さらに、二十年後 2
父親が亡くなって数か月後、相続の手続きを済ませ、実家に移り住んだ。父親はかなりの額の遺産を残しており、相続税を払っても、手元には十分すぎる額のお金が残った。これに今まで自分が貯めたお金を含めると、もう多分一生働かなくても何とか食べていけるだろう。今の自分は、時間的にも余裕がある。ずっと担当していた帯番組も、十周年を機に降板した。その後は年に数本の二時間ドラマと、単発でいくつか仕事が入る程度であるが、それでも生活していくには十分であった。実は芸能界に入ってからも、あまりお金を使っていない。ある実業家が言っていたが、日本で暮らす場合、基本的な物欲を満たすには、一か月百万円もあれば十分だと。それは概ね間違っていない。自分の場合、その百万も使っていたかどうかも怪しい。別に節約していたわけではないし、欲しいものは一通り買っていたし、海外旅行にも何度か行っている。もっとも、住まいはずっと賃貸だったし、車も持たなかった。夜の酒場で豪遊なんてこともしたことがない。さらに、ずっと独身で、実のところ、恋人と呼べるような存在がいたことがないのだ。一般人でこの状態だと、周りに「変人」扱いされて、余計な世話を焼かれて、お見合いをさせられたり、合コンに誘われたりするのだろう。芸能人だと、「私生活が謎に包まれている」みたいなことを言われ、神秘的なイメージで捉えられることも多く、やはり違うなと思った。何度か写真週刊誌に撮られたこともあると先に言ったように、共演者の女優やタレントと一夜限りの関係を楽しんだことはあるが、進展はなかった。というより、純粋に仕事が面白かったので、恋人とか結婚とかどうでもよかったし、何より彼女達と付き合ったり、結婚したりしても、単なる「恋愛ごっこ」「結婚ごっこ」に付き合わされるような感覚しか持てなかったのだ。「ソッチ系」の世界からも何度か誘いはあった。彼女がいないから、そうした疑いをもたれることも少なくなかった。だが、こちらもパーティーに何度か出たくらいで、深い関係になった男はいなかった。そんな状態だったから、たくさんのお金を使うということがほとんどなかったのだ。
時間的にも経済的にも余裕のある今、かねてよりやりたいと思っていたことを実行に移すことを考えていた。特に両親が亡くなったことが、それをやりたいという気持ちに拍車を掛けていた。そう、「本当の親」について探るということだ。本当の母親はもうとうに亡くなっているし、本当の父親も行方不明のままで、この世にはもういないと考えるのが妥当だろう。だったらせめて、その人間像に迫りたい。そのためには、父方の「故郷」を訪ねるしかない。叔母二人はまだ健在だが、やはり信行叔父さん以上にこの件について知っているとも思えない。実父母につながるものは、「故郷」しかないのだ。
信行叔父さんを誘って、その「故郷」を訪れることにした。叔父さんもそこに行くのは四十数年ぶりだという。事件の起こる数か月前に帰省したきりらしい。事件後まもなく父母共々こちらに出てきたので、それ以来帰る機会がなかったのだ。
「まさかこの年になって再び故郷の地を踏むことになるとはね。何か玉手箱を開ける感じだな」
新幹線に乗り、ある県庁所在地の市の名前の駅まで行き、その市で一泊した後、在来線、さらにバスを乗り継いで、その村―といっても合併に合併を重ね、今では「市」になっているが―に到着した。そこはかつて陰惨な事件が起こったとは思えないほど、明るくのどかな感じの場所で、ちょっと拍子抜けした。
「なんかイメージと違うね」
「ん?そりゃどういうことだ?」
「雑誌じゃ『閉ざされた寒村』みたいな書かれ方をしていたから、もっとうらぶれた、寂しい村を想像してたけど、家も皆きれいで新しい感じだし、のどかなごく普通の田舎じゃん」
「ははは。雑誌はオーバーに書くからね。その方がインパクトがあると思ったんだろう。家は確かに昔は古いのも多かったけどね。のどかな感じは変わらないよ」
いつの時代もマスコミというのは真実を伝えているとは限らないのだろうか、ってマスコミで仕事をしてきた自分が言うのも何だが。
取り敢えず昔住んでいたという家に行ってみることにした。おそらくもうないか、あったとしても他の誰かが住んでいるに違いない、そう思っていたが、意外な結果が待っていた。
「あれ、表札、昔のままだ」
