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下僕令嬢の話


 キラキラと輝く金色の艶やかな髪。

 キリリと弓なりに整った眉。

 夜空に浮かぶ星のように輝く碧い瞳。 

 すっと通った鼻筋。

 丸く柔らかそうな薔薇色の頬。

 ぷるぷると果実のように潤った唇。

 

 もちろん、顔だけでなく着ている衣装だって素晴らしい。

 触り心地の良さそうなビロードの上衣。

 袖からはふんだんに柔らかそうなフリルの袖が覗く。

 膝丈の艶やかな黒いキュロット。

 胸に光るブローチにはこれでもかと色とりどりの魔宝石が使われている。 

 靴だってピカピカとよく磨かれていてお高そうだ。 


 どこからどう見ても王子様なファッションに身を包んだ彼は、この国の王位継承権第三位の正真正銘本物の王子さまだ。そんな童話に出てくるような王子様は、私を見た瞬間、こう宣った。 



 「きょうからおまえは、おれのげぼくだ!」



 しぃん、と音がするかのように辺りが静まり返った。



 その場は王子様の初主催のお茶会だった。もちろん、彼はまだ私と同じ五歳児なので本当に取り仕切っているのは彼の母親たる側妃さまなのだが。それでも彼が一応の主賓で。その主賓たる彼に私は下僕宣言をされてしまった。

 周囲にいた大人たちは一瞬動きを止め、王子様の宣言に目を丸くしている。親に連れてこられた貴族の子女たる子どもたちは、それまでどの子どもの存在も無視していた王子様の突然の発言に茫然とし、私と王子様を見ていた。

 言われた私はというと、周りの皆と同じく動けないでいた。正確に言うならば、実は私は王子様の話を全く聞いていなかった。童話から抜け出てきたような王子様を、ただただぼんやりと見ていただけだった。

 そしてそんな爆弾発言をした王子さまは、言い訳も撤回も何もせず、椅子の上で嬉しそうにふんぞり返っていた。その様はまさに王者の風格と言わんばかりで、堂々としたものだった。


 そして私の人生は、その一言で決まってしまったのだった。




 あのお茶会から一年。私の生活は様変わりした。そして私自身も、殿下は『物語の王子様』ではなく、『現実に生きている殿下』であると認識を変えている。変えさせられた、と言っても過言ではない。何故ならば、事あるごとに殿下からの呼び出しを受けたり、殿下が我が家に遊びに来られたりするからだ。

 元々あまり外に出歩くことは少なかったが、以前にも増して殿下がいつ来られてもいいように、殿下にいつ呼び出されてもいいように、私が屋敷の外に出かける機会はそれなりに減った。

 そして、殿下が私の何を気に入られたのかは今をもって不明である。あの時私は彼に挨拶すらしていなかったのだから。


 あのお茶会は、殿下の傍仕えや取り巻き、婚約者候補を決めるためのお茶会だった。つまりは有力貴族の子女ばかりが集まっていたのだ。

 そんな中、私はというと子爵令嬢というあの場ではかなりの下位貴族であった。傍仕えや取り巻きという名の友人、ましてや婚約者候補になどなれようはずがない程の下っ端である。ご挨拶できただけでも万々歳といったぐらいだ。

 我が子爵家は代々国に使える騎士や、王族直属の近衛騎士を輩出している家系である。実際に父上は、王国騎士団第五師団長をしている。つまり、将来の王太子や殿下直属の従騎士となるべく日夜修練に明け暮れている兄たちと、その主候補たる殿下の初顔合わせだったわけである。

 女である私は騎士にはなれないので、殿下との顔合わせは必要なかった。しかし貴族として生まれたからには、将来お茶会や社交界には参加しなくてはならない。つまりはそういった社交の場に慣れさせるためだけに連れてこられただけだったのだ。


 お茶会は殿下方が住まわれる王宮の中庭で開催された。側妃様と殿下が中庭の中央に設置されたテーブルに陣取り、そこに各貴族や子女がご挨拶に訪れる、という形であった。本来ならば主催者たる者が各テーブルを周るのが通例ではある。しかしこれはお茶会の皮を被った、自分の子どもたちを側妃様にご覧いただく品定め会なのである。

