勘違い男の末路
「トドル、あなたとの結婚はもう終わり。あなたとは離婚よ」
夫婦の寝室の窓辺に立って、キッパリとした声色でそう告げれば、そんなことを言われるとは思って居なかっただろう男が、えっと言う口の形に開いたまま目を大きく見開いて、立ち止まった。
「詳しい話はここから出て応接室へ行って頂戴」
私は、極めて事務的な口調で冷たくそう告げるとドアを指差して、言外に近づくな、出ていけと示した。
気の回る男は私の意図をわかっているはずなのに、立ち止まった場から動く様子を見せない。
はあ、とため息をつきながら、サイドテーブルに手を伸ばしてチリンチリンと呼び鈴を鳴らすと、別の控えの間から専属侍女が現れたので、
「応接室へと連れていって。家令にも伝えて」
と指示を出すと、初めて先程の私の言葉が本気だと気がついたのか慌てた様子で
「なぜ、なんで!どうしてそうなるんだ、セルディカ!」
そう大きな声を出して喚いた。
その声を聞きつけて部屋へと入ってきた家令と護衛たちに目を向けて、
「ああセドリック、彼を応接室に連れていって。興奮しているようだからしっかり見張っていて頂戴」
「ではこちらへ」
家令が慇懃な様子で扉の前に立ち、恭しく頭を下げて誘導し、護衛はピタリと男の背後に立って無言で威圧して退室を告げた。
その様子から観念したように渋々と扉を出ながら、振り返ってセルディカを見つめた。
その瞳は、信じられないと告げているようだった。
大陸の中央に位置する小国の、西端を領地として治めているベネット伯爵家、所謂辺境伯と言う立場である。
隣国は飛ぶ鳥を落とす勢いの武力を誇る王国で、そこに飲み込まれぬ為の防波堤として最前線で睨みを利かせている、そんな家を取りまとめるのは、三十路を僅かに過ぎたばかりの女伯爵セルディカ・ベネットである。
彼女の悲劇は、嫡男である兄が不慮の事故で亡くなったことから始まった。
領地を流れる大河に、季節外れの長雨から大量の雨水が流れ込んだことで大規模な洪水が発生したのだ。
曾祖父の代に築かれた立派な堤防が複数箇所決壊し、濁流が周辺の村を飲み込んだ。
現地の状況を確かめに行った、次代の当主である兄がその濁流に呑み込まれて敢えなく亡くなると共に、甚大な被害をも負ったのだった。
セルディカは当時デビュタントを終えたばかりで、ベネット家の遠縁で辺境騎士団の中核を担う子爵家の嫡男と婚約をしていた。
だが、跡継ぎの急逝により婿を取って跡を継がねばならず、子爵家との婚約は双方合意の上で白紙撤回となり、この被害からの復興を一緒に背負い乗り越えられるべき家門の者との婚姻を結ぶ使命を帯びた。
地域柄、隣国の脅威もあり早急な復興を遂げるため、結局、王家から第三王子テオドールが婿入りすると言う王命が出され、婚約期間もそこそこに、半年で婚姻が成された。
第三王子とは言うものの、テオドールは大商人の祖父が爵位割譲により法服貴族となった側室の子で王位継承権も無い存在では有れど、国王の深い寵愛を受けた側室の子であり母親の生家の権勢は強く、復興支援に相当な費用を背負って来てくれる有り難い存在であった。
セルディカとテオドールは一回りも年の差が離れており、テオドールには正式な婚姻を結んだ妻は居なかったが内縁の妻が公然の秘密として傍に居て、彼らの間には子も三人儲けていたのだけれど、それはそれ。
テオドールの母違いの子らには、当然ベネット伯爵家の相続権は無く、その家から万に一つも干渉を受けないと言う文言も込められた婚姻契約をきちんと結び、王都から遠く離れた辺境の領地の教会で、立会人の兄王太子と王太子妃に見守られながら、国策事業の契約として、固く婚姻が結ばれたのだった。
年若いセルディカは、伯爵である両親と領地で復興に当たり、テオドールは王都と領地を往き来しながらの生活となった。
