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オガくんは草食男子です  作者: 祭歌
おまけ
3/3

オガくんってこんなひと。

 ひとは言う。

 おまえはなんだか暢気で人が好くて穏やかで、それはまあまあ良いんだけど、その万倍くらい押しも気も弱っちそうなもんだから、はたで見てるとそれはたいそう心配になる。

 と、彼の気の良い友人たちは言う。

 ほほーう、なるほど、そうなのか。

 気性の荒くない自覚はあったので、彼は大いに納得した。

 どうやら俺は、俗にいう草食系、というやつらしい。


 ……モヤシかあ。なんか、ちょっと恰好つかないね。






  ・・・




 


 小賀堀(おがほり)悠真(ゆうま)という男は、おそらくどこからどう見ても草しか食べない眼差し穏やかな草食動物(キリン)である、というのがたいていの見解だ。そのことについて、悠真本人としても、不満はない。確かにライオンって柄じゃないよなあ、と思っている。それにライオンよりシマウマの方が、お洒落だし。あれ、シマウマって草食系?

 ただ、気が弱いという誤解が生じていることは、不満だ。

 悠真はわりと適当なだけで、べつに気も押しも弱くはないのだ。と、思う。たぶん。

 委員会決めも、そんな、必ずそれが良いってわけじゃなかったから、譲っただけで。どんどん譲っていっただけで。しかし友人たちは一事が万事その調子の悠真が心配でならないらしい。俺はそんなにモヤシっぽいんだろうか……と逆に不安になってくる。いや、ていうか。むしろ、おまえらがいいやつだよね、っていう。

 そんな愛すべき友人たちを、なぜか我が因縁の悪友は複雑な表情で眺めていた。うーん、その認識って、間違ってはいないけど、もごもご。どうやら幼稚園の頃からの幼馴染みである彼は、悠真に違う印象を持っているらしかった。まあ、善良っていうのは確かに合っていないだろう。


「や、うん、まあ、基本的には善良だよ」

「何言ってんの、おまえがそんなオブラートな言い方すると天変地異起きそうでこわいよ」

「いやあ、何て言えばいいんだろうね……草食、ねえ……」


 わりと何でもザクザクはっきり口にするこの男にしては珍しく、随分と歯切れが悪い。悠真は首を捻り、しばらくその後の反応を待ったのだけれど、結局曖昧なまま終わった。へんなやつだ。

 さて、それはともかく。

 譲りに譲りまくった委員会決めは、最後にとんでもないプレゼントを寄越してきた。

 なんとびっくり、いとしのあの子、すなわち秋山初果と同じ委員になったのである。

 ……すんごい激務だけど。







  ・・・





 



 彼女のことを、はっきりばっちり認識したのは、おそらく中学二年の終わり、そろそろ学年末休みがやってくる、そんな頃。

 うちの学校は私立大学附属の中高一貫で、中学二年から高校二年の間は自由の身。中学受験も終わり、校舎にも慣れ、友人もでき、とにもかくにも羽根を伸ばすどころか育てる勢いで毎日遊び惚けるのがふつうである。だがしかし、もちろん試験はある。もう一度。試験はある。それも、かなり厳しめのが。なぜなら厳しくしないとせっかく小人料金の頭のやわらかい年頃から勉強させて招いたお子様たちが、脳みそすっからかんのおばかになってしまうからである。中でも期末はひどい。成績にも響く。受験が遠いからって、さすがにアヒルさん——つまり、2、だ——をとりたくないと思うのは当然だろう。そりゃ2は母親を般若に変える。

 というわけで、テスト前数週間分の授業は大事だ。テキストを忘れるなどもってのほか。それが国語ときたら、目も当てられない。国語の松岡先生は、必ず生徒に文を読まさせるのである。

 それであるというのに悠真は国語の教科書を忘れた。便覧も忘れた。ついでにワークも忘れた。

 つまり、ぜんぶ忘れた。

 あわてて隣のクラスに借りに行ったが全滅。お、おまえら、なぜ置き勉をしていない! それでも怠惰な中学生か! がっくりと教室の戸のど真ん中でうなだれた彼に、しかし神は手を差し伸べた。それも、とびっきりの使者の手で。

 それが彼女、秋山さんだった。

 

