第20.5話 -閑話- 小室雄也の受難
「あー疲れたー」
城の中は思ってたよりも広く、この世界に来た当初は迷いに迷い、どこかに行く時は必ずメイドが一人付き添っていた。
ひと月を過ぎてからというもの、さすがに城の構造に慣れた雄也達は、メイドをお供にしなくても主要な場所に迷うこと無く行けるようになっていた。
城の中にある大浴場も、その一つである。
パーティーに臨む前に一度は入浴したものの、香水臭い貴族の対応やら冷や汗やらと、慣れないことが立て続けに起こったので、寝る前にもう一度入りたいと思ったのだ。
「うーっ……あぁー……」
雄也はまるでゾンビのように呻きながら服を脱ぎ、大浴場へと足を踏み入れた。
半ばぼーっとしながら湯船のお湯を身体にかけ、嫌な汗を流していく。
頭から足まで覚束ない手つきで洗ってから浴槽に入ると、「あ゛~」と渋い溜息が溢れた。
緊張して硬くなった手足がほぐれていく感覚。
元々は趣味と言っていいほど、風呂に入るのが好きな雄也。
口にしたことはないが、この世界に風呂があることに感謝をしていた。
この世界に風呂があるのも、きっとここが水の大陸だからだろうという耕介の推察だが、雄也にとっては風呂に入れるのなら細かいことはどうでも良かった。
「気持ちいいー……このまま寝そう……だぁー……」
「この場で寝たら死にますよ? まぁ、死なせませんが」
思わず漏れでた独り言。
だが、それに反応があると思っていなかった雄也は、完全に思考が停止した。
もしくは、どうも聞き慣れていない──いや、ある意味で聞き慣れた声が背後から聞こえてきた、という現実を認めたくなかったからかもしれない。
恐る恐るといった様子で、声の出どころへ顔を向けると────
「あら? 酷い顔をされていますねマスター。そんなに疲れたのですか?」
今日仲間入りしたウンディーネが、一糸纏わぬ姿で佇んでいた。
柳のようにスラっと流れる長い髪。
そこから覗く、ヒレのような耳。
出るとこは出ている、均等の取れたプロポーション。
そして目を引く神秘的な蒼い肌。
魚のようだった下半身は、今ではすっかり人間のそれになっていた。
大精霊ウンディーネとして対峙した時とは、色々と変わっている。
その現実を認識するまでたっぷり5秒。
雄也の思考が再び動き出すと、お湯をかき分けて後ずさり、ウンディーネを視界から外した。
「え、は、お、ちょ、う、な、何してんの!?」
「目が覚めましたか? 何をしているも何も、わたしはいつでもマスターと共にあります」
「いや、だってここ男湯────」
「わたしは精霊ですから男も女もありません」
「いや、それは無理がある! どう見ても女じゃないか!」
「マスターの望む人物像ですので……何をそんなに動揺しているのですか?」
「ど、どどど動揺なんてしてません!」
「では問題ありませんね」
「大有りだー!?」
「何故です? 前の世界では女性の体と交わるシーンを数多く見てきたじゃありませんか? 今更この体を見たところで────」
「やめて! それ以上は言わないで!!」
慌てる雄也を見て、では問題ないですねとウンディーネが言うと浴槽に身を沈めた。
「とてもいい湯ですね……「それじゃ、おれはこれで」──『拘束』」
ウンディーネの一言に従い、そそくさと出ていこうとした雄也に、浴槽の湯が襲いかかった。
「ちょ! これっ! 動けないっ!!」
立方体の形をしたお湯に、首から下が全て飲み込まれた雄也。
懸命にもがくが前に進むどころか、昼間に落ちた湖と同じように、かき分けて進むことが出来ない。
無駄な抵抗だと悟った雄也は両手を上げ、ウンディーネに抵抗はしないという意思を見せた。
ウンディーネは嬉しそうに微笑むと、雄也を捉えた水の塊を自分の前に移動させた。
「……マスターに何のつもりだ?」
「せっかくやっと2人きりになれたのですから、マスターとお話をと」
「それなら早く言ってくれれば──」
「それを言う前にマスターは逃げたじゃありませんか」
「ぐっ……」
ぐうの音も出ないとはこのことで、雄也は視線を逸らした。
「1つだけいいか?」
「何でしょう?」
「髪は風呂に浸すものじゃない。結くなり何なりして頭の上へ持ち上げるのがマナーだ」
「…………なるほど」
ウンディーネは得心がいったというように頷く。
すると髪がひとりでにうねり、お湯に四散して浸かっていた髪が宙に浮かび、そのまま静止した。
水を自在に操れるだろうウンディーネだから出来る芸当なのだろうが────。
「……せめて髪を一纏めにしてから後ろに流してくれ。不気味すぎてちょっと……見てるのが辛い」
「……2つになりましたが……分かりました」
「ついでに拘束も解いてくれ。湯船の上に浮かんでるっていうのが気になる」
「…………」
「もう逃げやしないから!」
「……ふぅ。分かりました」
渋々といったようにウンディーネは雄也を浴槽の中へと戻す。
大きく息を吐きだした雄也は、ウンディーネから少しだけ距離をとって背を向けた。
「これで勘弁してくれ」
