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終焉計画

連作短編として書いたものなのですべてを通して読むと全体像が分かるのかもです。


 それは、都下の市街にある街路樹に包囲された小暗い公園でのことだった。

 市街は猛暑を予感させる初夏の陽気に包まれているというのに、樹木によって秘匿されているその公園だけは、世間から爪弾きにされたかのように静謐(せいひつ)な冷気を帯びていた。


「君たちは、世界をなんと定義する」


 いかにも怜悧な印象を与える銀縁の眼鏡をかけた『教授』が声を低く落とし、輪になっている四名にそう告げた。木葉の隙間を抜けてきた太陽の光が、狙いすましたかのように眼鏡レンズに当たり白く反射させたので、四人に向ける眼光は刃物のように鋭利になっていた。

 教授以外の四人は互いの腹を探り合うようにして顔を見合わせた。

 教授の左隣にいる『虫籠』は、Tシャツの袖から出ているひょろひょろの腕を顔の前で振って返答を拒否する。その横にいる『親殺し』はポケットに両手をつっこんで、ぐちゃぐちゃとガムを噛み締め、端から答える気などないようである。『夢遊病』にいたっては、彼の目にしか見えていない幻想の蝶々を掴まえようとしてふらふらと輪から抜けていく始末である。

 回答を拒否する三人に対して、『引き金』だけは真面目くさった顔をし、礼儀正しく手を上げてから教授の質問に答えた。


「僕は、世界とは『地球』だと定義します」


 引き金の回答を教授は「ふんっ」と鼻息とともに一笑に付し、大仰な動作で腕組みをする。俺様の質問に答えを示しただけでも評価してやろう、と言い出しそうな勢いであったが、その顔には満足げな薄笑いが広がっていた。


「なんの捻りもないな、引き金。しかし、ある事柄を定義する上でもっとも常識的な意見を最初に挙げることは良い事だ」

「は、はい。ありがとうございます」


 恭しくお辞儀をする引き金の態度を満更でもなさそうに受けた教授は、


「それでは、虫籠。次は、君の意見を聞こうか」


 街路樹の一つのように突っ立っている虫籠に指針を向ける。

 虫籠は無言だった。振り子のように上半身を左右に揺らしている姿は放心しているように見えなくもないが、小さく「世界ねぇ」という呟きを残しているので、ちゃんと教授の質問を思考しているようである。

 上背のある虫籠が大きく上体を揺するその姿は、周囲の薄暗さも相まって夜風に吹かれた柳のような不気味な雰囲気すら漂わせていた。教授と引き金もやや表情を引き()らせながら虫籠が放つ言葉を黙して待った。


「そもそもさ、世界っていう言葉の語源って何なのさ?」


 黙考の末、そう訊ね返した虫籠に教授は眼鏡の位置を修正してから答える。


「『世』の字は、過去、現在、未来の三世を表し、『界』は、東西南北と上下を表す。つまり世界とは、時間と空間を包含した概念という解釈でいい」

「ならさ。それでいいじゃない、世界の定義」


 虫籠は億劫そうにそう告げて身体の揺さぶりを徐々に緩めていく。


「それでは駄目なのだ」


 低音の声で語勢に重みを乗せた教授は、「私たちの使命はなんだ、親殺し」と、ガムの咀嚼に余念がなく会話に参加しない親殺しに振った。


「あ?」


 親殺しはだらしなく口を開け、話を寄越してきた教授を威嚇でもするかのように睨みつける。ぐにゃりと開かれた口内には、彼によって散々噛み締められたガムが色褪せた顔をのぞかせていた。


