拝啓 二月二日 ライラ=ロ=ノクタリカ様へ
立春の候、ライラ=ロ=ノクタリカ様におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
婚約破棄の手続きがすべて終了しましたのでお知らせします。
要件は以上だ。これで僕たちは他人。もう会うこともないだろう。しかし、どうしても言っておかないことがあり、こうして筆を執った次第である。
此度の婚約破棄にあたって、君はしきりに理由を聞きたがっていたので、まずはそのことについて記す。結論を述べれば、四大貴族の一角、ロメロ家ロザリアーナ嬢と結婚し、婿に入ることになった。一介の辺境伯であるノクタリカ家と四大貴族のロメロ家。どちらの縁を取るか、という政治的判断に過ぎない。突然の申し出により、君を傷つけてしまったことは慙愧に堪えないが、僕はこの判断について改めて謝罪するつもりはない。どうか君は君で自分の幸福をみつけたまえ。
だが、僕も冷血漢ではない。君と婚約して三年になるが、親同士が勝手に決めた婚約であったとはいえ、僕も君に愛情のような感情は抱きかけていた。初めて出会ったころのことは今でも覚えている。渓谷切り立つ銀のノクタリカ領からはるばる帝都にやって来た君。まだ齢十二であったのにもかかわらず、凛とした佇まいに、僕の方が緊張していた。僕の方が三つも年上だったのに、だ。それに、その白銀の髪に蒼の瞳、森から迷い込んできた妖精か、どこかこの世の者ではないような気さえしていた。君はその宝石のような瞳で、表情の乏しい顔で、何を思っていたのだろうか。
今になっては詮無きことだが、思慮深く、良い妻になるだろうと、思いを馳せたものだ。君は気づいていただろうか。母は君を聡い娘と気に入っていたようだったが、父は愛想がないと嫌っていた。元婚約者として見れば、それはどちらも正しいように思える。僕としては、それがライラ=ロ=ノクタリカの魅力であり、ヴァルツ家の妻としては、到底我慢ならない点であった。僕がそれとなく伝えても、終に君は変わらなかった。それもまた、君らしさなのだろう。
話を戻す。僕がこの国の現状を憂いているということも、君は知っているだろう。隣国との膠着に、重税に喘ぐ声に耳を塞ぐ貴族達。皇帝選挙も実質的に四大貴族の世襲になっている。我がヴァルツ家も評議会の末席に連なる身。祖国に尽くさねばならないし、僕もそのつもりだ。だからライラ、どうかわかって欲しい。このロザリアーナ嬢との縁談は僕にとって天啓に等しいものだったのだ。
言いたいことは以上だ。君は勤勉で聡明な女性だ。それに器量もよくまだ年若い。君を妻に迎えたいという貴族は大勢いるだろう。君にふさわしい相手は必ずいる。それは僕ではなかったということに過ぎない。だからこそ、僕は君のことを忘れようと思う。これまでの思い出は遠い夢物語であり、お互いに無かったことしよう。ライラ、君は見上げれば梢の間に月浮かぶノクタリカ家に戻り、穏やかに余生を過ごす。そして、僕、アンジールは四大貴族の一員になり、やがてこの国の腐敗を正していく。それでいいじゃないか。
なお、この婚約破棄については他言無用である。これは両家ともに同意した契約であり、破ればそれ相応の対応をする。
敬具
アンジール=フォン=ロメロより
ライラ=ロ=ノクタリカからの返信はなかった。




