水色桔梗の旗の下に
六月十七日未明、勝龍寺城の丹羽長秀、池田恒興の裏切りの声が羽柴軍本陣内にて響き、兵達の詰める複数の陣屋から火の手が上がる。
街道沿いの羽柴軍の防御に襲いかかるのは井戸良弘に率いられた明智軍百五十名。彼等の行動と示し合わせたように兵達の詰める陣屋にて騒ぎを起こしたのだ。
数千を超える兵が犇めく陣屋のあちこちで羽柴の兵が混乱し、味方同士刃を交える姿も見られる。彼等の中に潜む二十名程の明智兵が羽柴兵を斬りつける事によって、傷を負った兵士が周囲の味方に襲いかかる。その連鎖によってその騒ぎは更に大きくなっていった。
兵を纏めようと声を上げる者を明智者達が集中的に狙い潰しているはず、それでも全てを潰す事は出来ないだろう。いずれは隊伍を整えた敵が彼等を狩り出す。
それまでに自分達は羽柴秀吉の陣幕に辿り着かねばならない。
先発した三箇頼照と彼の率いる三箇勢百名に遅れて明智光秀と三十名の明智兵は、混乱の中を一丸となって通り抜けていく。
自分達を遮る者は無く、それどころか逆に羽柴の兵は自分達に対して道を開ける。
「個々に動く兵は向かい来る集団には近づこうとはしない。遅れて出れば最短を進めるでしょう」
それは三箇頼照の述べた策だった。
見事だ。走りながら明智光秀は彼の見識にそう呟いた。
一の柵、篝火を二つ並べた場所が三箇頼照が通ったという目印。そこで数名の三箇者に迎えられた。周囲に羽柴の兵の姿は無い。
羽柴秀吉はこの地に広大な陣を敷いた。
これは京方面からの大軍に対する構えであり、その広大さ故に三箇勢を騙る我らの陣内での野営を許し、その警備の多くは敵襲を告げる街道沿いに今は集中している。
三箇頼照が突破し、明智光秀がそれに続く内線の防御柵は兵の警備もまばらで、我らに対して僅かではあるが小さな隙を見せている。
明智光秀達にとってはそれだけで十分だった。
次の目印を目指す。
途中、三箇勢が強引に突破したのであろう味方らしき屍が幾つも倒れている。羽柴秀吉の陣幕を守る最後の防御線となる二の柵、そこを守る警備の兵は騒ぎにも動じず持ち場を離れなかったということだ。
それでも目印となる二つ並んだ篝火は目前、三箇頼連はここにも楔を打ち込むことに成功している。
二の柵、強引に破壊してある柵の裂け目を突破した。
すでに三箇頼照は手勢を二手に分けて、羽柴秀吉を逃がさぬ様に周囲を制圧中である。陣幕内へと斬り込むのは羽柴秀吉の顔を知る我らの役目。
彼の陣幕は飛び道具からの目隠しと間者や刺客の侵入を防ぐ為のもので、強固な防御柵の上から張られたものではない。
これは一軍の侵入に対しては寝所の蚊帳にも等しい。次々と家臣達が陣幕を斬り裂き中へと侵入していく。
「羽柴秀吉」
明智光秀も声を上げ羽柴秀吉の名を叫ぶ。突き出す槍が次の幕を斬り裂いた。
* *
天王山の山上、黒田家の陣からは眼下の騒ぎが手に取るように見えている。羽柴秀吉の本陣が大混乱に陥っているのである。
しかし天王山から見える味方の乱れは羽柴秀吉の本陣内だけ、丹羽長秀と池田恒興の裏切りと叫ぶ声も聞こえたとの報告は受けたが、彼等の詰める勝竜寺城、それを監視するために配された御坊塚の中村一氏には動きは見られない。
これは明智残党による奇襲である。
黒田孝高は今起きている出来事をすぐに察した。
しかしそんな事は今はどうでもよかった。
