照らしゆくもの
「シェルドさんが消えるところはヴェラも確認しています。カイルさんもあの状況で助かるとは思えません。」
話を聞き終えた俺は、目を開いたまま、何も見ている気がしなかった。ヴェラが望遠鏡で見ていたのなら、シェルドがやられたのは確実だろう。カイルは落ちただけでは死なないだろうが、その後に逃げ延びる可能性は絶望的だ。呆然としているのは、ただ信じられないだけなのか、取り乱して涙ながらに話すルシエを見て逆に落ち着いてしまっているのか、自分でも分からない。俺は、ここで何をしているのだろう。縋るとも憎むとも言えない、足場の無い感情のまま左手に目を落とす。
「ヴェラがギルドに報告をしてくれたはずですが、あんな魔物を倒す算段がつくとは限りません。今こそ急いで逃げましょう、みんなで。」
ルシエはきっと、正しいことを言っている。何も出来ない俺は、ただ逃げるべきなんだろう。それでも、シェルドが、カイルが、命を賭して遺したものを得て、そうですねと言う気にはなれなかった。俺は仇に対して、本当に何も出来ないのか…?
「ルシエ!俺を見ろ!」
「え?」
「魔法が変わったんだ!でも、呪文を唱えても何も起きない!俺は今、何が出来る!?」
掴みかかるような俺の勢いに一瞬怯えを見せた後、ルシエは顔を覗き込む。
「…以前と同じに見えます。私に分かるのは、光が出て、衝撃が起こることぐらいです。呪文も消えていません。ただ…色が薄いです。」
「薄い?」
「落書きは全部黒いはずなんですが、呪文のところだけ灰色のようになっています。」
「なんだ…それ…?」
「分かりません。私も、初めて見ました…」
呪文は、消えたわけでは無いということか?訳が分からない。確かなことは唱えても何も起きないということだ。無いのと同じなら、それでも良い。
「ルシエ様、ガイリの居場所を示す地図があるんですよね?俺にください。」
「何故ですか?」
「カイルを助けに行きます。」
「何を言ってるんですか?カイルさんは―」
「カイルは落ちただけじゃ死なない。逃げ延びるのは絶望的でも、捕まってる可能性はある。すぐに俺が行かなきゃいけないんです。」
「そんなの、危ないだけじゃないですか!ギルドの返事を待ってからでも良いでしょう!?」
「ギルドがいつ動くのか分かりません。たとえ1人でも、俺だけは行かなきゃいけないんです。」
「ダメです!…もう仲良しが死ぬのは、イヤです…」
俺の腕を掴むその手は弱々しく、ただ震えていた。
「危ないとか、怖いとか、そんな理由でやめられることじゃ無いんです。カイルがいたから、俺は楽しく生きてこられた。可能性があるなら、確かめずにはいられない。後になって、あの時行っておけば良かったなんてことになったら、俺の心は二度と動けない…!アイツは俺にとって、そういう仲良しなんです。ルシエ様、地図を。」
俯くルシエが手を離したのは、何分も経ってからだった。
「…これを、持って行って下さい。」
「これは?」
「噂石です。」
「ウワサイシ?」
「子どもの頃に友達がくれた魔道具です。持っていると、時間や場所を問わず、たまに噂が聞こえます。役に立たないから、と貰ってしばらくしてその友達は亡くなりました。それからは、私のお守りです。貸してあげるので、返しに来て下さい。」
「…分かりました。」
「地図はヴェラが持っているはずです。…必ず、約束は守って下さいね。」
俺は頷き、部屋を出る。
「…これが地図だ。生きて戻れ。」
「ありがとうございます。」
どうやら丸聞こえだったらしい。地図を受け取った俺は、すぐに支度を整え始めた。
教会の出入り口付近には、コルマがいた。俺が行くことを聞きつけたのだろう。
「…可能であれば、シェルドの黄色いスカーフを見つけて下さい。唯一の形見なのです。」
「分かりました。」
「お気をつけて。」
俺は友の足跡を辿るように魔境へ向かった。
教会を発ってから、この高台で紫に染まる廃墟都市を見下ろすまで、ずっと考えていた。どうやってカイルの今を確かめるのか。だが、妙案なんて一つも思いつかなかった。カイルが期待する程、俺は凄いやつじゃない。変化した魔法を頼りに、正面から殴り込むだけだ。
「建物ごとぶっ壊す以外ねーな…」
聞き手のいない呟きの後、俺は最短の道を降り始めた。
この廃墟都市の建物には飛び抜けて高いものは無い。それでも、3階建にもなれば紫の沼の端っこを削り取るぐらいは簡単だ。見ているのか、聞いているのか、沼が既に俺を捉えている。それを承知の上で、俺はただ単純に魔法を発動した。撒き散らされた衝撃が建物を崩し、紫の沼にぶち当たる。服の端に沼の破片が付くのも気にせず俺は次々と建物を崩していく。10棟ほど倒した頃、ようやく沼の動きが変わる。周りが網のように覆われ、一際大きな塊の中からソイツが現れる。