 自分の子どもの良さや自慢点を側妃様に伝え、殿下にご挨拶する。そして全員が挨拶し終った後に、側妃様が気に入った子供たちを呼ぶ、という形式であったのだ。

 もちろん、これは出来試合である。何故ならば、私と同じ年代の子どもたちは優秀な人材予定の宝庫なのだ。例えば、公爵様のご子息や宰相様のご嫡男は殿下と同い年で、殿下に見劣りしない程に見目麗しく、大変賢いと評判である。二つ年上の王国騎士団総長のご子息様は、すでに魔法騎士としての頭角を現しているそうだ。王家に近い血筋の侯爵様のご令嬢やご子息も同い年や一つ二つの年齢差であり、こちらもまた優秀な方々であるらしい。つまりはそういった子どもたちが、殿下のご友人候補や婚約者候補であった。

 また、各伯爵家にも年齢の近い子どもたちが多く、今から武勇を期待される者、文官としての優秀さを見せる者、新しい魔法を開発する者と、様々に才能豊かな子女様たちであった。殿下の傍仕えは、そういった子どもたちの中から出る予定となっていたのだ。

 

 お茶会では、上級位のものから順々にお目通りを願う。公爵家、侯爵家、伯爵家、と続き、子爵家でもまあまあ歴史の古い我が家の番になった時、あの事件は起こってしまったのだった。今思い起こしても、あれは事件だとしか言いようがない。

 そもそも、あの場では子どもは一切の発言を許されていない。もちろん殿下自身や側妃様がご質問なさった場合は別だが。側妃様がご質問されたのは、公爵家などの上流貴族の方々や親しい方々のご子息方だけだったし、殿下に至ってはお茶会の始まりからその時まで不機嫌に黙りこくったままだった。


 「おい、下僕! 俺の話を聞いているのか!!」

 

 なのに今では、高圧的ではあるものの本当によく話す。まあ、話すといっても基本的には殿下があれやこれやと命令してそれに従って遊ぶ、という感じなのだが。

 殿下は、六歳になった今でも私のことを『下僕』と呼ぶ。それはあの日から全く変わらない。むしろ呂律がはっきりしてきたことや口調がさらに偉そうになった分、今の方が上下関係が出てきたような気もする。

 私がぼんやりと過去を思い出していた様子が、話を聞いていないように見えたのだろう。かなりご機嫌斜めのようだ。どうしたものやら。

 兄に助けてもらおうと、ちらりとそちらを見やる。しかし兄は剣の素振りをしていて我関せず、といった風情だ。むしろ殿下が来ているのに鍛錬をしていていいのだろうか。ちなみに私にはもう一人兄がいるが、彼はもうすでに学校に通う年齢のためこの場にはいない。上の兄の方が子どもの扱いが上手いのでいてほしかったのだが……。


 「おい! 無視するな! おいってば!!」


 あ、殿下がちょっと涙目になってきた。自分の世界に入り込みすぎたようだ。殿下の手を握って落ち着けてやる。ちゃんと聞いてますよ、殿下。あ、殿下の方が私より少しだけ手が小さい。可愛いな。思わずにぎにぎと何度も手を動かしてしまう。途端に顔を真っ赤にして、殿下は黙ってくれた。良かった、どうやら落ち着いたようだ。


 「お、おま、お前!! そんなことぐらいで俺が許すと思うなよ!!」


 そう言いながらも、殿下はいつも許してくれるのだ。怒りっぽいけど、笑顔になるのも早いのは殿下の美点の一つだと思う。まだブツブツと文句は言っているものの、私の手を引いて歩きだす。どうやら今日は裏庭にある池で遊ぶようだ。まるで自分の屋敷のように歩き出す殿下を見て、それが当たり前に見えるくらいの月日を殿下と過ごしているのだな、と思うと感慨深い。

 最初は歩きだったのが、段々と楽しくなってきたのか殿下が走り出す。つられて私も走る。殿下と遊ぶのは、楽しい。殿下が笑うと、私も楽しい。


 ちなみに兄はいつの間に持ってきたのか、池で遊ぶ道具をその背に背負いながらついてきていた。兄よ、それは小舟ですか。よく背負って走れますね。




 あのお茶会の日が、少し過去のものとなった頃。私はまたとあるお茶会に参加していた。今回の主催者は、国王陛下の妹君が嫁がれた公爵家である。我が家とは特にお付き合いがないので、普通なら招待されることは無い。しかし、殿下が私が参加しないお茶会には参加しない、と公言しているので、殿下を誘いたい時には私にも必然的に招待されるのが習わしとなっていた。ついでに兄も誘われている。