「ホントだ。『武山幸造』っておじいちゃんの名前だよね?」
「うん。中に人が住んでる気配もないし…親父、家は売らなかったのかな?」
「なのかな。ん?てことはここの相続も自分がするってこと?ここの相続税は考えてなかったなあ」
「そっちの心配かよ。その辺は税務署もちゃんと調べてるはずだから、何もなかったってことは、ここは別だよ、きっと。それより、中に入れないかな?」
一通り扉や窓を見てみたが、どこも厳重に鍵がかけられている。
「あんまり窓や扉ばかりがちゃがちゃしてると、不審者に見られるよ。ほら、さっきから女の人がずっとこっちを見てるし」
そうなのだ。先程から六十過ぎと思われる女性が、いぶかしげにこちらを見ていた。すると、その女性が話しかけてきた。
「あの…もしかして、俳優の武俊樹さん…?」
そうだ、自分は芸能人だった。本当の母親につながるヒント探しに夢中になるあまり、そのことをすっかり忘れていた。
「え…あ、はい、そうですけど」
自分が答えると、叔父さんがその女性を見て
「あれ、喜美ちゃん?俺、信行。覚えてる?」
「あ、幸ちゃんのお兄ちゃん?えー、久しぶりやねー。元気しとったん?でも、なんで信行さんが俳優さんなんぞと一緒におるんよ?」
それは当然の疑問だろう。どうやらこの女性、「喜美ちゃん」という人で、叔父さんとは顔見知りらしい。「幸ちゃんのお兄さん」と言っているところをみると、実母の友達だったのだろうか。
「あ…彼、実は甥っ子なんや」
「へえ、そうなん?またえらい子を甥っ子に持ったもんやね」
「喜美ちゃん」はそう答えた後、急に表情を変えた。
「え…ちょっと待って。てことは、もしかしてこの方があの時の…」
「まあ、そういうこっちゃ」
どうやら「喜美ちゃん」は、自分が「幸ちゃん」の子供であるということに気が付いたようだ。その表情を確認した後、改めて自分が聞く。
「あの…母について何かご存じでしょうか」
そうすると、「喜美ちゃん」は懐かしそうに、またちょっと切なそうに目を細めつつ答える。
「知ってるも何も…私と幸ちゃんは小学校から高校まで…そう、幸ちゃんが高校を休学するまで同じやったからねえ。家も近かったし、よう一緒に遊んだわ」
「え?じゃあ、母の話、聞かせてもらえませんか?」
「ええよ。私の家、ここから歩いて五分くらいやから、よかったら来てくださいな。まあ、テレビでよう見とる人が家に来てくれるなんて光栄ですわ」
「喜美ちゃん」は快く我々を迎えてくれた。「喜美ちゃん」はフルネームは中畑喜美子といい、旧姓は高橋。結婚してから今まで、ご主人と市街地の方に住んでおり、子供達が独立した今、こうして時々年老いた両親の様子を見に実家を訪れているという。
「子供も独立したし、一緒に住まへんか、って親には言うとるんですが、『わしらは田舎がええ。農作業しとったらボケんし』とか言うて、聞く耳もたんのですわ。まあ、元気なうちはそれでもええんかなと思てますけど」
その時もご両親は野良仕事に出ていて不在だった。
「あの、それで…母はどんな人だったんですか?」
本題に入り、自分の緊張も徐々に増してくる。
「そりゃもう、器量もええし、頭もええし…。まあ、幸ちゃんに限らず、ここの兄弟は皆よう出来る言うて、皆都会の大学に行きよったで。信行さんも確か東京の美大に行ったんですよね?」
「ああ、まあそうやね」叔父さんも照れくさそうに答えた。
「そう、そんで幸ちゃんも、ご両親が都会の大学に行かせる言うてはりきってましたわ。そやけど、途中で大学行かんと結婚するみたいなこと言い出してな。ほんで、子供まで身籠ったから高校休学するっていうやんか。もう、びっくりして。好きな人がおって、おつきあいしとるっちゅう話は聞いてたけど、まさかそこまで進んどるとは思わんかったで」
「結婚とはつまり、私の父と、ですか?」
「ま、そうやろね。あんたのお父さん、浅井広道って名前で、広さんって皆呼んどった」
「で、浅井さん…父は、皆が言うような女癖の悪い男だったんですか?」
この質問をする時の自分の心臓は破裂寸前であった。考えもしなかった「自分の父親」。その姿が間接的であれ、ある種のイメージをもって、自分の前に現れる瞬間がついに来るのだ。
「んー、あんたのお父さんに当たる人やから、あんまり悪う言いとうないけど、まあええとは言えんかったね。村でも札付きの不良やったし、評判も良くなかった。村でもめぼしい器量のええ子はほとんど手え出されとったんちゃうかな?私はそんな別嬪やないから、彼のお眼鏡にはかなわんかったようやけどな」