「私たちの使命はなんだ、と訊いたんだ」


 反抗的な親殺しの態度に臆することなく教授は毅然とした姿勢を保って繰り返す。逆に親殺しは教授の威容に中てられ、それを誤魔化すようにして金髪頭を掻きむしる。

 なかなか言い出さない親殺しを怪訝に思った教授は、親殺しへと一歩接近して言った。


「まさか、忘れたのか?」

「はっ? んなわけねぇだろ!」


 それでも言葉を継げない親殺しを庇うようにして、引き金がはきはきと代返する。


「僕たちの使命は、世界の終わらせ方を考えることです、教授」

「そうだ。私たちの使命は世界を終わらせることだ――分かったか、親殺し」

「だから! 知ってるっての!」


 教授から侮蔑の視線を向けられた親殺しは、さらに激しく頭を掻きむしり始める。金色の髪の毛が幾本か落下したが、それでも怒りの収まらない親殺しはガムを噛み締めることも忘れて頭を掻き続けた。


「私たちは世界を終わらせなければならない」


 親殺しの所為で緩み始めた空気を引き締めるように教授は厳然と言い放った。


「世界を終わらせなければならないということは、世界をアプリオリとしてではなく、私たちの手で実際に終わらせることのできるものとして、認識しておく必要があるということだ」

「は? プリン、なんつった? 意味分かんねーよ、なぁ?」


 仲間を求めるようにして言った親殺しと引き金も虫籠も同意見だったようで頻りに首を捻っていた。そんな三人にまたもや教授は落胆するのかと思いきや、今度は彼も唇を結んで押し黙っている。どうやら彼自身も自分の述べたいことを克明に言葉として吐き出すことができなくて思い悩んでいるようだった。

 ざくざくざく、と公園の隅にある砂場で夢遊病が穴を掘っている音だけが虚しく響いた。楽しそうに穴掘りをしている夢遊病に目をやった親殺しは、「あいつは本当にのんきだな」と、今までの自分を棚に上げるような発言をする。


「いいよな、周りの目も気にせず自由でさ」


 虫籠もどこか恨めしそうにして夢遊病をそう評価した。


「どうだろ、夢遊病にも夢遊病なりの悩みがあるんじゃないかな」


 夢遊病を気遣った引き金がそう言うと間髪入れずに親殺しが「んなわけねーだろ」と鋭く反論して砂場の夢遊病を指さした。


「見てみろよ、あの夢中になって穴掘ってる姿をよ。あんな奴に悩みがあるとしたらモグラにだってあんだろ」

「モグラの悩みってなにさ」


 掘り上げた穴にのめり込むようにして上半身を入れ、さらに奥へと掘り進んでいる夢遊病に苦笑いを向けた虫籠が訊ねる。


「そりゃあ、あれだろ? 爪に砂が入って取るのが大変、とかだろ?」


 親殺しは同意を求めて引き金の顔を一瞥する。引き金は、「僕はモグラじゃないから分からないけど――」と律儀に前置きをして続けた。


「モグラの指先は、僕たち人間とは異なった形状をしていて土が入らないようになっているんじゃないかな」

「爪に土が入って困っているモグラの姿ほど滑稽で見たくないものはないよな」


 自分の細い指先を見つめながら薄っすらと笑った虫籠。その微笑が自分への嘲りだと勘違いした親殺しが、「ああん?」と恫喝の声を出して眉間に(ひだ)をつくった。


「てめぇの見てねぇとこで、モグラの爪に土ぃ入ってるかもしんねーじゃねぇかよ。てめぇが見たくねぇからってそれをないもんだと思ってんじゃねぇよ、ばーか」


 絡んでくる親殺しに虫籠はため息を吐き、「じゃあ、聞いてみればいいじゃん」と面倒くさそうにしてあしらう。


「聞いてみるって誰にだよ? まさかモグラにとか抜かすんじゃねぇだろうな?」


 嘲笑を交えて言った親殺しを余所目に、虫籠は骨ばった腕をすっと上げて指で砂場を示す。その先にはモグラのように穴を掘っている夢遊病の姿がある。


「彼に訊けばいい」

「はっ、あいつに訊けってのか? お前、馬鹿だなぁ。あいつは人間だぜ?」


 親殺しは堪え切れなかった笑いを豪快に吹き出した。その拍子にこぼれたガムが地面に落下し、砂に塗れて転がりながら四人の輪の中心で停止する。先ほどから教授は黙想しているかのように身動ぎをせず、公園中に響き渡った親殺しの哄笑も耳に入っていないようだった。虫籠も親殺しに本気で相手にすることが無意味であると悟ったのか、意図的に抑制した声音で静々と言う。