 「殿下、何かお飲み物はいかがですか?」

 「殿下、今日も素敵なお召し物ですね」

 「殿下、お会いできて光栄です」

 「殿下、本日はご一緒出来て嬉しく思います」


 お茶会の度に、殿下の周りには人だかりができる。特にご令嬢方は皆様、あの手この手で殿下の気を引こうとしているが、話しかけられている殿下は不機嫌さを隠そうともしない。

 基本的に殿下は外で会うと不機嫌なことが多い。皆様が楽しませようとしているのに、勿体ないことだ。今日だって、活発な殿下に合わせてお茶会だけでなく、子女の皆様の護衛たちが手合わせを行うらしい。兄は大興奮して、どうにか自分が参加できないかと頭を悩ませていた。

 殿下は現在、従兄弟である公爵家の次男坊様とお話ししていて、眉間にかなり深い皺が寄っている。まあ、殿下はそんな顔をしていても可愛らしさは全く損なわれないのだが。


 「おい! 下僕!!」


 殿下が私を呼ぶ声がする。どうやら我慢の限界のようだ。殿下は機嫌が悪くなると私を呼ぶ。近くに気軽に当たれる人間がいると気分が晴れるのだろう。気は進まないが、殿下たちの輪の中に加わる。

 あんまりこういった華やかな場所は好きじゃないんだけどなあ。とはいえ、殿下に呼ばれたので大人しくその場にはいるが。

 殿下が周りの方々から話しかけられている様子を、近くでぼんやりと眺める。ああ、見目麗しい方々の中でも、殿下が一際輝いている。やっぱり見た目だけなら殿下は物語の王子さまそのものだ。

 心の中で殿下を褒めたたえていると、周りにいるだけで殿下に話しかけられない方々が、ひそひそと話す声が聞こえる。それはいつもと変わらず、私への文句であった。


 「どうして殿下は、あんな子爵令嬢ごときをお傍に置くのかしら」

 「全くだ。見目麗しいならともかく、平凡もいいところなのに」

 「そうよ、エーデゥル様やステラ様みたいにお可愛らしければ諦めもつくのに」

 「どうやって取り入ったのやら」

 「物珍しいだけじゃないか。どうせすぐ飽きる」


 私はそれらの言葉に、内心大きく頷く。本当に殿下は、私の何が気に入ってくださったのか。今は毎週のように遊んでいるから、友人として気に入ってくださっているのだとは思うが、友人になってくださった理由は何なのだろう。私も知りたい。


 「……ちっ! うるさい小蠅共が……! おい、下僕。あちらに行くぞ」


 囲まれていた輪の中から殿下が出てきて私の手を掴み、ずかずかと庭の中央へと進んでいく。私がついてきているのに気がついたら手は放してくれた。というか、手を掴まなくても殿下が行くならついて行くのに。殿下の中では、私は小さい子どもか何かなのだろうか。

 どうやら手合わせが始まるらしい。まあ、手合わせとは言ってもご令嬢方もいるので、野蛮なものではなく、剣舞といった感じで展開されるらしいが。

 キラキラと日の光を浴びて、剣が舞い護衛も舞う。中々皆さん素晴らしい動きだ。公爵家や伯爵家の護衛が中心なので、実力者が多いようだ。剣の軌道に沿って魔力の流れが輝いている。色とりどりで奇麗だなぁ。

 あ、兄が参加している。体格では護衛たちに大きく劣るというのに、後れを取るどころか圧倒している。流石だ。とっても楽しそうだが、多分後で父上に怒られるのではないだろうか。


 「……下僕。もし、他の奴らに何か言われたら俺に、」


 殿下が私に話しかけるが、それどころではない。兄が近くにいた護衛たちに、片っ端から本気の手合わせを願い出ている。というか無理やり本気を出させようとしている。普段ぼんやりしているくせに、こういう時だけやる気に満ち溢れるのは何故なのか。止めないと、私まで母上に怒られてしまう!!