「リオス、お前からここへ来るとはな。何故こんな無駄なことをしている?どれだけ建物を崩しても何も起こらないぞ。」
「起こるさ。だからお前は出てきたんだ。」
「…確かに、お前が来たことはハッキリと分かったよ。呼び鈴代わりにしては派手すぎるがな。」
「高台から見てシェルドがどこで建物を崩していたのかハッキリと分かったよ。ここの沼と繋がっていない紫の跡地みたいになってたからな。」
「跡地?」
「お前の沼は泡立つように動いてる、常にな。だが、分断された方はそうじゃない。ペンキみてーに紫が残るだけだ。それは二度と動かせない、そうだろ?魔物を喰って簡単に増やせる反面、減るのも簡単ってわけだ。お前はシェルドを見せしめにしたかったんじゃない。脅威だったから排除したんだ。」
「…この魔物は大きくなり過ぎた。痕跡が残ることぐらい分かっていた。それだけ考えられるんだ。気付いていながら無視していたのは何故か、分かるだろ?」
「この世に対抗策は無いと?どこまでいっても慢心癖は抜けねーらしーな。」
「慢心ではなく確信だ。ギルドマスターとしてのな。だが、さっきからお前が見せている魔法は違う。呪文も無しにお前が魔法を使えるはずは無い。どういうトリックだ?」
「正真正銘、俺の魔法だ。そんなことよりカイルはどこだ。」
「…まさか、それを聞く為だけに1人で乗り込んできたのか?」
「そうだ。」
「…ク、ククク、ハハハハハッ!」
驚きの顔が一転、高笑いが響く。
「バカなのかお前は!?まったく、遠回りに厄介ごとを運んで来るような奴らがこんな短絡的だったとは!評価が難しいな!」
「答えろ!どこにいる!」
「大切に保管しているさ。アイツの魔法も実に不思議だ。発動したまま窒息死した結果、どうなったと思う?何処を切っても再生するんだ、最早何の意味も無いのに!老化が止まっているとは思えないが、この体を研究すれば何か得られるものがあるかも知れない。計らずも良い資料が手に入ったよ。」
「てめー…そこまでして何で研究に拘る!?周り全部敵にして、お前に何の得がある!?」
「別に…命を賭けて挑めるなら何でも良かったんだ。」
「は?」
「誰かの為に生きる、みたいなのが理解出来ないんだよ。何を返してくれるとも限らない、いつ裏切るかも分からない。そんな誰かの為に何かをする、そういう仕組みが理解出来なかった。俺は自分を、そんな不確かなものじゃなく、コレさえあれば良いと信じ切れる何かに捧げたかった。そして、運命の日が訪れた。俺の魔法にだけ宿る可能性!これを追求することが、俺の人生になった!」
「…よーく分かったよ。死んでも止まる気がねーってことがな。」
「それで、どうする気だ?魔法のトリックを教えてくれるなら今回だけは見逃してやるが。」
「余計なお世話だクソヤロー。」
「手間のかかる奴らだよ、本当に。」
前方から伸びてくる触手に真正面から魔法を放つ。撒き散らされた衝撃は確実に魔物の体積を削る。間髪入れずに俺は回転するように全方位に連続で魔法を放つ。詳細の知られていない魔法。青い光が俺の動きを包み込む中、近距離で一撃を撃ち込む。それが生み出せる唯一の勝機―
「ぁああッ!!」
俺が一撃を放った直後、左腕に激痛が走る。これは、釘だ。俺を殺さずに、無力化する為の正確な攻撃。可能性の1つが確信に変わる。感覚器官が分からないこの沼に、目眩しは効かない。砂埃の中から沼に守られたガイリの姿が浮かび上がる。
「グァッ!」
飛び出した触手は俺を遠ざけるように弾いた。
「その左手から攻撃しているのは良く分かった。その程度では通用しないがな。腕ももう上がらないだろう?他に出来ることが無いなら、検証は終わりだ。」
左手の自由を失った俺には、最早試せることも無い。クソ。やっぱ無謀なだけだったか。それでも多少は魔物を削ってやったんだ。無意味ってわけじゃ無かったはずだ。後のことは残った誰かに期待するとしよう。
「お前は間違い無く呪文型だった。にも関わらず無詠唱で連続発動…どんな魔法を組み合わせてもそんなことにはならないはずだ。本当にお前自身の魔法なら変化したということになる。にわかには信じられないが…変化するにも条件があるはずだ。何をしたのか、素直に話す気は無いか?」
「…」
「まぁいい。時間はある。」
沼が迫る。まだ立つことは出来るだろう。少しなら歩けるはずだ。でも、それが何になる?もう、俺が動く理由が無い―
“ …俺に聞くってことは、魔王サマは、まんまと逃がしちゃったわけだ。ハハハッ、笑えるな。"
(これは、カイル…?何で…)
俺はポケットに入れていた噂石を思い出す。
“ この状況でよく笑えるな。どの道お前は死ぬんだぞ?"