喜美子さんは自虐的にそう話した。そしてこう付け加えた。
「ただ、あんたによう似たええ男でな。若い娘っちゅうのは、何かそういう不良男みたいなのに惹かれるんやろね。モテとったんも事実や」
それは中学の時に経験済みだ。もっとも中学で上位グループでモテていたのは、本当の不良ではなく、不良もどきみたいなのだったが。本当の不良は、やっぱり恐れられていた。いつの時代も男と女はそう変わらないのだろう。母もまた、そんな上辺だけの男の魅力に惹かれて、自ら墜ちていったのだろうか。
「そうですか。てことはやっぱり母も、その浅井って男に弄ばれて、子供まで作って、捨てられたんでしょうか。その結果、浅井は母が鬱陶しくなって、殺してしまったんでしょうか」
淡々と聞いたつもりだったが、この質問をした時は、何とも複雑な気持ちであった。怒りの気持ちが強かったが、この場合、加害者も被害者も自分の実の親なのだ。どちらかを否定すれば。自分の半分をも否定することになるような気がしたのだ。そう思うと、怒りを持つの何か間違っているような気がした。しかもどちらも会ったこともない、父に至っては顔すら知らない。仮に怒りを感じたとしても、どこにぶつける術がない。何となくもやもやした気分のまま、喜美子さんの答えを待った。
「まあ、当時は皆そう言いよったなあ。そやけど、ちょっと違う見方をしとった人らもおったわ」
「違う見方?」
「ああ。広さんと親しかった連中限定やけどな。実は広さんと幸ちゃんは真剣に好き合うとったっちゅう話や」
「そうなんですか?つまり、弄んで捨てたわけじゃない、と」
「そやな。広さんは、ごく親しい連中に『ホンマに好きな女ができた』って言うとったらしいで。ほんで、女口説くのもばったりやめて、それまでぶらぶらしとったんが、『その子と結婚したいから、仕事見つけなあかん』言うて、町の方へもよう行っとったみたいや」
自分としてはそれを聞いて少し安心した。下手をすると、強姦まがいのことで自分ができてしまったのではないかという気持ちもあったからだ。もし仮にそうだとしたら、正直、グレてしまうだろう。しかし、今は既に四〇代。この年でグレるというのも様にならない。というより、中学時代、十分グレる理由があったにもかかわらず、「家庭が普通」というだけの理由で、グレさせてもらえなかったことを考えると。まさに「時間を返せ」と言いたい気分になっていただろう。しかし、悲しい事件に巻き込まれたとはいえ、一応愛の元に生まれたというのなら、事情は異なる。喜美子さんは続ける。
「実際にはわからんけどな。村では食い尽くしたから、町に出て女口説いとっただけかもしらんしな。それにそもそも『ホンマに好きな女』が幸ちゃんなんかどうかも分からへん。そやけど、二人は真剣やったっちゅう話も確かにあったんや。だから、広さんが幸ちゃんを殺すはずがない、ってな」
「でも、なんでそれは聞き入れられなかったんですか」
「うん…広さんの日頃の行いってのもあるやろし、幸ちゃんとこは村の有力者で、広さんとこは村の中では新参者で、しかも母子家庭やったから、村での地位が低くてな。広さんの肩を持つことは表立ってはできんかったんよ」
こうした事情については何とも言えない。ただ、外部の人間からは分かりづらいヒエラルキーのようなものがあった、という意味で、「閉ざされた寒村」というコピーが生まれたのだろうか。週刊誌の記事をちゃんと読んだわけではないので、記事そのものが村独特の上下関係みたいなものに触れていたかどうかは知らない。さらに自分が聞く。
「もし仮に二人が真剣だったとしたら、母が亡くなったのは、一方的な殺害ではなく、心中だったのかもしれないということでしょうか」
殺害か心中か。死んだことに変わりはないが、自分の中では意味が大きく変わってくる。
「そう言う人もおったな。子供、つまりあんたをご両親に託して心中しようとしたけど失敗して、広さんだけが生き残り、そのまま逃げたか改めて別の場所で自殺したか…でも、別の噂もあってな」
「別の噂?」
自分が聞くと、喜美子さんは、一瞬「あっ」というような表情を見せた。自分達には聞かせたくない話なのだろうか。
「別の噂とは?」
自分が改めて聞き直すと、喜美子さんはしどろもどろになり