 兄を止めた後、周りの方々の目が何となく違っていたような気がする。全く、兄があんなに暴れるから、皆様が引いてしまっているではないか。殿下も心なしげっそりとお疲れの様子だ。殿下にまでご心労をおかけするとは。兄は考えなし過ぎて困ってしまう。

 そういえば、と殿下に先ほどの話の続きを促すが、もういい。と言われてしまった。呆れられてしまわれたのかと焦って問いかければ、そういうわけではないとのことだ。どういうことなのかは分からないが、殿下に駄目な下僕だとは思われていないようで一安心した。


 屋敷に帰り着くと騒動が母上にばれており、がっつりと怒られた。貴族社会はこういった話が流れるのだけは早いところが嫌だ。全く、私は止めたのに。父上からも「程々に、な」と遠い目をして言われてしまった。私と母上は似ているので心配だとのことだ。

 後日談としては、遊びに来た殿下から「うるさい小蠅共が、少し大人しくなったから良い」とのお許しの言葉をいただいた。そのおかげで、母上からの厳しい令嬢教育が少し緩くなったので殿下様々である。やはり殿下は素晴らしい方だ。




 「次はどこへ行く?」

 「菓子でも買いに行きますか?」

 「ああ、あの普段お前達が食べているやつか」

 「いや、あれは貴族街に売っているやつです」

 「ふーん?」


 さて、現在私たちは市民街に遊びに来ている。もちろん、殿下がいるのでお忍びで。何でそんなことになったのかというと、殿下のご希望だからである。

 普段、私たち兄弟は護衛というものを連れずに出歩いている。『自分の身は、出来得る限り自分で守るべし』というのが父上と母上の教育方針だからだ。まあ、城下以外に行くことは無いし、市民街でも裏道に入らず昼間の内ならば危険性も少ない。

 だが殿下は別である。殿下は私たちとは違い、尊いお方である。普段一緒に遊んでいるとはいえ、そこには明確な線引きがなされているし、護衛の方々も実力者揃いである。我が屋敷においてでさえ、殿下お一人で行動されることはない。

 しかし殿下とはいえ、八歳の子どもである。私たちが話す市民街に興味津々であったのは知っている。とはいえ、どうしてこうなってしまったのか。

 一応、止めたのだが私が止めたくらいでは殿下は止まらない。


 「うるさい! 下僕なんだから俺の言うことを聞け!」


 そう言われてしまったら、下僕根性の染みついた私には反対する術がない。


 「これは何だ?」

 「これは菓子ですね」

 「何だと!? こんな毒でも入っていそうな色してるのにか!!??」

 「美味しいですよ」


 ……兄と殿下が菓子屋の前で何やら騒いでいる。いつもより若干殿下の気分が高揚しているようだ。だがまあ、殿下が楽しそうだからいいか。そうだ、殿下がこんなに楽しそうなのだ。他に何を思い悩む必要があるのか。父上に怒られようとも、母上に怒られ……よう、とも!!!


 「あ、お嬢」


 そう私に声をかけてきたのは、最近上の兄から紹介され、知り合いになったアダムという青年だ。上の兄とは学校で知り合ったそうだ。彼は学校に通う傍ら魔道具を作成する工房にも勤めていて、若いのに中々優秀だとのことだ。今日市民街に来ることになったのも、兄の頼んでいた魔道具を引き取りに来たためだ。

 というか、今は一応変装をしているためいつもの令嬢の恰好ではない。地味というか何というか、簡単に言えば平民の男子の恰好をしている。それなのにすぐにばれてしまうとはどういうことだ。普段から男子の様に見えるということか。


 「一人? 珍しいな」


 いやいや、いくら我が家が自由なところがあるからといって、さすがに一人では来られない。そう思い、楽しそうに軒先を見ている兄と殿下を指し示す。殿下も私たちと同じく地味な格好をしているが、顔までは変わらないため殿下はそれはもう目立っている。どんな格好をしていても、殿下は麗しい。道行く人々がちらちらと振り返りながら遠巻きにしながら殿下を見ている。

 そんな周りからの視線も何のその。兄も殿下も全く気にしていない。そういうところは本当に羨ましい。今度は雑貨屋に興味を持ったようだ。何を見ているのだろうか。殿下は好奇心旺盛だな。

 私の視線に気がついたのか、兄と殿下がこちらを見る。すると楽しそうだった殿下の眉間に急に皺が寄る。どうしたのだろうか。今まで見ていた雑貨を適当に放り、こちらへと苛立ったようにやってくる。


