第七声「お願いいたします。絶対にアサンを救って下さい!」
どれほどに声をあげたであろうか。ルインネイスの声に応える者は誰一人いない。犠牲になったかもしれない宮中の者たちを思うと王女の感情は激しく渦を巻いた。信頼するアサンもそうなるかもと悪い想像が止まらなかった。
「全く冷たいですね。わたくしは」
深い悲しみを感じつつも、状況が絶望的であることを冷静に受け止めている王女自身もいた。だからこそ彼女は侍女から離れず、終始笑顔を浮かべていた。
「聖龍に魅入られし忌子ですか。叔父様の言はいつも正しいですね」
一度ちゃんと謝らないとと苦笑する。
生真面目なフリザニス大公の辛辣な言葉のひとつひとつが蘇る。
また乳母のロイマーが聖龍を賛美している様子までも。
「!?」
ならば、まさかと。王女はお尻ほどまで伸びる髪を大雑把に結びあげた。
「フラウバルクリム、力を貸しなさい! 勇者の母たる力があるのならばそれ以てアサンを救いなさい!」
侍女の手を強く握りしめ、ルインは祈りの言葉を暗唱する。一言一句違えることはない。聖書であっても総て暗記している。確信はないが、縋れる奇跡があるのなら、諦めたくないとの一心だ。
「どうかアサンを、わたくしの親友を救って!」
王女の小さな胸が熱を帯びる。熱は血液の如く体を巡り、その速度を加速させていく。ルインネイス本人には自覚できていないが、身からは黄金の微粒子が柔らかく立ち上っていた。 力の奔流と呼ぶには拙いが、それは確かに生まれ出たのだ。
「フラウバルクリムよ、感謝いたしますわ」
正体はわからなくとも、温もりはわかる。
これでアサンは助かるのだと、王女は熱を侍女へとゆっくりと伝導させていく。
※
密閉された王女の寝室に吹雪が吹き込んだ。気温が急激に低下して、暖炉の火はかき消える。 不意の気配にルインネイスが振り返ると、大窓が厳重な防寒扉ごと真横に斬り断たれていた。遅れて切断音が耳に届いたことで、王女は銀扇を咄嗟に身構える。
「そこまでにしてもらおうか、アイセンブルグが小さき王女よ」
窓の縁に悠然と降り立つ。一面の銀世界と荒れ狂う雪と風。空には黄金の円環。それらすべてを背景に青年は微笑を浮かべていた。
「君がそれ以上、フラウバルクリムの力を行使するのならば少々困ったことになるのでね」
侍女と同じく黒い髪と黒い瞳、褐色の肌をした美丈夫。年のころならば二十代前半であろうが、見た目だけの情報だ。彼の背負うもの総てには黒よりも尚深い闇がまとわりついている。彼が優秀な魔術師の類であっても、ただの人間では有り得ない。
「警戒しなくていい、は無意味だな。この状況ではどんな愚者だって警戒する。とは言え時間が僅かなのは君の方だろう?」
ルインは眉ひとつ動かさなかったが、漆黒の美丈夫はちらりと寝台に目を向ける。
「信用・信頼とはそれなりの時間を要するもの。ならばこれは賭けるか否かの問いになる。俺であれば君の侍女を治療する術がある」
「お願いいたします。絶対にアサンを救って下さい!」
ほう。美丈夫は可笑しそうに口角を上げる。
同時に、何者かへの合図を送ると、侍女の目前に魔女が現れて深い詠唱を始めた。
「即決とは恐れ入るな。俺を信用したわけでないのは理解できるが」
「わたくしにも、この王宮にはアサンを治せる者はいません。ならば考えるまでもありません」 「人外の業にて現れた俺たちに己が大事な者を託すか、雪国の姫君よ?」
「たとえどんな姿になろうとも、わたくしを忘れようとも、アサンはわたくしの生涯最高の親友です」
「噂とはかなり異なるが面白い。コーディニアス!」
呼びかけに魔女は頷いた。
「はい。回復は可能です。命は取り留めましょう。ただ」
「どうした?」
「砕かれた右腕の完全治癒は難しく、後遺症が予測されます」
美丈夫はルインネイスに視線をやる。
王女は視線で了承を返した。