序章 北の山と、古い狩人たちの記録
※一話完結の短編版「伝説の編み図を編んだら、偉そうな毛玉が出てきた」では、リディアとアズラエルの出会いを描いています。
本作は、その出会いの後から始まる連載版です。短編版を読んでいなくてもお楽しみいただけます。
伝説の編み図を編んだら、偉そうな毛玉が出てきた。
それが、この毛玉――アズラエルと出会った日の、正直な感想だった。三百年封印されていたと本人は言い張るが、真偽のほどは知らない。ただ、フルーツにうるさく、口も達者で、それでいて時々妙に頼りになる。今では、それなりに息の合った(と、私だけは思っている)相棒だ。
「次に受ける依頼は、我が選ぶ」
そう宣言した翌朝、アズラエルは早々に行き先を告げた。
「北の山だ。三百年前、我を捕らえた連中の隠し財宝がある」
朝食のパンを手にしたまま、私は思わず固まった。
「……それ、依頼でも何でもないじゃない。ただの私怨でしょう」
「私怨で悪いか」
「せめて、依頼っぽい体裁は整えてよ。看板に傷がつくでしょ」
「くだらん看板だ」
悪びれもせず言い切るアズラエルに、私はため息をついた。とはいえ、彼が自分から何かを話そうとするのは珍しい。断る理由も、特に見当たらなかった。
「分かった。行きましょう。ただし、道中のフルーツ代は自腹ね」
「なぜだ」
「私怨につきあわされる側の、ささやかな抵抗よ」
「せこい女だ」
「せこいで結構」
◇
北の山は、街から三日かかる場所にあった。道中、アズラエルはいつになく口数が少なかった。景色を眺めるでもなく、ただ黙って揺られている。
「緊張してるの?」
「するはずなかろう」
即答だったが、いつもの余裕はどこか薄かった。あまりに分かりやすい態度に、私は思わず笑いそうになったが、さすがに今回だけは黙っておくことにした。
山道を登ること半日、ようやく目的地――苔むした石造りの砦跡に辿り着いた。崩れかけた門をくぐると、かつて何かの拠点だったらしい、広い中庭が広がっていた。
「ここが、あなたを捕まえた人たちの……」
「『封魔隊』とか、大層な名前を名乗っていたな。魔性のものを狩っては、封じることを生業にしていた連中だ」
淡々とした口調だったが、その声には、これまで聞いたことのない硬さがあった。
◇
砦の奥、崩れかけた書庫に、古い記録が残されていた。埃を払いながらページをめくると、几帳面な文字で、討伐の記録らしきものが綴られている。
「これ、あなたのことじゃない?」
指し示したページには、こう記されていた。
――白き毛玉状の魔性。捕縛に難航。手強く、また、やたらと口が達者。
思わず噴き出しそうになるのを、私は必死にこらえた。
「……何が可笑しい」
「ごめん、ごめん。でも、三百年経っても変わらないのね、あなた」
「黙れ」
さらにページをめくると、別の隊員が書いたらしい愚痴も見つかった。
――今日も毛玉が減らず口を叩く。曰く「貴様らの縄など、我の毛並みには不釣り合いだ」。せめて大人しく捕まってほしい。
「貴様らの縄など、って。三百年前からそんな調子だったの」
「……忘れた」
分かりやすい誤魔化しに、私はとうとう噴き出してしまった。アズラエルは不服そうに顔を背けたが、それ以上は何も言わなかった。
ページの最後に、小さな一文が添えられていた。
――彼の者、最後まで抵抗せず。何かを庇うような素振りあり。詳細不明。
その一文に、私は思わず手を止めた。アズラエルも、同じ箇所を見つめていた。
「……何を庇ったの?」
「知らん」
短い返事だった。それきり、彼は何も言わなかった。私も、それ以上は聞かなかった。
◇
宝物庫と思しき部屋は、地下の奥にあった。厳重な扉を開けると、そこには思ったより質素な光景が広がっていた。武具、古い硬貨、そして――小さな木箱が一つ。
木箱の中には、色褪せた布切れと、短い手紙が入っていた。
「隊を解散する。これ以上、あの毛玉を利用するのはやめだ。あれは、我々が思っていたような、ただの魔物ではなかったのかもしれない」
日付は、ずいぶんと古いものだった。手紙の主が誰なのかは、記されていない。
「……あなたを捕らえた人たち、途中でやめたのね」
「知らん」
さっきと同じ返事だったが、声の低さが、少しだけ違って聞こえた。
アズラエルは、しばらく黙って手紙を見つめていたが、やがて自分に言い聞かせるようにぼそりと呟いた。
「くだらん感傷だ。三百年も前の紙切れ一枚に、何を思うこともなかろうに」
◇
宝物庫の武具や硬貨を、依頼料代わりに換金し、私たちは砦を後にした。夕暮れの山道を下りながら、私はふと尋ねた。
「満足した?」
「……分からん」
歯切れの悪い返事だった。それでも、来る前よりは、心なしか肩の力が抜けているように見えた。
「あなたが庇ったものが何なのか、いつか教えてくれる?」
「知りたければ、勝手に探せ」
「探すの、大変なんだけど」
「お前は、探すのが仕事であろう」
いつもの憎まれ口が戻ってきたことに、私は少しほっとした。
「ところで、フルーツ代は自腹って言ったの、覚えてる?」
「忘れた」
「今、二回目の『忘れた』よ」
「都合の悪いことは、すべて忘れる主義だ」
「三百年生きて、そんな主義だから隊にも呆れられたんじゃないの」
「うるさい」
山を下りきる頃には、すっかり日が暮れていた。振り返ると、砦の輪郭が、闇の中に静かに沈んでいくのが見えた。
「これで、気は済んだの?」
「……次の依頼を探せ。腹が減った」
答えにならない答えだったが、それが、今の彼にできる精一杯なのかもしれなかった。私は小さく頷いて、来た道を先へと進んだ。
「あ、言っておくけど、フルーツ代は本当に自腹だからね」
「……知らん」
三回目の「知らん」に、私はもう突っ込む気力もなく、ただ笑って歩き続けた。




