大津の戦い
六月十三日、安土城を出立し一路山崎の地を目指していた明智秀満と三千の軍は、瀬田の唐橋にて足止めを受けていた。
明智秀満の目の前には、応急修理を終えていたはずの唐橋が再び破壊されている無残な光景だけが残されていた。橋の警護に置いていた二十名ばかりの兵は全滅しており、唐橋が襲撃された事は明智秀満の元にまでは届かなかったのだ。
何者の仕業か? 六月二日に山中へと逃れた山岡景隆、山岡景佐の兄弟の存在が思い出される。近隣の住民から襲撃は昨夜の事であり、山から現れた五十人程の一団が橋も壊していったのだと聞き出せた。
遅くとも今日の夕刻には羽柴軍と対峙する山崎の陣へと合流する予定だった。今更橋の修復を待つ余裕は無い。
このまま渡河するしかなく、引いてきた輜重は放棄するしかなかった。
近隣から徴発出来たのは五人乗せるのがやっとの小舟が僅かに三艘、これで三千人と二百近い騎馬を渡さねばならない。
事態を理解した兵達は、それぞれがやるべき仕事を精力的にこなしてはいるが、それでもどれ程の時を失うのか想像もつかなかった。
この明智軍の動きを遠くから見つめる多数の目は琵琶湖南部の山中を拠点とする甲賀衆である。山岡兄弟は甲賀衆を動員する権限を持ち、彼等は明智軍から逃れる為に山中に入ったのでは無く、甲賀衆を集め反攻の機会を覗っていたのだった。
安土城が炎に包まれた時から彼等は行動を開始し、明智軍の伝令の遮断及びその動向を監視、京を抜け近江国へと接近中の堀秀政率いる羽柴軍にその情報を逐一報告していたのである。
明智軍三千の渡河は日没後も続き、その完了には更なる時を要する。
輜重は失ったが軍馬に犠牲が出なかったのは幸いだった。明智秀満は浪費した時を稼ごうと山崎の地へ向けて夜の闇の中の強行軍を敢行した。
その為に行軍隊形は長くなり乱れたが、何とか許容できる範囲にそれを押えながら先を急ぐ。静まり返った大津の町中に明智軍の駆ける足音だけが響いていた。
明智秀満は手を挙げて軍を止めた。
警戒のため前方に放っていた騎馬数名の持つ松明が全て消えたのだ。
それを合図に町のあちこちから明智軍の軍列の中に複数の松明が投げ込まれる。建物の屋根からは弓が射込まれ石つぶてが投げ込まれた。
明智秀満はこれも山岡兄弟による奇襲と判断した。
五十人程度の手勢ならばと混乱する兵達の態勢を立て直そうと指示を飛ばし続けたが、味方の隊列に路地から次々に兵が湧きだし襲いかかってくるという状況。とても五十どころの数ではなく、明らかにこれは何処かの一軍であった。
敵兵の背には織田木瓜の旗印、雑兵の胴丸にも同様の紋が刻まれている。大津の町の路上は敵味方入り乱れる乱戦状態へと陥った。
明智秀満も馬上で槍を振るいながら戦ったが、敵の攻撃が兜武者である自分を襲わない。
敵兵はこの軍の大将である自分や騎馬武者には目もくれず、なぜか雑兵だけを執拗に狙う。倒れた明智兵に数人が覆い被さる異様な光景があちこちで見られた。
それでも敵は増え味方は数を減らす。
明智秀満は馬首を返して撤退を告げながら町の外にて残余の味方をまとめてから一度大きく後退した。兵八百、残った味方の数に秀満は言葉を失った。
敵の軍勢は千を遙かに超えていた。羽柴軍の別働隊が後方に送り込まれたと考えるのが妥当と思われた。
瀬田の唐橋が無い以上、安土城方面への退路は既に無い。坂本城を目指すべきだと判断した。
六月十四日未明、大津を突破し坂本城へ向かうと皆に告げた。
明智軍は松明を掲げず、薄闇の霧の中を静かに進む。
大津の町の前方に長い篝火の列が現れた。敵は陣を敷き我々の到来を待ち構えていた。その規模は一万に届くほどの軍勢である。
一万の軍の後方進出を山崎の地で戦う殿や斉藤利三が看過するはずがない。信じ難い事だが山崎の味方は既に敗れたと判断すべきか、否、戦線が動き羽柴軍の突破を不本意に許したと考えるべきだと心に言い聞かせた。
「必ず付いて来い。遅れれば死、そう覚悟せよ」
味方の兵士達に大声で叫び、敵陣中央へ向け全軍で突き進んだ。
敵の中央正面には弓や鉄砲が並べられているが、気の早い者達が射たのに釣られて前方で多数の鉄砲の黒煙があがるもこちらに被害は無い。
練度の低い軍だと思った。
明智秀満の突撃に合せて敵陣の左右両翼が自分達を押し包もうと大きく前進を始めた。
「右へ転回」
明智秀満の翳す槍の合図で騎馬武者が一斉に右へと舵を切って突き進み、歩行の兵達もそれに続く。
