さらに、二十年後 1
さらに、二十年後
最近になって移り住んだ実家で、ある写真を眺めていた。十四歳の時、父親の机の引き出しの奥の箱で見つけた、ある少女の写真である。あの時と比べると、かなり色褪せてはいたが、姿形は十分に確認できる。実家に住むようになって、一日一回はこの写真を見るようになった。これが自分の本当の母親―両親の口からは終ぞ語られることのなかった女性。
自分は既に四十歳を超えていた。二年前に母親が亡くなり、後を追うように半年前に父親が亡くなった。夫が先に死んだ妻は長生きするというが、妻に先に死なれた夫はすぐに亡くなるという。父親は母親の死後、一年半で亡くなったが、これは「すぐに」に入るのだろうか。両親の死後、この家を相続した自分は売却も考えたが、結局住むことにした。両親が亡くなってから実家に戻るなんて卑怯な気もしたが、信行叔父さんの「お前がここに住むことも供養だ」という一言で、決心をした。十八で家出をして、その後長い間顔を見せなかった自分にできる、せめてもの親孝行がこの家を守る、ということなのか。幸い、五年ほど前にリフォームを済ませていたようなので、住み心地は悪くない。ただ、自分はこの年まで独身を通し、今も特に交際しているような女性もいないので、一人で住むにはやや広すぎるかなという気はしているが。
十八年前、家出して初めて、実家を訪ねようとしたことがあった。戸籍謄本を取った時に、自分が「養子」であることを知り、そのことについて色々訊ねようと思っていたのだ。しかし、その時は結局、実家の前まで行きながら、門を叩くことはできなかった。何年も家を出たままで、その後初めて実家を訪ねる時の勇気は一通りではない。どんな顔をしたらいいのか?初めに何と言えばいいのか?また、殴られたりするのだろうか?など、色々な思いが頭を駆け巡った。もちろん、自分の本当の母親について知りたいという気持ちもあった。そのためにも実家の門を叩く必要はあった。しかし、先に述べたような心配はもちろん、他にもある思いが頭をよぎった。その時の自分は、まさに芸能人として売り出し中で、滑り出しは順調ではあったが、まだまだ駆け出しで、これからが大切な時であった。
そんな時に、もし両親に会ってしまったら、自分の気持が揺らぐのではないかと。両親は、自分に対しては「普通の」人間になることを強く望んでいたし、こちらも家出をして、迷惑をかけてしまったという負い目もある。なので、そこでもし「戻ってきてやり直せ」と言われたら逆らえないだろう。せっかくうまくいきかけていた芸能人への道を捨てるのはやはりもったいなかった。そこで、その場では両親に会うのはやめることにした。とにかく今は仕事に打ち込むこと。本当の親のことはまたいずれ聞こう、そう思い直し、実家を後にした。
実際に実家を訪れたのは、それからさらに七年ほど経ってからであった。その時の自分は、芸能人としては非常に波に乗っていた。ゴールデンタイムのドラマで主役を張るようなことはなかったが、二時間ドラマや昼のドラマでは主演もしていたし、情報番組の司会などもしていた。そしてその頃は、初めて帯番組も担当するなど。充実した仕事ぶりであった。ある日、番組のロケで、実家の最寄駅の店のレポートをすることになった。その話が出た時から、何となく運命のようなものを感じていた。しかもその日に限ってロケが早めに終わり、次の日は土曜日でオフである。「この時を逃したら、多分もう一生実家を訪れることはないだろう」そう思い、ロケ終了後、マネージャーに「私用があるので、今日はここで解散ということでいいですか」と告げ、了解を得たので、そのまま実家の方に向かった。高ぶる胸を押さえながら、実家のチャイムを押した。すると、母親が出た。はい、と懐かしい声が聞こえ、俊哉です、となるべく平静を装い答えると、インターホンが切れる音がして、それからほどなくして、家のドアの鍵の開く音がした。おそるおそるドアを開けると、やや老けたとはいえ、前とほとんど変わらない母親の姿があった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
十五年以上会っていないとは思えないほど、自然に挨拶を交わした。やはり家族というのはそういうものだろうか。家に上がってリビングに入ると、やはり少し古ぼけた感じはしたが、自分がいた頃と変わらない姿があった。ソファーにダイニングテーブルはそのままだ。テレビや冷蔵庫などの電化製品は買い換えられていたが、位置などが同じだったので、それほど変わったという印象はなかった。
「今日はお休み?」
と母親が聞いた。