栗山利安と母里友信の二人が陣内に運び込んだ一人の侍の亡骸を前に、彼より託されたという一冊の書から目が離せないのだ。
この書は『竹中秘録』と記され、その持ち主は大恩ある竹中重矩であった。彼の体に突き立った矢は神子田正治の手勢により放たれたものだという。
羽柴家の古参の者ならば竹中の名には敬意を以て接する者が殆どだろう。
しかし神子田正治はそうしなかった。彼を除こうと動いた。
神子田正治はかつては羽柴秀吉の軍配者としての地位を得ていたが、竹中重治の出現によりその地位を奪われ、今では数多くいる黄母衣衆の一人として特に目立つこともない存在になっている。
彼の竹中重治に対する嫉妬心が歪んだ形でこの者の命を奪ったのに違いなかった。
最後に竹中重矩と言葉を交わした栗山利安の言によれば、この書は織田信長襲撃に関わる全てが記され、これを織田家の要職にある者へと届け、その功を以て竹中家の織田家への帰属を願ったという。それをこの黒田に託したのだと。
黒田孝高は一通り目を通してその書を閉じた。
織田信長の入京を敵方に知らせたのは織田家の内通者、そこに自身の名は無かった。襲撃の首謀者である橋口隼人が織田家を出奔した竹中重治であったという記述も見られなかった。
竹中と黒田の両家を守る為、故意にそれが省かれている事は理解出来た。
書には事の顛末が見事なまでに詳細に書き記され、首謀者橋口隼人の死も当事者でなければ語れぬ程に詳細な記載が追記として記されている。
竹中重矩は紀州国にて兄と再会し、その死を見届けたということだ。
この書の存在は危険だ。
これが柴田勝家の手にでも渡れば羽柴が美濃国、尾張国を降し全てを征した後にも旧織田勢力の結集を誘発しかねない。
羽柴軍の軍力を背景にした力では無く、謀反人明智光秀を討ち倒し織田信長の無念を晴らしたという大義あってこそ、その後の羽柴の支配に渋々従う者が殆どだからだ。
眼下の騒ぎに動じるなと厳命し、黒田孝高は急ぎ羽柴秀吉の安否を確認しろと命じた。
もしこの奇襲で羽柴秀吉が倒れたならば羽柴家は崩壊する。羽柴家は羽柴秀吉という強力な個性に支えられているだけで、その弟秀長を含めて一族に天下を統べるほどの器量人は存在しない。
羽柴秀吉が倒れれば織田家は力を取り戻し、羽柴家はその影に埋もれていく。つまり羽柴秀吉の生死が黒田家の運命をも左右する。
羽柴秀吉が倒れたなら黒田家は羽柴家から離れて織田家につく。
この書は明智を攻めた羽柴の不義に言及し、黒田家が織田家に歩み寄る大きな一手として使えるに違いない。
「なぜ援兵を送らぬ。官兵衛」
背筋が凍るほどの衝撃だった。
雑兵の装束でこの場に現れたのは羽柴秀吉自身だった。栗山利安と母里友信が頭を垂れて道を開けた。
顔を近づけじろりと自分を見つめる羽柴秀吉に黒田孝高の表情は微妙に揺れたが、上手く表情が作れぬ不自由な体が幸いした。
羽柴秀吉は黒田孝高の持つ『竹中秘録』を奪うとその表題に不機嫌な顔をしながら地面に胡座をかき目を通し始める。
何という悪運の持ち主か、なぜそのような姿で兵達に紛れ我が陣に潜んでいたのかは理解出来ぬが、羽柴秀吉は乾坤一擲の明智軍による奇襲を生き延びたのだ。
しかしここには自分と秀吉、栗山と母里の四人だけ。
今なら明智の仕業としてこの男を殺し、我らは織田家に走る事も出来る。どうする?