「……人と話す時は相手の目を見て話すものではないのですか?」
「話ってなんだ? わざわざ2人の時を狙ったのは他の人に聞かれちゃまずいことでもあるのか?」
「…………まあいいでしょう。一応耳に入れておいて欲しいことがいくつかあります」
「とりあえず、話してみてくれ」
「はい。今回マスターと契約して分かったことなのですが、マスターの魔力総量が絶対的に不足しています」
「お、おう。そうなのか。それが何か問題なのか?」
「端的に言ってしまうと、このままでは上級魔法と分類されている魔法が使えません」
「…………はい?」
「コウスケくんとダイキの話を少し耳にしました。Aランクモンスターと戦うためにも、大精霊との契約が必要だったと」
「えっと、そう……だね」
「本来、上級魔法というものは簡単に扱えるものではありません。魔法の本質を理解し、長年の修行に耐え、自身の力量を見極め、魔力を細かく制御することで精霊に認められ、上級魔法を扱えるようになります」
「え、それなら何でおれを認めたの?」
「いじめ甲斐がありそうだったので」
「は?」
「いえ、何でもありません。とにかく、今のマスターが上級魔法を使おうものなら、全身の魔力が枯渇して死に至ります」
「…………え、マジで?」
「まじです」
「え、マジって言葉知ってんの?」
「…………とにかく、これからの修行は魔法も行なってください。もし上級魔法を使うのであれば、ですが」
「うーん……」
「わたしと口付けを交わした時のことを覚えていますか?」
「うぇ!? ちょ、おま! なんで今そんなことを────」
その時のことを思い浮かべて、雄也は赤面した。
「あの時、力が抜けていく感覚があったはずです」
「……そういえば」
口付けしたことは一先ず置いておき、あの時の感覚を鮮明に思い出していく雄也。
「体力が奪われていくというか、身体に力が入らなくなっていったな」
「あれは、わたしがこの世界に顕現するために必要な魔力を、マスターからもらった事による代償です」
「…………なるほど」
「そして身の丈に合わない魔法を行使していけば、あっという間にあのような状態になります。下手をすれば生命の危険もあります」
「……つまり、あの時地味に生命の危険があったと?」
「わたしの場合は顕現するために必要な魔力を調整出来ましたので問題ありません。もっとも限界までいただきましたが。口付けを交わしたことで、マスターの魔力を運用することが私にもできるようになりましたし。上級魔法もわたしの意思で使用しません。ですが……」
「何か問題が?」
「これが耳に入れておいて欲しいことのもう一つです。はっきり言いましょう。マスターから頂いた魔力は必要最低限で、わたしが積極的に戦闘に参加できるほどではありません。周りの精霊の力を借りて魔法は使えますが、戦力としてはコウスケくんとあまり変わりません」
「…………ナルホドー」
「故に当分は格上とは戦わないほうが得策と思われます。もっとも、わたしは楽しめますが」
後半の言葉には耳を貸さず、ウンディーネの言葉は結構重大な話なんじゃないかと考え始めた雄也。
かと言って今更国王などに説明はできない。絶対に。
今更どの面下げて『大精霊は頼りになりません』なんて言えるだろうか。
しかもそれが自分のせいでなんて事がバレたら……。
雄也はそれ以上は考えまいと頭を振った。
「えっと、つまりおれの総魔力量? が、大きくなればなるほどウンディーネは強くなるってこと?」
「そう考えてもらって構いません」
「そ、そっか。ちなみに、今って通常の何割くらいなんだ?」
「5%というところでしょうか」
「Oh……」
頭を押さえながら、思わず母国語ではない言葉が口をついた。
それほどまでにショックを受けた雄也はしばし考える。
「まぁこちらとしてはギリギリの戦闘を楽しめるからいいのですが」
「…………」
「マスター?」
「…………どうすれば総魔力量って増えるんだ?」
「集中力を高め、大気中にある魔力素を多く操れるように慣れていくしかありません。つまり、魔法を効率よく運用する訓練をすれば──」
「つまりたくさん魔法使って、身体に慣れさせるのね。オーケーオーケー」
小難しい話になりそうな雰囲気を察して逃亡をする雄也だった。
「どれくらいの期間やらないといけないとか感覚でいいから分かる?」
「それは申し訳ありませんがマスター次第です。訓練せずとも魔力素を制御する力に長けた人間もいますので。昔は魔力素ではなく、精霊と直接対話して魔法を行使する人間もいましたが──」
「なるほどねー。はいはい。つまりは未定ってことねー」
思ってた以上にまずい事態に、冷や汗をかきそうになるが、雄也はこの場が風呂で良かったと安堵していた。
ついでに、これは改めて明日みんなに相談するべき内容だと決め、考えるのを放棄した。
「とりあえず明日からの修行の方針は魔法優先ってことでいいんだよね?」
「いえ、それはマスター次第です。認識していただきたいのは、上級魔法が今のままでは使えないということと、わたしは期待されるほどの戦力にはなれないということです」