かつては夫と妻、政略ではあれど誠実な関係を夢見ていたセルディカだったが、領地の惨状を目にしていれば次期当主として二重生活を送る夫を迎えることに拒否権は無く、寧ろこんな難儀な婚姻を結んでくれたテオドールには心から感謝をしていた。
だから、初夜の晩に事に及ぶ前、その日夫になったばかりのテオドールに
「勿論、私のことを愛してくださらなくても宜しいのです。ですが、お情けで次代ベネット家の為に子だけは賜りたく存じます」
と、深々と頭を下げて願い出たのだった。
そのセルディカの姿に言葉を失ったテオドールが、
「そんなことを、頭などを下げる必要はない。この婚姻は国王による王命で、当然、君、セルディカが次代のベネット家を継ぐ子を産まねば始まらない。
この地は王国の絶対的な盾である、重要拠点。そこの地が元のように復興し機能するように取り計らうのが、少なくとも王族の血を引く者としての、私の責務だと、その位の気概やある。
君、セルディカ、年若い君の覚悟はあいわかった。これからはこの地を治める次代の同士として共に歩もう」
小難しいことを真面目な顔で宣って、なんやかんやとスペクタクルな時間を経て、その結果、思いの外早くに子を孕み、1年後にセルディカは待望の嫡男ボリスを無事生み落として、両親を始めとした領地の全ての者から『良くやった』と称賛され、やっと安堵した。
その時、セルディカの出産を領地の舘で辺境伯夫妻と待っていたテオドールが、初産の為に出産時間が長くなりセルディカの身が危険に晒されていると言う話しに慌てふためき、勢い焦って出産部屋へと立ち入ろうとして産婆に叱られる、なんてこともあり、無事子を生み終えた後、セルディカの元へと走り寄って
「ああ、セルディカ。良かった、君が無事で良かった。子も無事だ、私たちの子は無事に生まれた!ありがとう、ありがとうセルディカ。君と子が無事でいてくれてありがとう」
と感激の涙を流して、全身が汗まみれなことも気にもせずに抱き締めたのには、セルディカ本人も両親も周りの使用人たちも目を丸くして驚いて、これを契機にテオドールはベネット領に好感を持って本当の意味で婿として迎え入れられたのだった。
とは言え、それからもセルディカは領地で子育てと領地経営を行い、社交は両親に任せっぱなしだったし、親の夫妻も社交シーズンだけ王都に居て後は領地に籠りきりと言う状態で、婿のテオドールが二、三ヶ月おきに王都と領地を行ったり来たりして、王族や王都の貴族家との間を上手く結ぶ役割を担う生活がその後も長く続いていった。
転機は、ボリスが10歳の年の社交シーズンの終わり、テオドールが何者かによって刺されてしまう事件であった。
その一報は、タウンハウスからあと数日で領地へと戻るはずのベネット伯爵へと王家から直接もたらされた。
「テオドール様が王都の某所で刺されて、意識不明の重体です」
まだ夜も明けきらない早朝の薄靄の中、地味な家紋の無い馬車がタウンハウスヘ着くと、黒い外套を羽織った男が早口で告げた。
「な!誰に!!」
家令に起された伯爵が、扉の前で問い質せば、その答えは無視され一方的に、内々で話がしたいのですぐにこの馬車に乗って一緒に王宮へと来て欲しい、そう言うのだった。
ベネット伯爵は直ぐ様馬車に飛び乗り、王宮の裏の、普段は貴族が出入りしない離宮へと連れて行かれて、朝まで内密な話し合いが持たれ、結局、翌日の昼に、第三王子テオドールは心筋梗塞による急逝と言う発表が出された。
妻のセルディカと嫡男ボリスは、ベネット領に遣わされた王家の紋章の付いた立派な馬車に説明もそこそこで乗せられて、王宮の敷地にある大聖堂に連れられて、急なテオドールの密葬に家族として列席したのだった。
セルディカは、デビュタント以来二度目の王都、王族に会うのもデビュタントと結婚式の時の王太子夫妻以来で、ボリスに至っては王都に来るのも王族に会うのも初めてのこと。