「知ってるさそのくらい。でも夢遊病は現に穴を掘ってるだろ。その行為自体はモグラのそれと何にも変わらないから、もしかしたらモグラの気持ちが分かるかもってことだよ」

「モグラの悩みは、爪に土が入ることなのか」


 引き金によって呟かれた言葉は、どれほど自分たちが意味のない話題に熱を注いでいるのか、それを彼らに痛感させた。

 生憎(あいにく)、親殺しにはそのような感慨はなかったらしく、「じゃあ、俺が訊いて来てやるよ」と軽薄な笑みを残し飄々と砂場へと走って行った。

 夢遊病によって空けられた砂場の穴は、子どもならすっぽりと覆われるほどの大きさにまで拡張されていた。

 その大穴に近付いて行った親殺しは中腰になって穴の中をのぞき込み、そこにいる夢遊病に何かを叫んでいるようだった。

 しばらくして浮かない顔で戻ってきた親殺しは、もう口内にはガムがないのに口を動かして言う。


「駄目だ、あいつ。自分の世界に夢中になっちゃってて、何にも聞こえてないみたいだ」


 親殺しがため息交じりに言ったそのときだった。

 今まで岩のように黙っていた教授の双眸から火花が散った。


「親殺し、いま、なんて?」

「え?」

「今なんて言ったッ?!」


 もはや怒号といってもいいほどの声量で教授が叫ぶ。その声圧に押し出されて樹冠に停まっていたカラスが逃げるようにして飛び去っていった。威圧されている張本人である親殺しはしどろもどろになりながら、「駄目だ、あいつぅ?」と教授のご機嫌をうかがうように語尾を上擦らせて言った。


「その後だッ!」

「え、えーと。俺、何て言ったけ」

「自分の世界に夢中になっちゃってて、何にも聞こえてないみたいだ」


 引き金は、まるでテープのように親殺しが口にしたものをそっくりそのまま繰り返した。


「そう。それだ」


 教授は深く首肯した。


「私たちが探し求めていた『世界』とは、それなのだ」

「それとは、どういうことですか?」

「分かりやすく説明してよ」


 引き金と虫籠が揃って教授に訊いた。

 教授は幾秒か瞑目して頭のなかを整理させ、厳かに口を開く。


「私たちの肉眼では厖大な宇宙の全容を知ることはできず、顕微鏡を使わねば微生物の姿も観ることは叶わない。……それは、つまり、認識できないほど極大なものと認識できないほど極小なものは、両者とも観測することが出来ない以上、同義なのだ」

「こいつ何語を喋ってるんだ?」


 顔を突き出した親殺しに構うことなく、教授はまるで大聴衆の前で演説しているかのように鷹揚な動作を交えながら続ける。


「私たちは、世界を茫漠とした超然的なものとして捉えすぎていた。それは完全な誤認だったのだ。世界とは、もっと身近で個人的なものとして捉えるべきだったのだ」


 芳しくない反応に業を煮やしたのか教授はやや声を荒げ、


「簡単に述べてしまえば――」


 自分の鳩尾の辺りを軽く叩いて言った。


「世界は、ここにある」


 教授はそう言って自分の胸をもう一度指で叩いた。

 彼の言動が意味するもの掴みかねていた虫籠と引き金、親殺しの三人は、自分なりにその言葉を咀嚼して理解するために口を噤む。最も早く開口したのは虫籠だった。


「世界が胸にあるっていうのは、比喩だよな?」


 教授が頷くのを待ってから虫籠は言葉を繋ぐ。


「それってさ、教授がさっき言っていた、世界とはもっと個人的なものとして捉える? だっけか。……つまり、俺たちがそれぞれ持っている価値観みたいなものが、世界だってことでいいんだよな?」

