第一話 妹は二度死んだ
神崎悠真には妹がいる。
神崎結衣。
明るくて、少し生意気で、それでも家ではよく笑う普通の妹だ。
少なくとも――そのはずだった。
その日は雨が降っていた。
夕方の横断歩道。
赤信号。
結衣が横にいる。
「ほら、早く行くよ兄貴」
いつもの調子で、少し前に出る結衣。
その瞬間だった。
耳を裂くようなブレーキ音。
視界が白く潰れる。
衝撃。
雨粒がスローモーションのように落ちていく。
気づいた時には――結衣は地面に倒れていた。
動かない。
声もない。
ただ雨だけが、彼女の上に降り続いていた。
救急車の音。
誰かの叫び。
警察の声。
世界が遠い。
現実感だけが剥がれていく。
そして病院で告げられた。
「……死亡が確認されました」
その言葉だけが、やけに鮮明だった。
葬儀は静かに終わった。
泣く母。
呆然とする父。
そして、何も言えない自分。
写真の中の結衣は、もう動かない。
現実は確かに終わったはずだった。
――そのはずだった。
数日後。
玄関の鍵が回る音がした。
「ただいま」
そこに立っていたのは結衣だった。
制服姿。
いつも通りの顔。
何事もなかったように靴を脱ぐ。
母は泣きながら抱きついた。
父は混乱していたが、安堵していた。
誰も疑わなかった。
誰も“矛盾”を感じていない。
しかし。
悠真だけが、違和感を抱いていた。
結衣は普通に生活している。
ご飯を食べる。
学校へ行く。
笑う。
だが。
確かに“何かが違う”。
同じ会話を微妙に繰り返す
写真に写る顔が一瞬だけ歪む
ふとした瞬間、目が“知らない人”のようになる
そして――
一度も言っていないはずのことを、結衣は知っている。
ある夜。
夕食のあと。
結衣が何気なく言った。
「ねぇ兄貴」
少し笑っている。
でも、その笑いはどこか遠い。
「私さ」
一拍。
そして続ける。
「二回、死んだ気がする」
悠真は一瞬、意味が分からなかった。
「……何言ってんだよ」
笑って流そうとする。
しかし結衣は、笑っていなかった。
ただ静かに、自分の手を見ている。
そして小さく言った。
「夢かな」
その夜だった。
窓の外。
雨の中。
結衣が立っていた。
制服姿。
家の中にいるはずの結衣とは別に。
道路の向こう。
動かない。
こちらを見ていない。
その瞬間――
光。
ブレーキ音。
衝撃。
悠真は息を止める。
だが次の瞬間。
そこには何もなかった。
ただ雨だけが降っている。
家の中に戻る。
結衣は普通に寝ていた。
何も知らない顔で。
翌朝。
結衣は普通に朝食を食べている。
「おはよ、兄貴」
その声はいつも通りだ。
しかし悠真は気づいてしまう。
“さっきの出来事”が、誰の記憶にも存在していない。
事故の再現も。
影も。
誰も覚えていない。
悠真は理解する。
これは事故ではない。
これは偶然でもない。
そして結衣は――
「一度死んだ存在が、戻ってきている」
しかしそれだけではない。
何かが“ズレている”。
存在そのものが、完全ではない。
その夜。
結衣が寝たあと。
悠真は窓を見る。
何気なく。
そこに――“結衣”が立っていた。
もう一人の結衣。
雨の中。
こちらを見ていない。
次の瞬間、消える。
その時、悠真の頭の中にだけ、言葉が落ちる。
理由もなく。
意味もなく。
だが確かに。
「妹は二度死んだ」
そして悠真はまだ知らない。
この“違和感”は序章にすぎず、
世界そのものがすでに書き換えられ始めていることを。
読んでいただきありがとうございます。
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