 「よう、坊主ども」

 「こんにちわ。頼んでいたものを取りに来ました」

 「ふんっ!」


 殿下は基本的に人見知りのようで、交流の少ない人間に対しては不機嫌なことが多い。まあ、相手を選んでやっているようなので問題は少ないのだろう。最近行われた王宮でのお茶会では、笑顔は無かったものの公爵様のご子息やご令嬢とそれなりに和やかに会話されていたし。……ということは、笑顔を見せていただける私や兄は、殿下の中で特別な位置にいると自惚れても良いのだろうか。


 「(殿下までいらっしゃるとはね)」

 「(妹がアダムさんの所に行くと知ったら、どうしても自分も行くとおっしゃったので)」

 「(うはぁ! 俺警戒されてる! 笑える!!)」

 「(意味のない警戒ですがね)」

 「聞こえているぞ、貴様ら!!」


 私がぼんやりと三人の様子を見ていると、どうやらアダムの工房に魔道具を取りに行くことになったようで、兄に呼ばれる。殿下はアダムに何やら言われて突っかかっているが、いつものやりとりなので気にしないでもいいだろう。

 いつの間にか、三人との間に人が入り込んでいて少し放されてしまった。足を速めて三人に追いつく。ちらりと殿下を見ると、殿下はまだむすりと機嫌の悪そうな顔をしている。せっかく街に来たのだから、殿下には良い思い出だけで今日を終えてほしいのだが…。


 「……何だ」


 ふるふると首を振る。どうにか殿下に気遣わせないように、殿下の機嫌を直す方法は無いものか。頭を悩ますが、殿下がどうすれば機嫌が直るのか等よく分からない。……そうだ。

 殿下の手をぎゅっと握る。最近では、手を握ってもすぐに解かれてしまうことも多いけど、以前はこうしてよく手をつないだものだ。それに今日は殿下も初めての場所という大義名分もある。迷子にならないために必要なことなのだ。兄も何故か私の手を握る。……いや、そこは殿下の手を引いて差し上げるところなのではないだろうか。


 「おーおー、仲良しだなぁ」

 「もちろんです」


 からかうようなアダムに、兄は躊躇いもなく返事をする。兄の言葉を聞いてか、殿下の機嫌も直ったようで眉間の皺が消えている。良かった。

 歩いている内にアダムの勤める工房にたどり着く。店構えは地味だが中々繁盛しているようで、工房の表側にある店舗には人が途切れることなく入っている。魔道具は決して安い物ではないのに、それだけこの店で売っている魔道具の性能がいいのだろう。


 「ほら、これ。お前の頼んでたやつ」

 「ありがとうございます。代金は父上に」

 「おうよ」


 兄は何を買ったのだろうか。殿下も興味津々の様子で兄の手元をのぞき込む。兄の手元には……何だろう、腕輪?しかも三つも?……趣味が変わったのだろうか? 殿下も訝しげな顔をして兄を見ている。


 「それは何だ?」

 「これは『運命の輪フォルテゥーナ』です」

 「運命の輪?」


 そう言って兄がその腕輪を私と殿下に渡す。その腕輪は、魔石でできた細身の物だった。余計な装飾は一切ないので、子どもの私がしてもそんなに違和感はない。


 「これはただの腕輪ではないんです。これをすれば、魔力を登録した人間同士の居場所が分かるんです」

 「ほぅ、それは便利だな」

 「ええ。これさえあれば、どんなに遠く離れても互いの居場所が分かるでしょう?」


 珍しく兄が笑う。それ程、兄はこれが欲しかったのだろう。特にどこか遠くへ行く予定はないが、まあ、迷子とかになった時に便利かもしれない。兄と殿下と繋がっているというのも、何となく嬉しいし。ありがたくもらっておく。

 その後、色々な店を見て回り、買い食いをし、楽しい一日を過ごすことができた。殿下もアダムの店を出た後はまたご機嫌が直ったようで、楽しそうに過ごしていた。良かった。

 屋敷にこっそりと戻ったら、そこには腕を組み凄い迫力をした母上がいた。殿下も最大限かばってくれたのだが、母上の怒りの前には焼け石に水だった、とだけ言っておこう。




 さてさて、月日が流れるのも早いもので私たちも学校に通う年になった。この国では準成人となる十五歳で、貴族や富裕層の平民、才能のある平民が入学する。また、学校に入らない入れない平民は、大体職業訓練所や工房等に入って将来の職に備える。