「いや。近くでロケがあって。明日はオフだけど」
父親とは敬語なのに、母親とはなぜかタメ口だった。
「そう。父さんは六時頃に帰ってくるわ。そしたら皆で夕食にしましょう。今から買い物に行くから、ちょっとだけ留守番しててもらえるかしら?」
「あ、うん、わかった」
母親が買い物に出かけている間、二階にある自分の部屋をのぞいてみた。こういう時、ドラマや何かだったら、自分の部屋は自分がいつ帰ってきてもいいように、そのままにしてある、というのが常なんだろうが、うちの場合はどうなんだろう、と緊張しながら部屋のドアを開けた。部屋には確かに自分のものはほとんど残っていた。しかし、それ以上に何だかよくわからない段ボール箱やら何やらが積んであり、すっかり物置になっていた。やはり、現実はドラマのようにはいかないらしい。とはいえ、ちょっとホッともしていた。いつか帰ってくると信じて毎日泣き暮らしでもしていたら、それこそ罪悪感に苛まれてしまう。叔父さんが「ある時から吹っ切れた」と言っていたのは本当なのだろう。部屋に積まれた段ボールが、それを物語っていた。
自分の部屋を出て、リビングに戻ってテレビをつけると、奇しくも自分が出ていたサスペンスドラマの再放送をしていた。最初の頃は勉強や反省も兼ねて自分の出た作品を見ていたが、最近はあまり見ない。こんな風に言うと、初心を忘れたなどと言われそうだが、初心などというのは忘れるものだ。逆に、いつまでも初心のままだったら、それはそれで大変だ。この世界というのは、賛美より批判の方が圧倒的に多い。特にネット時代になってからは、プロの評論家だけでなく素人も皆掲示板に好き放題書き込む。それをいちいち気にしていたら、仕事なんかできない。一回やった仕事は、終わったら忘れる、そのくらいの神経の方が長続きする。今みたいに、たまたまテレビをつけたら自分が出てた、みたいな時くらいしか、自分の出た作品は見ない。もっとも、今日はソファーに寝そべって見ていたので、いつの間にか眠ってしまったが。
眠っている間に、母親が帰ってきたようで、目が覚めた時には既に夕食の準備を進めていた。
「あんまり気持ちよさそうに寝てたから、起こせなかったわよ。しかも、自分の出てるドラマ見ながら寝るなんて…俊君って、そんなに神経太かったっけ?」
昔の自分は繊細に見えたのだろうか。
「何年も業界にもまれてるからね。それより、何か手伝おうか?」
「いいわよ。今日はお客さんだもの」
お客さん―自分の部屋の変わりようを見て、ああ、確かに自分はもう「お客さん」なんだ、と実感せざるを得なかった。最初の挨拶こそ家族のそれだったが、今の二人の間には微妙な距離感がある。この人は本当の母親ではない。血のつながりすらない。そのことを自分が知っている、ということをこの目の前の「母親」は知っているのだろうか。それとも十数年の年月が距離感を生んだのか。
その時、昔は聞けなかったあることについて聞いてみようという気になった。
「ねえ、母さん。中学の時さ、よく夕方外出してたけど、あれって何か意味があったの?」
「ああ、あの頃ね…皆には内緒にしてたけど、実はフランス語を習ってたの。大学時代は仏文科だったし、子育ても一段落したからもう一度勉強したくなって。そこで新しくお友達もできたから、よくお茶飲んだりしてたのよ。ところで、意味ってどんな?」
「いや、その何ていうか…あとほら、自分がコンテストの予選に行く時も、朝から父さんを外出に誘ってたでしょう?あれもわざとだったのかな、って」
確かにあの外出はどう考えてもタイミングが良すぎる。ハガキを最初に見ていながら、敢えて郵便受けに残し、自分が最初に発見するように仕向けたようにも見える。
「さあ、どうだったかしら。でも、あなたの教育方針を巡っては、ちょっと対立していたのは事実ね。男の子なんだから、もっと自由にさせてあげればいいのに、とはずっと思ってたわ」
それ以上聞く必要はなかった。やはり母親は全て分かった上で、自分が自由に行動しやすいように動いていたのだ。
そんな会話を交わしているうちに、父親が帰ってきた。父親は自分を見て、「おう」とだけ言った。平静を装っている風ではあったが、さほど驚いている感じではなかった。おそらく母親が、買い物に行っている時にでも、父親に電話かメールで知らせたのだろう。父親が部屋着に着替えてきたのを母親が確認すると
「さ、ご飯にしましょう」