否、この男は黒田家がこれより更に高見へと登って行くためには必要な駒だ。黒田孝高は刀に伸びていた手を放した。
栗山利安と母里友信の二人の視線が自身に向いているのに気付いた。主の放つ殺気、その決断を彼等は無言で見守っていたのだった。
「くだらんな。すでに明智謀反で正道は定まっておる」
羽柴秀吉は立ち上がると『竹中秘録』を篝火の中にくべた。彼は戸板に横たわる男の亡骸に目を止める。
「竹中重治の弟重矩殿です」
「ふん、半兵衛めが儂を諫める為にこの男を送り込んできたか」
羽柴秀吉には織田家侵攻を諫め思い止まらせる為に亡き竹中重治がこの者を遣わしたと感じた様だった。
「竹中重矩殿は織田信長公襲撃に関わる詳細を独自に調べ上げ、その功を以て織田家への帰属を願いたいとの事でありました。竹中家の口を塞ぐためにも彼等は我らの側へと置く方がよろしいでしょう」
竹中家を羽柴家にて取り立てよとの黒田孝高の言葉を羽柴秀吉は了承した。
「但し竹中重治直系の血筋は好かぬ。傍系を取り立てよ」
すぐその言葉だけを彼は付け加えた。
「官兵衛、その男の亡骸は三木平井山にでも葬ってやるがよい。主亡き空の墓ならば丁度よかろう」
そう言い残し羽柴秀吉は供の一人も連れずに一人山崎村方面へと下っていく。羽柴秀吉本陣は今も混乱の最中で、松明の列が右往左往している。
三木平井山、その地には竹中重治の墓がある。彼を慕う地侍や土地の者はそれが空の墓とも知らずに今も大切に守り続けている。
竹中家を取り込むには重矩殿のこの地での死を隠し行方不明とせねばならない。
この亡骸を美濃国へと返すことが出来ぬなら、せめて弔う者達の居る地へと送れという秀吉なりの配慮という事なのだろう。
羽柴秀吉が時折見せる人間味を浴びる時、自分の思考は混乱する。
黒田孝高の持つ羽柴秀吉像が歪むからだ。
羽柴秀吉と竹中重治、かつてあの二人は友であったという。しかし自分が二人と出会った時その関係には大きな溝が出来ており、すでに職務的な間柄としか感じられなかった。
竹中重矩の亡骸が黒餅の軍旗に包まれて天王山を下っていくのを見送った。
自分は羽柴秀吉という男を理解しようとは思わない。黒田家を大きくするための足掛かりとして利用するだけの駒、それだけでいい。
あの時、自分はそう決めたのだ。
* *
明智光秀は唇を噛んだ。
羽柴秀吉の陣幕、居室となる空間にも彼の姿は無い。しかし彼の兜や甲冑はそこに置かれたままだ。近くに居るのは間違いない。
明智光秀の「探し出せ」の声に家臣達は従ったが、おそらくもう見つけ出す事は叶わぬだろう。
羽柴秀吉の名を叫びながら井戸良弘が明智光秀の前に現れた。彼は秀吉の不在を知ると血まみれの手で羽柴秀吉の兜を掴み地に投げつけ、空の甲冑を蹴倒す。
羽柴秀吉を取り逃がした絶望に、その場で自害して果てようとする彼を明智光秀は制した。
陣幕の外でここまで辿り着いた味方を集める。
明智光秀に合流できたのは明智勢三十四人、三箇勢六十二人、その他の者の生死は不明である。夜の闇は明け空はもう白み始めている。
陣周囲を埋める羽柴軍も混乱から立ち直り隊伍を整えつつある。
「この陣を脱出して円明寺川に沿って下り、淀川を目指す」
明智光秀の号令で一斉に駆け出した。
本陣中枢部からの攻撃は、外周からの敵に備えようとする羽柴軍の虚を突いた。だが敵の数は多い、陣の外に出るために柵を打ち壊す時を稼ぐ為に、明智光秀達は乱戦の中に身を投じた。
三箇勢を守るように外周に立ち奮戦する明智兵達、明智光秀自身もそこに発ち三人、四人と襲い来る羽柴軍の雑兵達を槍で突き倒していく。
殺到する羽柴の兵、背を槍で突かれ、甲冑の上から腹を刺された。すぐに突き立った槍を刀で切り落として抜いたが、態勢が崩れ兵達に支えられて奥へと退いた。
