26.支配
「ごめんなさい……その、驚かせるようなことをして。慌てないでもらえるかしら……」
ミリアムは突き刺さる視線の痛さを感じつつも述べる。
室内の空気は能力発動を境に大きく変化した。それまでも棘のある空気ではあったが、そこに能力への恐怖も混じり、これまた奇妙な雰囲気になってしまっている。
ただ、一人だけ恐れを抱いていない様子の者がいた。
離れたところにいる傍観者的立ち位置の人だ。
サラダもスープも、被害者の横にいる男性も——皆一様に怯えている。なのに、その男だけは、能力者を恐れるような目をしていない。様子をじっと見つめていたにもかかわらず。
「あれ!? わたし何してましたっけ? ……ってミリアムさん? あっ。ロゼットさんも一緒なんですね!」
スープに抱き締めるようにして動けなくされていたサラダが、突如明るい声を発した。
「……サラダ」
冷酷になっていたサラダがよく知っているサラダに急に戻ったので、ミリアムは思わずそんなことを漏らしてしまった。
「え? ミリアムさん、どうしてそんな目を?」
明るく、元気で、可愛くて。
それが、ミリアムが知っているサラダだ。
今日のサラダはミリアムが知る彼女ではなかった。が、ここ数十秒のサラダは、確かにミリアムが知るサラダである。
「あ、いえ。ただ、急に雰囲気が変わったなって思って」
「そうですか! ……それで、これはどういう状況なんですか?」
ここに至った経緯をサラダが知らないはずがない。なんせ、彼女はずっとこの部屋の中にいたのだから。ミリアムがたどり着く前からこの騒ぎに参加していた彼女は一部始終を知っているはず。
けれど、今の彼女の言い方を見たら、嘘をついているとは思えなかった。
知らないふりをしているようには見えない。
「こんなことを言うと問題かもしれないけれど……やっぱり今日の貴女は少し変よ」
「わたしですか?」
「えぇ。だって、あんな冷たいことを言っていたのに」
告げてから「言うべきではなかったかもしれない」と後悔したような顔をするミリアムだったが、返ってきたのは意外にも軽やかなものだった。
「えっ! 冷たいこと? 何の話です?」
とぼけているのではない。
素人にでもそれが分かるような顔をサラダはしていた。
「……まさか、覚えていないの」
「へ!? ミリアムさんに何か言いましたっけ!?」
「……本気で言ってる?」
「は、はい。何も言った記憶がないです。でも、嫌だったらごめんなさい」
話せば話すほど、話はおかしな方向に進んでいってしまう。
まったく噛み合わない。
ミリアムは自分の記憶が間違いだったのかと心配になってきたくらいだ。
「いえ、いいの……。でも変ね。サラダは何も覚えていないだなんて」
一人考え込むミリアムの脳裏に、ふと、あることが蘇った。
それは、スープと共にサラダを探している最中のこと。
「……精神支配能力者」
刹那、それまで動かなかった男の表情が変わった。
ミリアムは小さな変化を見逃さない。
「ねぇサラダ。今日って、どこまで記憶がある?」
無関係な二つが繋がったのは、偶然か必然か。
そこはミリアムに分かることではない。
「記憶? そうですね、ええと、その方に頼まれてロゼットさんに声をかけて、それで——あれっ。うーん。その後は思い出せません」
サラダは首をひねり考えるが、そこから先がなかなか出てこない。
「ロゼット。出会った時、サラダは既におかしかった?」
「おかしい、とは」
「サラダは基本明るい女の子でしょう」
「そういうことですか。確か……サラダさんはこの部屋に入った途端におかしくなりましたよ。急に冷ややかに」
ミリアムは改めきちんと立ち、男の方へと歩き出す。
「貴方ね、サラダを豹変させたのは」
ミリアムは真実をすべて知っていたわけではない。ただ、この奇妙な出来事にその男が関係しているという確信はあった。能力なくして、このような妙なことが起こるはずもない。奇跡だとか運命のいたずらだとか、そういうことが原因である可能性は低いと、ミリアムは考えている。
「何の話か」
男は、一度は動揺が滲んでいた顔を無表情へと戻し、低い声で発する。
この状況で冷静さを取り戻せるなんてやるわね、と思いつつ、ミリアムは彼の顔から目を離さない。
「……貴方は能力者なのではない?」
「意味が分からん」
「能力者ではないのかしら?」
「非能力者だ。ここにいるのだから、当然だろう」
ミリアムは目を細める。
「そう。ではなぜ、さっき『精神支配能力者』と言った時に表情を変えたのかしら」
男はそれでもまだ知らぬ顔をしていた。そんなことなかった、とでも言うかのように、怪訝な顔をしている。が、自然な表情ではない。本人としては平静を保っているつもりなのだろうし、一見そう見えるが、顔面は自然な表情を作りきれていない。近くで見ているミリアムにはそれが分かった。
「そもそも、私、貴方の顔は見たことがないわ」
「たまにしかここに来ていなかったからな」
ミリアムは着実に話を進めていく。
「サラダ、彼とは知り合いなの? 昔からの知人?」
「へ? あ、いえ。違いますよ。その方からは、最近ここへ来たと聞いていますけど」
今は明るいサラダに戻ったまま。現時点で再び操られ始めている様子はない。サラダはサラダだ。ただ、精神支配能力者と思われる男がその場にいる以上、油断はできない。いつどんな風にして誰を操り出すか分からないからだ。最悪ミリアムが操られる可能性だって、否定はできないのだし。
「で、どの話が真実なのかしら。貴方は『たまにしか来ていなかった』と言った。それはつまり、最近来るようになったのではないということね。でもサラダは『最近ここへ来たと聞いている』と言っている。本当の言葉はどっちなのかしら」
ミリアムがひと息でそこまで述べると、男は急に舌打ちする。
それまでは平静を保っているように見せていた男がついに本性を露わにした瞬間だった。
「ありゃどういう舌打ち……?」
「分かんないよ。スープは黙ってて」
急に振る舞いを変えた男を見て、スープとサラダは困惑していた。
男がそういう人物であったことは、サラダでさえ知らなかったようだ。
「なぜ舌打ちなんてするのかしら。きちんと言葉で——ちょっと! 待ちなさい!」
舌打ちした男は、突如進行方向を変えて、全力で駆け出す。扉を閉めることもせず、乱暴に開け放ったままで、部屋から出ていく。逃げを選択したのだろう。