「あの、えーと、お、置き勉、じゃなくて持って帰るの忘れてて、ですね、……あの、つ、使いますか!」


 ものすごくどもってた。

 視線はあちこちにフラフラ移動して落ちつきなく、逃げたそうに腰もかかとの先も引けていて、ゆびのさきはぎゅっと教科書類を押さえつけるように持ち上げていた。彼女は、かなり、迷って迷って迷って悠真に声をかけたようだった。何しろ彼女にとって悠真は、この時点ではほとんど面識のない、なんか教科書忘れたらしい隣のクラスの男子、だったのだから。大人しい子ならなおさら、ためらって当然だった。使いますか、のところで疑問系ではなくうわずって断定風になっていた。緊張して、おびえて、すでにもう後悔しはじめている様子だった。悠真はぽかんとして、一瞬、言葉を失った。

 だけどすぐ、破顔した。とってもとっても、ありがたかったから。


「い、い、いいの? うわ、ほんと、ありがとう! 助かります! 終わったらすぐ返しにくるんで!」


 親切な女の子が拍子抜けしたように口を開け、「あ、う、うん……!」と何度も頷く。なぜか彼女の方が助かったような顔だった。

 おそらくこれがファーストコンタクト。

 でも秋山さんは——初果は、覚えていないだろう。






 そのことはとっても感謝していたのだけど、まあそれはそれ、わりとすぐに記憶の中から薄れてしまった。ものの貸し借りなど、そんなものである。だけど、廊下とか、食堂とか、中庭とか、登下校の道中とかで、たまたますれ違ったり、見かけたりすれば、自然と視線がいった。あ、あの親切な子だ。そんな風に。それはべつに、恋とか、気になるとか、そういうのではなかった。単純に、知り合いを目にしたときに覚える、おっ、という気持ち。おっ、山田くんが歩いておられるではないかー! いやだがしかし、彼とそれがしはそれほど仲の良いわけではない、挨拶するのもアレなところであろう。うーむうむ。詳しくたとえるとそんな感じ。

 その感じ、は中学三年にあがるまで続いた。

 そして悠真と秋山さんは、はじめて同じクラスになったのだ。


「あ」

「あ、教科書全忘れした……」

「あ、あはは。その節は、どうもお世話になりました」

「あっ、いえっ、ううん! ええと、お役に立てて光栄でした」


 このぎこちない会話っぷり、思い出すとちょっと恥ずかしい。でも、へへへとはにかみ笑う秋山さんは、たいそう可愛かった。

 でもこのときだって、恋はしていなかった。

 かわいいな、と思っただけだ。何しろ中三男子なので、それくらいあるのだ。







  ・・・






「……そーなんだと、思ってたんだけどなあ」

「お、オガくん、あの、頭を、頭を撫でないでいただきたい、でござる」

「なんで初果はそんなにかわいいんだろうねえ」

「ねえ聞いてる!? わたしの訴え、聞いてる!?」

「いーやーだ。言うほど嫌がってないでしょ」

「……っ、……っ、っ!」

「あはは。真っ赤っかだ」

「オガくん! オガくんがご乱心でござる!!」

「ねえ、初果」

「なななななんでござるか」

「武家ごっこしないで。女の子をかわいいって思うのって、恋してる証拠なのかなー」

「それわたしに聞く!? わたしに聞いちゃうの!? ちょ、せめて見ないで言って! あと突っ込むならもっとはやく突っ込んでほしかった!!」


 かわいい初果を真っすぐ見つめながら、わりと真面目に聞いたのに、そんな返事で俺はだいぶショックです。

 ええい、もっと撫でてやる。







  ・・・





 


 秋山さんと彼女の友人たちの、たわいない会話を聞いたのは、始業式の放課後のことだった。

 悠真ははやめに部活が終わって一旦教室に戻るところで、反対に秋山さんたちは学校から返るところのようだった。のんびりした足取りで昇降口に向かう彼女たちを、階段の上からなにげなく見つけたのだ。距離があったし、わざわざ声をかけても、まだクラスメイトとは分からないかなー、と思ったので、視線を向けるだけだったけれど。

 幸いにも、彼女たちの誰もこちらには気づいていないようだった。


「じゃ、タバタにしよ。今クリーム&梅クレープ出てるから」

「何それおいしいの? 梅とクリーム一緒にしちゃっていいの?」

「むしろなんでクレープにした」

「なんだよー! いいだろ珍味!」

「珍味とは分かってるんだ……」


 女の子のうちのひとりがつぶやいた。悠真も思った。なぜチャレンジする。


「うるさいうるさい! みな道連れであるー!」

「あ、そういえば初果さあ」

「え、ちょ、無視? 無視ですか? ねえ!」

「ん、なに?」

「初果さんまで無視ですかあ!」

「今日話してたのってあれだよね、去年っつーか、一月くらい? めっちゃ勇気出して教科書貸した相手」

「あ、小賀堀くん」

「そうそう、それー」


 どき、とした。

 お、お、俺、話題にされてる! つまみにされてる!

