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第4宮 巨蟹宮 次の宮へ

「まさかそれが、アムブロシア……だったとは」

 驚きを隠せないご様子のハーキュリーズ様に、わたくしは苦笑して首を振りました。

「植物自体は、この辺り一帯に生えるごく普通の草です。種子の殻を振るい落とせば、人の食物ともなりますが。今のは―――ただ、わたくしが『収穫』し『与えた』という『行為』によって、神性が宿ったにすぎません」

 ただ、何であってもそうなるというのではなく、きっと『今』『この時』だったからなのでしょう。

 ディアナ様の元へ行けば、詳しくお教えしていただけるのではないでしょうか。

「それでも、ただ人からすれば奇跡の御技です」

 深く感じ入った様におっしゃるハーキュリーズ様。

 確かに……それは、そうなのでしょうけれど。

 

「とにかくさ、こうしていても始まらないだろ?いい加減、試練を終えた事を報告しに戻らないかい?」

 肩をすくめたのはアポロ様。

 そちらも、ごもっともですわね。

 鹿は逃げるそぶりもなく、わたくしの隣でじっとたたずんでいます。

 アムブロシアも得た今、もはやこの場に用は無いのでしょう。

「では、すぐに戻ろう!報告しなければならない事も、したい事もあるからな!」

 何故か張り切ったアタランテ様に、アポロ様が「あちゃー」と頭を押さえてうなだれています。

 病気って何でしょう?アポロ様、奇行の他に持病などお持ちでしたかしら?

「さ、早く!」

 ってあの!その腕は何なんですか!ハーキュリーズ様の腕を、勝手に取らないでくださいまし!


「ただいまー」

「戻りました」

「静か、ですわね」

 お守りするのが役目だと、アタランテ様をやんわり宥めわたくしのそばにいてくださったハーキュリーズ様と共に乗り込んだ鉄馬車で戻った神殿は、出がけの騒乱が嘘のように静まり返っていました。

「隊長、ただいま帰還いたしました!報告と状況の確認をお願い致します!」

 アタランテ様の呼びかけに現れたのは、この神殿を一時預かっている(はず)のディアナ様……ではなく。

 

 かつん

 かつかつ

 カッカッカッ……


 1頭、また1頭と姿を現したのは、あるものは角が、あるものは体毛が……というように各々体の一部分を青く染めた、それぞれが特徴的な姿をしている『鹿たち』でした。

 もしかしなくともこれは……今わたくしのお隣にいる鹿の、他に4頭いるという兄弟なのでしょうね。

 それにしても、毛皮や角、瞳が青いのはともかく……そこの柱に隠れているようでまるで隠れていない小柄な『青鼻に特徴的な薄紅の帽子を被ったおおむね2等身くらいのよく見たら何だかプルプル震えているっぽい鹿の様な何か』いえ鹿だと思いますが、あれは……指摘しない方がいいんでしょうか……?

 といいますか、アレを見て思い出したというか気がついたといいますか……もしや、今わたくしの隣にいる“鹿()”も……?


 ………そういえば、ずいぶん以前からディアナ様は極東神一族の創り出した動く絵画(アニメ)にご執心でしたっけ。

 それと、アポロ様が1000%銀河美少年(アイドル)とか言い始めたのは割に最近の事ですが、それももしかして……。


 考えては負け無気がしてきました。

 今は試練の事だけ考えましょう。

 ええ、決して自身の心が名状しがたい感情に支配されかかっているからではありませんわ、ありませんとも。


「全員、無事に戻ったようだな」

「ハッ」

 鹿の後ろからディアナ様がいらっしゃり、アタランテ様とハーキュリーズ様が頭を垂れます。

「ふむ、特に異状も無い様だ。正直こうまですんなりと突破され、悔しく思う気持ちも無いでは無いが……『表の』試練は成功だ。喜ぶがいい」

 やっぱり、そうでしたのね。

「ディアナ様、こちらを」

 進み出て、あの植物を捧げ持ちます。

 そのまま彼女へ差し出すと、満足げな表情で破顔されました。

「アティ」

「ハッ、ご報告いたします!鹿を追い詰めた際、女神ユウェンタース様のご慈悲によりて神鹿に供物が捧げられました。今女神が持ちたる植物こそが、その供物となります」

「鹿が食んだ瞬間、まばゆい光が女神の手のひらより溢れ出で、辺りを照らし出しました。女神、神鹿どちらもが光り輝き、まるで一流の神話画家が描いた絵画を見るかのような神々しさでございました」