「そうだな」

「そうだなって……。それだけかよ」


 何か気掛かりなことがあるのか、教授は公園の入り口近くに立っている時計塔を頻りに気にしていた。突然、落ち着きを欠き始めた教授に、虫籠は懐疑的な目線を向けながら話を続けた。


「んでさ、要約すると、俺たちが考えなきゃならない世界の終わらせ方ってのは、地球を核兵器で滅亡させるみたいな非現実的なことじゃなくて、自分の考え方とか、そういったもんの終わらせ方を考えろってことだよな? 結局それは、その……自殺ってことだよな?」

「いや、私はそれだけじゃないと考える」


 引き金と親殺しは、彼らの会話を聞き漏らさないように意識を耳に集中させていた。時計の針から目を戻した教授は口にする。


「世界が己の価値観だとするならば、虫籠が述べた自殺が世界を終わらせる方法、というのも答えの一つだけれど、選択肢はそれだけじゃない。世界を終わらせるとは、その人によって異なる手法が取られるのだろう」

「その一つだけじゃない選択肢のなかから、俺たちが世界の終わらせ方を見つけ出すってんだな?!」


 どうにかして口を挟む機会をうかがっていた親殺しがここぞとばかりに声を張って訊ねると、教授は小さくため息を吐いた。


「私の言葉を聞いてなかったのか?」

「あ? 聞いてたよ。世界を終わらせる方法にはいろいろあるから、これからそれを一つに絞るんだろ」


 教授が再び息を吐いて時計を見上げた。


「世界が胸にある。これを平明な言葉に換言すると、世界というものは、その人自身の視点や感覚に左右されるということだ」


 既に理解している虫籠と引き金はこくりと頷く。しかし、親殺しはまだ得心がいかないようで金髪の後ろ髪を掻きながら首を捻った。とぼけた様子の親殺しに教授の態度は苛立たしげになる。


「だから、世界っていうものは人それぞれで認識が異なるので、その終わらせ方をどれか一つに定めることはできないのだよ」


 教授が大人びた口調をやや乱して言うと、親殺しは怯みながら慌てて言い繕った。


「で、でもよ。俺たちは、その世界の終わらせ方を考えるためにここに集められたわけだろ? ってことはよ、終わらせ方もちゃんと決めなきゃいけないんじゃねぇのか? 人それぞれ、とかそんな曖昧な感じじゃなくてよ」

「それは、そうだが……」


 親殺しの指摘に教授は途端に歯切れ悪くなる。たしかに親殺しが言っていることは正鵠を射ていると彼も自認しているのだろう。


「僕は、選択肢をどれかに絞る必要はないと思うよ。世界は人それぞれで異なるってことは、その終わらせ方も人によって違うと思うんだ。だからそれを決めるのは難しいと思う」