ベネット領以外の親族に初めて会うのが父親の葬儀と言うことに戸惑い俯いていた。
国王、王妃、王太子夫妻、第二王子夫妻と、テオドールの実母である側妃、その両親の男爵夫妻と、ベネット伯爵夫妻、そしてセルディカとボリスが参加した葬儀の場。
静寂の中粛々と葬儀が執り行われ、あっという間に埋葬へと見送った。
ただテオドールの亡骸は、王族の墓でもベネット伯爵家の墓でも無く男爵家の墓へと埋葬されると大司教から式の終わりに聞かされた。
埋葬は側室とその家族に任せ、セルディカとボリスは王宮の奥の部屋へと通されて、テオドールの父である国王から、テオドールの死因は
「深酒による心筋梗塞で、ひっそりと王宮の部屋で亡くなっていた。若いのに悲しいことだ。セルディカ、ボリスも急なことに心が乱されているだろう。気を強く持つのだよ。
ボリス、君は私の血を引く正統な孫である。そして王国の盾ベネット伯爵家を継ぐ者だ。これは王家の家系図にも載せられる正式なものである。この辛さを乗りきって、健やかにそして、逞しく育てよ」
と、思いの外優しい言葉をかけられて、ボリスは頭を撫でられたのだった。
テオドールが居なくなっても、セルディカとボリスは領地で生活するのは変わらないし、父が騎士団を率いて復興を遂げた領地を護るのも変わらなかったが、ボリスが13になり王立学院へ通うため王都へと行った年に、たちの悪い流感によって伯爵夫人である母が亡くなり、その悲しみも癒えぬ間に父も後を追うように亡くなってしまい、ボリスが成人するまでの繋ぎとしてセルディカが女伯爵に為らざるを得なかった。
15で成人するまでなら2年弱、学院を卒業するまでなら5年と、その間をセルディカがやっと復興を遂げた領地を抜かり無く経営しつつ、女の身で隣国からの武力進行を止めなければならない。
元より家を継ぐ為の嫡女であれば、荒事を学ぶこともあったかもしれないが、セルディカには優秀な兄が居て、そう言うことを求められては居なかったし、王族からテオドールを婿として得た後は、その地位を譲るのがセルディカであっても、騎士団を率いて睨みを利かせるのは王家の血を引くテオドールのはずであったから、セルディカが独りで背負うには荷が重すぎた。
そこで、王太子も参加した一族の重鎮たちとの話し合いの場で、セルディカの再婚が決められ、その相手は、かつての婚約者トドル・アセン卿となった。
トドルは、セルディカの父の再従兄弟の子で、アセン子爵家の嫡男であった。
アセン家はベネット家とは血の繋がる臣下で、辺境伯騎士団の中核を担う働きをしてたので、兄が当主を継いだ後、セルディカが嫁ぐことで、よりベネット家との強固な繋がりを以て、後の騎士団長となる予定であった。
婚約が白紙にされた後、トドルは次期当主を弟へと譲り、一代騎士職を得てこちらは予定通りに騎士団長となっていた。
長く義息となるはずだったトドルに対するベネット伯爵からの詫びの意味もあったのだろう。
ただ、内政を主に担っていたセルディカと、軍事の責任者として多くの時間を遠征で過ごしていたトドルの時間が交差することは無く、王家に対してもテオドールに対しても一分の不貞の疑いも起きないように扱われていたので、15年以上を経てその名を聞いた時のセルディカは、
「ええ?アセン騎士団長は婚姻しておられないのですか!?」
とその会議の場で口にしたほど。
「ええ、彼は『戦場でいつ尽きる命かも分からぬ故当主は弟に譲り、この命果てるまでベネット領の安寧の為に働こう』と常々申して最前線で戦っておりました。彼ほど、セルディカ様の後添いに相応しい者はおりますまい」
と一門の重鎮から諭すように言われた。
彼の戦果は凄まじいもので、王太子も納得の満場一致で決定したのだった。
「トドル、あなたとこうして、また過ごすことになるとは思わなかったわ」
