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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
六月十六日
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消えゆく願い

 羽柴秀吉の元与力、竹中半兵衛重治たけなかはんべいしげはるが弟、竹中久作重矩たけなかきゅうさくしげのり

 明智残党の狩り出しの為に街道に置かれた関を抜ける度に、その肩書きを述べては通り抜けてきた。

 兄が羽柴秀吉の元を陣没という形で離れて久しいが、古参の者は竹中の姓に敬意を払い道を開けてくれた。


 当初は明智討伐軍の総大将である織田信孝おだのぶたかの元へと赴き、自身が突き止めた真実を手に明智とのこの不毛な争いを止める腹づもりだった。

 彼が本陣とする本能寺へと赴いたが、その門前にて集まった人だかりの中で近江国で捕縛され京に送られた明智家の重臣斉藤利三(さいとうとしみつ)に対する刑が今まさに執行されようとしていた。


 本能寺門前に積まれた明智者と称する首の数々、そしてそこに晒される一つの首を指差し織田信孝が斉藤利三に向け冷ややかな笑みを浮かべながら口を開き「主君、明智光秀のの首は既にここにある」と彼の主君の蛮行を罵り、そしてそれに荷担した斉藤利三を糾弾する。

「不出来の息子よ、よく聞け。明智を謀反人に仕立てた事を近く必ず後悔する日が来るだろう」

 だが斉藤利三は、聴衆の面前で織田信孝をその言葉と共に大いに笑って見せたのである。明智光秀の首が偽物である事を見抜いての事だろうが、そもそも明智者として積まれている首に明らかにそうでないと思える多数の首がある事も可笑しかったのだろう。

 彼のこの行動に怒り心頭の織田信孝は斉藤利三の斬首を中止、急きょ彼を大通りへと連れだし大衆の面前にて牛裂きの刑に処せと命じたのだった。


 笑いながら大通りへと送られる斉藤利三の姿を、ただ為す術無く見送るしか出来なかった。

 あれが織田信孝という人物。

 今の彼に一介の浪人である自分が目通りを申し出ても一蹴されるに違いない。

 世迷い言を述べる狂人として、または明智に与する一人として罪無く殺された京の人々同様に処断される可能性もある。雑賀と高野山とで二度囚われの身となった経験が、竹中重矩を慎重にさせていた。


