孤独②
「……神送りは出来なくなった」
家に戻ると、父親は肩を落として妻に告げた。
「どういうこと?」
「ゲンはいなくなった」
「いなくなったって……生きていたということ?」
「分からん。いや……確かに死んでいたはずだ。だが、遺骸はどこにも無い。魂の居場所が分からぬ以上、神送りは出来ん」
「そんな……」
「源太には言わない方がいい」
「そうね……」
母親は唇をかみしめた。何となく不吉な影が心を過ぎった。
(何も悪いことが起きなければいいけれど……どうかみんなが無事に過ごせますように)
☆ ☆ ☆
ゲンは獲ったばかりの獲物を咥え、祠へと戻ってきた。そこには、とっくに冷たく硬くなった兄の骸が横たわっていた。動かぬ兄の前に、そっと獲物を差し出す。
雪深い山で獲物を探すのは容易ではなかった。しかし、山の暮らしに慣れてきたゲンは、どんなわずかな動きも見逃さなかった。五感は鋭く研ぎ澄まされ、木々のきしみや雪の崩れる音にも即座に反応するようになっていた。そうして山を彷徨い歩き、獲物を携えては、物言わぬ兄のもとに戻る日々を繰り返す。
「クォン」〈兄ちゃん、食べよ〉
そう声をかけ、毎日兄に話しかけた。
凍てつく寒さの中で、兄の体は腐敗することなく、その姿を保ち続けていた。寂しさに耐えかねたゲンは、他の狼の群れに近づこうとしたこともあった。しかしどの群れも牙を剥き、彼を仲間として受け入れることはなかった。そしてあれ以来、ゲンは源太の家にも決して近づかなかった。
――兄の死。それはゲンにとって、果てしなく長い孤独の旅の始まりだった。
〈人間は敵だ〉
かつて兄が言ったその言葉は、鋭い棘のようにゲンの胸に残っていた。空腹に駆られた獣たちが兄の骸を狙いに来ることもあったが、ゲンは牙を剥き、どんな相手も近づかせなかった。その姿は、まるで亡骸を守る守護神のようであった。
それでも時折、隙間風のように寂しさが胸を駆け抜ける。
(兄ちゃん……源太……)
冷たくなった兄の体に身を寄せ、丸くなって眠る。夢の中で、源太の温かな胸に抱かれていた幼い日々が甦る。しかし、目が覚めれば現実は容赦のない孤独。ゲンは遠い空へ向かって声をあげるしかなかった。
「ワォオ――ン……」
深い森の奥に、その悲痛な遠吠えが幾重にも木霊する。
一方、その声は。
空耳だろうか。源太の耳には、今でも時折、ゲンの声が届く気がしてならなかった。ゲンは確かに死んだはずだ。父親と共に、山奥の大木の根元に埋めたことを覚えている。長い眠りから覚めたばかりで記憶は曖昧な部分もあったが、動かなくなったゲンの体を抱きしめた感触だけは鮮烈に残っていた。
ゲンを埋めた場所に、源太は度々訪れて手を合わせている。堀起こされた土を父親が元にもどしておいたということを源太は知らない。
「下の村の家畜が狼に襲われたそうだ……」
部落の集会から戻った父親が、母親に向かって告げた。
「まあ、また……」
母親は心配げに夫を見た。近頃、立て続けにそんな話が舞い込んでくる。もしかすると、夫が罪なき狼を撃ち殺したせいで、山の神の怒りを買ったのではないか。そんな思いが頭をよぎる。
「あんた、それって……」
「そうじゃない」
父親は妻の言葉を遮り、首を振った。
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