「ああ、セルディカ。君と一緒になれないのなら、この国の為に散ってしまおうと思って戦ったことが、今日この日に繋がったのであれば、あの日々も無駄じゃなかったと誇らしく思えるよ」
領地の教会で、親族だけの小さな結婚式を早々に終えた初夜の場で、二人涙ながらに語り合い、長い時を経て夫婦となった奇跡に胸を震わせて熱い夜を過ごした。
夫婦となった二人は、仲睦まじい様子で領地運営を手堅く行っていた。
王家から隣国の脅威が迫っているからと言う理由で王都で行われる行事の参加を当面の間免除されていたので、セルディカは相変わらず領地に籠っていた。
王都で学院に通うボリスに関しては、王家と側妃の男爵家が責任を持ってその身の安全を守ってくれることになっていて、遠い領地との往復の方が危ないからと手紙のやり取りだけで会えずじまいであった。
ただ、ボリスと同じ年の、第二王子の息子を始めとした王族の従兄弟たちや祖母である側妃だけでなく国王も、王妃でさえもベネット伯爵家唯一の跡継ぎであるボリスの重要性を認識していたので、長期休暇の時などは王宮へと招いては王族に連なる者として扱っていた。
そうこうするうちに、ボリスが15となって成人を迎え、その祝いを第二王子と同時に行うと王家から封書がもたらされた。
セルディカは驚いて、領地をトドルに任せて急いで王宮へと馳せ参じたのだった。
謁見の間ではなく、王族の私的空間である奥宮に招かれ、応接室で落ち着かない時間を過ごして待っているセルディカの前に、旅立った日より背の伸びたボリスが現れた。
会わない間に、金髪碧眼の優男であったテオドールにずいぶんと似てきて、母であるセルディカが
「まあ、ボリス!久しく会わないうちに、あなた、すっかり都会的になって!まあまあ背もこんなにも伸びて、もうかあ様が見上げるほど。あなたの成長を見れなかったのは残念だわ」
と、ボリスの頬に手を伸ばして呟くほど、変貌を遂げていた。
当の本人は、幼い子にするような仕草の母親に苦笑を浮かべながら
「はは、かあ様。私ももう成人しましたから、領地から出てきた時と比べられても困りますよ」
なんて軽口まで叩くようになっていて、セルディカとしては成長を喜ぶ気が半分、親離れを悲しく思う気が半分と少々複雑な気分であった。
そんな親子のやり取りが一通り終わった頃、ボリスに良く似た第二王子と王妃が部屋へとやって来た。
入室を目にした瞬間、深いカーテシーをして二人を迎えた。
「苦しゅうない、楽にして」
王妃殿下からの声かけに、
「王妃殿下並びに第二王子殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう。ベネット女伯爵セルディカ、御前にて言葉を交わす許しを頂き、畏れ多くも深く感謝いたします」
と堅苦しい挨拶を述べていたが、
「よいよい、顔を上げて席にかけて、成人の祝いの話をしましょう」
と、声をかけられて王妃の隣に第二王子、その向かい側にセルディカとボリスが席について話し合いを持った。
ボリスと第二王子との気軽なやり取りから、学院での関係性が窺えて微笑ましく見つめていた。
王妃からの話では、王宮で行われる第二王子の成人を祝う夜会に、正式に王家に連なる者としてボリスも一緒に祝うことで、王国の貴族たちへと次期辺境伯であるボリスの存在感を高め、王家が彼の後見であることも大々的に伝えようと言うことであった。
「大変有り難い申し出に、感謝申し上げます」
セルディカは、ボリスの明るい未来が見えた気がして、心から感謝を告げたのだった。
王都での成人を祝う夜会には、ベネット伯爵家からセルディカだけでなく、当然トドルも参加した。
セルディカをエスコートするのは、遥か昔のデビュタントの日以来で、美しく着飾ったセルディカを前に嬉しそうな顔を隠すこともなく浮かれているようであった。