“ どーせなら、笑って死んでやる。"
「…ハ、ハハ。」
これは、カイルが死ぬ直前か?時間と場所を問わないってこういうことか。アイツ、俺が最初に呪文に気付いた時の真似してやがる。
“ 理解できないな。何の希望も無いというのに。"
“ あるさ。リオスがいる。"
“ …アイツに何が出来る?"
“ 俺には分からねー。でも、リオスがお前を倒しにくる、必ずな!"
「バカやろー、が。」
何が倒しに来る、だ。勝手なこと言いやがって。俺は、自分がずっと無力だと思ってた。でも、カイルはどうしようもない状況で俺の真似して笑って死にやがった。魔法とか、何が出来るとか関係無しに、絶望を笑い飛ばせる理由になってた。ガイリが振り撒いてきた縛り付ける希望とは違う何かを、俺達は与えあっていた。
一つ、やりたいことが出来た。最期の瞬間、俺達が同じセリフを吐いて死んだとルシエが“噂"で聞いたらどうなる?どんなに酷い状況だったとしても、うっかり笑っちゃうはずだ。ガイリに勝利し、噂石を取り戻した記念を仕込んでおくのも悪くない。今の俺に出来る、精一杯の贈り物として。立ち上がった俺をガイリは訝しげに見る。
「…何を笑ってる?」
「ただ、思い直しただけだ…」
腕は上がらない。それでも魔法が出る限り、嫌がらせをしてやる。そう決意して、右手で左手を支えた。
「どうせなら、笑って死んでやる!!」
俺は、言い終わる前に青い衝撃を放った。そのつもりだった。だが飛び出したのは光だけだった。沼に覆われたガイリの表情にも困惑が浮かぶ。
(なんだ?)
その光は最初、一つに見えた。すぐにそれは分かれ、無数に散らばる。幾つもの小さな青い光は広がり続け、景色を夜空の星のように飾る。見渡す限り、いや、都市を覆い尽くすほどの光が溢れているのが分かる。そんな遠くまで見えているわけじゃない。見えているように鮮明に、聞こえているように遠くまで、知らない感覚として“分かる"。
「何だ?これは、何をした!?」
その問いかけの答えは俺にも分からない。確かに呪文は唱えた。でも、それは散々試したはずだ。なのに今回だけは何かが違った。
(タイミング、なのか…?)
今まで俺は左手に微光を纏った状態で呪文を唱えていた。それが撒き散らすものに変わったせいで、発動中に唱えるという判定が厳しくなっていたとしたら…?今、初めて条件を満たしたのかも知れない。
ガイリが観察に気が向いている間にも、沼は俺に襲いかかる。だが、それが届くことは無いと“分かる"。迫り来る5本の触手は、そのどれもが的確な衝撃に阻まれる。
「…馬鹿な、今、まさか…発動と停止だけで出来ることじゃ無い…召喚、なのか?この光全てが!?」
「違うぜ、ガイリ。俺には“分かる"。この光は、俺の意思で破裂する。」
「ありえない!これは、出力の調整という次元じゃない!これは、まるで本当に…」
「俺の意思による魔法だ。」
「馬鹿な…ハッタリだ!何も求めていないお前に、そんな幸運が降り注ぐはずが無い!!」
幾つもの剣が撃ち出され、嵐のように吹き付ける。俺の光は正確な衝撃を放ち、その全ての軌道を逸らす。俺を囲むように増えた触手は混ぜるように釘を撃ち出すが、そのどれもが当たらない。速度も、重さも、切れ味も関係無い。光は全てを阻み、俺を守り切る。
「ふざけるな…!ここまで来て、ガキ1人の魔法に、殺されるのか!?この俺が!?あり得ない!!」
囲むように伸びていた紫はガイリの元に集まっていく。その過程で、ついでのように倒れ込んでくる建物の瓦礫を俺は全て弾き飛ばす。触手が地を這って近づき俺の虚を突こうとしている。だが、今の俺の意識は上に向いているわけじゃない。光あるところ全てに向いている。その仮説は間違いだ。証明するように近づく危険を弾いた俺の目の前で、一所に収束した紫は巨大な波のように頭上を覆う。
「新たな世界を描くのはこの俺だ!全て塗り潰してやる!」
