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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
五日五日
24/84

長浜城の戦い②

 劣勢な長浜城内に籠もる者達の気持ちとは裏腹に、大軍を擁する斉藤利三さいとうとしみつは城を遠目に見ながら言いようのないもどかしさに耐えていた。

 長浜城に籠もるのは佐和山城同様に一千の兵、槇島城へと引き上げた筒井軍三千を除く兵力でも落城させることは出来るが、ここは西の毛利軍を攻めている羽柴秀吉の一族が暮らす城。

 羽柴秀吉の親族に対する愛着は広く知れており、無理に攻めて彼の母君や奥方を自害させるような事があれば、後々いらぬ恨みを買うことになりかねない。

 明智軍の威容をこれでもかと見せ城方の退去を誘ってはみたが、城は戦う意思を崩さない。

 援軍の見込めぬ籠城などして何の意味がある。ただの無駄死にではないか。

「馬鹿者め」と大声で言ってやりたい衝動に幾度も駆られては首を振り自身を制した。


「まるでつむじを曲げた女の様な城だ」 

 思わずそう口にした。

 織田信長公でさえその性格に手を焼いたと言われる秀吉の妻おねがすぐに城を明け渡すとは思っていなかったが、実施にそれを目の当たりに見ると溜息しか出なかった。

 斉藤利三の手元には、主君明智光秀を介してお鍋の方よりおね宛ての書状を用意はしてある。

 ただこれを使者に託して届けるだけでは、明智がお鍋の方を脅して書かせたとも取られかねず、そうなってしまえば交渉が詰んでしまう。

 もう一工夫が必要だろうと思う。

 三度目の降伏の使者が追い返されたと報告を受けた直後に長浜城から大量の鉄砲の発射音が響き始めた。


「山本山城の阿閉貞征あつじさだゆき殿、我らに加勢するとの申し出でございます」

「何て事だ。すぐに使いを送り、阿閉の軍を退かせるのです」

 これで城方はこちらを更に敵視して警戒心を強めでしまう。交渉は振り出し以前の状態に戻ってしまった。


「利三殿、あの鉄砲の数は尋常ではない。迂闊に進んでいたら我らも相当に被害が出ていたでしょう。そういう意味では阿閉軍に助けられましたな」

 京極高次きょうごくたかつぐの言う通りである。

 鳴り止まぬ銃声、ここからでも阿閉軍の乱れぶりがよくわかる。

 斉藤利三の目に止まったのは、南の城門から討って出た騎馬の一隊。彼等は長浜城を北から攻撃する阿閉軍の背後に回り、その退路を断ちながら城方の鉄砲の射程へと敵を追い込んでいく。


 羽柴秀吉の主立った武将はこの城にはいないはずである。

 すぐ将の旗印を確認せよと物見を走らせ、帰還した兵はその殆どが五三桐ごさんのきり紋で羽柴家のものであったが、先頭の数騎だけが九紋笹くもんざさの旗印を掲げていたと報告する。

 九紋笹を旗印にするのはこの界隈では美濃国の竹中家ぐらい。

 竹中と言えば軍配者として知られる竹中半兵衛重治たけなかはんべいしげはるを輩出した家、ただ竹中重治は三木城攻めの際に陣没したと聞いている。

 いずれにしろ竹中家に縁の者が城内におり、それに加えてあの鉄砲の数、手強いと感じた。


 斉藤利三は兵の損耗を抑える為に力攻めは最終手段として、威圧交渉から懐柔策へと方針を転換し、新たに加わった阿閉貞征と貞大さだひろ父子を陣営に加え、居並ぶ諸将の前で一つの策を提案した。


「『心を攻めるを上策、城を攻めるを下策』とも言われる。秀吉の妻おねの心情に訴える事にします」

 佐和山城攻めの手際を見ている諸将はとりあえずは試してみようと了承したが、長浜城を攻めて散々な目に遭った阿閉父子は不服そうではあったが、傷ついた自軍の兵だけではどうにもならぬと斉藤利三に従った。


 新たな味方を加えた一万六千の明智軍は、堅田湖賊の水軍と共に長浜城の鉄砲を警戒しつつ距離を取り長浜城を陸と湖とでぐるりと取り囲んだ。

 城からの攻撃が無いことを見て取ると、斉藤利三は沈黙を守る長浜城の大手門前へと一人騎馬を進めた。

「我ら明智軍一万六千、全ておね殿に降伏致す」

 大声でそう述べて下馬すると、斉藤利三はその場に平伏した。

 これを合図に明智陣から二度太鼓が鳴り、それに合せて城を取り囲む一万六千の兵も皆平伏の姿勢でじっと城側の返答を待った。

 返ってきたのは女の声。

「寄せて大将におね様のお言葉を申し渡す。兵の囲みを解き、主立った者のみで長浜の城に入城せよ」


 斉藤利三の他、京極高次、武田元明たけだもとあき、阿閉貞征、阿閉貞大、小川祐忠おがわすけただの六名が長浜城内へと入ると、彼等は羽柴の兵達が取り巻く城の広場へと引き出された。