当日の主役であるボリスには、特別声をかけるでもなく、結婚式以来であることも触れることはなかったし、学院での生活を気にする素振りも見せなかったので、セルディカはモヤモヤした物が胸に溜まっていったけれども、それを口にするのも憚られると見ないふりをした。
夜会では、ボリスは王太子殿下の長女である5つ上の従姉である王女をエスコートしてダンスを披露し、社交界にデビューすると共に、王家の色そのままの姿に、参加貴族たちも彼の存在と王家が後見していることを当然として受け取ったので、当初の目論見は早々に叶ったのだった。
夜会を終えて王宮から王都のタウンハウスに帰ってきた後も、ボリスとトドルに深い会話は無く、翌朝も淡々とした朝食の時間が過ぎた。
その様子にセルディカは、前日からのムカムカする気持ちが再来して、トドルを見る目も冷たくなるのだった。
なぜ、彼はセルディカの息子であるボリスを大切にしてくれないのだろう。
セルディカと婚姻すると言うことは、当然ボリスの義父となることであるのは明白なのに。
いや、もし婚姻しなかったのならば、彼は辺境騎士団を率いる団長としてベネット伯爵たるボリスに忠誠を誓う立場である。
それなのに、どうして空気のように扱うのか。
早々に王都からベネット領へと帰ると言うトドルに、それまでと同じように付き合うことが出来なくて、セルディカは色々と理由をつけて王都にボリスと共に残った。
それに対してボリスは何も言わなかったし、トドルのことも話題に上げなかった。
多分に気にしているのだろうと言うことをセルディカは感じているのだが、ボリスは母が新しい人生を歩んでいることを受け入れているようで、学院での日常生活などの話を聞かせることはあっても、トドルのことに関して言うことは無かった。
王都でのボリスの生活を見て回りながら、側妃とその生家である男爵とも縁を深めると、ようやく重い腰を上げて帰郷の途についた。
ベネット領に帰ると、トドルは何事も無かったような顔をして、夜会以前と同じようにセルディカへと接してきた。
そんな時に特別大きな過失があった訳ではないトドルに物申すこともなんだなぁ、そう思ってセルディカは胸中の思いに蓋をしたのだった。
そうして暮らせば、また特段問題がある訳でもないし、領地の仕事を積極的に行ってくれるトドルの姿にセルディカも以前のような対応をして過ごしていった。
ボリスは王都の近衛騎士団の団長を務める公爵家の娘を婚約者にすると言う連絡が来たのは、卒業まで後半年と言うところであった。
ボリスの手紙以外にも王妃からも側妃からも、公爵令嬢との馴れ初めを告げる手紙が随分前からもたらされていたので、気が合うのならと黙認していたセルディカだったが、公爵も娘とボリスの求婚を了承したと言う話だったので、婚約式の打ち合わせへと王都に行くことになった。
当然、義父であり辺境騎士団長のトドルも一緒に行くと思っていたのだが、彼は明らかに嫌そうな顔をして、
「国境の護りを疎かにできないから」
とか言ってきた。
その挙げ句、
「だいたい、婚約とは家と家のこと。本人が親の了承も得ずに決めたから王都まで出向けとは随分な言い草じゃないか。王都で過ごした者が王都の貴族の娘を娶って誰が従うのか。
もし本気でベネット家の当主に就く気ならば家門の然るべき娘を娶るのが筋。こう言ってはなんだが、当主としての資質に欠けるのではないか」
辛辣な言葉を、まるで評論家か他家の者のように言い捨てて、侮った顔をセルディカに見せた。
「ねえ、あなた、どういう気?ボリスへのその言葉、当主を継がす気が無いと言うその言葉は、王家に楯突く軽率な物言いだと思わないの?」
セルディカは、今まで胸に秘めていたモヤモヤがマグマのように吹き上がって口を突いた。
