希望の世界17 人間パチンコ
えぬたちが扉を開けると、無機質な壁に似つかわしい賑やかな音が漏れ聞こえてきた。巨大な何かがぶつかる音。それを煽るような激しい音。どことなく楽しそうなのに、やたらと耳障りな音。
えぬはこの音に覚えがあった。
「何これ煩い。早く、行こう」
アンナが言った。えぬの足は神経が切れてしまったかのように動かなかった。
「の乃か、大丈夫?心配しないで。どんなことがあっても、私たちは味方だから」
「アンナ?」
「何?」
「今、わたしのこと」
の乃かって、言った。そうだ。私は。
「えぬのことが、どうしたって。私、変なこと言った?」
アンナは当たり前のように、また「えぬ」と言った。
「ううん、何でもない」
私はの乃か。アンナとショウは友達。ブー太はお守り。
そして、ケイは。
「何か、嬉しそうだね」
ケイが微笑んだ。
「うん、もう大丈夫。行こう」
えぬは自らの足の具合を確かめるようにゆっくりと歩いた。一歩一歩を確かめるように歩いた。
そうだ。私は自分の足で歩ける。友達と一緒なら、どんな世界も怖くない。
足を進めると、耳にスピーカーを入れたような轟音が響いた。光と音。あらゆるところからの光と音。どこからも光と音が襲い掛かってくるようだ。そして、そびえ立つ巨大な釘とうねる壁。いくつもの釘の向こうには動く壁が見える。
えぬは、この場所を知っていた。大嫌いだった場所。父が足しげく通っていた場所。えぬは頭を抱えてうずくまった。
「えぬ!」
ケイの叫ぶ声が遠くに聞こえた。何か巨大な物が落ちてくる音にかき消された。
えぬが顔を上げると、巨大な鉄球がすぐそこに迫っていた。
違う、これは鉄球ではない。これは、父の好きだった、パチンコだ。パチンコ台の迷宮。自分たちは台の中に迷い込んだのだ。
眼前に巨大なパチンコ玉が迫る。
その瞬間、煌めきに包まれた。気が付くと、パチンコ玉から離れた釘の森の間にえぬはいた。横には肩で息をするアンナと、アンナに手を握られたショウとケイがいた。
「ちょっと、この人数はキツイかも」
音と光は止まない。うねるような壁を伝って次のパチンコ玉が襲い掛かる。
「走るよ!」
ケイの号令でショウとアンナは駆け出した。えぬはもつれる足を引っ張るように懸命に足を動かした。
「えぬ!」
ケイはえぬの手を掴んで走った。
パチンコ玉が釘に跳ね返り不規則な動きをする。すんでのところで避けたそれが大きく跳ねて再び跳びかかる。
瞬間、煌めきに包まれる。アンナのガラスの靴の力に二人はまた救われた。
アンナの顔は汗が滲み、目の焦点が合っていない。どうみても負担がかかっている。
「アンナ、ごめん」
ケイが短い言葉で謝った。
「いいから走るぞ!」
ショウの怒号のような声が響く。二つ、三つと複数のパチンコ玉が迫ってくる。
ショウがバットを振りかぶる。パチンコ玉に向かって力一杯に振る。金属音と共にパチンコ玉は吹っ飛び、他のパチンコ玉に当たってビリヤードのように弾き飛んだ。
「ってえな、くそ」
ショウのバットはひしゃげて折れ曲がっている。
そこからは、何も考えずにとにかく足を動かすだけだった。
えぬは懸命に足を前に出した。走っているのか歩いているのかもわからなかった。
口を開いたり閉じたりする壁の中に、滑り込むように飛び込んだ。ケイも、そしてアンナとショウも続いた。
四人が入った瞬間、一層華やかで賑やかで、寒気のする音がパチンコ台の迷宮に響いた。
心臓が暴れ回っている。えぬはそれを押さえるように胸に掌を当てた。四人共、息を切らしてその場に倒れ込んだ。
「これで、一安心かな、うん」
ケイが立ち上がった。えぬもその後に続いた。
「アンナ、ショウ、大丈夫?」
えぬの声に二人は力なく笑った。笑うだけで二人は立ち上がらなかった。
「どうしたの?前に進もう」
えぬはそう言って二人のところに戻ろうとした。
「来るな!の乃か」
ショウが叫んだ。あまりの勢いに、えぬは目じりに涙が滲んだ。
「の乃か、来ないで」
アンナが言った。えぬは訳が分からなかった。
そして、二人は再び笑った。それは、えぬが、の乃かだった時に見た幼い二人の顔だった。夏の終わりのように寂しくて、美しい笑顔だった。
「アンナ、ショウ」
それは一瞬の出来事だった。
言い終わる間もなく突如現れた巨大なトラックが、二人の体を、粉々に弾き飛ばした。




