事情
「曾祖父はたぶん、普通の人には理解できないくらい妻を愛していたんだろうね。曾祖母の死を受け入れられなかったのかもしれない。でもどれほど曽祖母を留めようとしても、遺体は容赦なく朽ちてゆく若くして死んだ。妻の面影を留めておきたかったのか、曾祖父は腕のいい人形職人を探し、妻と瓜二つの人形をつくらせたそうだよ」
淡々と流れる話し声に混じって、翡翠の鳴き声が遠くから聞こえてくる。陽光に照らされた庭は美しく、朝露に濡れたもみじの葉が赤々と景色を彩っていた。
真織はぽつぽつと、事の顛末を私に語ってくれた。
あの生き人形が完成したのは、昭和八年。
しかし人形という器が完成しても、そこに真織の曾祖母の魂が宿ることはついぞなかった。
真織の曾祖父や、彼に雇われた霊能力者たちは、様々な方法であの世から曽祖母の魂を取り戻そうとしたが、そのことごとくが失敗に終わったという。
「けれど時々、あの人形が昨晩みたいに突然生気を帯びることがあった。それが何故なのか、追及した末に曾祖父が編み出した〈人形に魂を宿す〉方法が、昨日僕が作った〈匣〉なんだ」
「ハコ?」
「怪奇譚を聞いた人形師が、木の匣の中に怪異のモチーフを彫り起こす。そうして完成した匣に何が宿っているかは、僕もよく分からない。作り手の気が移るのか、語り手の思念が宿るのか、それとも本当に怪異の魂なのか、曽祖母の魂なのか」
友人の言葉にじっと耳を傾けて、ふと思う。
真織の父親は彼の弟に不動産の運営や会社の経営を一任し、妻に子育てを任せきり、家族と別居する形でこの別荘にこもって一人で暮らしていた。
坂之井家の長男は代々この別荘と、墓守にも似た人形の番を担って来たのではないか。
「だけどあの匣を入れると、ほんのわずかな間だけど、確かに人形に魂が宿るんだ」
人形に魂が宿る。
それは彼の曾祖父のみならず、ギリシア神話のパンドラの例を挙げるまでもなく、太古から現在にいたるまで続く人類の夢だ。同時に、荒唐無稽なおとぎ話でもある。
そして確かに昨晩、私はあの生き人形と目が合った。
「もしかして匣を作るために、俺をこの別荘に呼んだのか? 怪談を語らせるために?」
真織は再び縁側に腰を下ろし、膝を抱えて大きなため息をついた。
「……それは、否定しないよ」
障子を貼り換え、妹からの手土産を二人で食べてから、私は別荘を後にする。
「色々あったけど、まあ楽しかったよ。飯も美味かったし」
別れ際にそう伝えると、友人は心底驚いたように私を見上げた。
「怒ってないの?」
「怒ってるさ、少しは。お前が澪の恩人じゃなけりゃ、とっくに絶交してる」
真織は妹のドナーだ。
八年前、高校生だった妹が交通事故で大怪我を追った時、幸運にも血液が適合した真織が快く輸血に応じてくれた。
何度も頭を下げた俺と両親に、彼はいつもと同じ調子で飄々と、礼はいらないからこの先、自分が困った時に助けてくれとだけ言った。
以来、妹の命の恩人になったことを、真織は一度も恩に着せたことはない。
その時、俺はこの男と、この先何があっても友人でいようと決めた。
「……相変わらず義理堅い、番犬みたいな奴だなあ」
真織は泣き笑いのような、何とも言えない顔で頭を掻く。
「番犬はお前も一緒だろ」
「はは、違いない。そうだ、今度は妹さんも一緒に連れて来てよ。生死の境をさまよった彼女なら、いいネタのひとつやふたつ持っていそうだしね」
「それは断る」
即座に断ると友人はさほど期待していたふうでもなく、小さく笑って肩をすくめた。
「なんだ、残念。じゃあ、これはお詫びとお土産に」
そう言って、真織は小さな根付をくれた。
コインのように薄く平らな円の中に、私の干支である馬のモチーフが彫られていた。
「まあ、懲りずにまた遊びにきてよ。ここに呼べるような友達は、君ぐらいなんだから」