「いや、それは、その、別に、たいしたことやないから」
と言ったが、自分はそれでは納得できず、
「お願いします。どんなことでも構わないので、教えてください。僕らはできるだけ多くのことを知りたいんです」
自分がそう答えると、喜美子さんは、咳払いをし、心を落ち着かせるように一度深呼吸をし、腹を括ったような表情で続けた。
「幸ちゃんのお父さんが、二人を殺したっちゅう噂や」
それはまた別の衝撃だ。自分には祖父母の記憶はあまりない。自分が二、三歳の頃に二人とも亡くなったからだ。なので、どんな人かと問われても分からない。人を殺すような人かどうかも。
「本気やったにしろ遊ばれてたにしろ、お父さんにとったら広さんは『娘を誑かしたクソ野郎』には違いないからな。遊ばれとるだけやったら、広さんだけに怒りを向ければええ話やけど、本気やったら、怒りの矛先は二人に向くのもわかる。そやから、ホンマに二人とも殺したっちゅう説やら、殺したんは広さんだけで、幸ちゃんは自殺や、っちゅう説やらいくつかあった。実際、二人が行方不明になってから、幸ちゃんのお父さんが、普段ほとんど行かないような林の方に行ったりする姿を見たっちゅう人が結構おってな。えらい険しい顔をしとったっちゅう話や。警察もちょっとは疑ったようやけど、結局証拠不十分とかでそれ以上突っ込まれんかった。でも、広さんと親しい人らは、権力を使ってもみ消したって、半ば冗談交じりで言うとったわ。御両親、その後半年くらいで村離れたしな」
そう最後まで言い切ると、喜美子さんは動揺を隠すかのように、テーブルの上のお茶を一気に飲み干した。彼女にとっても辛い告白だったのだろう。口がつい滑ってしまったとはいえ、ここまで話してよかったのだろうか、とそんな迷いが感じられる表情をしていた。となると、悪かったのは両親ではなく祖父だったかもしれない。何が何だか、頭の中はかなり混乱していた。いずれにしても自分の身内である。横でずっと話を聞いていた叔父さんもさすがにその話にはショックを受けたようで、魂を抜かれたようなうつろな目で、ずっと斜め下の方を見ている。空気が重苦しくなったのを察したのか、喜美子さんはちょっと口調を変えてこう言った。
「まあでも、これはあくまで噂やで。ほら、あんたがテレビでようやっとるような、二時間サスペンスの『なんとか名探偵シリーズ』の探偵さんとかやったら、何やかんやで事件の真相をつきとめるんやろうけど、現実はそうはいかんよ。当事者は皆もうこの世にはおらんで。あ、広さんはわからんけどな」
喜美子さんは、和ませるつもりで、冗談として言ったのだろう。しかし当然、笑えるはずがない。自分はドラマの中ではいくつもの難事件を解決する「探偵」を演じてきたが、現実の社会では何もできない。まあ、当然と言えば当然だが。あちらには台本があるが、現実の社会に台本はない。
「じゃあ、自分が産まれた時の話とかは…」
「それは分からん。さっきも言うたけど、妊娠が分かってからしばらくたって高校休学して、その後のことは全く…。電話は何回かしたし、家も訪ねたけど、全く取り次いでくれんかった。お父さんはいつも険しい顔してたし、『幸ちゃん元気ですか』って聞いても、素っ気無く『元気や』って答えるだけやった。それ以上聞けんかったわ」
「じゃあ、僕がどのように産まれたのかを知ってる人はもういないということですかね」
「うーん…そやな…せめて産まれた病院だけでも分かればええけど、昔からあったこの村の産院は、院長先生も亡くなって、数年前に廃業したわ。もっとも、本当にそこで産んだかどうか分からんけどな」
それを聞いて、自分の追究はここで打ち止めだと思った。そもそも、育ての両親ですら、本当に経緯を知っていたかどうか怪しいのだ。その辺は、祖父母が墓に持って行ってしまったということだろう。
「色々ありがとうございました」
喜美子さんにそう礼をいい、喜美子さんの家を後にした。帰りのバスの中でも、一泊した市街地のホテルでも、新幹線の中でも叔父さんと自分はほとんど黙っていたが、叔父さんの家に着いて一休みしていた時、自分の方から問いかけてみた。
「ねえ、どう思う?喜美子さんの話…」
何とかそれだけ口に出すと、しばらく黙った後、叔父さんはこう言った。