柵が打ち壊され道が開くが、羽柴軍に肉薄されたこの状況では逃げ切れない。
「ここは拙者が引き受ける。行きなされ」
血まみれの姿で井戸良弘が声を上げ、羽柴軍の中へと飛び込んで行く。多くの明智兵が殿軍となって残る道を選び彼に続いた。
明智光秀、三箇頼照の二人は残された者達を連れて円明寺川に沿って河口へと下っていく。
井戸良弘達の働きにより羽柴軍との距離を稼いでの退却戦、円明寺川の河口からは南下して淀川の上陸地点を目指した。
そこに着けば船を待たせてある。そこまで逃げ切れれば。
馬蹄の響き、敵の騎馬隊が我らを追って出て来ていた。僅か十数騎の小隊ではあるが、我らを殲滅するには十分な数ともいえる。
我らの為に力を尽くしてくれた三箇勢を何とか逃がさねばならない。
「頼照殿、あの騎馬隊は我ら明智が引き受ける。行かれよ」
「光秀殿」
声に応えず明智光秀は甲冑を脱ぎ捨て背と腹に受けた傷を布で固く縛る。向かい来る騎馬隊に対して槍を手に総勢十名の明智者がその場に一列に並び立つ。
騎馬隊は逃げ行く三箇勢に目もくれず、並び立つ自分達に相対する様に駒を止め、将の号令一下鎧武者全員が下馬した。
「おお、お主は轡取りの爺ではないか。お主が殿軍か」
一人前に出た羽柴軍の武者がそう声に出した。黄母衣衆小野木重次、面識のある顔だ。
明智光秀と名乗るべきではないと感じた。
京にて明智光秀として晒された影武者の首を織田の将達は誰も光秀本人のものとは信じていないはず。彼等には自分は生きているという恐怖を与え続ける事がささやかな意地というものだろう。
明智光秀は一歩前に出て、大声で自身の名乗りを上げた。
「坂本十兵衛である。小野木殿、お相手申し上げる」
並んだ明智兵達からかすかに笑いが起きた。
雑賀の娘、いや燕。どうやら戻れそうにない。
励めと自分に向けて叫んだ彼女の声を思い出し、力を奮い起こした。槍を静かに腰に構え、歩を進める。
二合、三合と小野木重次と槍を合せた。
傷の為か体の反応が少し鈍い。先手を打ち相手の槍を絡め飛ばし、石突きで鎧の胸を大きく突いた。尻餅を着いて倒れる小野木重次、突きつけた明智光秀の槍に彼は手を掛けた刀を抜けぬまま動きを止めた。
助けを求める様な彼の視線が左右へと動く。
周囲の明智兵が次々に小勢と侮った羽柴の武者達を討ち取っていく姿に彼の驚く表情が見て取れる。再び彼と目が合った。
明智光秀は槍を引き、小野木重次に去れと告げた。
この男をここで討ち取る事に大きな意味はない。小野木重次の「退け」の声と共に、生き残った羽柴の武者が項垂れたままこの場を駆け去って行く。
再び皆を率いて三箇頼照の後を追った。
激しく動き続けたせいか、不意に体の中で何かが壊れた。口の中に血が溢れ出す。羽柴軍の追っ手が迫る中、それでも兵達に支えられて何とか船の待つ上陸地点へと辿り着いた。
淀川の川岸で三箇頼照が立ち尽くしていた。
待っているはずの船の殆どが消えていた。僅かに残るのは小舟が二隻のみ。これでは全員を一度に川向こうへと渡せない。
「頼照殿、どうやらここでお別れの様です。我らが時を稼ぐ間に脱出を」
「光秀殿、あなたは死んではいけない。あなたが生きねば」
明智光秀は彼のその言葉に首を横に振った。
血を吐きながら、腹の傷をきつく締め直す姿に、三箇頼照は全てを察した様だった。
三箇勢二十数名は船に乗り、乗り切れぬ者達は船の縁に手を掛けて水の中に体を沈めた。その姿を見送りながら、十人にまで減った明智者達は、隠してあった水色桔梗の旗印を背に背負うと明智光秀の前に整列する。
迫り来る羽柴の大軍、その無数の旗印が大地を埋め尽くすかの様にも見える。
