孤独①
四.孤 独
夢中で駆け続け、山の奥深くに分け入ったところで、ようやくゲンは足を止めた。
(兄ちゃん……)
「クォォン……」
兄は、もう死んでしまったのだろうか。胸の奥に重くのしかかる思いを抱え、ゲンは夜が静まるのを待ってから動き出した。月明かりを頼りに、兄の匂いを探して森を彷徨い歩く。自分がどの道をどう駆け抜けてきたのか、まるで分からなかった。ただ必死に、ひたすらに嗅覚を頼りにさ迷った。
やがて微かに、兄の匂いが鼻先をかすめた。ゲンはその気配に導かれるように進み、森の大木の根元で立ち止まった。そこには土がこんもりと盛り上がっている。兄の匂いは、その下から漂っていた。
(兄ちゃん!)
ゲンは夢中で前足を振るい、土を掻きむしった。爪は割れ、指先は血に染まった。それでもやめなかった。やがて土の中から、変わり果てた兄の姿が現れた。
「クォオーン!」〈兄ちゃん!〉
声は震え、涙のように熱い息が漏れる。必死に掘り続け、ついに兄の全身を掘り出した。
「クオォォ――ン!」〈兄ちゃん、兄ちゃん!〉
だが、どれほど叫んでも兄は目を開けることはなかった。
「ウォーーーン、ウォーーーン!」
月光の下に木霊するその遠吠えは、痛ましく、山に響く哀歌となった。ゲンは倒れた兄の身体を咥え、ずるずると引きずりながら山の奥へと進んだ。倒木に阻まれても、足の傷が痛んでも、決して兄を離さなかった。夜明けが近づく頃、ようやく二頭が共に過ごした岩穴の祠へと辿り着いた。
(兄ちゃん……戻ってきたよ)
冷たくなった兄の身体をぺろぺろと舐め、泥を拭い落とす。
「ウォオー――ン……」〈兄ちゃん、兄ちゃん……〉
(兄ちゃん、ごめん……お、おいらのせいで……)
白みかけた空へ、悲痛な遠吠えが幾度も響いた。だが仲間のいないその声に応えるものはなく、ただ虚しく、山々に反響した。
――その頃。
「あんた、ゲンをちゃんと送ってやった方が良いのじゃないの」
源太が泣き疲れて眠った後、母親が静かに言った。
「送る……?」
「ゲンは何も悪くなかった。むしろ源太を助けようとしたのよ。それをあんたは殺してしまった。山の生き物は神様が遣わした恵み……むやみに殺せば必ず天罰が下る。特に狼は神の姿を借りて降りると言われている生き物よ。命を軽んじてはいけない。あんたがいつも言っていたことじゃない」
「それは……そうだが」
「神送りをしましょう。それでゲンの魂も、少しは救われるかもしれない。私にはどうしても、ゲンは源太を助けに来た神の使いに思えてならないの」
父親は黙り込んだのち、重く頷いた。
「分かった。朝になったらゲンを埋めた場所へ行き、準備をしてこよう。そのあとで三人で神送りをしよう」
「ええ……それが良いわ」
だが翌朝。
父親が一人、埋めた場所を訪れて愕然とした。土は大きく掘り返され、そこにゲンの姿は無かった。
(どういうことだ……生き返った?いや……あり得ん。だが……)
他の獣が漁ったのか、それとも。父親は胸の奥に不吉なざわめきを覚えた。ゲンはやはり神の使いだったのか。山のものをむやみに殺めてはいけない。それは生活の糧の為だけに捕らえるものである。
その教えを破ってしまった。源太が大怪我をしてそんな大切な山の掟を忘れてしまっていた事に父親は改めて気が付いた。山の掟を破り、己がその命を奪ってしまった。その報いが、いま迫りつつあるのではないか。
お読みいただきありがとうございます。
いいね・評価・ブックマーク&感想コメントなど頂けましたら大変励みになります。
今後ともよろしくお願いします。




