崩れた横流しの仕組み
審査が終わったあとも、集会所の机は片づけられなかった。
書記官たちは部品箱と帳簿を一つずつ並べ、納品番号を読み上げていた。水門七番に届いたはずの歯車十二個。そのうち四個は、倉庫の記録から消え、隣領の工事現場で使われていた。弁座も同じだった。八個のうち三個が別の荷札をつけられ、別の工事の費用として請求されている。
数字を線で結んでいくと、横流しの仕組みは思いのほか単純だった。
組合が製造所へ正しい数を発注する。製造所は組合の納品印を押し、いったん倉庫へ運ぶ。そこでヴァルドの指示を受けた者が一部を抜き取り、隣領の工事用の荷札を重ねる。組合の帳簿には全量を納めたと記し、隣領へ送った分は別の購入記録に書き換える。不足した現場には、納品が遅れている、検査に不合格だった、監督官の確認が済んでいない、と理由をつけて時間を稼いでいた。
壊れた水門の責任は、いつも現場に残された者へ押しつけられた。
「ここを見てください」
ニコが帳簿を広げた。
「同じ部品番号なのに、納品先の欄だけ違う筆跡です。しかも、日付の横にある黒い印が、途中で削られています」
マルタが刻印板を重ねる。
「削られた印の下には、組合の倉庫番号がありました。別の名前に変える前の番号です」
リゼットは紙の上に並ぶ数字を見つめた。以前なら、複雑な不正の裏にはもっと巧妙な仕掛けがあると思ったかもしれない。けれど、仕組みを支えていたのは、特別な魔法ではなかった。確認する人がいないこと。疑問を口にした職人が黙らされること。そして、困っている現場が互いに分断されていることだった。
「これだけの帳簿を、どうして今まで誰も確認できなかったのでしょう」
双子の兄が問うと、エドガルが答えた。
「組合長が倉庫、発注、検査の三つを同時に握っていたからだ。記録を照らし合わせる役目も、彼の部下が担っていた」
「一人に権限が集まりすぎていたんですね」
「一人だけではない」
低い声が入口から響いた。
人々が振り返ると、セドリックが立っていた。いつもの商会の上着を着ていたが、顔色は悪い。手には厚い革張りの帳面が抱えられている。
「商会も、この仕組みに使われていた」
彼はそう言って、帳面を机へ置いた。
リゼットは黙って彼を見た。
「私たちの商会が隣領へ部品を運んだ記録だ。依頼主は水利組合ではなく、別名義の請負業者になっている。だが、支払いは組合の口座から出ていた」
「それを、あなたは知らなかったのですか」
エドガルが尋ねた。
「すべては知らなかった。だが、数字が合わないと気づいた者はいた。私は……確かめる前に、問題のない取引だと思い込んだ」
セドリックはリゼットへ視線を向けた。
「君の設計図を利用した件も、商会の上の者が関わっている。君の名を使えば、粗悪な修理案でも通りやすいと考えたらしい。これも記録にある」
集会所の空気が重くなった。
リゼットは帳面に手を伸ばさなかった。
「なぜ提出するのですか」
「商会を守るためだと思っていた。だが、守るべきものを間違えていた」
セドリックの声に、以前の余裕はなかった。
「このままでは商会も、私も、横流しを知らなかったという言葉だけで逃げることになる。知らなかったことが罪でないなら、確認しなかった責任も問われないのだろうか」
書記官が帳面を受け取り、提出者の名を記録した。
「取引記録は追加資料として受理します。商会についても調査対象となります」
セドリックは一瞬だけ目を伏せた。逃げ道を失った顔だったが、反論はしなかった。
その日の夕刻、役所から正式な通知が届いた。
ヴァルドは組合長としての権限を停止され、倉庫と帳簿は封印された。横流しによって不足した部品の数、工事の遅延で生じた損害、農地に届かなかった水の量を確認するため、補償審査が始まるという。
被害を受けた農夫たちは、すぐに笑顔にはならなかった。失われた収穫も、壊れた道具も、過ぎた季節も戻らない。それでも、誰の責任か分からないまま諦めるしかなかった日々に、ようやく終わりが見えた。
工房へ戻る道で、エドガルが言った。
「君の聞いた声は、最初の扉を開けただけだったな」
「ええ。もし声だけを信じていたら、きっと途中で間違えていました」
「それでも、君がいなければ扉を見つけられなかった」
リゼットは足を止めた。
「あなたは、私の力を恐れていましたね」
「今も恐れている」
意外な答えに、彼女は眉を上げた。
「力そのものではない。人が、便利な力を理由に考えることをやめるのが怖い。君がそれをしないと分かってから、恐れ方が変わった」
「恐れ方が変わる?」
「警戒しながら、信頼することにした」
夕暮れの水路に、薄い光が揺れていた。
リゼットは小さく笑った。
「ずいぶん不器用な信頼ですね」
「監督官としては、正確な表現だ」
「では、共同責任者としては?」
エドガルは彼女を見る。
「これから、もっと正確にする」
工房では仲間たちが、回収された部品の一覧を作っていた。マルタは刻印を写し、ニコは補償額の計算を始め、双子は新しい運搬経路を地図に書き込んでいる。
リゼットは帳簿の空いた頁を開いた。
そこへ、失われた部品の番号と、返されるべき人々の名前を書き始める。
崩れた仕組みを直すには、壊した者を罰するだけでは足りない。誰も一人で権限を握らず、記録を隠せず、困った者が声を上げられる仕組みを作らなければならない。
それは、これまでよりずっと大きな修理だった。
けれど今のリゼットの隣には、同じ図面を覗き込む仲間がいる。もう、ひとりで背負う必要はなかった。