「分からない。でも、俺は親父は何もしてないと信じる。喜美ちゃんの話は所詮憶測の域を出ない。だけど、もし本当にそういう噂が立っていたなら、親父達の耳にも届いてたはずだ。それを考えると、どんな思いでこっちに出てきたのか…。何で気づいてあげられなかったんだろ、ていうか、なんで話してくれなかったんだろ、って思う」
「結局俺達、親に隠し事をされてたってわけだね」
「ああ。まあ、自分だってゲイだってこと隠してたけどさ…」
「難しいね、家族って」
一見ごく普通に見える家族にも、一つや二つ隠し事はあるだろう。全く生活に影響のない隠し事もあれば、家族が壊れてしまうような隠し事もある。自分達の隠し事はどうなのか。知らないなら知らないでうまくやっていける隠し事だろう。しかし、さす油の量を間違えた機械のように、何かしら支障は出るものだ。
「親父もおふくろこっちに来て二、三年で亡くなったもんな。単に娘を亡くしたショックってだけじゃなく、色々抱え過ぎて心労がたたったんだろうな」
「俺も家出しちゃったしね。『普通ごっこ』に耐えられなくて。でも、その辺の秘密を知ったら知ったでショックだったとは思うけど、家出まではしなかったかな。せいぜいプチ家出だと思う」
それは本心だった。訳も分からず縛られるのと、ある程度理由が分かって縛られるのとでは、親に対する思いが変わる。後者なら、少なくとも、自分の立場になって考えてくれているということは理解できるからだ。
「そういえば、父さんや母さん、育ての方ね。本当はどこまで知ってたのかね」
「さあね。でも、噂が立ってたことは知ってただろうね。実際、妹の葬式に出たのは兄弟では兄貴だけだからね。それに、あの事件自体は結構報道されてたし、興味本位で聞かれたこともあったりしたんじゃないかな。それで、お前を極力外の世界から遠ざけてたんだと思う」
実の母親が実の父親に殺された。実の両親は心中した。実の祖父が実の親を殺した―いずれにしても、決して歓迎できる事実ではない。ましてや、多感な時期にそれを赤の他人から聞かされたら、そりゃおかしくもなるだろう。そんな情報から子供を守ろうという気持ちを責めることなどできない。しかし、そういう気持ちがまさに自分がずっと家族に感じていた違和感、薄氷の上のような危なっかしさを生んでいたのだろう。子供を縛ることでしか維持できない家庭の平穏。自分が当時「砂を噛むような生活」と思っていたのが、家族が平穏な生活を維持する唯一の方法だったのか。
今はもう大人だ。そうした自分が背負っている事実を受け入れるか、なかったことにして見ないようにするか。ある程度自分で冷静に選択することもできる。だが、もうどちらでもいいような気もしてきた。どのみち、受け入れようが受け入れまいが、そのことで自分達の生活は大きく変わることはないのだ。
そんな話をしているうちに、あることについて考えるようになった。「家族」―自分はこの年まで、結婚はおろか、ろくに恋愛すら経験していない。仕事一筋といえば聞こえがいいが、要は、誰と付き合っても、単なる「恋人ごっこ」「幸せごっこ」にしか感じられなかったのだ。かつての自分の家族がそうだったように。いや、そう見えたように。しかし、その家族の裏側、家族が抱えていた秘密をある程度知った。そのことで、「家族」に対する嫌悪感が薄れつつあったのだ。家族の秘密について、何も知らなければ、ずっと家族を嫌悪していただろう。うざいもの、「ごっこ」を強要するものでしかなかっただろう。つまり、秘密を知ることで、自分が家族を嫌悪していた理由も分かったような気がした。そして、それが薄れつつあるということは、自分も家族をそろそろ持つ時期に来たのかもしれない。
とはいっても、今誰かめぼしい相手がいるわけでもない。今から一から恋愛なり何なりして、関係を築き上げるというのも面倒な気がする。ふと、前にいる叔父さんのことに考えが移った。そういえば、叔父さんはどうなのだろう。結婚はするわけないとして、今は恋人はいるのだろうか。
「ねえ、叔父さん。今、彼氏っているの?」
「いや。もう十年以上いないなあ。ちょこちょこ遊んではいるけどね。俺ももう還暦超えたし、今更恋愛ってのもねえ」
ということは叔父さんも一人なのか。自分は思い切ってある提案をしてみた。
「あのさ…俺達、『家族』にならない?」
「何だそれ。愛の告白か?」
どうなのだろう。一人が寂しいから?それとも実は叔父さんのことがずっと好きだった?あるいはその両方か?