 引き金の意見に虫籠が言い添える。


「それでもある程度は考えを固めといた方がいいじゃないかな。親殺しの言ったこともそれなりに正しいだろ。というか、そうじゃないと俺たちがここに来た意味ってないしさ」


「だろ?」と、親殺しは賛同者が現れて嬉しそうに言った。

 二人に押し切られる形で考えを改めた教授は、しかつめらしい顔をして口火を切った。


「それでは、各々の意見を聞こうか」

「俺の考えはさっき言ったやつ」


 誰かに取られる前にと間髪入れずに虫籠が口にした。


「自殺、だよね」

「そう。むしろ俺はそれ以外の方法を思いつかないね。世界が自分のなかにあるっていうんならさ、それを終わらせることは自分を殺すことしかないって」


 訊ね返してきた引き金に向けて虫籠がそう返すと、教授は「他には?」と、引き金と親殺しに視線を送る。


「俺はな――」


 親殺しは考えようとしていたようだったが、何も思い浮かばなかったのかすぐに諦めて、「俺もこいつと同じ意見だ」と顎先で虫籠のことを指しながらそう言った。


「私は、親殺しの意見を訊きたいのだよ」

「いや、だからよ。こいつと同じ自殺だって、世界を終わらせる方法」

「親殺し。お前は、高圧的な風貌な割に、自分から何も発現しようとしないな。私はお前が考えた意見を訊きたかったというのに……」


 その髪の色は見かけ倒しか。


 最後に付け足された言葉によって親殺しの瞳は警戒する猫のように拡がり、吹いてきた風で彼の前髪が硬質な針のように振動した。

 険悪になり始めた雰囲気をいち早く察した引き金は、「えっと、僕はね!」と、わざと明け透けな声で割って入った。


「自閉的になって周囲と没交渉になることで、自分だけの世界で生きることも世界を、自分を終わらせることだと思う」

「それならよ」


 親殺しは教授から目を逸らすようにして、砂場を顎で指し示した。


「あいつはもう大丈夫だな」


 砂場に掘られた穴から夢遊病が恍惚の顔をのぞかせていた。


「自分の世界にこもりっきりだぜ。あいつの世界はもう終わってるな」


 親殺しは低く笑う。その笑い声は、どこか自分自身に向けられた自虐的なもののように聞こえた。

 公園を取り囲む植木の防壁を越えてきた夕風が錆のように痛んだ公園の砂を運んでしめやかな音を立てる。その小波のような音によって、一時期は盛り上がりを見せていた議論の場が、まるで夢から覚めたかのように白々しい虚構のように変わってしまった。

 木葉の網を透き抜けた陽光には淡く赤みが増しており、雑草が茂った公園の地面に、血しぶきのような夕暮れの木洩れ日をぽつぽつと落とし始めた。

 それまで自由奔放に砂場で穴を掘っていた夢遊病は唐突に何事かを思い出したのか、自分をすっぽりと覆っていた穴からせっせと抜け出し、土でどろどろに汚れた手を振ってブランコの方まで駆け戻ってきた。


「僕ね。もう帰らなきゃ」


 夢心地になる声でそう彼らに言った。

 虫籠が「どうする?」と教授に向けて訊ねる。


「もういいだろう」


 教授が物憂げに答えた。


「もう帰っていいって」


 中腰になり夢遊病と目線を合わせて言った虫籠は、年下の子の対応に慣れているようだった。頷いて立ち去ろうとした夢遊病を虫籠が慌てて呼び止めた。


「その手、すごい汚れてるから洗った方がいいよ」


 指摘された夢遊病は、何を言われたのか理解していないようで、自分の手を観察するようにヒラヒラと裏返していた。


「洗わないと、お母さんに叱られちゃうよ」


 虫籠がそう続けると、夢遊病は色白の顔をさらに白めて小さく頷いてから公園から走り去っていった。

 夢遊病の小さな背中が公園の入り口を折れて見えなくなると、親殺しは無言で入り口へと向かっていった。


「俺も、もう帰るよ」


 虫籠はそう言い残し、親殺しに続いて公園を後にした。

 教授と二人残された引き金も、辞去の言葉を述べようと口を開きかけたそのとき、長らく沈思していた教授が「ちょっと待ってくれ」と他のものがいなくなる機を待っていたかのように口を開いた。


「引き金。いや、金田基と呼んだ方がいいのかな?」


 そう呼び直した教授の視線が、真っ直ぐ引き金の眉間に突き刺さる。その鋭さに耐え切れなかったのか、引き金の片頬は釣り針に引かれたかのように素早く痙攣した。引き金は僅かに表情に表れた動揺を誤魔化すようにして口を動かす。


