第八声「演じるのならば、せめてわたくしなりの理想像を演じてみせましょう!」
魔女の治療は時間を有した。
ルインネイスはその間ずっと、侍女の隣で手を握り続ける。
苦しそうな苦鳴が漏れるが、外傷が塞がり、徐々に顔色も改善されている。壊れた窓から吹雪は吹き込まない。美丈夫か魔女かがなんらかの術技を行使したのだろう。
「ルインさま」
「アサン、もう少しの我慢よ。すぐに良くなるわ」
うわ言のように王女の名を口にする。ルインもそうと知りつつ、応える。
一度だけ瞼が開かれた。黒い瞳が蒼眼と交錯すると、彼女は安堵したように意識を失った。
「これで治癒の術技は終了しました」
「感謝いたしますわ、素敵なお帽子の魔女様」
大きな帽子の魔女は眉をひそめて、美丈夫に対して礼をとる。
「傷自体は塞がりました。しかし、それは自己治癒力の範疇のこと。今は大きく体力を消耗して眠っています」
「流石に潰された筋繊維の再生までは叶わないか」
「重要な臓器のみを優先いたしました。これ以上は被術者の命に関わりますので」
美丈夫は鷹揚に頷いてから三冊目の書を途中で閉じた。
「そういうわけだ、アイセンブルグの姫君よ」
「充分ですわ。わたくしの親友をお救い頂いた御恩、生涯忘れることはないでしょう」 「では、本題に入ろうか?」立ち上がり、王女に対して手を差し出した。
「これより姫君には我が城までのご側路と、恒久的滞在を願おうか」
うっすらと張り付いた嫌味のない微笑からは、美丈夫の真意は読み取れない。魔女もいつの間にか姿を消していた。静かに寝息を立てる友を背後に庇いながら、王女は首をかしげた。
「随分と珍妙な仰り方ですね、大陸東端の元首様は。力づくなり、恩を売るなりして連れて行けばお話は簡単なのでは?」
「相手と目的によるだろう、姫君? 力づくでは抵抗される。満身創痍でも清浄協会の予言にある龍の遺志を持つ者だ。先の闘いを見るまでもなく、互いに無事では済むまいて」
「やはりご覧になっておられたのですね」
「いい趣味とは言えんが、姫君のことを知りたくてね。案の定、見た目からは想像できないほどに苛烈だったな。あの男を無力化したのは偶然なのだろうが、竜の遺志は確かに宿っているようだと確信できたよ」
「龍の遺志……ですか?」
「それもおいおいに説明するさ」
「勿体ぶるのですね」
「今度は俺の時間が限られているからな。黄金の円環が終わるまで残り数刻。このままでは聖龍の封印が強くなり、俺は灰になってしまうよ」
おどける美丈夫に対して「それは嘘ですね。ただの日蝕なんてあなた方には欠片の害を与えることもできないでしょう?」
「ほう。何故そう思う?」
「時間がないのならば、それこそ無理にでもわたくしを連れ去るべきでしょうし。こんな悠長に話している場合ではないと推察いたします」
「地頭はいいようで助かるな。一方でやはり脅威でもある。恩を高く売りつけたとて同行は叶いそうにもないがね」
「目的が見えませんしね。それに知らない男性の城に遊びに行ってはいけないと、ばあやに教えられておりますゆえ」
違いない。男は声を上げて笑って見せた。
「もしも、この幼少体躯なわたくしを娶りたいと仰られるのなら一考いたしますわ、デモナリアの元首様。わたくしの婚約者様よりは好みのお顔立ちです」
「体躯で妃を決めるつもりはないが、俺はもっと凹凸がある方が好みだ」
「わたくしはまだ十五歳、伸び代はありますわよ?」
「かもしれんし、そうではないかもしれない。いづれにしても妃を求めているわけではない。姫君のその才覚を俺と我が国のために使ってほしくてな」
「まあ。結局は能力目当てではないですか? まったく殿方とはお元気なのですね。こんな愛くるしい小国の美王女をかどわかそうだなんて」
「俺たちは世間で怖れられている魔物だからな。魔物や化け物は理性なく誇りなく、欲望を満たすものと決まっているさ」
表情は変わらないが、美丈夫はどこか自嘲気味だ。それでいて何かを諦めているわけでもない。想いは真逆、彼は何かを欲しているのだ。
「これほどに正直な方にお会いするのは初めてですね。天下一の大嘘吐きよりも性質が悪いなんて」
「そういう姫君は大嘘吐きだな。本心を隠し過ぎたが所為で、誰も彼もが君を理解できずにいる。君の親友とやらでさえ、真意に気付けない。どうしてそこまで覆い隠す?」
「わたくしが……」
「無自覚か? まあ、そうだろうな」
悪意はないが、真に可笑しそうに笑う美丈夫に対してルインネイスは頬を膨らませる。
「大嘘吐きは撤回させてもらおう。君はきっと演じているのだろうな。君が必要とされるような、ありもしない幻想の姿を」
「演じている、と?」
「君はきっと自覚できている。どれほどに腹の奥底を探ろうとも、そこに温かいものなど見つからないのだと。それどころか、アイセンブルグの大地のように冷たい蛇が蜷局を巻いている様を垣間見てしまった」
王女は先頃の、暗殺者とのやりとりを思い起こした。確かに、あの時は親友を傷つけられたことに怒りを覚えた。運良く相手を無力化できたからことは済んでいたが、そうでなかったら、彼女は男を一体どうしていたのだろうか?