「そういうんじゃないけど…俺、叔父さんとだったら、一緒に生きていけるかなと思って。俺ももう恋愛とか特にする気もないし」
「なんだ、そういうことか。ま、俺は昔っから俊哉のことは好きだったよ。それに肉親と呼べる存在もお前しかいないようなもんだよな。姉貴達はもう法事とかがないと会わないし。いいよ。その申し出、受けるよ」
「マジで?良かった…じゃ、これからもよろしく!」
「おう、よろしくな」
その日、二人は初めてハグをし合った。もちろん服は着たままであったが。
その後も、叔父さんと自分は、お互いの家を行ったり来たりして、普通に食事をしたり、テレビを見たり、また暇な時は一緒に出掛けたりしていた。一緒に住むことも考えたが、せっかく家があるのだから、そこはそこで別に捨てる必要はない。互いの空間は必要だと。別々に住んでいても家族は家族だ、ということにした。自分を育ててくれた両親、そして本当の両親は、今の自分の暮らしを見て、どう思うだろうか。いい悪いは別にして、「普通」とは言えない生活。こんな家族はダメだろうか。それとも、認めてくれるのだろうか…。
そういえば、昔の同級生達は、今どうしているのだろう。自分は、同窓会というものに出たことが一度もない。というか、開催されていたことすら知らなかった。案内などは実家に届いていたようで、以前一度帰った時、自分に届いた郵便物を全て見せられた時に、何通か「同窓会のお知らせ」的なものがあったような気がする。自分はそれらの郵便物をほとんど持って帰ったことはないが、両親は一応取っておいてくれていたようだ。何となくそうした過去の郵便物を見ていると、大きな封筒を見付けた。差出人は中学時代の同級生だ。何だろうと思って開けてみると、「同窓会の報告&皆の現状報告」と書かれている。消印が六年前に日付になっているので、その頃同窓会が行われたのだろう。まず、全員の集合写真が入っていた。それから、「あの人は今!」というタイトルで、同級生の名簿があり、それぞれ現在住んでいるところ(都道府県のみ)、職業、結婚してるか否か、などが表にされて書かれていた。一枚目に「これらは自己申告及び独自調査によるものです」と書かれている。おそらく同窓会に来た時に書いてもらったり、人づてに聞いたり、最近だとSNSを通して分かったりしたものを記録したのだろう。SNSによっては、会社名まで載せてあるのもあるので、勤務先もそれで分かる。職業は「会社員」などといった大雑把なものから、「出版社勤務」のように業種まで書かれたものや、具体的に会社名まで記載されたものもある。なお、会社名まで記載されたものは本人の承諾を得ているとのこと。SNSなどで会社名が分かっても、本人の承諾のないものについては、「会社員」など大まかにしか書いていないそうだ。差出人は、当時は上位グループの女子の一人だったが、彼女が一人でやったわけではなく、上位グループの何人かが幹事となって同窓会を開き、こうした表を作成したのだろうが、全員にそういう配慮をしているところをみると、大人になって、少しは上位グループの傲慢さもなくなり、上位グループでない人間に対しても「人権」を認めるようになったのか。
自分のところはどうなっているのだろう。確認すると、「俳優、タレント」となっている。彼らもようやく自分のことを認めてくれたのだろうか。自分はへたをすると空欄にされているかもしれないと思ったので、そこはちょっとほっとした。
次に、あの「屋上の会合の仲間」が今どうなったのか見てみる。すると、カンちゃんも、川崎も、そして三辺も、他の連中も、みんな「既婚」となっている。自己申告なので、本当のことは分からないし、結婚の相手が「女性」とは限らない。もっとも、現在住んでいるところは日本国内になっているので、アメリカかどこかに渡って男性と結婚、というのはなさそうだ。しかし、「既婚」というのが一般的な「既婚」だとしたら、あの会合というのは一体何だったのだろう。彼らもまた、自分と同じように、当時日常に不満を抱えたり、刺激を求めたりしていて、それを埋めるために屋上の会合に参加したり、同性と恋人として付き合ったりしていたのだろうか。あるいは普通に女性と結婚しつつ、「秘密クラブ」をサウナやバーなどに移しただけなのか。今一度、彼らに会って聞いてみたい気がする。いずれにしろ、あの「屋上の会合」は、学生時代の唯一の楽しい思い出だ。砂を噛むような日々に、ほんの一瞬だけ現れた「砂の城」であった。
