『エッジ』 第11章 裏切り(5)
「どうして石田三成が出世したかって?」
「あぁ」
「それは、天才だったからでしょ。豊臣政権が安定してきたら、武力よりも事務能力が必要になって、その能力を持ち合わせている三成を秀吉が取り立てたから、でしょ」
「ハハハ、教科書的な答をありがとう、すず」
礼韻が薄く笑いながら、コミカルな風を装ってぺこりと頭を下げる。
「違うの?」
涼香が睨みつける。
「いや、合ってるよ。試験なら合格だ。でもそれは、他の人間にも当てはまる答えだ。長束や増田のような小物にも」
秀吉晩年の豊臣政権は、秀吉の下に五大老、五奉行を置く形だった。大老は徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜田秀家、上杉景勝の5人、そして奉行は前田玄以、石田三成、浅野長政、増田長盛、長束正家の5人。
簡単に言えば大老は地域に根付いた有力者で、この5人が東北、関東、北陸、西国などそれぞれの地域に根を張り、安定させ、それを元に日本全土を一つにまとめていた。
奉行の方は官僚で、中央政府で事務方をこなしていた。なかで三成は数字に対する感覚が優れていることから税務や兵站を担っていたが、秀吉の晩年には傍に付いて秘書のような役目をしていた。
三成は、秀吉の亡くなる前、最も近くにいた武将と言っていい。権力者というのは自身の弱っている姿を見せることを病的に嫌うもので、秀吉は特にその意識が強かった。皮肉なことだが、秀吉は無秩序状態から一気に世の中を平定した天才だが、天才だった分、寿命に対しての恐怖を誰よりも背負うことになった。天才は、「思うようにいかない」という経験を、生きているうえでほとんどしてこないからだ。
最晩年は不安定な気持ちを抱えたため、多くの者に疑心を持ち、気まぐれに罰し、そして遠ざけた。しかし三成だけはそばに置き、老いを見せることを気にせず、気持ちも吐露した。秀吉が三成を抜擢したのはもちろん能力を買ってのことだろうが、死の手前では少し違うように思う。天下を取った孤高の男がそばに付かせたいと思うような「なにか」を、三成が持ち合わせていたのではないだろうか。
「じゃあ、教科書的じゃない答を教えてよ」
じっと睨みつけながら、涼香が聞いた。
「三成は仕えている間、他の者よりも秀吉に心酔していた。端的に言えば、それだけだ」
「えっ、それだけ?」
「あぁ」
「でも、それは他の武将もでしょ?」
「いや、違うな。他の武将は心酔するフリをしていただけだ。単に忠実なだけだった。でも三成は秀吉のことを、もっと言えば崇拝していたんだ」
「それで出世したの?」
「そうだ。今も昔も、トップが邪心のないイエスマンを側近に置きたがることは変わらない」
涼香が、いくぶん不満顔で頷いた。納得はするが、その答を心から受け入れるということを躊躇している顔だった。
「秀吉は読心術のスペシャリストだったんだよ。気性の荒い信長に仕え、その後、血統の裏打ちが皆無であるのに天下人になった。そんな離れ業をなぜやれたのかというと、相手の心を読む特殊能力があったからだ。言葉なんてあてにできない。心を読むには、もっと感覚的なものだ。眉の動かし方、汗の掻き方、手の置き場所など、人の微動の方が言葉よりよっぽど饒舌だ。秀吉はくせを盗み、意を的確につかみ、先回りして行動したのだろう。一つでも間違えれば破滅する綱渡りだ。暴君の上司である信長や、下賤だと蔑む大名や公家が相手だからな。日本史上、最も押し引きの長けた男だったはずだ。
そして、おそらく晩年は、より鋭く人の心が読めたことだろう。特殊能力というのは体が不自由になるほど発達するものだからな。部下たちの不満や反感など、簡単につかめたはずだ。加藤清正、小早川秀秋、毛利輝元、黒田官兵衛など、どういった不満で、それがどの程度のものか、その特殊感覚で直感できたにちがいない」
「三成にはなかったの、不満が?」
「人の心だから確実には分からないが、他の武将よりは少なかっただろうな」
礼韻は言いながら、悲しげに笑った。




