第五話
定例会議後は基本的に自由行動。
俺と真田と冬川は卒業要件単位を十分に獲得しているため残りは卒業研究だけだ。
卒業研究に関しても3人共すでに終わらせているので今は趣味で研究している。
冬川は言わずもがな永久機関の性能向上、真田は教授と共にAIの研究、俺はと言うと特にテーマは無いが今は冬川の助手として研究の補佐をしている。
「先輩少し時間良いですか?」
振り返ると朝霧澪が分厚い教科書を両手に抱え俺の後ろに立っていた。
その顔にはいつものおしとやかな雰囲気を保ちながらも、少し緊張感を感じさせる表情を浮かばせている。
「どうかしたか?」
俺が声をかけると、朝霧は少し照れたように頭をかきながら言った。
「はい、ちょっと質問があって。これ、手伝ってもらえませんか?」
朝霧が差し出した教科書は物理の問題集だった。
3年生の朝霧はたまに俺の元へ質問しに来る。研究室に入りたての頃は同性という事もあって冬川に質問していたが、冬川は天才肌で説明が分かりづらい。
真田にも質問していた時期があったが、あいつは過度なオタクという事もあり生理的に受け付けない部分がある。
口を開けばアニメやゲームの話。興奮するとハアハアと気持ち悪い息遣いをするのもマイナスポイントだろう。
そのような経緯で今は俺の元へ来ることになっている。
教科書を受け取り指定された問題を見る。波動の重ね合わせ。一見難しそうな内容であるが、解法のパターンと原理を理解すれば簡単だ。
ただ、学部3年がやるにしては少し難しい気もするが。
「基本はこうだ。まず、波の合成の原理を思い出して・・・・・。」
ちゃんと聞いているか確認のつもりで横目で朝霧を見るとしっかりノートを取っていた。
そして、分からない部分があればすぐに質問してくる。そんな朝霧の姿を見ると少し嬉しくなってくる自分が居る。いつも冬川のようなくせの強い人間と関わっているせいか朝霧のような素直で可愛い後輩が出来たのは素直に嬉しい。
「ありがとうございます。やっぱり暁先輩も冬川先輩に負けず劣らずの天才ですね」
素直な誉め言葉に思わず頬が緩む。
「キモ」
俺の表情を見ていた冬川がふと呟いた。
「悪かったな。お前みたいな感情をフーリエ変換してノイズしか出ない奴と毎日接してたら、朝霧が可愛く見えて仕方ないんだ」
「人間関係を信号処理すんな。てか、お前の顔面が既にノイズだ」
「暴言が過ぎるぞ冬川。俺の自己肯定感がログスケールで減衰してる」
「最初から検出限界だろ。今さら何言ってんの」
こんな文系の人間が聞いたら何を言っているのか分からないであろう言い合いを見ていた朝霧が上品に笑った。
「やっぱり先輩たちのそういうとこ、ほんとにお似合いですよ。」
「お似合いって、助手と私が?そう見えるのなら澪は脳に異常があるはずだ。すぐに脳神経外科の受診を推奨する」
「同感だ。朝霧も将来は立派な研究者だ。今の内に脳の障害は治療しておいた方が良い」
朝霧はいつものように微笑んで自分の席へ帰って行った。冬川も何も言わず研究を再開した。
それから数時間後、珍しく矢野研究室に静寂が訪れていた。
聞こえるのは冬川のタイピング音と朝霧の鉛筆を動かす音、そしてご機嫌そうに鼻歌を歌う真田忠彦のリズムだけ。
「リリスたんマジ天使♪ラララ♪・・・・・ん?」
鼻歌を歌いながら冷蔵庫から取り出したエナジードリンクに口を付けた真田は何か異変を察知したのか表情が硬くなった。
「どうかしたか?」
俺がちらりと真田の方を確認すると、真田はドリンクから口を離し、少しだけ缶を傾けて中身を確認していた。
「モンエナってこんな味だっけ?」
真田に差し出されたモンスター(エナジー飲料)に口を付ける。確かに言われてみれば味が違う。いや、確実に違う。なんかこう・・・毒を摂取しているような気分になる。
俺と真田は再度、飲みかけの缶をじっくりと見つめる。
「缶に少し穴が開いてないか?」
缶の側面に小さな穴が開いていた。普通なら気づかないようなほんの小さな穴。
「何らかの衝撃で穴が開いて、内容物が酸化された結果味が変わったのかな?」
真田の見解は悪くない。ただ、この缶はアルミで出来て、小さな衝撃では穴が開いたりはしない。
それに、これほど小さな穴では味を変えるほど酸化が進むには数日必要だ。つまり、他の原因がある。
俺はふと冷蔵庫の中を確認するとそこには大量に置かれてあるモンスターの隣に不審なシャーレがあった。
シャーレの上には謎のゲル。よく見ると微かに動いているようにも見える。
「ヤバいヤバいヤバいヤバい!絶対これ、モンエナ食って育ったやつだろ!」
真田から聞いたことのないような声。本当に焦っているのが伝わる。
そんな時、背後から声がした。
「あ、それ私の」
「「!?」」
「先週の実験で偶然できたゲル。培養してたら、なんか自己再構成初めてさ。多分モンエナの缶を突き破ったんだろ」
冬川が冷静に話す中、真田の顔色がだんだん青ざめていく。
「え、俺達謎生物を体内に入れたって事?」
真田の額に汗の粒が浮かび、まるで今すぐにでも倒れそうな勢いだ。
「そうなるな。まあ、なんかあれば私が特効薬作ってやるから安心しろ」
————その後、真田は腹痛に襲われ冬川が開発した薬で回復した。俺も飲んだが少量だったためか体に異常は出なかった。