「三箇頼照殿の離脱まで羽柴軍を食い止め。その後敵を斬り抜け離脱する。生き残り丹波国黑井城か京の北周山城を目指せ」
そう力強く皆に伝えた。
最後まで生きるために足掻くぞ。燕の励めと自分に叫んだ声を思い出し。明智光秀は手に持つ槍に力を込める。
応と気合いを入れ歩を進める。
槍を構え、一丸となって羽柴の大軍に向かい進んで行く最後の明智兵達の姿。その背には雄々しく翻る水色桔梗の旗印が風に揺れている。
* *
敵味方の壮絶な死闘の跡、遅れて円明寺川対岸から駆けつけた神子田正治は、家臣達に散らばる敵兵の遺体から手柄首を集めよと命じると、一人羽柴秀吉の在る陣幕を目指した。
やはりあの竹中を名乗った男は明智の手の者だった。
竹中重治の縁者を名乗り潜入した明智者を黒田孝高が匿っていると昨夜秀吉様には伝えた。そしてこの襲撃は黒田隊が警備の任を放棄して天王山へと引き上げた後に行われたのだ。
黒田孝高に二心あり、これで秀吉様の彼への度を超えた信任も揺らぐ事だろう。
途中、本陣内へと走り来た伝令の男を捕まえてその報告を聞いた。
「三箇勢の一部は取り逃がしましたが、他は全て討ち取ったとの事にございます」
その事は自分が直接秀吉様に伝えると申して、伝令の男を追い払った。
三箇勢が単独で秀吉様を狙うなどありえない。この攻撃には必ず明智の生き残りが関与しているに違いない。
すぐにでも秀吉様にこの事を進言せねば、神子田正治は得意げな顔で、限られた者しか立ち入りが許されていない羽柴秀吉の陣幕のある区画へと当然の如く足を踏み入れた。
いつもなら整然と並び秀吉様の陣幕を守る警備の兵達はその全員が地面に伏し、斬り裂かれた陣幕がただ風に揺れていた。
神子田正治の顔から笑顔が消え、慌てて陣幕の中へと飛び込む。
「秀吉様、羽柴秀吉様」
呼びかける声に反応が無い。ただそこに静寂があるだけだった。
羽柴秀吉の居室、血まみれの主の兜だけが地に転がっていた。
「大変だ。殿が死んだ。羽柴秀吉様が亡くなられたぞ」
悲鳴にも似た叫び声を発して、神子田正治はその場を逃げ出していった。
* *
羽柴秀吉死す。
その報は瞬く間に羽柴軍内、そして明智討伐軍に参じた織田信孝、丹羽長秀、池田恒興の元へと広まったが、近江国を進軍中であった羽柴秀長にその報が伝わるのはもう少しの時を要した。
羽柴秀長率いる一万五千の軍の前方には、伊勢の北畠信意に所属する三千の軍が安土城城下町に陣を敷き城攻めの構えである。
安土城は現在堅田水軍を接収した蜂須賀正勝率いる三百の手勢が占拠し、明智の残党狩りの最中との虚言を申してその入城を拒み続けている。
彼等の本来の目的は安土城に蓄えてある財物を船に積み込み何処かへと運び出すことにある。
その目的が達せられるまでの間、軍をこの地に止めて北畠軍を牽制して欲しいとの依頼を受け、羽柴秀長の軍は足止めを受ける形になっていたのである。
羽柴秀長の元にはおねの長浜城帰城が伝えられていた。
六月十六日、明智の城将妻木範賢の名で大吉寺に城返還の使者が訪れたという。
この吉報を知らせる伝令を羽柴秀長は発しなかった。
それは吉報であると同時にこの大軍の近江国内進軍の為の最大の大義名分の消失でもあったからだ。この軍の公の進軍目的は羽柴秀吉の母と妻を救うために長浜城を目指すというもの。
この事が京に知れれば丹波国攻略に軍を向けよとの命が、形ばかりの総大将織田信孝より発せられ、その命に従わず進軍を続ければ、謀反の意ありと露見する。
北畠信意は我が軍の出現に動揺を隠せないでいる。
明智軍が放棄し空となった安土城奪還を果たし、明智討伐の功を誇ろうという目論見であったのだろう。
そんな時、兄の秀吉が山崎の地にて謀に会い討ち死にの凶報を受けたのである。