 つまりは、私もそろそろ将来の身の振り方を考えないといけないのだが。


 婚約者を見繕って、その方に尽くす道。

 このまま子爵家に残って、兄上に従う道。

 それとも、他の道。


 貴族ともなると、対して選択肢はない。しかも女子となればさらに少なくなる。大体は生家の繁栄や横の繋がりを強化するために、力のあるところへ嫁ぐのが定石である。

 しかし我が家はそうした定石が通じない家でもある。嫁ぎたいなら自分で候補を見つけなくてはいけない。家に残りたいならそれだけの実績を示さないといけない。自分に全ての責任があり自由があるというのは、これで中々大変でもある。まあ、学校を卒業するまでの二年の間に何がしかの道が見つかれば良いのだが。

 そう私が思い悩みながらも、とりあえず入学の準備を進めようと決めた頃。兄が我が家に爆弾を落としたのだった。


 「俺、旅に出る」


 その日もいつもと変わらない一日の始まりだった。『家にいる者は揃って食事を取るものだ』という母の厳命のもと、私は食堂の自分の席についていた。そこに後から寝起きの顔でのっそりとやってきた兄。

 そして全員が席に着き食事を始めた後、そういえばふと思い出しましたといった風情で、兄はそう言ったのだった。


 え?というか、は?というか。とりあえず言葉にはならなかった。父上も母上も、珍しくいた上の兄上も、驚きに声も出ない様子であった。兄だけは、ただただモグモグと一人涼しげな顔で食事を続けている。


 「…ちょ、ちょっと待ちなさい」

 「何を言い出すの、お前は」

 「ぇえ? は?」


 兄妹だけあって、兄上の反応が一番私に似ているな。等とぼんやりと意識を飛ばしながら、家族が兄に問い詰める様子を見ている。兄はそんな家族の驚きも何のその、淡々と話を続ける。


 「いや、俺昔から考えてたんだけど。どう考えても騎士には向いていないと思う。誰かに仕えるとか柄じゃないし。だから、冒険者になろうと思って」


 皆、口をぽかんと開けている。本当に兄はいつでも唐突過ぎる。もう少し根回しをするとか、事前に父上には相談しておくとかあるだろうに。

 そもそも冒険者とは。兄らしいといえば兄らしいが。兄は戦闘職には向いている。それは自他ともに認めるところだろう。しかし騎士や兵士に向いているかといえば、首をかしげざるを得ない。兄は自由奔放すぎるのだ。誰かの命令に従うとか、集団に合わせて戦うとかは向いていない。

 だが、それが殿下ならどうなのだろうか。殿下とはかなりの年月を共にしているし、兄の性格も熟知している。兄も殿下ならばそれなりに命令に従っているし、殿下のために戦うとかなら、兄でもできるのではないだろうか。

 そう思い、兄を見る。しかし私の言いたいことも分かっていたのか、兄はこう言った。


 「殿下も俺には仕えられたくないだろうし。っていうか俺も、殿下に仕えるとか今さら無いし」


 成程、言葉は足りないが意味は分かった。兄は殿下との関係が変わるのが嫌なのだ。それもそうか。今も兄と殿下は共にいることが多い。それだけ気が合うということなのだろう。だが騎士になるということは、主従になるということだ。しかも我が家は子爵家。殿下に仕える騎士の序列の中では最下位だろう。いくら親しい間柄とはいえ、兄がそんなに器用に立場を使い分けられるとも思えない。


 唯一仕えられそうな殿下でさえ無理だとなれば、確かに冒険者というのは兄に向いていそうではある。自分の心の赴くままに好きなところを旅し、地下迷宮に潜って宝を手に入れれば生活も安定するだろう。また、子爵家子息という肩書もあるので、他国でも友好国であるならば多少は優遇されるだろうし。うーん、こう考えると反対する要素は特にない。

 家族もそう考えたのだろう。我が家での最終決定権を持つ母上の方を皆が見る。


 「貴方の考えは分かったわ。だけど、旅に出なくても冒険者にはなれるでしょう。それに学校を卒業してからでも、遅くはないのではなくて?」


 確かにそうである。我が家を拠点にして冒険に出れば、装備や荷物の準備はしやすいだろう。それにいくら準成人になったとはいえ、世間一般からいえばまだまだ子どもであるのだ。学校で冒険に役立ちそうなことを学び、卒業してからでも遅くはない。母上の言っていることは正論である。


