Ⅺ:駝鳥
“マグノリアより転送 報告データ 受信”
左耳の小型音声通信機に報せが入ると、男は安定熱供給に護られた二重構造の硝子張りの連絡通路を大股で歩きながら、独り、不機嫌に眉を顰めた。その物々しい様相に、平和を生きる往来の人々は本能的に目を伏せ、道を開けて当たり障りなく通り過ぎてゆく。理由のひとつには、午前の中央都市を訪れるにあたって、いつもの草臥れた服装を改め、防弾繊維製のハイネックとスーツを堅苦しく着込んでいるせいもある。さらには、管状道路の第一チェックゲートでアルコールの残留指数について検問AIから、解りきったご丁寧な注意を受けたことも癪に障った要因のひとつだった。
清潔感を誇張した、やわらかな白と浅葱色を基調とする分岐ゲートに辿り着くと、男は右側の入場ゲートの前に立ち、中央にある円い鏡面の中に手の平を翳した。指紋から個体識別用集積回路の認証を終えると、鏡の縁が浅葱色に細く円を描いて点灯し、扉はガスの抜けるような静音と共に両側へと吸い込まれ、無愛想に来訪者を先へと促した。淡白な細いリングが照らすクリーンゲートに一歩立ち入ると、すぐさま滅菌システムが作動し、微細なミストが天井と床付近から噴射されはじめた。さわやかな加工の下に隠された微かな刺激臭が鼻腔を刺す。男は数歩先に見える先の扉を目指して霧の中を進んだ。無色透明のセキュリティスキャンが身体を通過するあいだ、壁の向こうから無数の目に観察されているような、嫌な緊張感が幾らか動きを強張らせた。そして、扉の目前まで来ると、たちまちミストが晴れ医療機関のお堅い検問AIは“Wellcome”と、機械なりの愛想を述べて男を快く招き入れた。
左手首に巻き付けた、大きなムカデのような腕輪をひと撫ですると、男は密かな安堵と共に施設内へと踏み込んだ。
眩しすぎるほどの採光に眼を細めながら、コンサーバトリーのような広々とした空間をひと通り見渡した。中央都市の社会基盤施設を構成するひとつである、この施設では都市で暮らす人々が求める利便性、安全性、快適性、そして徹底した温度管理までもが綿密に計算され尽くしている。ハイレベルの知能を備える柔和な人造人間による安定した心理的サポートや、精神面による回復への影響までもが熟慮された施設内の環境は、管理統制の厳重な放射線型都市の中央に集中する高層ビル内とは思えないほど、隅々まで開放的明るさが行き届いているように思えた。
しかし、夜行性の獣にとって、狩には圧倒的不利な環境でもあった。
自然光が燦々と降り注ぐ吹き抜けのロビーには、透明なパイプを束ねたような円筒の小型エレベーターを軸に待合の椅子が波紋型に設置され、そのあいだには多種多様な観葉の人口植物が規則的に並んでおり、人々の動きは主にその辺りに集中していた。大型の植木鉢も壁際の所々に佇んではいるが、身を隠すには心許ないな、と男は用心深く判断した。
ゆったりと歩きながら鋭い観察眼で患者や建物の構造を見回していると。不審を見抜く怪訝な視線と幾つか繋がった。厳しい身体つきに纏った濃色のスーツのせいもあるだろうが、明らかな異質の扱いに、男は通報を警戒して真っ直ぐ受付に向かうことにした。
受付専用の人造人間に端的に要件を伝え、IDの登録を済まして療養個室のナンバーを聞き出すと、足速に無人のエレベーターへと乗り込んだ。
こんなことでもなければ、日中の活発な社会基盤施設を訪れることもないのだが、致し方ない。
十三階へ向かうわずかな時間を利用して、男は浅葱色に透ける筒の中で窮屈な腕を懐に回し、前を開けたシングルジャケットから直感通信端末を取り出すと、マグノリアから送られて来た遅すぎる送信データを開き、スクリーンを睨んだ。
“転送 パンサーの報告内容
Code:Orpheus 05032065
3.15 カレロ 沈黙
“白い悪魔”事件の島にて救援活動時に“シュトラオス”と名乗る人物と接触。