双頭の蛇となって持ち上がる敵両翼の一方、細く伸びた鎌首の部分を一直線に斬り抜ける。明智秀満の空けた僅かな穴を味方の騎馬が一気に押し広げ、出来た隙間を歩兵達が駆け抜けていく。
敵はこちらの急激な転回に慌てて中央が前進した為に、右翼の鎌首部分がそれと激突し混乱が生じている。
二百人程の歩行が駆け抜けた所で騎馬隊が空けた穴が押されて塞がっていく。敵の左翼だけでもこちらの兵数よりも圧倒的に多いのだ。
「振り返るな。走れ、走れい」
明智秀満は駆け抜けた歩行達に向けて「構わず行け」と叫んだ。突破した二百はそのまま先導の数騎に率いられて戦場から離脱していく。
少しでも多くの味方を、その想いは明智秀満を再び敵中へと進ませた。
鬼神の如く槍を振るいながら戦う兵達を鼓舞した。
明智秀満が対したのは堀秀政率いる羽柴軍である。
昨夜の夜襲時は先行した三千の軍によるものであったが、その後後続の五千がそれに合流して八千の兵力となっている。
対する明智秀満の軍は僅かに八百。
兵力の差は圧倒的で既に明智軍の半数は討たれ、明智秀満の背後を守る騎馬武者達ももう誰も残ってはいなかった。
包囲されるのを避ける為に琵琶湖湖面を背にする形で打出浜まで辿り着けた兵は既に百名に満たず、明智秀満の軍からはぐれ孤立したた者達は敵中に沈んだ。
湖面を背にしたとは言え包囲されている状況には変わりない。
敵の激しい攻撃に味方の前列が崩され水際へと一気に押し込まれた。湖面に膝まで浸かった騎馬の上で明智秀満は戦況を見渡した。
戦闘が繰り広げられるこの場以外には全て敵の旗印が整然と並んでいる。残る味方はもはやこの者達だけ。指揮などもう不要。自分も一兵士として死ぬときが来たと覚悟した。
「殿様、もういい。行ってくれ」
逃げようと思えば逃げられたにも関わらず、自分達の為に槍を振るい続けた明智の騎馬武者達。彼等が倒れていく姿を見てきた雑兵達が、自分達はこれまでだと覚悟を決めて言い放ったのだ。
明智兵の雑兵の一人が声をあげると他の兵士達も口を揃えて「行け」と叫ぶ。
兵達が明智秀満に向けて自分だけでも逃げろと言っているのだ。躊躇する自分に業を煮やした兵の誰かが乗馬の尻を槍で突いた。
明智秀満の乗馬が叫び声を上げ暴れるように琵琶湖に飛び込んだ。狂った様に走る馬を全く制御できなかった。
鎧を纏った自分を乗せたまま馬は足の着かぬ水面を駆け続ける。しがみついているだけで精一杯。このまま海中に没するのではと思うほどに体を沈めては浮かび上がり、ただ彼方の陸地を騎馬は目指していく。
明智秀満を乗せたまま馬は湖を泳ぎ切り、戦場から少し離れた浜に辿り着いた。小さな歓声が聞こえてきた。
顔を上げた明智秀満の目に映ったのは、呆然とこちらを見つめる敵の陣列とその端で最期の時を迎えようとしている味方の兵達が自分に向けて歓喜の叫びを上げる姿だった。
追っ手の騎馬隊が差し向けられるのが見えた。明智秀満は坂本城へと向け一人疾駆した。
「すまぬ」
流れる涙はずぶ濡れになった顔が隠してくれていた。
* *
山崎の戦いも勝龍寺城の包囲戦を残してほぼ終息した十三日の夜、敗残の明智兵の追撃と京の都の治安維持を目的として、二千の兵を率いた織田信孝は京の町へと兵を進め、父織田信長達が散った本能寺に軍の本陣を置いた。
死者の埋葬を終えたとはいえ、篝火に照らされた本能寺は見るも無残な姿だった。
無事な建物は正門付近のものだけで、中央の本堂、そしてその奥に築かれていた壮麗な御殿は全て焼け落ちその瓦礫も未だ放置されたままだった。
焼け残った建物や木々、土塁には流血や刀槍の跡が生々しく残っており、これは本能寺が軍勢による激しい攻撃に晒された事を物語っている。
明智光秀は自分に父織田信長が生きていると伝え来た。
その言葉に怯えていた自分を今恥じている。本能寺のこの有様は尋常では無い。ここを生きて出られた等ありえない。
父織田信長はここで死んだ。明智光秀にここ本能寺で殺害されたのだ。
共に京へと入った堀秀政は三千の軍を率いてそのまま近江国坂本城を目指すと言い残し、すぐに東へと発ったが、自分はこのまま京に留まり治安維持に努めると決まった。
それが総大将である自分を差し置いて羽柴秀吉が決めた事であっても異存はなかった。京の都を鎮撫する役目は織田の頭領の務めとしては相応しかったからだ。
「筑前はなぜすぐに兵を動かし丹波国へと攻め込まぬのだ」
その理由の説明は受けた。