「僕のこと、知ってたの?」


 夕日と木々の陰りで赤黒さを帯び始めた公園。入り口付近の時計はもうすぐ夕方の六時を示す。


「まぁ、同じ塾だしね。……それに僕が知っているのはそれだけじゃないよ」


 教授の言葉遣いからは先刻までの傲慢さがさっぱりと抜け、年相応の子どもの口調になっていた。


「君が、これを僕たちに配ったんだよね?」


 教授は便箋を顔の横に掲げる。口にした言葉は疑問形ではあったが、その語尾は断定的な強さがあった。

 引き金は片目を細めて言い返す。


「どうして分かったの?」


 声を荒げないように音節を意識しているようであったが、火花が散る目頭を隠すことができていなかった。その熱力を逃がすため、引き金は教授の背後にある夕闇に陰った藪へ矛先を向け、そこへすべてを発散した。


「そうだね……。気になったのはこの便箋に書かれていた『世界の終わらせ方を一緒に考えませんか?』という文面」


 荒波だった引き金の心象に対して、教授の声音には凪のような静寂さがあった。それを疑問にも感じながら引き金は、黙って続く言葉を待った。


「一緒にっていう言葉は、『一緒に何々しませんか』みたいに、行為を共同することを勧誘する場合で用いるよね? だから、この文章を書いて配った人物も指定されたその場に現れるものだと推測した。そこまではまぁ良かったんだけど……どうしてこんなものを僕に送りつけてくる目的が皆目分からなかった。ただのイタズラにしては地味だし、書いてある文章はどちらかというと友好的なものだし。まさか本当に世界の終わらせ方を考えようとしているヤバい奴が、僕に興味を持って手紙を寄越したんじゃないかとも思ったよ」


 教授は子どもらしい笑いを浮かべる。引き金はその屈託のない笑顔に毒気が抜かれたのか、双眸(そうぼう)に宿っていた感情が夕闇へと放熱されていった。


「あと、塾のときにだけ使う鞄に便箋が入っていたから、その人物は十中八九、塾に通っている子だと思った。あの塾に通っていて僕にこんなことをする人物。どんな子だろうと一度気になったら、僕はこの手紙を送って来た人物に興味を持った。目的が気になったし、もしかしたら切欠になるかも知れないと思ったから」

「切欠? 何の?」


 引き金は思わず口を挟む。話を遮られたことをむしろ喜ぶように教授は頷いた。


「父親を殺すためのだよ」


 引き金は背中の溝をなぞられたかのような感覚がした。日の入りにはまだ猶予があるが、公園のなかはもうすでに夜のように暗い。


「冗談?」


 引き金は、かすかに震えた声が薄闇を通って教授にとどいたか不安になった。


「どうだろう。簡単に言い触らしてしまうくらいだから本気じゃないのかも。でも、殺し方は、ずっと前から考えてた」

「どうやって殺すのか、聞いてもいいかな?」


 引き金が訊ねると、教授は数学の公式を暗唱するように喋り出した。


「単純に撲殺だよ。凶器にはコンクリートのブロックのように分厚くて硬い辞典を使う。あいつの部屋にはそういった馬鹿デカい本がいっぱいあるんだ」

「でもそれだと、殺されたってすぐに分かって捕まっちゃうよ」

「うん。だから、本で殴ったあとに、床に倒れたアイツの上へ本棚にある書籍をぜんぶ落とそうと思うんだ。そうすれば、事故に見せかけることができる」

「それはちょっと難しいんじゃないかな……。相当大きな地震でも起きないかぎり本棚からすべての本が落ちてくる状況ってそうそうないよ」

「その問題はもう解決済み。あいつの部屋ならなんとか誤魔化せる」


 教授の声音には底知れない確信があった。

 そして、まるでその裏付けのように夕暮れの街中に六時を報せるメロディーが街の要所に設置されたスピーカーから響き始めた。哀愁を誘うようにアレンジされた市歌。この街に住まうものは毎日嫌でも聞く羽目になるので、空でも口ずさむことができる。


「今日の塾は早く終わる日だから、そろそろ帰らないと」

「家、ここから遠いの?」

「駅の方だからそれなりに、かな。ここからだと走っても二十分くらいかかるよ」

「そう分かった。それじゃあ、また――」


 引き金は思う。

 僕はどんな意味で「また」と口にしたのだろう。

 また明日、とでも言おうとしたのだろうか。




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