人権侵害、人体損壊遺棄、医療薬悪用、危険因子侵入幇助を自白したため
抹消を選択。
シュトラオスは現在医療機関のIDを所持(共有済)
医療過誤隠蔽処理、麻痺薬提供等を条件に以下の目的のもと
カレロに接近したと思われる。
・個体識別用集積回路奪取、移植
・集結協和都市心臓部への侵蝕、撹乱
・議会懐柔、利権獲得、内部崩壊
現在進行中と予想される危険因子の動きついては以下の通り。
・調査中孤児養護施設、臓器贈賄関与
・懐柔された医師による殺人、患者悪用、薬物汚染
・社会基盤施設への危険因子蔓延
・シュトラオス、 “白い悪魔”事件、原子力開発関与の可能性
なお、奪取されたIDに於いては、地下巣本部にて対処法を検討
ウィーゼル、マグノリアと共有済み。
引き続き医療機関内とカレロ自宅付近を調査する。
その後、パンサーは郊外私有区域のカレロの豪邸内で倒れているところを地下巣本部の追跡によって発見された。同僚である救助隊員たちが駆けつけたところ、パンサーは鋭利な刃物による無数の裂傷を負い、背中や脚に至っては針の筵にされた状態で出血多量により昏倒していた。頭蓋骨や頚部に至る傷もあったようだが、まだ意識のある間に自ら簡易的処置を施していたようで、何とか一命を取り留めた。
若い青年を残虐な苦痛に至らしめた犯人は、幼稚で悪質なブービー・トラップだった。透明なワイヤーをエントランスの床に張り、殺傷能力の低いメスやカミソリなどを詰め、榴散爆弾を模した手製の罠を仕掛けて侵入者を生捕りにするつもりだったのだ。カレロ自らの知識によるものか、それとも何者かの入れ知恵なのか ─── おそらく後者だろう、と男は睨んだ。
高度な人感センサー型や照射レーザーなら直感通信端末が漏れなく感知するものを、文明を嘲笑うかのような狡猾な所業に、男はますます業を煮やした。
“目標 100メートル”
人気の薄い十三階に到達すると、追跡モードが射程距離に入ったことを報せた。奇しくもパンサーの個室と同じ階だ───。エレベーターのゲートが開くと、目の前の舵輪のスポークのように架けられた短い橋を導かれるままに渡り、無機質に静まる医療機関の深部へ急いだ。
エリアDの療養個室には通常、常駐の医師が二人、残るは看護用人造人間が十体。しかし、何故かこのエリア内には、第三の医師が存在した ───。
「その部屋に何の用だ、医師シュトラオス」
白衣の男は、ぎょろりと眼を剥いて、低く轟いた声の方へ振り向いた。この地上都市でその名を呼ぶ者は無いはずだ。慄くあまり、硬い石の唾が喉を降った。
「遠征医療が専門のはずだろう?道を間違えたのか?ここは、俺たちの縄張りだぞ」
廊下の突き当たりから迫り来る、見憶えのない男の燃え盛る威圧感に、シュトラオスは息を呑み、思わず半歩退いた。
「・・・何者か知らんが下手なことはよせ、すべて観られてるぞ」
互いに武器の無いことを知る顔は、突起の目立つ頬を引き攣らせ、薄弱な勝算に賭けた薄笑みで虚勢を張った。しかし、鬣のような褐色の髪を燃やす大男は微塵も動揺を見せず、シュトラオスの眼前に悠然と仁王立ちになった。
「心配は無用だ。俺の指示ひとつでお前の身体を吹き飛ばせる」
「何だと?・・・ふん、虚仮威しか」
「同意書を読み飛ばしてチップを埋め込んだのか?早まったな。手足を失いたくないなら白状しろ。教会のブラトヴァと共謀して議会を狙ったな」
「・・・調べがついているのなら、言うまでもあるまい」
「“白い悪魔”はどうだ。お前は事件のあと、島に居た。悪魔を呼び起こしてあの爆発事件を引き起こしたのは、お前たちの仕業か」
「我々は、やつらを利用しただけだ。───自惚れた科学者どもだよ。原子の力を狂信し禁忌を破ってでも文明を再生させようとしていた。それを、支援したまでだ」