 ハーキュリーズ様も言い添えて下さいます。

 けれどあの時の事、そんな風に思っていて下さったとは。

 嬉しく誇らしく、少しだけ照れくさくもありますね。


 きっとわたくし、満面の笑みを浮かべていた事でしょう。

 そんなわたくしたちを見ているディアナ様も、どこかほころんだ表情のまま頷いています。

「うむ。アティ、そしてハーキュリーズよ、双方共に報告ご苦労である!この植物は女神ユウェンタースが神鹿に給餌するという本来の役に近しい行動儀式を経、祝福された食物すなわち神の食物(アムブロシア)となった。よって、女神の受けるべき試練も合格だ!」

 やはり、あの行為が儀式とみなされたのですね。

 あるいはこれもまた、運命(さだめ)であったのでしょう。

「やったね!ユウェちゃん☆」

 きれいに片目をつぶり恰好を付けるアポロ様に、わたくしも嬉しい気持ちのままお礼を述べます。

「ありがとうございます」

「おめでとうございます」

 普段あまり笑みをお見せにならないハーキュリーズ様も、今だけははっきりと微笑んでいらっしゃいました。


「しかし、それがアムブロシア、ですか」

 珍しいのか、アタランテ様がわたくしの手に持つそれをしげしげと見ています。

 アタランテ様は、あくまで月女神(ディアナさま)の眷属であって厳密には神ではありませんから、実際に見るのはこれが初めてだったのかもしれませんね。

 もっとも、これはごく普通の食物と同様そのままでは食べられませんから、調理の過程が必要となるのですけれども。

「うむ、間違いなく神気を帯びている。アムブロシア、『その1つ』だな」

「1つ、ですか」

 ハーキュリーズ様が驚かれたように目を見張ってらっしゃいますが、ええ、その1つ、です。

 神々の食物(アムブロシア)神酒(ネクタル)と同様、作る、という工程を経て初めて神々の口に供されるもの。

 そして……かの方のお言葉が示す事とはつまり、『まだ足りない』という事でもありました。

 以前力を取り戻した時……バックス様と共に蛇酒を造った時と違い、わたくしの身体が成長していないのがその証明となるでしょう。

「アムブロシアは神の食物でもありますが、神酒(ネクタル)の原料ともなり得るのです。ハーキュリーズ様の行う試練の裏で、わたくしはそれらを集めねばなりませんのね」

「そうだ。そしてその行為こそが、貴女に課せられた試練にして貴女の神力(ちから)を取り戻す旅路となるだろう。そのアムブロシア、大事に持って行くがよい」

 月女神の神託(肯定)を受け、わたくしもまた素直に頭を垂れました。


「ゆっくりとして行けと言いたいところではあるが、そうもいかんだろう」

「お気持ちだけで十分ですわ、ディアナ様」

 鉄馬車の前で、お互いに別れを惜しみます。

 アポロ様とディアナ様はご兄弟でらっしゃいますから、何か無いのかと思いましたけれども、実にあっさりしたものでしたね。

 これがわたくしのお兄様方だと、もう少しにぎやかになりそうな気もしますけれども。

 そんな風に自分の家族の事を思い出すほど平穏で、来た時にはバタバタとしてましたけれども今回は穏やかな気持ちで次に進めそうだと……そう思っていたのですが。

「あの、アタランテ様?」

 さきほどから何やら妙にくねくねとした動きをなさっている……いえ何と言いますか、もじもじとしたご様子でいらっしゃるアタランテ様のお姿に、とある考えがよぎります。

 ま、さか。

 わたくしが思い至った感情を裏付けるかのように、アタランテ様はうつ向かせていた顔をがばりと上げて叫びました。

「ハーキュリーズ殿!その、わたしの婿になってはくれないだろうか!」


 な。

 何という事をおっしゃるのでしょう!