ある日の午後、次の二時間サスペンスの撮影の打ち合わせをしていた。共演者をはじめ、プロデューサーやら脚本家の先生やらも参加していた。喜美子さんが言ってた、いわゆる「なんとか名探偵」のシリーズだ。正確には「名探偵塾講師・桐嶋雄平」というタイトルで、その名の通り、普段は塾講師をやっている桐嶋雄平という名の主人公が、ひょんなことから事件に巻き込まれ、それを解決していく―という、サスペンスドラマにはありがちなパターンだ。このシリーズも、数か月に一回であるが、もう十年以上やっている。なので、現場も比較的リラックスして、ゆるい感じで撮影が進んでいく。
打ち合わせも、仕事という感じではなく、お茶を飲みながら、雑談のように進めていくのが好例だ。休憩も自然な流れで入っていく。その休憩の時間に、脚本家の先生にあることを持ち掛けてみた。
「先生。この事件ご存じですか?」
そう、自分の生みの母が殺されたかもしれないというあの事件だ。叔父さんは複数の雑誌や新聞をスクラップにして保存していたが、それは今は自分が預かり、一通り目を通した。やはり全体的には「清純な女子高生が、遊び人の不良男に弄ばれ、その痴情のもつれにより起きた事件」という書き方で、実の母が完全に悲劇のヒロインに仕立て上げられていた。同時に行方不明になった不良男が殺害したとは書かれていないが、明らかにそれを匂わすような文ばかりであった。ある一誌だけは、「二人の真剣交際」を匂わすようなことも書いてあったが、最後の方に申し訳程度に書かれてあるだけで、流し読みしかしない人ならすっ飛ばすだろう。当時のマスコミは、喜美子さんのような人に取材はしたのだろうか。もっとも、綿密に取材されると、祖父の方が危なかったのかもしれないが。
その記事のファイルを、脚本家の先生に見せたのだ。
「あ…これ、四十年以上前の事件?私は中学生だったから、あんまりよく覚えてないけど、確か女子高生がレイプされて殺された事件よね?これがどうかしたの?」
いや、違うんですけど…でも、世間の認識とはこんなものなのかもしれない。そりゃあ、自分の育ての親が、自分の耳に変な話が飛び込むのを阻止したくなる気持ちも分かる。
「まあ、実際にはちょっと違うようですけど…もし先生がこの事件をもとに脚本を書くとしたら、どこに落としどころを持っていきますか?」
喜美子さんに会って話を聞いた直後は、ショックがあまりにも大きすぎて、もう真相はどうでもいい、という気分であった。しかし、時間が経つにつれ、冷静になってくると、やはり単純に「どうでもいい」では片付けられないモヤモヤのようなものが心に発生し、気が付くと事件のことを考えたりするようになってしまっていた。しかし、真相を知ることはもうできない。そこで、話の創作の「プロ」の力を借りることにした。真相とはちょっと違うかもしれないが、何か我々が気付かなかったところをうまく導き出してくれるような気がした。先生はファイルを一通り見流し、
「ふーん、こういう事件だったのか。何だか面白そうね。ちょっと考えてみるわ。このファイル、預かってもいいかしら?」
「ええ、ぜひ」
先生は自分がなぜこの事件に興味を持っているかについては聞かなかった。たとえ聞かれても、本当のことは言えないけど。休憩時間中、ずっと先生がファイルに見入っているところをみると、かなり興味を持っているようだ。これなら何か核心に近づくような落としどころを見せてくれるかもしれない。自分を生んでくれたお母さん。どうか脚本家の先生を通して、「真実」を教えてください―そう祈った。