「─── 煽動したんだろう。このことがコルウスに知れたら、命はないぞ」
「あの男は、今や虫の息だ。恐るるに足らん」
男は弾丸のような速さでシュトラオスの頸を捕えた。一瞬で左腕を捻じ曲げられ、両膝を折った状態で壁に右肩と頭を擦り付けられた白衣の男は、脳の処理が今ごろ追いつき、痛みと共にじわじわと危機感が沸き起こってきた。頸の後ろに、冷やりと不気味な冷たさが触れている───。極度の緊張に紅潮した筋の走る頸はダチョウのように紅く伸び、何度も喉仏を上下させた。手加減なく壁に押し付けている男は、腕輪が変化したブレスレットナイフの刃先に、襟足の汚らしい髪の間から小さな紅い雫を伝わせた。
「俺は今穏やかじゃないんだ。余計な口は慎んだ方がいい。最後の質問だが、これはすべてヴァルチャーの指示だな」
「いやコルウスだ・・・すべてあの男が仕組んだことだ!殺るなら、あの男を───」
「地獄に還れ」
延髄をひと突きすると、白衣の男は電池が切れたように壁にだらりとぶら下がった。
背後の男は片手で傷口を圧迫したまま淡々とナイフを上着の裾で拭って左手首に戻し、慣れた手つきで懐から止血パッドを取り出すと、の滲む生え際の一直線の傷口に貼り付け、乱暴に強く押さえ込んでから、シュトラオスだったものは、ようやく壁から解放され、清潔な白い床へと布のように畳み堕ちた。
「獲物沈黙、マグノリア、あとを頼む」
“了解、すぐに回収に向かうわ”
白衣の遺骸を床に転がしたまま、男は上着を整え、波打つ髪を後ろへ軽く撫で付けて、療養個室の扉に手を翳した。
扉が音もなく開くと、再び眩しい陽光に眼を細めた。淡白な光に包まれた小部屋のベッドに横たわる、たくさんの管と機械に繋がれた青年は、訪問者に気がつくと少し身体を起こし、何処か哀しげに微笑んだ。
「レフ、来てくれたんですね───」
その時男は、ここの瞬間に至るまで延々と苛まれていた掛けるべき言葉のすべてを忘れた。包帯と白いパッドだらけの痛々しく傷ついた青年の顔を自らの瞳に突き刺すように見つめながら、ゆらゆらと歩み寄ると、豪傑の獅子は倒れ込むように大きな身体で青年を包み、何も言葉に表せないまま、その確かな鼓動を聴きながら、ただただ、唇を震わせた。
夜の、匂いがする。─── 黴と、土と、家畜と、下水と、そして、錆びた死の臭い。
重い鉛のような頭をわずかに動かすと、硬い土と砂利がごりごりと頭皮を傷つけ、まだ身体は生きているのだと実感した。瞼の裏に、横たわる老いたアカシカの、灯火が消えゆく瞳が甦ってきた。あの、生きながらにして喰われる、希望の潰えた顔は、何を思っていたのだろうか ───。
今なら、あのアカシカの心が、自然と解るような気がした。
足音がする。
死が、遠くから、一歩、一歩、と近づいて来る。
身体は、もう動かない。
「昼間とは違って、静かな夜だ。俺たちのことを、庇ったのか」
聞き覚えのない声だ ───。身を横たえたまま、耳だけを声の方へ傾けた。すると、今度は“あの男”の、少し嗄れた低い声が応えた。
「・・・色々、忙しくてな。話す余裕がなかったんだよ。こいつは、下手すると手首が吹っ飛ぶ仕掛けの代物か?」
「そんな気の利いた物がここに在るか、ただの使い旧した手枷だ。あの話だが・・・仲間にも話してみたんだが、そんなうまい話があるかと一蹴されたよ」
「同感だな」
「昼間の威勢はどうした、やけに荒んでるな」
「・・・あの女と繋がっていやがったな。俺を拷問したって無駄だぞ」
「俺たちじゃない、イリーナはあんたの仲間だろ。さっきあんたに伝言を受け取った。“今夜”と、一言だけな」
低く声を潜めた会話は途切れ、夜の沈黙が流れた。しばらくして“あの男”が身体を動かしたらしく、鎖を引き摺るような不自由な音が地下洞に響いた。
「こいつを俺に渡したのは、信頼の証だと思っていたが、これを見越してか?」
「───いいや。俺はいつも、行き当たりばったりさ」