全てを賭けて押し流そうとしてくるそれの中に、俺の青い光が見える。この光は、何もかもをすり抜けるようだ。
「誰が描いたっていいさ、世界なんて。」
俺が目を瞑ったまま始めた衝撃の波は、紫の沼が消えるまで続いた。
俺が再び目を開けた時、建物も地面も突き刺さる剣も紫のシミだらけで、それを彩る青い光を含めて、ある種の幻想的な景色が広がっていた。程なくして、紫のシミは光となって消えていく。俺は近くにあった錆びついた刀を引き抜き、倒れたままの奴へと歩む。その道中、2、3度新たな紫が喚び出されたが、その全てを青い光で消し飛ばす。
「…魔法という未知に挑み、積み上げてきた。その末路が、新たな未知との不条理な遭遇とはな…」
立ち上がる力も無いガイリは、ただ仰向けに空を見上げている。
「何故…お前が勝つ?何一つ進歩を齎さないはずのお前が、どうして運命に選ばれる?」
「お前はきっと、裏切りに目を向けすぎてただけだ。他人の心を遠ざけると、自分の心を満たす行いしか選ばなくなる。その積み重ねが、お前の味方を消したんだ。俺にはカイルがいた。最期まで信じてくれるバカな味方がいた。カイルが喜ぶなら、自分が嬉しくなくても良いと思える時間があったから、お前とは違うように生きてこられたんだ。」
「他者の充足に時間を使うべきだと言うのか…?自分自身を差し置いてまで?理解不能だ…」
「お前が、ほんの少しでも他人の為の希望を見せる奴だったなら、こんなことにはならなかったはずだ。」
「…まぁいい、今更だ。結果として、魔王は訳の分からない光に倒されると言うわけだ。傑作だな。…意思の魔法の顕現に寄与出来たのなら、魔王として死ぬのも悪くは無い…」
「…少しだけで、良かったはずなんだけどな…」
1歩踏み込んで、俺は刀を振り上げる。瞬間、ガイリの服を突き破るようにナイフが飛んで来る。背中に隠すように喚び出された紫が最後の一手―それが“分かっていた"俺は光でナイフを弾き、ガイリの首を斬り落とす。そのまま、カイルの元へ歩き出してすぐ、背中を向けた最後の紫を消し飛ばした。
「本当に、残念だよ。」
都市一つを覆うほどの光、それは上空にも広がっていた為、魔物連合や南の国の暫定政府の目にも留まっていた。ドンジーの命で調査に来たヴォルグと合流した俺は治療を受け、報告もそこそこに教会への馬車を用意して貰った。おかげで予想よりも早くコルマにスカーフを渡し、カイルを埋めてやることが出来る。
「五体満足でも息がねーんじゃ奢れねーだろーが。…手紙は出しといたけど、教会に着いてもカイエルが来るまで2日は掛かるはずだ。遅いからって腐るなよ?お前に限って、心配ねーだろーけどさ。」
笑ったままの遺体にそう告げると、馬車に乗り込んで御者に合図を出した。
「私、もう少し聖女続けてみようと思います。何か、まだ出来ることがある気がするんです。」
噂石を受け取ったルシエは前向きな姿勢を見せた。色々整理した結果、心境に変化があったようだ。
「リオスさんはどうするんですか?」
「んー…しばらく旅でもしようかなと。」
「どの辺を?」
「一通り巡ってみるつもりです。…ガイリには才能があった。でも、裏切りを許さない心が方法を歪めてしまった。そういうのって勿体無いと思うんです。だから、暗がりにいるような奴を見つけて、明るいとこに引っ張り出したいんです。そういう奴らを集めた結果、魔法について何か分かるかも知れませんしね。」
「調べ物が好きなのは相変わらずですね。」
「ハハ、確かに。また調査員みたいになっちゃいますね。」
「明るいとこに引っ張り出すなんて難しそうですけど大丈夫なんですか?」
「まーやってみますよ。照らすのは得意なんで!」
俺は左手をヒラヒラと振りながら答える。ガイリとは違うやり方で魔法の可能性を探りたい、変わった魔法を持つ一人として。窓から射し込む光に心地良さを感じながら、自由な旅路に想いを馳せた。