 悠真はひとり、かなり挙動不審になった。

 いや、そうじゃなくて。

 勇気?

 疑問符が頭の中で飛び回る。そんな中、秋山さんが、へらりと嬉しげに笑うのが見えた。

 

「いやー、あれ、ホッとしたよね。なんかこう、ちょうど持ってたし、勢いで突き出しちゃったけど」

「なんであんたがホッとするのか何度聞いてもサッパリなんだけど。むしろ向こうがホッとしただろ」

「だってほら、いきなり知らないひとからさあ、貸すって言われても、ていうか貸すのがわたしだったし、えっ何こいつキモッ怖ッ、とか思われたらってこっちこそ怖いというか」

「なにそれネガティブすぎ」

「むしろそのネガティブさが怖い」

「ううううるさいな、小心者なんですう。しかたないじゃん! 知らないひとだったし」

「つーかそれ相手に失礼じゃね?」

「うっ、そうなんだけど。でも咄嗟に、迷惑がられたら嫌だなあ、とか、思っちゃうんだってば。性分なの」

「でも初果だって、反対の立場だったら助かるでしょ?」

「それはまあね。でもそんなの、人それぞれだし。どう感じるかなんか分かんないよ。……だからねえ、ほんとにホッとしたんだよねえ。小賀堀くんが、やさしくていいひとで良かった」


 ——え?

 それは、あんまりにも、やさしくて、あたたかで、心の底から、安心した声で。

 だから、そのとき、すさまじい衝撃が彼を襲った。あまりにも強過ぎるその衝撃は、彼の頭蓋をがんがん揺らし、視界を酩酊させ、呼吸(いき)さえ止めた。


「ぱーっと笑ってありがとーってさあ、あれほんと安心したよう。いやあ、嫌がられなくてほんと良かった」

「いやふつー嫌がんないでしょ」

「小賀堀くんはきっとめっちゃいいひとだよ。教科書もていねいに使ってくれたし、今日もやさしく話しかけてくれたし」

「まあ善良そうだけど……」

「てかそれ、助かったってだけじゃ……」

「だからー、みんな話してみれば分かるって! あれはたまに損するくらいにいいひとだね。だいたい何ヶ月も前のこと覚えてたとか、すごい義理堅い」

「そりゃ確かに、そう、かも?」

「よく知らないからなんとも言えないなあ」

「いいひとだよ!」


 違うよ。

 目眩がする。

 違うよ、いいひとなのはきみだ。俺は、きみの友達が言うように、助かったってだけなんだ。だいたい、貸した方がそんなに安堵するのっておかしいじゃん。いいひとで良かったのは、あのとき、いいひとのきみがいて良かったのは、俺の、方、なのに。

 ああ。

 ぐらぐらした。足が覚束ない。顔が熱い。なんだか心臓が死ぬほど苦しい。足の裏から震えが走る。なんだこれなんだこれなんだこれ。えもいわれぬ感情が喉を駆け上がってくる。


 やさしい、いいひとで良かった。


 がん、と頭を勢いよく揺さぶられたような気がした。それぐらいの衝撃だった。それぐらいの、それぐらいの、これは——

 ぶっ倒れそうなほどの喜びだった。

 

 優しい、なんてそんなのはよく言われる。実のところは誤解で、それをときどき申し訳なく思うけれど。草食系なのは否定しない。でも、悠真はべつに、優しい人間のつもりはなかった。まわりは言う。悠真はだいぶ優しい気性の穏やかな男だと。

 だからやさしいなんて、言われ慣れている。

 なのに、——なのに!