羽柴秀長は馬上にて目を閉じたまま、しばらくその場を動けないでいた。
兄秀吉を討ったのは明智軍では無く、味方面して近づいてきた三箇頼照率いる数百の小勢であったという。
明智光秀も既に亡く、明智の拠点への侵攻も順調に進んでいる。正に油断が招いた失態。織田信長も兄秀吉も自らが作り出したその隙により、手中にしかけた天下を失ったのだ。
自分が兄の意思を継ぎこのまま美濃国、尾張国へと攻め込むべきか。答えは否である。
「しまいじゃ」
羽柴秀長は馬上に座したままでそう大声で叫んだ。
佐和山城と山本山城攻めの為に二千の軍を割いてそのまま北上させ、残りの全軍を兄秀吉の仇、三箇頼照の討伐に向けると決定した。
蜂須賀正勝の安土城退去の報を受け、北畠信意の安土城入城を尻目に羽柴秀長率いる羽柴軍は反転し、大津から南へと南下して宇治街道を淀城へと進む進軍路を選んだ。
淀城を通過するその時、羽柴秀吉戦死は誤報であるとの報告が羽柴秀長の元へともたらされたが、最早後の祭りであった。
誤報を伝える伝令は実の所すぐに羽柴秀吉本陣から発せられた。
羽柴秀吉がひょっこり山崎村の中から陣幕へと帰還してきたからである。それにも関わらず、誤報を伝える伝令が羽柴秀長の元に届くまでに実に半日遅れの時を要したのは、京にて情報の正確さを吟味する必要があるとして堀秀政が伝令を差し止めた事が原因であった。
それが意図して行われたものであるかは定かではない。
* *
畿内に於けるキリスト教の一大拠点とまで謳われた河内国三箇の地は、一万を越える数の羽柴軍に蹂躙され一夜にして灰燼と化し、三箇城城主三箇頼照は大和国の筒井家を頼り逃亡。
明智光秀、そして明智陣営に与する者達が待ち望んだ柴田勝家は六月十六日に越前国北ノ庄城へと帰還、その軍が近江国北部に姿を現したのが六月十八日。
丹波国黑井城、京の北周山城と未だ明智の拠点は残るが、総大将織田信孝の名で明智討伐の完了を告げられると柴田勝家軍は越前国へと転進した。
この柴田軍の反転により、羽柴軍と戦い続けていた近江国山本山城に籠もる阿閉父子、武田元明、京極高次は六月十九日に羽柴軍に降伏した。
開城当日武田元明は自害、京極高次は若狭国へと逃れ、その後柴田勝家の元に走る。阿閉父子は明智方として戦った事のみでなく、羽柴家との長年の領土紛争、明智の侵攻に乗じて長浜城を攻めたことを問われて処刑された。
六月二日の京に於ける織田信長襲撃から六月十八日の柴田勝家の転進、このおよそ十六日間の出来事は『本能寺の変』として現在人々に知られている。
紀州国雑賀の地はこの後の賤ヶ岳の戦い、小牧長久手の戦いを一貫して織田側に味方し続け、最後には孤立し天正十三年の羽柴秀吉による紀州征伐にて消滅するが、それはまた別の物語である。
これにて完結となります。
数ヶ月の間でしたが、頑張って読み続けて下さった皆様、本当に有り難う御座いました。
フィクションの部分も多いですが、軍の動きなどは史実にほぼ即したものとなっていますので、この小説で本能寺の変についての知識が少しでも深まる一助になれば幸いです。
特に近江進軍中の羽柴軍が慌てたように引き返して河内国の三箇を攻め滅ぼしたなんて話は知らない人の方が多いのではないかと思います。
既に引退しておりますが、信長の野望オンラインを結構長く遊んでおり、その時堺の町にサンチョなる変な奴がいたんです。それがこの小説で最後活躍する三箇頼照、調べて知った時は「お前かよ」ってコケました。
さて、雑賀三部作の最後『八咫烏の咆哮』、書けるかな? 本当に資料が無いんですよ雑賀衆の…、歴史学者の皆さん頑張って雑賀の歴史を発表して下さい。お願いします。




