孤独③
「最近、ここいらに入り込んで鹿を乱獲している倭人どものせいで、餌が減ってきているのだ。そのせいで家畜を襲う。奴らが山の理を乱しているのだ……。だが、良くない兆しだ」
「そう……」
母親は返事をしながら、窓辺に座る源太へと目をやった。息子は外をぼんやりと眺めている。意識を取り戻してから、すでに半月以上が過ぎていた。身体は元気を取り戻しているはずなのに、心は未だ深く傷ついたままだった。
ゲンの死――その衝撃から、立ち直ることができずにいる。窓の外を見つめながら、ときおり「ゲンの声がする」と独りごとのように呟くこともあった。
「源太、風が強くなってきたわ。こっちへ来て火にあたりなさい」
「……うん」
源太は振り返り、素直に火の傍に寄った。
「また、ゲンの声が聞こえたよ」
「源太……ゲンのことはもう忘れろ。もともとおまえが助けねば尽きていた命かもしれん。これも運命なのだ」
父親の言葉に、源太は返事をすることもなく、ただ俯いた。父親は、あの時ゲンを手にかけてしまったことを確かに後悔していた。だが同時に、あの晩に家の中を覗いてきたゲンから、確かに敵意の気配を感じたのも事実だった。鋭く射抜くような眼光――思い返すだけで、今も身震いが走る。
「ゲンはもう、おまえの知っているゲンじゃなかった。山の生き物だった。野性に返っていたんだ」
「おっ父親……ゲンは――」
源太は思わず顔を上げ、父親に抗議しようとした。けれども唇は震えるだけで、言葉にはならなかった。何を叫んでも、もうゲンが帰って来ることはないのだ。その現実が胸を締め付けた。
「おまえも、そろそろ狩を覚えなくてはな」
父親の言葉に、源太は小さく頷いた。
――そして、瞬く間に十年の歳月が流れた。
四季は幾度も巡り、兄狼の亡骸はとうに朽ち果て、今は白く乾いた骨だけが残っていた。それでもゲンは、なおその骨の傍らを離れずにいた。孤独な山の中で、そこだけが彼の居場所だった。誰ひとり、その領域に足を踏み入れることは許さなかった。
十年という時は、仔狼だったゲンをすっかり一人前の大狼へと成長させた。引き締まった体躯、鋭い眼光、無駄のない動き――そこにはもはや、人と共に過ごした頃の柔らかさや影はなかった。深山に棲む、生粋の獣そのもの。
人間と出会うことはほとんどなかったが、つい最近、近くを歩く人影を遠目に見かけたことがあった。
ゲンは身を伏せ、決して自ら近づこうとはしなかった。
ただ、もしこちらへ踏み込んでくるなら、牙を剥いて追い払う覚悟だけはしていた。たとえそれで人間を殺しても構わないと思っている。山にも、里にも、心許せる存在はひとつとしてない。隙を見せれば殺される――心に残っているのは、その思いだけだった。
一方、部落では若者たちの集まりが開かれていた。源太もそこに顔を出していた。話題はやがて「狼狩り」に及んだ。
近ごろ家畜の被害が相次ぎ、内地の人間たちが狼を狩り始めたという。元はといえば、彼らが無闇に獲物を乱獲したのが原因だ。そう考えると、源太の胸は締め付けられる思いだった。
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