 まずは手順を踏むべきだ。竹中の名で近づけるのはおそらくは羽柴秀吉のみ。

 羽柴秀吉に黒田家を通じて近づき、織田家への再仕官を望むとでも理由を付けて織田信孝に目通り出来る様取り計らってもらう事が出来ないだろうか。

 一つの賭けの様なものだが、闇雲に突っ込んで談判するよりも後ろ盾を持ち訪れる方が彼の耳により自分の言が届くのではないかと思う。

 明智光秀は明智討伐軍の主攻を担う羽柴軍の大将、羽柴秀吉を討ち取る腹づもりでいると聞いた。

 明智光秀による攻撃で羽柴秀吉が落命してしまえば、織田信孝へと続く唯一の道が閉ざされてしまう。急がねばならなかった。

 竹中重矩は京の都を足早に去ると、騎馬を走らせ羽柴秀吉本陣があるという山崎の地へと向かった。


 この争乱は兄重治によって引き起こされたといっても過言では無い。

 それを弟である自分が和議にて収める事が竹中の使命、兄ならば自分を身の程知らずと笑うだろう。

 しかしこれを成して初めて自分は兄に追いつけるのだと竹中重矩はそう思い定めていた。


 気持ちの焦りとは裏腹に街道を行く竹中重矩の歩みは遅かった。

 街道沿いの警備は特に厳重で、羽柴軍の騎馬武者と幾度となくすれ違っている。

 そんな中で乗馬を疾駆させれば不審者として追われることにもなりかねない。

 京での滞在に時間を掛けすぎた事もあり、勝竜寺城を過ぎた頃には日も傾き始めていた。黒田家が陣を敷くという天王山は目前、街道に残る一本の橋にて警備の兵に止められた。


 黒田陣への訪問を告げ、何度も語った自身の肩書きを述べた。

 用向きは織田家への再仕官の取りなしを願うためと告げると、円明寺川に架かるこの橋の対岸にて警備の任に就くのが黒田家の者だと伝えられた。

 自分を通すために道を塞ぐ柵を兵達が取り除き始めた時、待ての声が上がった。


「織田家の家臣でもない何処の馬の骨とも知れぬ者を通すわけにはいかぬ。羽柴秀吉様の命を狙う明智者かも知れぬではないか」


 彼の言は正しい。兄重治の名でここまで来れた事の方がおかしいのだ。

 ただこの男の物言いは何か嫌味がかっている。馬上の自分を見上げながら男は黄母衣衆神子田正治(みこだまさはる)と名乗った。

 羽柴秀吉直属の馬廻り衆であることをより誇張する様な口ぶりだった。


「羽柴秀吉様の側近ならば、竹中重治の弟重矩と名乗っても通しては頂けませぬか?」

「竹中? ああ、僅かな才を鼻に掛ける嫌な男だった。三木城攻めの陣中で誰にも看取られずに寂しく死んでいたと確か聞いたな」

「我が兄を愚弄されるのか」

「事実を申して愚弄とは心外な、ともかく通せぬ。引き返すがいい」

「遠く美濃国よりここまで出向いて、引き返せと申すのですか」

「左様、道中が不慣れなら京までは誰か案内につけましょう」


 そんな事をされてはこの場を引き返し密かに円明寺川を渡ることも出来なくなる。それを見越しての見張り役というのだろう。なぜそれ程に自分の仕官を邪魔したいのか。

 この男、今明らかに笑った。

 かつて兄が自分に言ったのを覚えている。自分が評価されれば立場を失い妬み恨む者も現れると。

 この神子田なる男は明らかに兄重治に対して今尚根深い感情を持ち続けている。

 申している事は確かに正しいが、自分が不審者だから通さぬのではなく竹中の家の者だから通さぬとしか聞こえぬ物言いからは、そうとしか感じられない。


 この橋を渡りさえすればこの男から解放される。橋の向こう側の黒田へと辿り着きさえすれば。

 決断の時、竹中重矩は迷わなかった。

「なれば、押し通るのみ」

 手に持つ槍を一閃、穂先が神子田正治の胸元をかすめ、彼は悲鳴と共に尻餅をついた。

「あっ、明智者ぞ。討ち取れ」

「竹中重矩、黒田孝高くろだよしたか殿に物申す」

 そう叫びながら橋の上を駆けた。


「撃て、討ち取れ。逃がすな」

 神子田正治の叫び声と共に矢が耳元をかすめていく。橋の中程、痛みで体が仰け反り叫ぶ声が途切れた。

 右胸から矢が突き出ていた。次々に矢が自分の体を穿つのが分かる。警備の兵からいらぬ警戒をされぬ様にと胴丸一つ付けぬ平服姿が災いした。

 だがもう少し、闇の中に浮かぶ旗印は黒餅、兄重治が掲げていた旗印に向けて飛び込んだ。

 竹中重矩は激痛に襲われそのまま地面へと崩れる。すぐに黒田の者達に体を支え起こされた。

「貴殿名を、名をもう一度申されよ」

「竹中…重矩」