錆びた鉄が強引に擦れるゾウの悲鳴のような摩擦音が聞こえると、地面に放られた重い鎖の金属音が大きく鳴り響いた。そして、足音が四つ脚になって進み出した。
「おい、出口は向こうだろ」
「昼間の騒ぎは、またシビルが何かしでかしたんだろう?」
「口が効けないのに名前を知ってるのか」
「自分で名乗ったのさ。山で見つけて、俺がここへ連れて来た。アセナたちが森で育てようとしていたが、酷く憐れに見えてな。もっと、人間らしい暮らしをさせてやろうと思ったんだ・・・だが、余計なことをした」
「名のある民族か?その、アセナというのは」
「シベリアオオカミだ。大きな雌だが、永年連れ添った雄を人間に殺され、リーダーとして群れを育て、今や森の頂点に君臨している。─── 撃ったのは、莫迦な連中だ。先住民が崇める“白銀の神々”とも知らず鹿肉と毛皮欲しさに安易に殺して、自分たちが腑を喰われ、鞣し革にされたんだからな。あれは、自然界からの見せしめだ」
「それでも、人間の子どもを護ったんだな───」
四つ脚の静かな足音がすぐ傍で止んだ。
白銀の豊かなぬくもりが、冷たく乾涸びた肌にやわらかく触れた。琥珀色の気高き光を宿す聡明な瞳に導かれ、少年は、暗闇の中からもう一度瞼を開いた。
「もうお前は自由だ、シビル。何処へでも行って、好きなように暮らすといい」
二人の男は鉄の檻を開き、傍に屈んで手足の枷を外すと、無気力に垂れた身体を支えて起き上がるのを手伝った。
ほとんど引き摺られるように抱えられながら、白い月明かりが淡く差し込む仄暗い地下洞を歩いた。何度か角を曲がり、狭い石の間を通り抜け、融けた蝋燭が灯された急な階段を登った。
金髪の“あの男”は一度も手を出さなかった。黙ったまま少し後ろをついて歩き、時折辺りを警戒し、寝静まった青い夜の地上へ出ると、瞼が目尻に掛かった天色の瞳で、静かに月を見上げていた。
「ほら、これを持って行け」
教会の中庭を通り抜け、朽ちた壁と白い柵の間を忍び足で通り抜けると、蛇の縄を被ったような頭の片脚の男が、襤褸衣の懐から口を縛った茶色い布袋を取り出した。顔の前に差し出された少し重みのある袋を受け取って中身を覗くと、硬い肉の板が数枚と木の栓が埋まったガラスの瓶が入っていた。
「貴重な食糧だろ」
「いいさ。あんたのボスが欲しいものは何だって恵んでくれるんだろう?」
男たちは、慣れ親しんだ旧友のような顔で会話している。
「さあ、行っていいぞ、シビル。もう、戻るなよ」
少年は、月明かりのもと、ふたりの男の顔を蒼く冷たい真顔で一心に見つめた。男たちは、幼く透明な紺碧の瞳に宿る高潔な獣に、思惑のその一滴の澱みさえもを見通されているような、その先の運命を訊ねられているような、神秘的な瞬間に立ち会った。
不意に、背を向け、若い狼は、去った───。
「助けは来ないのか」
白い檻の門を潜り抜け、月夜に浮かび上がる蒼白い草原を奔放に駆けてゆく幻想的な少年の背を、男は遠い瞳で静かに見つめていた。その、あらゆる柵から解放された、在りのままの心の姿は、永い間抱えていた棘の苦しみや、硬い胸の痼を、共に連れ去ってくれたような、寂しさと清々しい余韻を遺していった。
「来ないさ。俺の独断だ。自分でケリをつけるしかない」
フィスィは、早春の夜冷えに肩を竦ませながら、身包みを剥がれ、ベルトに黒い銃を挿しているだけの無謀な薄着の男を横目で見遣った。その顔から昼間のあの険しさは消え、何故か憑き物が落ちたようなさわやかな表情を湛えている。しかし、永年の経験から導き出される、その顔が意味するものを、フィスィは今、まともには受け入れ難かった。
「ありがとう、フィスィ。話せてよかったよ」
ジャッカルは、広大な無限の自由に背を向けると、その運命に手繰り寄せられるように、崩れかけた教会の闇へと再び姿を消した。




