第十声「全部、見透かされておいでになられて」
王宮は大混乱の極みに呑まれていた。国の精神的主柱でもあった王女が略取されたこと。王女の寝室に倒れる謎の男、他にも奪われた少なくない王女の側近たちの命。前後不覚ながら無事であった侍女アサン。人外の業にて結果ごと破られた大窓。
それに王宮から遠くない雪原にて巻き起こった王女と略奪者との死闘。互いに怪鳥や氷竜を従える姿は、神代の物語を再現だ。 まさに勇者と魔王の闘いだ。
アイセンブルグ現王や王妃も毅然とした態度で臨むが動揺が大きい。王の実弟フリザニス大公の力強い指導力がなければ、事態の収拾にはもう三日は多く費やしただろう。
フリザニス大公の執務室を訪れる者は多い。国内向けの正式な発表や外交面でも王女がかどわかされたことで難しい調整を余儀なくされる。特に政略結婚先のフィアーガルドとの交渉には、周辺の主だった国々との関係も含まれる。
フリザニスは、ほとんど寝ずの対応を迫られる。淡々と為すべき事を為し、次々に書簡を認める。 流石に疲労が溜まり、一息をつくために冷え切った紅茶のカップに口をつけた。
コン、コンコン。
控えめに、独自のノック音。大公は「入れ」と冷たい声音を作った。
「失礼いたします」
アイセンブルグの侍女が覚束ない足取りで、礼の姿勢を取った。褐色の肌に黒の髪と目をもつ、王女専属侍女のアサンだ。
「体はもう良いのか」
「はい、恙なく」血の気の戻らない顔色に気付きつつも、大公は無関心に続けた。
「それで?」
「こちらを」と、アサンは大事にしまっていた王女からの最後の書簡を手渡した。大公は深い溜息を吐いてから、無理難題が予想される書簡に目を通し始める。書簡は上質な羊皮紙で、四~五枚に及んでいた。大公の読む速度が速いのか、一枚、二枚、三枚、四枚とすぐに羊皮紙はめくられて、最後の一枚の、下行あたりで彼の視線はようやく止まる。大きく見開いてから、額を抑えて、先ほどよりも深い溜息を吐き、書簡を机に放り投げた。
「あの大馬鹿な姪子め。最後の最後までこんな書簡しか認められぬとは嘆かわしさを通り越して、いっそ阿保らしくなる」
フリザニスは冷たい紅茶を飲み干してから、元の外交文書の作成に手を戻した。
「怖れながら大公様。姫様の書状にはなんと?」
大公は答えずに、顎先で書簡を指した。
侍女は少しの間だけ躊躇う。羊皮紙束を手に取り、遠慮がちに目を通し始めた。
程なくして、侍女の両の黒い瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「大公様……これは?」
「儂が訊ねたいくらいだ。どう読み返そうともあの姪子の手記以上の意味を見いだせぬような駄文に王族の封蝋を押すなど聞いたこともない」大公は興味がなさそうに仕事を続けた。
侍女は涙を拭うことも忘れて、文字列を追い進める。
書状にあるのは、大半がルインネイスの侍女のことだけだ。侍女の存在が王女にとってどれだけ心の支えになっているのかと。
突飛で奇怪な言動多々な小さな王女からは想像できぬ流暢な筆跡。
王女は、自身に仕える侍女がフィアーガルド王国反王子派の間諜であることを早々に看破していた。独自の外交筋を用いて、生まれ育ち、経歴までも洗いだして尚、他の者同様に扱ってくれていた。
否。きっとそれ以上に接してくれていた。
手紙には侍女の境遇や心情を慮った配慮と対応を望むことが羊皮紙数枚に渡り、事細かにあった。それは、もしも、王女が様々な事情にてアイセンブルグ王国にいられなくなった場合の措置としてだ。その場合には、きっと王女が侍女によって害された場合も含まれているのだろう。
「ルインネイス様、あなたは、どうして!」
「最も近しいお前ですら、アレの異常さには今の今まで気付なんだのではな。やはりこうなってくれたことは幸いでもある」
「大公様」
「もう理解できたであろう? あの姪子にはこのアイセンブルグは小さ過ぎるのだ。執着か義務かは知らぬ。あのまま姪子がこの国を自由にかき回すことは、つまりこの国が永遠に発展も衰退もできぬ永久凍土に囚われるも同義だ。いづれ儂でさえも、アレの掌の上で踊り続けることに成るだろう」
政略結婚でも何でも、追い出すことが叶わないなら自らが暗殺者を用立てていた。フリザニスは淡々と口にする。
「折の良いことに、フィアーガルドの反体制派からの囁きも耳に届いていた。よってお前を好きに泳がせていたのだ」
「全部、見透かされておいでになられて」
「如何な大公フリザニスとは言え、アレの従者を勝手にどうこうすることはできん。倫理や道義ではない。アレを本気で敵に回してはこの世界ですらどうにかなるやもしれんよ」大公は溜息を吐く。
侍女は文面に目を戻した。
くれぐれも、王女にとって大事な親友を害しないこと。侍女の好きなように、思うような人生を送るための手助けをするように。
もしも、万が一にでもそれが果たされない場合は、奈落の底からでも蘇り、フリザニス大公を後悔の大海に叩き落とすような内容が、強くあった。
脅しとしてはどれほどに効果があるのかは不明なれど、あのルインネイス王女であればあるいは、と思わせる説得力がある。
書状の最後はこう締めくくられていた。
お願いをきいて下さったフリザニス大公には、アイセンブルグを差し上げる旨、良い国に育てるを誓約させる旨が軽やかに踊っていた。
「そのような理屈だそうだ。どこまで行こうとも生意気で阿呆な姪子よ。しかし、アレを敵に回すかもしれない危険を冒すことこそが愚か。よってお前は好きにするがよい。ルインネイスとフリザニスが名においてお前の行動の総ては不問である」
羊皮紙数枚の書状すら持っていられぬほどに力が抜けていく。この場にいない天真爛漫で複雑怪奇な王女が威風堂々と演説でもしているような錯覚を覚える。
「目下、最も案じているであろうお前の家族のこともすでに手は打ってある。この書状をフィアーガルドへ届けるだけで、お前は自由だ。どこへなりとも行くがよい」
「そんな、わたしばかりが、どうして。ルインネイス様」
「このアイセンブルグに生きる者総てを幸せにする、とはアレの言いそうなことだ。特にお前はアレの眼鏡に適ったのだろう」
侍女はしばらく声を押し殺してすすり泣き、大公は気にせず執務を再開した。
「失礼致しました。お暇をさせて頂きます」
「アレとのこと大儀であった。息災で暮らすが良い」
侍女は深く頭を下げてから、大公の部屋を後にした。
以降のアイセンブルグにて、攫われたルインネイス王女お付きの侍女を見た者は誰もいない。