という母親の一言で三人は食卓に就いた。しばらくは無言のまま食事が続いた。もっともこれは、昔からそうで、うちでは食事の時に余計な話はしないというのが習慣であった。なので昔は、楽しくしゃべりながらというわけでもないのに、わざわざ家族そろって食事する意味などあるのかと疑問に思ったものだ。賑やかな食卓に憧れてたわけではないが、これなら一人で食べるのとそう変わらないとずっと思っていた。なのになぜ家族そろうことにこだわるのか当時は分からなかったが、今思うと、これが「家族」を確認する儀式だったのかもしれない。当然だ。自分達には家族にあるはずのものがなかったのだから。
「ビール飲むか」
食事の途中で、父親が言ってきた。ああ、親子の晩酌というやつか。断る理由もなかったので、素直にいただくことにした。ビールを飲みながら父親が聞く。
「どうだ?特別な人間になった感想は」
両親がずっと自分に望んできたのは「普通、平凡」。それを拒んだ自分に対する嫌味のようにも聞こえた。しかし、実のところ、芸能界に入って、自分が「特別」だと思ったことはない。確かに毎日のように芸能人に会い、スタジオやらロケやらで撮影、または舞台に立つ。レポーターの仕事や映画、ドラマの撮影で時には海外も行く。しかし、それらは自分にとっては「日常」なのだ。「特別」などと思う間もなく、時間が追いかけてくる。収入もかなり多いとは思うが、毎日忙しいので、使う暇もあまりない。プライベートでたまたま共演した女優と一緒に飲みに行ったところを写真週刊誌に撮られたことも何度かあるが、実際にはあれも予告なしで載るわけではなく、普通は事前に、撮られた側も写真のチェックができる。ベロベロに酔っぱらっているとか、場末の綺麗とは言えない店での写真の場合、イメージを気にする人であれば、撮り直しを要求することもあるそうだ。事務所独立などのトラブルを抱えていたり、悪質なメディアだったりする場合、許可なく載せることもあるようだが、そうでない限り、これも仕事のうちと割り切れば、そこまで目くじらを立てるようなこととも思えない。結局、サラリーマンや普通のバイトの経験がないままなので、何とも言えないが、自分のしていることは、それらとどれほど違うのだろう。改めて自分に問いかけてみる。
「そうですね…悪くはないと思います。辛いことや嫌なことが全然ないわけじゃないですけど。でも、それはどんな社会だって一緒でしょう?ま、本当に嫌だったらとっくに辞めてますよ」
その時に思い付いたままの答えを口に出した。敬語は抜けなかったが。
「そうか…お前はそういう世界、向いてたんだな」
父親が重苦しい口調で言う。ある意味本心なのだろう。しかしそれは、自分の教育を真っ向から否定されたということでもある。
「…昔は色々すまなかったな」
父親は、さらに重苦しく言った。自分は何だか申し訳なくなって、
「父さんが謝ることじゃないですよ。今なら父さん達の気持も分かります」
本当のことを知ったから、と言いかけたが、それ以上言わなかった。本当の親のことについて知りたいと思う反面、聞くのが怖いという気持ちもあった。自分の本当の親がどうしようもない人間だと言われたら、やはりいい気はしない。それに何より、両親の方から、この話についてはぜひとも切り出して欲しかったのだ。しかし、その話についてはその日はされることはなかった。
時計は十時を回っていた。次の日はオフだったが、これ以上ここにいても仕方がないと思い、その日は帰ることにした。自分の部屋も寝られるような状態ではないし。
「じゃ、僕、帰ります。泊まることも考えてたけど、寝る場所もないようですし」
ちょっと嫌味に聞こえたかもしれないなと思った。母親がすかさずフォローする。
「ご、ごめんなさいね。今度来るときにはあの荷物処分しておくわね。でも、客間に布団を敷くとか、泊まれないこともないわよ」
「いいですよ。自分のベッドの方が落ち着きますし。てか、『今度』があってもいいんですか」
「当たり前だろう。お前の家はここだし、俺達はお前の親なんだ。そのことだけは忘れるな」
「そうよ。また時間ある時には帰ってきなさい」
「…はい。ありがとうございます」
さすがにそこは自分は俳優。ちょっと涙ぐんで演技をしてみせた。本当は「この人達、いつまで自分と家族ごっこを続ける気だろう」という気持ちもあった。しかし、ここまで言われたら、両親の言葉に喜んだふりをするのが情というものだ。「家出をした自分に対して温かく迎えてくれた親に感謝する自分」を演じて見せた。とはいえ、全くの演技というわけでもなかった。両親の温かさを言葉だけでなく、肌で感じたのも事実だったから。
それから何度か実家を訪れて、食事をしたりした。自分の部屋はきれいに片づけられ、泊まれるようにもなった。しかし、「本当の親」については結局語られることはなく、まず自分が三十九の時に母親が、そしてその一年半後父親がこの世を去った。