 斉藤利三に従い城内に入った者達は、これは策だからと高を括っていたが、表れたおねの言葉に顔を青ざめさせた。

「この場の全員の首を即刻刎ねよ」


 竹中重矩たけなかしげのりこうを左右に従え、おねはそう兵達に命じたのである。

 斉藤利三がそれを制し、口上を述べる。

「安土城のお鍋の方よりおね殿宛ての書状を預かっております。まずはそれをご覧頂きたい」


 携えた書状を仰々しく掲げて差し出すと、女官がそれを取りおねに手渡した。

 書状に目を通すおねがその女官となにやら小声で話し始めた。不服そうなおねをその女官がなだめている様にも見える。

 向き直ったおねは、少し膨れたような表情で斉藤利三に告げる。


「子細は理解しました。あなた方の命は取らぬ事にします」

 静かにそう告げたかと思えば、急に目を見開きおねが強い口調になる。

「我が城を攻めたる慮外者が」


 そう声を上げると阿閉貞征の頭を長柄の柄でどんと突いた。

 頭を押えて悶絶する阿閉貞征を見てひとしきり大きく笑うと、おねは大きく一呼吸した。

「長浜の城を出ます。お鍋の方のお顔を立て、この長浜城は明智光秀殿に一時お貸しします。心して使うが良い」

 そう伝えると背を向け、一人兵達の中へと消えた。


 斉藤利三の側に先程の女官が近づいてきて耳打ちする。

「見え透いた策ですが、おね様には大変効果的であった。我ら憤るおね様と共に討ち死に覚悟であった。斉藤利三殿のお心遣いに感謝致します」

 あくまで羽柴の方が上、と言わんばかりの口調であったが、彼女なりの礼を述べているのだと思った。


 竹中重矩と名乗る武者には、京からここに至るまでの顛末を斉藤利三自らが語って聞かせ、出来れば我らに合力願いたいと申すと、まずはそれが事実か確かめたいと、安土城へと向かうことを了承してくれた。

 おね一行は、長浜の地より半日の距離にある大吉寺に身を寄せ、城兵は各々武装解除して退去していった。


 その後斉藤利三は、京極高次、武田元明、小川祐忠の三将と四千の兵で長浜城に残留し、山本山城の阿閉貞征と連携しながら北陸の地で上杉攻めの最中にある織田家の重臣柴田勝家(しばたかついえ)の拠点越前への備えに取りかかるのと同時に、長浜城近郷豪族達への誘降活動を開始した。


          *          *


 六月五日、近江国の大半を僅か一日でその勢力下に治めたことが伝わった訳ではないのだろうが、各地の寺社勢力が明智光秀に対し慶賀と称して安土城へと訪れ、一斉に利権の保証を求めきた。

 大きな所では奈良興福寺、京の上賀茂神社といった名があったが、その使者に直接会って話を聞く暇などない。

 その対応の大半を明智秀満に任せると、明智光秀は少しの時間の暇を見つけ、昼の陽気の元を訪れていた。


 木々の葉が風に揺れ、そのざわめきが耳に心地よい。

 安土城本丸へと続く七曲道と呼ばれた登り口の終わり、山上の石段に腰掛ける明智光秀の横には雑賀衆の娘、つばめも腰を下ろしている。

 藤田行政ふじたゆきまさ弥助やすけは少し離れて遠巻きにこちらを見ている。

 何を話すべきか分からなかった。まだ互いに先日の気まずさが残るのだろう。

 二人黙ったまま日差しの中で眼下に広がる琵琶湖の景色を眺めていた。巡回中の兵士がその脇を遠慮がちに通り抜けていく。


 口を開いたのは燕の方からだった。

 燕は目を細め、日差しの強い場所は苦手だという。陽の光が苦手とは可笑しな事を言う。

「ここはいいところだな」

 安土城の事を言っているのかと思ったが、そうではなく彼女は気持ちの良い人達がいる場所だと言っている様だった。

  

「なぜ安土の城へと来たのだ?」

「弥助が自分の家に来いと言った。

 親しき人に家に招かれて、訪れぬのは失礼な事だろう。それに私は明智を好きになったみたいだ。だから明智と一緒にいたいと思った」


 確かに安土城は弥助が最も長く住んだ場所、この娘を守るにこの城が一番だと思ったのに違いない。


「弥助は織田信長を父の様に思っているらしい。あけちも織田信長が好きか?」

「そうだな。素晴らしいお方だと思っている」

「父様はずっと織田信長を憎んできた。母様を殺したのは織田だと教えられ、私も織田信長は悪者だと信じてきた。でもここの人達は違う事を言う。あけちは信長をなぜ好きなのだ?」