 自分を引き渡せと神子田正治が兵を率いて橋を渡り来る。立ち上がった黒田者が手を広げて彼等を止める。

「それは出来申さぬ。黒田家中栗山利安(くりやまとしやす)、この一命に代えても竹中殿をお守り致す」

 栗山利安が言うと黒田の兵達も殺気を込めて前に出る。


「その者は我が誰何を無視し侵入したのだ。明智の手の者に違いない。この事秀吉様に報告すれば、黒田孝高殿の立場も危うくなりましょうぞ」


「何を申すかたわけめが、竹中殿は黒田家の大恩人。我が殿ならばでかしたとお褒めの言葉を下さるだろう」

 やり込められる神子田正治。だが後続の兵が更に加わった事で彼も強気に出る。


「多兵衛、おるか」

 栗山利安の呼びかけに「おう」と答えて現れたのは母里友信もりとものぶ。彼の姿を見ると神子田正治達の顔色が明らかに変わった。

「多兵衛、お主黒田家を出奔し、しばらく放浪して来てはくれぬか」

「承知つかまつった」


「お前達、何を言っている」

 二人のやり取りの意味が分からず神子田正治が声をあげる。

「これから儂がお主等を皆殺しにして旅に出るのよ」

 黒田家中随一の武勇の士、山崎の地での黒田の戦いぶりは羽柴軍の中でも噂になっている。中でも母里友信について羽柴軍の古参の者達は、明智軍から現れた背笹の武者、多くの逸話を持つ武辺者である可児才蔵吉長かにさいぞうよしながを退けた将としてその名を刻んでいた。


 神子田正治の制止の声も意に介さず前に出てくる母里友信に神子田の兵達は我先にと逃げ出す。神子田正治も捨て台詞を残して兵達の背を追って逃げ出した。

 黒田者達の笑い声、竹中の気風に似た懐かしさを竹中重矩は感じた。

「栗山殿、この方が」

「織田信長公に処刑を命じられた嫡男長政様を美濃国にて匿って下さったのがこの竹中重矩殿だ」

「急ぎ治療を、しかし」


 自分の目の前で栗山利安と母里友信の二人は顔を曇らせた。相当の深手を受けているのは自分の体が誰よりも理解している。

 背に刺さった矢は何本か抜かれ布で縛られたが、胸から突き出た矢はそのままに戸板に横向きに寝かされた。矢を抜けば即命に関わるという事、つまり自分の命数はそう長くはない。

 こんな状況で頭の回る自分が滑稽だった。


 いくらかの治療の後、松明の明かりを頼りに道なき道を天王山の陣へと向けて運ばれていく。まだ山上は遠いようだ。

 自分の意識を保とうと栗山利安が何度も話しかけてくる。

 どのくらい進んだのだろうか。

 急に血が口から溢れ出して咽せた。体内で何かが壊れたようだ。

 口を布で拭われたが、その布を持とうとする手に感覚がない。どうやらこれまでかもしれぬと悟った。

 結局自分は兄に追いつけぬまま逝く。

 それでいい、兄は自分の憧れのままがいい。


 明智と織田の和議に力を尽くすことはもう出来ない。

 なれば少しでも残される者達の為に自分が成すべき事をすべきだ。竹中重矩は最後の力を振り絞り血まみれの包みを栗山利安に向けて差し出した。


「ここに、織田信長襲撃に関わる全ての顛末が記されています。

 これを黒田孝高殿の手から織田の要職にある方へ。この功を以て竹中家の織田家への帰参を願いたい」


 包みを開け『竹中秘録』と記された書を取り出す栗山利安。

「なぜあなたが、この様なものを?」

「明智光秀殿から本当の敵を探せと依頼された。明智は織田の敵ではない」


 自分が出来るのはせいぜいここまでか、美濃国で帰りを待つ竹中の者達、そして領民達がそれで少しでも救われるのならば…。

「竹中殿、竹中殿」

 大きく息を吸い込んだ。吸い込んだはずだ。

 光がどんどん大きくなってくる。黒い影が自分を笑う。

 織田と明智の和議などと、大層な事を考えた自分を兄が無様だと笑っている。違う、幼き日、よくやったと褒めてくれたあの時の兄の優しい笑みだ。

「兄上、面白い者達と旅をしたんだ。そうだ、長浜で面白い女と会ったんだ。兄上もきっと気に入ると思うな」

 伸ばした手を力強く掴む温かな手、何かを自分に向けて叫び続ける声は次第に遠くなっていく。


 明智光秀の密命を帯び安土城を発った竹中久作重矩たけなかきゅうさくしげのりは、六月十六日山崎の地天王山の麓にて三十七年の生涯を閉じた。

 公には六月六日、美濃国不破郡の表佐村で発生した一揆との戦いで戦死したと伝えられている。

 

次回で完結です。

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