「な、そんなに怒るなよセルディカ。夫婦の会話じゃないか」
セルディカの怒りを見ても気にする風でもなく、トドルは世間話のような軽い口調で往なした。
「あなた、前から言いたかったのだけれど、ボリスは形式上はあなたの息子なのよ。何よその他人への非難みたいな言い草。もしあなたがそう言う考えがあるのなら、その旨をボリスに言って教えたり、王都で会って話したりする時はいっぱいあったじゃない!それもせずに、失礼じゃないの?」
そのトドルの姿に、セルディカの怒りが一層強まって、強い口調でトドルに言い返した。
「俺の言うことなぞ聞くものか。王家の血筋を笠に着て、辺境を蔑ろにしているに決まっている。
なあセルディカ、俺と子供を作らないか。俺とお前の子なら当然ベネット領で受け入れられる。本来は俺たちの子がこの家を継ぐはずだったんだから!」
セルディカの怒りなど気にも止めずに、王家との契約も反故にするような、ボリスを蔑ろにするような言葉を返して、当然その申し入れをセルディカが受け入れると思い込んでいるようで、セルディカは目の前が真っ暗になって、
「本来、この地を継ぐ子は兄の子よ。あなたと私の子な訳無いじゃない、信じられないわ。もう止して、出ていって!出ていってよ。誰か、誰か、トドルを外へと追い出して」
セルディカが髪を振り乱して大声で叫ぶと、その声を聞き付けた使用人たちが部屋へと入ってきて、指示に従って夫婦の部屋から連れ出した。
「セルディカ、どうして分かってくれないんだ、セルディカ!」
トドルは体を捩って左右から威圧で外へと追い出そうとしている護衛を避けてセルディカの近くへと寄ろうとしたが、
「静かにして!あなたの声なんて聞きたくないわ。早く連れ出して!邸からも追い出しなさい!」
セルディカは悲鳴にも似た声を上げて命令したことによって、トドルは追い出されたのだった。
それから幾日もトドルは邸にやって来てセルディカに会おうとしたけれども、決して会うことは叶わず、そうこうしている間に、ボリスと公爵令嬢との婚約が王都で叶ったのだった。
トドルは正攻法では会うことも出来ないと思い詰めて、騎士団長たる身体能力を発揮して闇夜に紛れて邸に忍び込んで、セルディカの前に現れた。
しかしセルディカは、トドルが忍び込んで来るのをわかっていて、敢えてそうさせたのだった。
応接室で、後ろから屈強な護衛騎士に肩を押さえつけられて座らされているトドルの前に、セルディカと身体の大きな男が並んで座った。
その目はトドルを視線で殺すほど鋭いもので、得体の知れない男の登場に、トドルは気色ばんで怒鳴り散らした。
「セルディカ、その男は誰だ!なぜ夫以外の男を横に座らせる!」
「トドル、あなたとは先日離縁が認められたの。だからあなたはもう私の夫じゃないし、私が誰の横に座ろうとも、あなたに指図される謂れは無いわ、控えなさい。
こちらの方はボリスが婚約した令嬢の父君の公爵閣下であらせられるわ。
これからボリスがベネット伯爵を継いだ時、公爵が認めた優秀な騎士をこの地に送って下さり、次の騎士団長になってもらうことに決まったのよ。今回は、その旨を一門の重鎮に説明するためにわざわざ来て下さったの」
「そんな、俺は離婚なんて聞いてないしサインもしていない!況してや騎士団長に俺以外が就くなんて!」
トドルは射殺しそうなほどギラついた目をセルディカに向けて怒鳴ったけれど、
「あなたのサインなんて要らないのよ。婚姻契約書の条件に抵触しての離縁、私と貴方の弟子爵とで王太子殿下の下でサインしたのよ、覆らないわ。
あなたは忘れてしまったのかもしれないけれど、ベネット伯爵家の次期当主は王家の血を引くボリス・ベネットであり、義父となったトドル・ベネットは子を儲けることは認めない。もしも王家決定に背く時には即座に契約を解除して離縁する、そう言う契約だったでしょ?
