『エッジ』 第11章 裏切り(8)
家康の方でも、予定していた兵がすべて動いているわけではない。西軍の天満山とほぼ同じ、30000ほどの兵が使い物になっていない。二代将軍候補の秀忠が率いていたが、遅刻して間に合わないのだ。しかしこれはミスであって寝返りではない。三成の方が、その失った30000に対してのショックが大きい。
目の前の戦闘が優勢なのに、あと一歩が押せない。サッカーに例えてみれば、相手がレッドカードで2人退場している。それなのに中盤は前線にボールを入れようとせず、サイドも上がっていかない。これでは、見ている監督としては、なにをやっているんだとイラついて当然だった。
三成は合戦の最初から最後まで、絶えず腹痛に悩まされていたと語られているが、神経質な三成でなくても、この状況であればだれであろうと胃が痛むはずだ。それくらい、中途半端で型崩れした優勢が続いていた。
すでに陽が高い時間だが、雲に覆われて光を届けていない。雨上がりで湿気も強く、この関ヶ原盆地全体が重い空気に包まれている。灰色の空は、三成の上げる狼煙の白煙を、むなしく呑み込むばかりだ。反応がないことに憤慨した小西と宇喜田が、南宮山に距離のある三成の煙を補完する形で狼煙を焚くが、煙柱が1本から3本に増えたところで動かないことに変わりはない。
背後から睨む南宮山の連中が動かないことを見た家康は、陣を前に進めた。それによって、三成の陣にぐっと近付く。攻撃を見せつける前進だが、逃げるスペースを狭めることにもつながる。仮に南宮山が襲ってくれば大混乱に陥り、30000の譜代三河軍が役立たずになる恐れもあった。大軍が機能を発揮するには、ある程度動ける場所が必要なのだ。
吉川広家は動かない。そう読んではいても、それは絶対ではない。戦場に絶対などないのだ。しかしこれほどまでに危険な賭けに出なければならないほど、東軍諸将は押されていた。
この昼前の時間、かろうじて優位といえるのは黒田長政の鉄砲隊のみだった。この鉄砲隊は三成陣営の特色をうまく衝き、小部隊で大軍以上の成果をあげていた。縦横無尽に動き回る島左近の隊を足止めしたことが大きい。左近の遺体が見つかっていないので確実かは不明だが、この鉄砲隊が左近を撃って致命的な傷を負わせたようだった。
他は西軍が押していた。小西行長は寺沢をつぶす。大谷吉継は戸田、平塚と連携して藤堂高虎を惑わせる。戦前の予想を覆す西軍の奮戦だった。
もう一歩。戦闘中の西軍各武将の、誰もが思うところだ。しかし同じ西軍であるはずの島津も、南宮山の毛利・吉川も、あてにできない。頼みの綱は、戦線の南にある松尾山で大軍を寝かせている、小早川軍のみだった。