 「うーん、でも俺どうせ学校行っても実技しか興味ないし。魔法も使えないから、これ以上学ぶことも少なそうだし。だったら早めに外出てもいいかなって。あと、行ってみたいところがあるんだ」


 正直、兄がそこまで色々考えているとは思わなかった。兄はそこまで深く考えて生きているとは思えなかったからだ。だが、結構決意は固いようであるし。うむ。

 そこから父上や兄上は仕事どころではないと言い張っていたが、そこは母上が送り出した。食事の後も、兄と母上とでじっくりと話し合ったようだった。


 そして最終的に、父上も母上も兄上も。兄が冒険者になることを許容したのだった。



 「……そうか、寂しくなるな」


 久しぶりに我が家に遊びに来た殿下は、兄にそう言った。殿下も近頃王宮での役目が増えたようで、以前のように頻繁には遊びに来られない。なので、兄が旅立つ二週間前というギリギリに伝えることになってしまった。

 兄が冒険者になることを伝えた時、殿下に驚きはなかった。ある程度、予測していたのだろう。ただ寂しそうな顔で微笑んでいた。最近さらに大人っぽくなられた殿下がそういう顔をされると、いつもの勝気さや強気さは消え、何というか色っぽい。こういった顔を近くで見られるのも今の内だけだろう。

 学校に入ってしまったらなおのこと、殿下と私の距離は遠くなる。これまでの関係性がおかしかったのだ。殿下は尊いお方で、我が家はちっぽけな子爵家に過ぎない。学校に入ってしまえば大人の目はなくなり、そこは将来に向けた繋がりを確保するための場となる。

 いくら殿下が私のことを『下僕』と呼ぼうが、もうその関係は通用しない。もう将来のことを考えなくてもいい子どもではなくなるのだ。殿下の周りには、殿下の将来に役立つ人員が立つのだろう。そこにはもちろん、私の居場所はない。

 学校に行っても、一番慣れ親しんだ殿下は遠くなる。家に帰っても、一番時間を共に過ごした兄はいない。それを考えるだけで、胸がきゅっとなる。


 そうか、それならば。私も覚悟を決めなくてはいけない。

 殿下には大変申し訳ないが、その場を辞す。覚悟を決めたら、やらなければならないことがあるのだ。殿下への挨拶もそこそこに急いで部屋を出た私は、そのあと残った二人の間でどんな話があったかは知らない。


 「……やはり、こうなったか」

 「……予想通りですよね」

 「顔が笑ってるぞ」

 「殿下こそ、ここ最近無いくらいの笑顔ですよ」


 そんな風に、楽しそうに内緒話をするように、笑い合いながら殿下と兄がとある計画を立てていたなんて。私は知らない。私には私のやらなければならないことがあると、父上と母上の部屋を目指して突き進んでいたからだ。


 それからの私は大忙しだった。母上を説得し、父上と兄上を物理的に説得し。長旅に必要な荷物を揃えていった。殿下のお傍にいられないならば、兄の冒険について行こう。そうすれば貴族社会とは無縁な、それなりに楽しい人生を送れるだろう。

 ……殿下と離れてしまうのは、寂しい。殿下と話せなくなるのは、辛い。殿下と会えなくなるのは、嫌だ。でも、学校に入ればそれが当たり前になってしまう。当たり前にならないといけない。それならば、物理的に離れてしまった方が諦めがつくだろう。そう、思ったのだ。



 兄が旅立つ日の朝。食堂に行くと、我が目を疑う光景がそこにはあった。


 「ああ、早いな」


 そう言って、我が家に居たのは殿下その人だった。


 いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ。何で殿下が我が家に?しかも兄を見送りに来たとは思えない、旅装で?しかも、食堂の窓から見える庭には、殿下の愛蜥蜴馬レブルスたるクサントスが優雅に草を食んでいた。ちょっと、殿下!優雅に朝食を食べている場合ではないですよ!!