ねえあなた、ベネット伯爵は私で、あなたはその夫と言う立場なの。
もしあなたが私の夫ではなく、ボリスの義父でもなければ、本来あなたは騎士団長としてボリスに忠誠を誓う存在。それなのに、王家と当主たる私に楯突こうだなんて、正気の沙汰じゃないわ。
あなたの言ったのは、お家乗っ取りよ。貴族の風上にも置けないと、弟子爵は即座に貴族籍からもあなたを除籍したから、現在のあなたは平民のトドル。頭が高いわ、控えなさいよ!」
セルディカからもたらされる多くの情報に、自分の身分が無くなってしまったことを知って、愕然とした表情のまま固まった。
「そうそう、あなた、当主の邸に忍び込んだ平民なのだから、それ相当の重い処分を覚悟なさい。さあ、さっさと憲兵所に連れてっておしまいなさい」
トドルに冷たい視線を向けたセルディカの命令を受けて、騎士達がトドルを引き摺っていった。
「お騒がせして申し訳ありませんでした、閣下」
セルディカが隣で全く表情を動かさない大男を見上げて謝罪すれば、
「いやいや。これで私の娘とボリス次期辺境伯を蔑ろにする者は居なくなった、それは僥倖」
と、にこりともせずに言って、では失礼と部屋を出て行ったのだった。
セルディカはトドルのことを婚約者だった時には愛していたけれども運命によって別れた時きちんと踏ん切りを付けてテオドールと婚姻した。
それこそ二重生活を送っていたテオドールは、王族の矜持として妻であるセルディカを大事にしたし、決して王都の内縁との色恋をセルディカに見せるようなことも無かった。
そんなテオドールとの結婚生活は、快適で彼を夫として、ボリスの父親として愛していたと言っても過言では無い。
彼が訳あって急逝してしまった時には本当に悲しかったし、彼との思い出を胸に一生を寡婦として過ごそうとも思っていたのだ。
そして、運命の悪戯に翻弄されてトドルと再婚することになった時に、15で別れた時の思いとは違う、新しい思いでトドルを愛して、失望して、枯れたのだった。
ベネット領の復興にかかった多くの費用を王家と側妃の実家から援助された恩と契約を、自分が産み育てたボリスを、復興に尽力してくれた私の領地と領民を、秤にかけてトドルを選ぶ訳があるまい。
況してや、子のいるセルディカをわかっていて婚姻したくせに、子だけを捨てようだなんて許される訳が無い。
そんな非常識な男を愛すると思われていたのも、受け入れられない。
セルディカは運命に翻弄されたとて、いくら流れに乗っていただけに見えたとて、それでも跡取りとして領主として、ここまでやって来たのだ、それを無視して舐められたものだ。
セルディカはその後暫くは領主として、王都から戻ったボリスを後継とする為の教育や引き継ぎをしっかりとしつつ、王家と公爵家の力も多分に借りながら騎士団もまとめて、後顧の憂い無く隠居して、ボリスとその子たちの成長を見守りながら長生きをして、『良い人生だったわ』と言うのが最期の言葉であった。
そう言えば、かつて婚約を白紙にされた時のまま、セルディカに愛され続けていたと勘違いしていたトドルは、領主邸への不法侵入の罰、鞭打ち100回の怪我が元で呆気なく亡くなって、共同墓地に埋葬された。
死ぬ時までセルディカの名を呼んでいたとか、なんとか。
粘着勘違いなままで滅したのだった。