 ああ、アポロ様が妙によく見かけるようになったあの頭を押さえる仕草でうなだれてしまっています。

 いますが、それどころではありませんよ!?

「いけません!」

 試練の最中だからとか、そんな言い訳など最初から吹き飛んでいました。

 『彼はわたくしのもの』

 そのひと言だけの為に、わたくしはろくに考えもせず彼女の言葉を否定していたのです。


 昔、よく家族に言われた事がありました。

 『ユウェンタース(わたくし)は、(ユノ)に良く似ている』と。

 確かに母娘(ははこ)だけあって、姿もよく似ているのでしょう。そこは否定いたしませんわ。

 ですが、こうも思うのです。

 皆が口に出さないだけで、わたくしは―――母に似て、嫉妬深い(・・・・)性質(タチ)なのではないか、と。


 ハーキュリーズ様とアタランテ様の間に立ち、キッと睨みつけます。

 止めようとしても、止められないのです。

 どうしようもない、気持ち(こいごころ)から来る行動でした。

 ハーキュリーズ様は今わたくしの後ろにいらっしゃいますから、その表情は見えません。

 もしかしたら、呆れられてしまったでしょうか。

 それでも、この場を動く気にはなれませんでした。

 だって、“肝心の”アタランテ様が“何が問題なのかよく分かっていない”表情で首を傾げていらっしゃるのですもの。

「その、御神に近しい方より賜るお言葉、光栄に思うが、ただ現在の私は試練に捧げられ尽くさねばならぬ身。頷く事は出来かねます」

 ハーキュリーズ様は宥めるようにわたくしの肩に手を置き、はっきりとお断りします。

 浅ましいと思いつつも、心の底からホッとしている自分がいて悲しくなりました。

 ああですが、ハーキュリーズ様が世の女性にとって魅力的に映るのは自明の理。

 彼女(アタランテ様)もまた同じく簡単には諦められぬようで、さらに言葉を重ねます。

「問題は無い。それに関しては十分に分かっている。だから、全て終わった後でも全然かまわないのだ。私はいつまででも待つ用意がある!」

「……全然十分ではありませんわ」

 わたくしの口から洩れたのは、驚くほどに低い声。

 こんなおぞましい声を、言葉を、どうか風の神よ、ハーキュリーズ様には伝えないで。


「しかし……私は貴女よりもずいぶんと年上だ。過去には“愛する”妻も子もいた。今さら改めて妻子を得ようとは思わない」

 ほろりと、熱い物が頬を流れ落ちて行きます。

 嫌です。

 そのお話は、どうかなさらないで。

 ハーキュリーズ様の結婚歴(かこ)は、わたくしにとっても思い出したくない過去であり……妻子を得る気はないという言うそのお言葉は、わたくしの胸をも貫く、まさしく一振りで致命に至る剣であったのですから。

「ならばわたしも過去を語ろう。わたしは今まで、男という存在を軽んじてきたように思う。父に棄てられ、月女神に救われた。年頃になると、自らの力を試すため地上へと下りたが、その際若い男に多数言いよられてな。どうやら、わたしの容姿目当てだったらしいが。そして同時に、自分より足の速い者などいるものかと思った。事実私に勝てるだけの足の速い者はいなかったし、それだけ鍛錬を重ね、技術を磨いてきたという自負もあった。だからこそ、それを条件にしたのだ。わたしを娶るものは、わたしより足の速い者のみである、と。だが貴方はあの試練の最中、やすやすと追いつき越えて見せた。よって確信するに至ったのだ、わたしの婿は貴方しかいないと!」

 違います!

 そうではないの!

