしい。
島津義弘はほとんど表情を変えずに、すぐそばの老武将に尋ねる。
「お前の入れ知恵か?」
「はて、何のことでしょう?」
とぼけた顔で老武将が言う。
「しかし、部下の方は大変でしょうな。石田三成公にどう報告するのか、楽しみでなりません」
三成の部下が真面目な顔をして、「あの家康はたぶん偽者です。こちらの質問に対して、ずっと『うんこ』と叫んでいました」と報告する。そんな場面を想像して、島津義弘は少しだけ笑った。その時、石田三成はどんな顔をしているのやら。
「お前は悪い奴だな」
「お褒めの言葉をいただき、ありがたき幸せでございます」
幕の内側には、見張りの兵たちがいるし、石田三成の部下は何もできないだろう。尋問を続けたところで、得られる情報は「うんこー!」という言葉のみだ。
「そうそう、あの家康が『お風呂』を所望してきましたが」
「常識で考えろ。あいつは捕虜で、ここは戦場だ」
そう言ったあとで島津義弘は少し考えてから、どうするかについての指示を老武将に与える。
その間もずっと、
「うんこー!」
何も知らない家康が元気に叫んでいる。
幕から少し離れた場所では、馬に乗ったミササギが呆れていた。