「心配するな。そんな本質は誰しも抱いているし、誰の内にも潜んでいる。特別なことではない。君が他と違うとすれば、潜んでいるモノが龍であるということだけだ」
「聖龍、フラウバルクリムが?」
「あれは聖龍などではない。協会の祖がそう呼んでいるだけだ。アレとても本質は俺たちとそこまで違うものではないはずだ」
親友ではないので断言はしかねるがね。おどけて肩をすくめる仕草に、ルインネイスもつられて笑みを浮かべた。
「しかしながら、この御世にはそんな流言をありがたく祀り上げて、尚且つ歪め、己が利益にする者が存在している。連中にはきっと君が目障りなのだろうな」
「道理で敵が少なくはないはずですね。使い方もよくわからない不便な力など、いくらでも差し上げようと構いませんのに」
「いつの世も、持てる者には持たない者の気持ちはわからないさ。逆も然り」
「だから、わたくしに母国アイセンブルグを捨てよと仰られますか?」
「言ったはずだ。俺は君の才能を使いたいのだと。それらしい理由など知ったことではない。それに姫君も薄々感づいているのだろう?」
声が届くより前に、王女は理解した。
「アイセンブルグは、君にとって狭すぎるのだと」
「それは……」
「この小国に置いて君の威光は絶大なのだろう。しかしそれだけだ。君はすぐにアイセンブルグに興味を失い、やがて覇道に舵を切る。いいや、そういう役を演じ始める」
「なにもかもを見透かせるとでも?」
「そこまで傲慢でもない。だがひとつだけ助言はできる。他者の望みの姿を演じるよりも、自らの本心を曝け出す方が後悔は少ないはずだ」
出会ったばかりの魔王の言は、叔父のフリザニス大公ほどに鋭利ではないものの、本質は同じ。
ルインネイスは大事な親友が苦しんでいることを知りつつも、主体的に救おうとはしなかった。まるで土足で心に踏み入るように感じて、逡巡してしまった。本当に辛いときには何かしらの相談があると思っていた。親友の苦悩を見誤っていた。
「わたくしはアサンの気持ちを理解し切れていなかったんでしょうね。あの子がここまで苦しんでいること、知っていたはずなのに、理解っていませんでした!」
安らかに息を漏らすアサンを抱きしめた。
「変わってしまっていたのはわたくしも同様だったのね。ありがとうアサン。こんなわたくしを慕ってくれて」黒い髪を幾度も撫でて、額に口付ける。
「演じるのならば、せめてわたくしなりの理想像を演じてみせましょう!」
執務机の引き出しの、二重底から取り出した書簡をアサンの胸に抱かせる。宛て名はフリザニス大公とあった。さらにルインネイスは王女として受け継いだティアラを書簡に添える。これだけでも、親友ならば察してくれると信じているからだ。
「総て腑に落ちました。魔王様、わたくしを大陸東端へお連れ下さいませ」 「まったく話が早くて助かるよ」
魔王が合図を送ると、破れた窓への守りが解けた。いつの間にか猛吹雪は鎮まり、柔らかな粉雪がしんしんと降り注いでいる。
窓の縁には主を待ち構えていた巨鳥が爪を食い込ませる。
「少々に手狭だが我慢してもらおうか」
「魔王様、その前に最後の大仕事をさせてもらえませんでしょうか? できれば魔王様にもご助力下さい」
「最期の大仕事、か?」
不敵な笑みに、王女も微笑を浮かべる。
「仮にもアイセンブルグが第一王女をかどわかすのですよ。我が小国のルインネイス王女であれば、易々とその身を委ねることは致しませんわ。王女は国と民に責任を抱いているのですからね。きっと身が焦がれても、最後まで抵抗し、戦い抜くはずですわ」
寝台の下からは、幾重の布に包まれた一振りの小剣。鞘にはアイセンブルグの紋章。柄頭にも氷竜の意匠。ガウンを羽織り、銀扇をしっかりと握り込む。
「なるほど、道理だ。俺の見解でもそれは自然な流れだな。だが、相手が悪くはないか? 仮にも武力でデモナリアを制した剣の魔王が直々に出向いているのだ。無用な闘いに身を投じるような愚者だとは思ってはいないが?」
「無駄ではありませんわ。我が国のルインネイス王女は仮にも勇者の母となる予言を賜った身です。負けることなどありえません」
「俺も知る限り、剣の魔王が膝をついたなどという話が耳に届いてことはないな」
「うふふ」
「はっはっは!」
決して和やかなものですらない。楽しみながら、互いに闘気を迸らせる。
「いいだろう! こちらのほうが俺の流儀にも適う。下で待っているぞ、雪国のルインネイス王女」
漆黒の美丈夫は巨鳥に飛び乗り、足跡ひとつないだだ広い雪原に降り立つ。
「アサン行ってくるわね。あなたのためなんて言わないわ。わたくしのために戦うの! なにもかもと!」
王女は窓縁に立ち、魔王と雪原と、極寒の大地を見渡した。
世界の総てを見たわけでもない。知識でしか知り得ないことの方が圧倒的に多いのに、今だけは母国の大地が最も美しく思えていた。
「ルイン……さま?」
「アサン見ていてね、最後まで! アイセンブルグが王女として立派に闘いぬくから! いつかまた、必ず会いましょう。約束よ!」
十五歳の少女らしい屈託のない笑顔を見せて、王女は自由落下にて決戦の舞台へと赴く。
「ルインさま!」
王女が好んだ柑橘の香油。その残り香だけがあり、徐々に薄れていった。