 わたくしが思わずそう叫びそうになった時、かき消すような轟音が辺りに響き渡りました。


「襲撃か!」

「まだ終わって無かったの!?」

「誰か!状況を!」

「お願い流さないで!」

 アポロ様、兄としての威厳といいますか存在そのものが無視されてしまっておりますわ。

 思わず涙が止まってしまったではないですか。

「くっ、オリオンの奴め!」

「またかよ!」

 アポロ様、素が出てます、素が。

「ええい、鹿どもは厩舎へ!お前たちは避難だ!兄上の馬車へ入れ、早く!」

「ディアナ様!?」

「ここは私たちで食い止める、さあ、早く!」

「しょうがないね、のんびりしている暇はなさそうだ」

「申し訳ありません、後をよろしくお願いいたします」

「ハーキュリーズ殿!」

 すがろうとするアタランテ様に、ディアナ様が鋭い叱責を飛ばします。

「お前は私を守れ!なんだ?恋に浮かれて己の役を忘れたか!」


 ……ああ、胸が痛みます。

 わたくしにかけられたお言葉では無いと理解してはいましたが、これしきの事で動揺し、感情のまま彼女に当たり散らそうとしたわたくしには痛いばかりのお言葉です。

 せっかく力を取り戻したというのに、本当にわたくし、成長がありませんのね。

「ディアナ様。今までありがとうございました」

「いいから急げ!貴様は女神を守るその大役、忘れるなよ!」

「はっ!」

「ああ!?」

 手をのばすアタランテ様を振り切るかのように、わたくしたちはあわただしく鉄馬車へと乗り込みます。

「ま、待ってくれ、まだ返事を聞いてないぞ!」

「さきほど申し上げた通りです。何と言われましても、私にはお受けする意思は無い!」

 はっきりと言ってくださって、こんな時ですが安堵してしまいました。


 ハーキュリーズ様にうながされ、焦りからか足がもつれてしゃがみ込みそうになりながらも客車の奥へと向かいます。

 だだだだだっ

 ばりばりばり

 プオーーー

 嵐のような着弾音に混じって、アポロ様が鳴らす発車の汽笛が聞こえ……。

 やがてゆっくりと動き出しました。

「……よろしかったのですか?」

 時折弾の当たる車窓からこわごわ外を覗くと、神殿から出てくる美少女隊を指揮するディアナ様と、その脇で地面に崩れ落ちているアタランテ様のお姿が見えました。

 そっと体を引かれ、窓から離れます。

 ……きっとまだ、危険だからなのでしょう。

 非常に真面目なお顔で、まっすぐに見詰められました。

 けれどそこに少しだけ心配している、そんな感情が見えるのは……わたくしの都合のいい(もうそう)でしょうか。

「……私は、離れません」

 す、と腕が、指先が持ち上がり、わたくしの頬に触れました。

 触れたまま上に持ちあがる指に、流れた涙の跡をなぞっているのだと気付きます。

「御身の前を、絶対に離れないと誓います」

 だから泣かないでと、そんな風に。


 不安に震える幼子を、慰めているおつもりなのでしょうか。

 1人置いていかれてしまう不安におびえる、そんな子供を。

 ああきっと、ハーキュリーズ様(あなた)わたくし(その子)がどのような不安に陥っているかなど……きっと想像もなさらないのでしょうね。

 貴方に置いて行かれたくない。孤独(ひとり)にしないで。お願いだから(・・・・・・)離れないで(・・・・・)

 それ自体、何も間違っておりません。

 ただそこに『わたくしの前から』という『(つみ)』が混じるか混じらないか。

 きっと、それだけの違いなのです。

 たったそれだけ、でもわたくしにとってはとても大きな―――そんな、願い()が。







神々の黄昏(ラグナロク)に先んじること数千年。

かつて世界が暗闇に覆い尽くされかけたのは、極東に住まう八百万の神による天岩戸映画館での『モノノ化の子』プレミアム試写会のせいであったという。


なお。


監督、プロデューサー 思金神

キャラデザ 作画監督 伊斯許理度売命

演出 天児屋命

脚本 太玉命

制作進行 天手力雄神

主人公役声優 天宇受賣命


でお送りしたそうな。


『出す方』が率先して暗くしてどうするという話。


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