14話 次は少し厄介なダンジョンだ
摩天楼ダンジョンを離れてから、俺たちは人通りの少ない路地に入った。
入口前の管理区域では目立ちすぎる。
神代美月がいるだけでも視線を集めるのに、その中身がかぐや姫だと知られれば、騒ぎどころでは済まない。
かぐや姫は美月の身体で、何も言わずについてきている。
歩き方は静かだ。
足音すらほとんどしない。
美月なら、もっと自然に隣へ並んでくる。
俺の少し前を歩いて、何かあればすぐ動ける位置を取る。
似ているのに違う。
その差を考えるたび、胸の奥が重くなった。
俺は壁際で立ち止まり、端末を取り出す。
DungeonLiveのアプリを開くと、前回の配信終了画面がまだ残っていた。
三十層ボス部屋前。
そこで止まったままのサムネイル。
視聴者には、あの先が見えていない。
俺は一度だけ息を吸った。
話す内容は決めてある。
余計なことは言わない。
美月のことも。
かぐや姫のことも。
千夜一夜のことも。
今はまだ、言葉にした瞬間に全部が壊れる。
「始めるのですか、マスター」
隣でシェヘラザードが言った。
俺は頷く。
「ああ。ここで黙ってたら、余計に変な噂になる」
「語る内容は少なく」
「分かってる」
短く返し、配信開始のボタンに指を置いた。
指先が少しだけ冷たい。
怖いのは、これから向かう場所だけじゃない。
もう一度、人の目に晒されることも怖い。
それでも配信は必要だ。
俺一人では拾えない情報がある。
あの種類のダンジョンでは、視聴者の目が武器になるかもしれない。
俺はボタンを押した。
画面が切り替わる。
【配信を開始しました】
同時視聴者数は、数秒で跳ね上がった。
1023。
3188。
6940。
10876。
数字の増え方が、いつもより速い。
コメントが一気に流れ始める。
【きた】
【生きてた!】
【昨日なんだったんだよ】
【摩天楼30層は?】
【美月ちゃんいる?】
【兄、説明して】
【途中で切れたぞ】
【無事なら返事しろ】
俺は流れる文字を追いすぎないようにした。
全部に答えれば、話が散る。
今は配信を落ち着かせることが先だ。
「昨日の配信は、途中で切れた。心配かけたのは悪かった」
コメントの速度がさらに上がる。
【謝罪きた】
【理由は?】
【通信障害?】
【ボスは倒したの?】
【美月ちゃん映して】
【兄妹無事ならいいけど】
【なんか顔色悪くない?】
俺は端末のカメラ位置を少しずらした。
美月の身体は、画面の端に入る程度に留める。
かぐや姫は視線だけをこちらへ向けたが、何も言わなかった。
それでいい。
今、喋らせるべきじゃない。
「摩天楼ダンジョンの攻略は中断した。今日は、別のダンジョンに行く」
一瞬だけ、コメントの流れが変わった。
【別の?】
【は?】
【30層は?】
【昨日の続きじゃないのか】
【急すぎる】
【どこ行くんだよ】
【美月ちゃん大丈夫なの?】
予想通りの反応だった。
俺は一拍置く。
ここで長く説明すれば、余計な質問が増える。
だから、必要な言葉だけを落とす。
「少し特殊な場所だ」
コメント欄が跳ねた。
【特殊?】
【どういう意味】
【新ダンジョン?】
【隠し階層とか?】
【普通に怖いんだが】
【兄が特殊って言う時だいたい危ない】
【説明しろ】
同時視聴者数が、さらに増える。
12840。
15602。
18991。
Dシェアから流れてきた視聴者もいるのだろう。
コメントの空気が、心配から好奇心へ変わっていく。
その変化が、少し怖かった。
見られるほど、物語は強くなる。
シェヘラザードの言葉が頭をよぎる。
だが、見られなければ届かないものもある。
俺は端末を握る手に力を込めた。
「詳しい説明はしない。行けば分かる」
【説明しろよ】
【行けば分かるは草】
【危なくないの?】
【美月ちゃん止めて】
【いや見たい】
【また変なこと始めた】
【昨日から展開おかしい】
画面の端で、かぐや姫がわずかに目を細めた。
視聴者には、ただ美月が黙っているようにしか見えないはずだ。
けれど、俺には分かる。
かぐや姫はこの反応を観察している。
人間がどう騒ぎ、どう疑い、どう見ようとするのか。
それを、静かに測っている。
「兄さん、今日は本当に行くんだよね?」
一瞬、美月の声がした。
俺は端末から顔を上げる。
かぐや姫ではない。
ほんの短い間だけ、美月が表に出ていた。
表情は薄い。
けれど、目の奥にある温度は確かに美月のものだった。
コメント欄も反応する。
【美月ちゃん!】
【声した!】
【無事だった】
【よかった】
【なんか元気ない?】
俺は美月を見る。
聞きたいことは山ほどある。
大丈夫か。
苦しくないか。
本当に行けるのか。
だが、配信中だ。
ここで全部を聞くわけにはいかない。
「ああ。行く」
俺はできるだけ柔らかく答えた。
「無理はしない。そこだけは約束する」
美月は小さく頷いた。
次の瞬間、目の奥の温度が引いていく。
かぐや姫が戻った。
何事もなかったように視線を前へ向ける。
短い。
あまりにも短い。
それでも、美月は確かにそこにいた。
俺は端末へ視線を戻す。
「移動中は配信を切る。場所が特定されると面倒だからな」
コメントが荒れた。
【え、ここで切るの?】
【場所バレ対策か】
【まあ危ないしな】
【切らないでくれ】
【到着したら再開して】
【特殊な場所ってどこだよ】
【気になりすぎる】
俺はコメントを見ながら、配信終了の確認画面を開いた。
視聴者を置いていく感覚が少しだけ残る。
けれど、ここで見せるべきじゃないものもある。
場所を知られれば、無関係な誰かが近づく。
ただの好奇心で踏み込んだ人間が、戻れなくなるかもしれない。
それだけは避けるべきだ。
「到着したら、また繋ぐ」
【絶対だぞ】
【待ってる】
【無事でいろよ】
【兄妹配信、急に新章始まった】
【次のダンジョン気になりすぎる】
俺は最後に、画面越しの視聴者へ向けて言った。
「次は、少し厄介なダンジョンだ」
コメント欄が一瞬だけ跳ねる。
【厄介?】
【怖い言い方すんな】
【待て終わるな】
【説明してから切れ】
その文字列を最後に、俺は配信を切った。
画面が暗くなる。
周囲の音が、急に戻ってきたように感じた。
俺は端末を下ろし、千夜一夜を抱え直す。
行き先は決まっている。
けれど、その名前を今ここで口にするつもりはなかった。
電話が鳴る物語へ、俺たちは向かう。