 あんな風に、やさしい声で、本当の本当に安堵した声で、なんだかとまどうくらい嬉しそうに、やさしいひとだと言われたことが、秋山さん(・・・・)に言われたことが、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 いいひとで、良かった。

 ときどき、男にとって、いいひと、なんて言葉嬉しくないとか言うやつがいる。たいがいその男は失恋間際なのだけど、それは嘘だ、と悠真は思った。

 だって、こんなにも、心が。

 溢れんばかりの歓喜を叫んでいる。

 だってあんな声で、いいひとだと、言ってくれるのだ。言ってくれたのだ。やさしいのだと、一生懸命、友達に訴えたりなんかして。なんてばかなんだろう、やさしいのもいいひとなのも、きみの方なのに。

 いったい、これが嬉しくなくて、何なのだというのか。


「……う、わ………」


 うわ、うわ、うわ。

 ずるずるとしゃがみ込む。耳が真っ赤になっているだろうと自覚する。たったの一瞬で悠真の中身は光の矢によって焼き尽くされた、そんな気分だった。心臓がばくばくいっている。いつの間にか、秋山さんたちはいなくなっていた。そんなことにも頭が回らなかった。動揺はおさまらず、秋山さんの言葉ばかりが何度も何度もリフレインする。

 悠真はしばらくその場から動けなかった。

 ちょっとばかみたいに、幸せすぎて。




 


 しかし、ここで、すぐさま恋だと決めつけないのが、暢気で穏やかな彼たる所以である。

 あれは予想外の言葉が嬉しかっただけなんだ、たぶん。だってもし、あの一瞬の思い込みだったら、恋した相手に失礼だ。つまり、そう、秋山さんに。

 だって、べつに、あの子をどうこうしたいとか、ないしなあ。

 そんなことを思っていた時期が、悠真にもあった。ありました。

 でもその想いはすぐに覆される。

 特に目立った事件のない日々の中(悪友の女性事情は除くとして)、気づけば想いはふわふわ降り積もって、おそろしいほど大きく膨れ上がっていた。秋山さんはべつだん変わった子でも、とりたてて女の子らしいわけでもない。だけど、触れ合うたびに、なんだか胸がどくどく鳴って、幸せな気分になって、あの低い位置にある頭を撫でたくなる。そんでもって、できるなら、抱きしめてみたい。髪の毛を触って、頬をくすぐって、キスしてみたい。

 でも何より、真っすぐ一心に悠真を見て、その目にたっぷり熱を孕んでほしい。

 悠真のものと、同じように。

 明確な自覚は紅葉の舞う秋の半ば、きらきらした目で友達と話している彼女を見て、ふっと当たり前のことみたいに訪れた。ああそうか、そういえばそうだった、と忘れていたことを思い出したような、そんな。

 とても自然におのれの気持ちを理解した彼は、でもそのときはさすがに立ち止まった。ほんの少し驚いた。それから、もっと強く、思った。


 あの子、ほしいな。

 俺のこと、好きになって、ほしい。

 俺にめちゃくちゃにキスされても構わないくらいの、好き、に。


 瞬間、久々に、ものすごくやる気が出た。唇が吊り上がる。かかとから明らかに浮き足立った。そんな彼の姿に、あのとききみはスイッチ入ってそれはもう悪い顔してたよ、とのちのちに悪友はのたまった。

 それ、はやく言って。秋山さんにもし見られてたら、引かれてたかもしれないじゃん。








  ・・・









 もしかして、自分はあのときはもう落ちていたのだろうか。

 のんびり回想しつつ、そんなことを自問していると、ぽんぽんと手の甲を叩かれた。初果が控えめに悠真の意識を呼びよせている。


「オガくん、だいじょうぶ? なんかずっと眉根寄ってるけど」

「ちょっと思い出しててねー」

「いやな思い出?」

「違う違う、いい思い出。でも、自分でもちょっと分からないなーってとこがあって」

「ふうん。具合悪くないならいいや。あ、これ、名前書いてね」

「うん」


 へらり、と悠真は口許をゆるめた。いや正確には、にやけた。こんな適当な言葉をもらうだけで、呆れるくらい嬉しい。

 あー、好きだなあ。

 幸いなことに、どうやら彼女は悠真のことを嫌っていない。キスにもそれほど嫌悪感のあるようには見えなかった。まあ……喜ばれても、いない、けれども。でも、まだ許可は得ていないけれど、きっと近いうちに、うんと言ってもらうのだ。

 悠真はプリントにすばやく記名して、頬杖をついた。初果、となんてことないように声をかける。本当は心臓が飛び跳ねているのに。


「ところで初果は、俺を名前で呼んでくれたりしないの?」


 ぴし、と初果は見事に固まった。












 暢気で穏やかで控えめで、ちょっぴり気の弱そうな優しい男。

 それが、どうやら世間での彼の評判だ。

 だがしかし、彼のいっとう古い友人は異を唱える。


 曰く。


「いや、あれは、普段が手抜きってだけで、むしろやる気出した本質は、草食とはだいぶほど遠いと思うけどね……」


 ていうか、どっちかというと、肉食でしょ、と。



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