勝龍寺城には五千が籠城しており、それを放置して軍を進める事が出来ない。そして援軍として現れた羽柴秀長率いる一万の軍は強行軍に続く戦で限界に達しており、休息を取らねば動けぬ状況にあるという事を伝えられていた。
しかし、急がねば明智光秀を取り逃がしてしまうかもしれない。
増兵された中川清秀と高山重友の四千の軍が丹波国への侵攻を開始したとの報を受け、ようやく織田信孝は落ち着きを取り戻して陣幕内に腰を下ろした。
織田信孝の苛立ちとは別の理由で、彼の率いる兵達は大きな苛立ちを募らせていた。
討取った明智兵から驚くほどの大金を多くの味方の兵が得ているという噂が陣内に広まっていたが、自分達が戦い撃ち破った津田信春の軍の兵士からそのような物は何一つ得られなかったからである。
実際に軍令として明智兵より奪った金銭はそのまま個人の恩賞として取らせるとの通達が出ており、他の戦場で戦った者達の中には一財産を稼いだ者達までいるという。
同じ戦いに参加した兵達の間で大きな恩賞格差がすでに生まれていたのである。
京に潜伏する明智兵の狩り出しは夜にも関わらず、軍が入京した直後から容赦なく行われている。その成果は翌十四日になっても全く出せていなかったが、なぜか本能寺の境内には明智兵と称する首が次々に運び込まれていく。
これは恩賞格差に不満を持つ織田信孝の兵が明智の狩り出しの名目で京の町中で略奪を働き、刃向かった者や兵士達が働いた狼藉に対する口封じの為に虐殺された人々であった。
「明智光秀に与する者達は兵も民も全て捕えよ」
織田信孝がそう命じていた事が、その行為を更に助長させたのである。
検分の終わった首が次々に路上へと積み上げられていく。一族、親族の姿をそこに見た者は織田信孝を恐れて声を殺してはいたが、この非道な行いを恨み嘆き悲しんだ。
織田信孝配下の兵達の京でのこの暴挙に堪りかねた町衆数人が抗議の声を上げたが、織田信孝は彼等を捕えて激しい詮議を行ったのである。
それ以降、誰も織田信孝のこの暴挙を諫める者は現れなかった。
そして羽柴秀吉の目論み通り織田信孝の京での名声は地に落ちたのである。
「天下様だと。公家どもめが明智光秀めを祭り上げおって」
朝廷内の情報に続き、二条御所での戦いの詳報が伝えられると織田信孝は立ち上がった。
「兄上の籠もった二条御所攻撃に近衛前久の屋敷が使われた。奴めを捕えて公家共に対する見せしめとせよ」
織田信孝の命はすぐに実行されたが、上京に向かわせた捕り手は空振りに終わる。近衛前久はすでに京の地から離れていたのだ。
近衛前久捕縛に失敗した織田信孝は怒りの声を上げ。内裏にまで兵を進めようとしたが、それはさすがにまずいと近習に諫められて断念した。
そして詮議の責め苦の中で捕えた町衆の一人が明智兵の居場所の口を割った。
戦いで負傷した明智兵達が京の東に位置する知恩院に匿われているという報告を受けたのだ。
「全て殺せ。皆殺しにせよ」
本能寺境内に整列させた二千の兵を前にして、織田信孝は苛立ちと怒りを吐き出すようにそう命じた。
* *
知恩院の境内を慌ただしげに走る僧達の足音、その声は皆恐怖に震えていた。
六月二日の本能寺及び二条御所の戦闘で重傷を負った明智兵数十名の療養所として用意された建物から少し離れた先の一室に明智光忠の姿があった。
怪我の療養のために横になり、天井を見つめる明智光忠の耳に喧騒、いや悲鳴にも似た声が聞こえた。
尋常でない事態が起きている。
動けぬ体を無理に起こし、長い棒を両手で支えて杖代わりにして表へと出た。
周囲を取り巻く旗印は織田木瓜、療養所を織田兵が取り囲んでいるのが見えた。
彼等は動けぬ明智兵達を外に引きずり出しては次々に殺戮している。
そして明智兵達が恩賞として与えられた金子を奪い取ると歓喜の声を上げて飛び跳ねている。
「お前達、何をしているのか」
精一杯の声で叫んだ一喝の声もかすれて弱々しい。
「そいつも明智兵か?」
自分に気付いた数人が声を上げると織田の兵達の視線が一斉にこちらを向く。
棒を支えに立ってるのがやっとだった。突き出された槍を避ける事など出来ない。それでも明智光忠は彼等を目を見開いて睨み続けた。それだけが彼が出来る唯一の抵抗だった。
次々に兵達の刃が明智光忠の体を貫いていく。
仰向けに倒れた明智光忠に兵達が覆い被さる様に集まり、自分の体をまさぐり何かを探す。
「何だこいつ。何も持ってないぞ」
自分が明智の宿老の一人である事に誰も気付かず、ただ舌打ちや侮蔑の声だけが遠のいていく。
「馬鹿者共めが」
明智光忠は最期にそう呟いた。