「話を聞いている以上、魔法の訓練もしないといけない気がするんだけど」
「戦闘を楽しむには丁度いいハンデかもしれません」
「…………」
「マスター?」
「……いや、いい。何でもない。気にしたら負けだ。話はこれで終わり? そろそろのぼせる前に上がりたいんだけど」
「そうですね。十分に堪能したのであがりましょうか」
「…………あぁ、そうね」
◇ ◇
大樹に宛てがわれた部屋は、教室1つ半くらいの広さがあり、十人くらい入ってもまだまだ余裕があるくらいには広い部屋だ。
対して雄也と耕介が過ごしている部屋は、大樹の部屋の4分の1程度。
今まで住んでいた自分の部屋に比べれば十分だが、大樹のいる部屋と比べれば大きくはない。
自室に戻ってきた雄也は独りごちると、一直線にベッドへと足を運んで身を投げた。
メイドが部屋を綺麗にしてくれるので、部屋にはチリひとつ落ちてはいないし、ベッドもフカフカだ。
そんなふかふかベッドに包まれていると微睡みそうな心地良い感触に身を任せ────たくなる衝動を押さえて、起き上がった。
「何をしているんだ?」
その視線の先には、ネグリジェを纏って今にもベッドに入って来そうなウンディーネがいた。
「なぜ、と言われてもわたしはマスターと共にあるのですから、寝床を共にするのも当然かと」
「……冗談だよな?」
「いえ、本気です」
「……ま、またまたー」
「本気です」
「…………」
「本気──」
「分かったから! いや、分かっても賛同はしないけど!」
いつもは大樹の部屋に集まっていて、自分の部屋は寝るくらいにしか使わなかったので、今まで置いてある家具について気にならなかったのだが……
「とりあえず、ベッドからどこうか?」
1人で寝るには大きいな──位にしか思っていなかったキングサイズのベッドが、今ではとても煩わしく思える。
「『ぎゃるげー』や『えろげー』というものにはこういう場面が多くあったので、こういうものかと思っていたのですが何か違いましたか?」
「いや、合ってるよ!? 合ってるけどさぁ!!! これ、現実なの! そんで、おれが女苦手なの知ってるよな?」
「はい。なので共に────」
「いや、だからおかしいだろ!」
昌人のおかげでツッコミ慣れしている雄也は、被せるようにツッコむ。
「…………いい機会だ。ウンディーネに聞きたいことがある」
「はい。何でしょう?」
「…………何が狙いだ?」
契約をしてから今までの事を振り返り、雄也はウンディーネへの視線を強くした。
「狙い……とは?」
「契約した経緯をおれが隠そうとしているのは分かってただろう?」
「口づけをしたことですね」
「────ッ! わざわざ言わなくてもいいから! おれに協力的なのかとおもいきや、王様を前にしておれがマスターだって主張するし……何を企んでる?」
「マスターを偽るなど、わたしのプライドが許しません」
「それなら……なんでそんな猫被りしてるんだ? 戦闘してた時はもっと────」
「わたしはもともとこういう性格ですよ?」
「いや、だってあれはどう考えても戦闘きょ──」
「わたしはもともとこういう性格ですよ?」
「あえて聞き逃してたけど、さっきも──」
「わたしはもともとこういう性格ですよ?」
「…………わかったもういい」
「理解していただけたのなら幸いです」
雄也は大きくため息を吐いた。
これ以上は無意味な応酬になると判断したためだ。
「ウンディーネは精霊なんだろ? せめて、霊体みたいに姿消えたりとか出来ないのか?」
「レイタイ、というのが何なのか分かりませんが、顕現した以上この世界の生物と同じ扱いになりますので、消えたりとかは出来ません」
「よし。今からウンディーネ用の部屋を用意してもらおう」
「いえ、用意されてもわたしはこの部屋を出ません」
「それじゃおれが出て行く」
「ならわたしも────」
「……あのな? おれ、おんな、にがて。おまえ、おんな、おーけー?」
言語の伝わらない相手に一言ずつ確認するように、雄也は身振り手振りで伝える。
「わたし、マスター、ともにいる」
すると同じようにウンディーネも自分、雄也と指をさして返してきた。
「…………分かった。おれはソファで寝る」
「それでは疲れが取れないでしょう? ベッドで寝た方が良いと思いますが」
「よ、よくもまあ……しれっと……なら、お前はソファで寝てくれ」
「一緒に寝るのはダメな」
「ダメだ!」
「…………分かりました。マスターも疲れているでしょうから、それで譲歩しましょう」
「……そうしてくれ」
不毛な言い争いを覚悟していた雄也だったが、渋々折れたウンディーネにより比較的早く就寝につけた。
だが、次の朝────雄也が目を覚ますと、隣でウンディーネが規則正しい寝息を立てていた。
「────ッ!!!」
朝一番、雄也の怒号が城中に響き、周辺にいた人達を巻き込んで大騒ぎになったことで、ウンディーネにも部屋を充てがわれることになったのは、また別の話である。