「この日ノ本には多くの力ある者達がいる。その中で天下布武を唱えたのは織田信長唯一人だけだった。財や権に溺れず苦難の道を人生の目標に掲げた彼の夢が私の心に響いたのだ」

「戦をするのが夢とは、それが良い事とは思えない」


「この日ノ本に無数にある国が一つになれば、その日を境に争いは消える。その後は豊かになった国と民の笑顔だけが残るのだ。明智の治める丹波国も元は戦によって織田に取り込まれた国だ。その国の今の豊かさをその目で見れば、その言葉が偽りでは無いと知るだろう」

「あけちの国」

「雑賀も平和で豊かな地であっただろう。私の国もそれに負けていないと思う」


「私が居た頃の雑賀は鈴木だ土橋だと争い人も多く死んだ。人は家の戸を閉ざして息を潜め、隣郷から移り住んできた私達は裏切り者の余所者と石を投げられた。織田が攻めて来てから雑賀はおかしくなったのだと思う。

 そして今も雑賀は雑賀のままだ。それは雑賀と織田がまた争い人が死ぬという事なのか?」


「今の織田ならば、戦わずに相手を下す大きな力がある。五年前の織田はまだ力が小さかった」

「あけちの言う通りなら、五年前の戦で雑賀は織田になればよかった。でもその戦で母様は死んだ。母様は無駄に死んだのか?」


「無駄ではない。戦で散った者は皆心に守りたいものを持って戦ったと思っている。そうで無いものはただ逃げだし事の成り行きだけを見ていればいい。だからお前の母親もその為に命を懸けたのだろう」

「母様が守りたかったもの?」

「家族の命を守るだけなら戦火の及ばぬ場所まで逃げればいい。そうしなかったのは例えば雑賀の民を守るとか、何かもっと大きなものを心に持っていたのかもしれぬな」


 明智光秀も燕につられてつい熱く論じてしまった。

 孫娘の様な年頃の子供と語話ではなかった。少し自重するように呟いた。

「私は自分の息子とこれ程に語った事はない」


「父様も私達とはあまり喋らなかった。何かいつも他の事を考えている。そんな感じだった。でもな、言葉は無くとも表情や態度で心は伝わる。父親とはそういうものだと思う」

「そのように思うものなのか」

「父様とはもっと色々な話をしてみたかった。もっと色々と聞いてみたかった」


 燕の父親とその仲間を死に追いやったのは明智光秀であり、明智兵達なのだ。この娘を前にあれは仕方なかったなどとは言えなかった。

「お前の父や仲間の事はすまなかった」

 これは今の明智光秀の素直な気持ちだった。そう言われてか燕の方がうつむいた。

「母様は織田と戦った。でもどこかで生きていると信じている。ただ死んだと聞かされただけで死に顔も墓すらも私は見たことが無いのだから。それが普通だろ」


 親しき者、縁深き者だからこそその死を信じない。

 この娘の言葉には考えさせられる。

 織田の重臣達、神戸信孝かんべのぶたか北畠信意きたばたけのぶおき、自分は彼等をもっと信じるべきでは無いのか。

 織田信長公の死の報を各地の将が鵜呑みにするはずはない。

 そう、ただ死んだと聞かされただけなのだ。それをすぐに信じてしまうのは縁遠き者達だけなのではないか。

  

「父様は事を急ぎすぎたのかもしれない。だからあいつらに利用され裏切られた」

 燕は結局明智憎しとはあえて言わない。

 彼女の気持ちの中にも葛藤があるのだろう。

「妹の、すずめの仇は必ず討つ」

「やはり行くのか?」

 その言葉に燕は小さく頷く。

「お前はいつでも別な生き方を選べる。好きな男と結ばれその子を育てる。そんな当たり前に生きる道もあるのだ」

 燕は少し考えてから肩を竦めて微笑んだ。先のことは分からない。そう言いたげな表情だった。


「行き場に困ったら我らの元に戻って来い。それも忘れるな」

「あけちはずっとここにいるのか?」

「しばらくはここに留まる。織田信長公をお守りせねばならぬ」

「全ての国が織田になれば戦が無くなる。その為にあけちは働いているのだな?」

「そうだ。その通りだ」


 燕がすくと立ち上がった。

 彼女は一度大きく背伸びをして、藤田行政と弥助の方へと走り出す。その後ろ姿を立ち上がりしばし明智光秀は見送った。

 燕がこちらに振り返って言った。

「あけち、励め」

 自分が頷くのを確認し、燕は目を細めて微笑むとまた走り出した。

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