 そんな私の焦りに気がついているのかいないのか、殿下はのんびりとお茶をたしなんでいる。余裕ありすぎて、まるで一枚の絵画のようで、焦っている私がおかしいみたいだ。

 そこにいつかの朝の様に、寝起きの兄がのっそりと入ってくる。殿下の方を一瞬見たが、特に気にする様子もなく自分の席に座る。


 「……何でお前、立ってるんだ? 座って朝飯食べろよ…」


 面倒くさそうに言う兄。いやいやいや、何でそんなに冷静なんだ兄。おかしいだろ、この状況。そう思い、周りを見渡す。しかし、その場にいる父上も母上も、兄上でさえも、全くうろたえている様子はない。何だ、この空気。分かっていないのは、私だけだというのか。


 微妙な空気の中、食事を終え。兄が出発する時間となった。そしてやっぱり、兄の横には殿下が立っている。いや本当に、そろそろ誰か説明してほしい。いや、ここまで来たら予想は出来るけど。それでも決定的な一言がほしいのだ。


 「さて」


 殿下がおもむろに私を見る。その目はとても真剣で。私の焦りや戸惑いは、一瞬にして消えてなくなった。落ち着いている殿下のその様は、本当に芝居の中の一場面に出てくる王子様のようで。

 殿下は迷いなく、私に近寄ってくる。それが当たり前であるように何の気負いもなく。そして、スッと手を差し出した。その手に、今さらながら躊躇いを覚える。この手を取ったら、殿下は後戻りできないことになってしまうのではないだろうか。

 だが、殿下は私のそんな躊躇いを吹き飛ばすように、鼻で笑う。殿下はそれまでの優雅さを消して、いつもどおりの強気な態度で、断られるわけはないと言わんばかりに言った。


 「行くだろ? ティトリー」


 そう、私の名前を呼んだ。当たり前のように、私の名を呼ぶから。


 「……はい、ヴェルトール殿下」


 私もそう、殿下の名を呼ぶ。貴方が、私を必要としてくれるなら。私はどこまでだって、貴方について行こう。だって、私は貴方の下僕として生きてきたのだ。貴方に仕える以外の生き方なんて知らない。貴方の傍を離れて生きるなんて考えられない。

 しっかりと殿下の手を握る。殿下も私の手を握る。この手と共になら、私はどこまでも突き進んでいけるだろう。


 私たちの後ろでは、兄が着々と出発の準備を進めていた。ありがとう、兄。これからもよろしく。





 現在、私たちは兄の行きたがっていた国へ向けて進んでいる。私の分の蜥蜴馬も用意してくれていた辺り、私が行くことは織り込み済みだったようだ。私はそんなに分かりやすい性格をしているのだろうか。


 「分かるに決まっているだろう」

 「ある意味、分かりやすいからな。お前は」


 殿下も兄もそう言う。自分のことというのは、よく分からないものだ。釈然とはしないが、殿下がいて兄がいて、私を仲間外れにしないでくれたので、良しとしよう。


 「まあ、殿下もですけどね」

 「は? 俺はそうでもないだろうが」

 「いやいや、だって。ねぇ」

 「あ? 言いたいことがあるなら、はっきり言え」

 「えー、言っていいんですか?」


 兄と殿下のいつも通りのやり取りを聞き流しながら、進んでいく。ああ、幸せだな。殿下の下僕にならなければ、私の人生はそれはそれは質素で味気ないものになっていただろう。普通の令嬢の様に学校に行って、派閥に属して、適当な結婚相手を見つけて、それなりに幸せな生活を送ったのだろう。それはそれで貴族としてはありなのだろうが、私としてはそんな人生はご免被る。

 殿下が俺様で、兄が破天荒で良かった。私が少し普通の令嬢から外れていても、二人がいればさほど目立たないですからね。


 「俺たちと旅に出るために、かなり無茶したって聞きましたよ」

 「は! そんなの俺の実力さえあれば大したことではない」

 「側妃様と揉めたとか」

 「ふん! 母上も最後は認めて下さった」

 「陛下と王妃様の前で大告白したって聞きましたよ?」

 「貴様!! 何故それを知っている!!!」


 殿下と兄上が、ぎゃあぎゃあと騒いでいる。ああ、平和だなあ。三人の腕には、以前兄がくれた運命の輪が朝日を受けてキラキラと輝いている。もしかして兄はあの頃から、こんな未来を想像していたのだろうか。


 殿下が兄に文句を言い、兄はそれを流し、私はそんな二人を見て笑う。私たちはこの先も、こうやって三人で色々なことを私たちらしく乗り越えていくのだろう。それがとても楽しみで、嬉しくて、私はもっと笑ってしまう。




 さてさて、この旅の行きつく先はどこになるのか。





 ……っていうか、本当にどこに行くんだろう。

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