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イスファンディヤール戦記  作者: 北の旅人
再興編
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砂漠の風(2)

ナスリーンがアレイヴァ王国兵に見つかったのは全くの不運だった。


侍女の一人がうっかりナスリーンに「王女殿下」と呼び掛けてしまい、それを通りすがりの若者に聞かれた。ハカーマニシュ人であるその若者は愛国心は強かったが、不幸なことに思慮深さが伴っていなかった。喜び勇んだ彼は、早速酒場でそのとっておきの話を披露した。酒場は大いに沸き立ち、町を占領していたアレイヴァ兵の注意を引いてしまった。アレイヴァ兵の一隊が酒場に踏み込み、若者を捕らえ拷問にかけた。愛国心の強い若者ではあったが、所詮は一般市民に過ぎず、すぐに口を割ってしまった。すぐに追撃隊が組織され、若者から聞き出した情報を元に捜索を開始した。近隣の町にいた部隊にも伝令が走り、複数の部隊が王女を追った。そしてそのうちの一隊が、遂にナスリーンを発見したのである。


ナスリーンには3人の侍女と4人の騎士が付き従っていた。追撃に気づき、1人の騎士が駆け戻った。時間稼ぎのためである。手持ちの僅かな矢を全て射、抜刀して敵部隊に突撃した。ナスリーンらはそれを見守る余裕もなく駆けた。


最も若い侍女が自分が身代わりになることを提案した。逃走のため、元々王女と侍女たちは同じようにみすぼらしい服を着ていたため、着替える必要はなかった。王女には最も腕の立つ騎士が護衛につき、最も若い侍女が王女の馬にまたがった。王女と騎士は草むらに潜み、身代わりの侍女とその他がそのまま街道を走った。


間もなく、アレイヴァ騎兵の一隊が王女らの目の前を通過した。しばらくしてから王女と騎士は徒歩で歩き出した。一見したところでは男女の旅人にしか見えず、下手に大人数よりもかえって安全であるように思われた。


だが、さらに運の悪いことに後ろから新手の一隊が来た。反射的に走り出した王女を騎士が止めたが、遅かった。逃げる姿勢を見せた王女を怪しんだ騎兵たちが全速力で迫ってきた。


観念した騎士は矢を放った。先頭の騎兵が射落とされ、馬だけが走ってきた。重荷の消えた馬は他の馬より速く走った。騎士はその轡を捕らえ、王女に乗馬するよう促した。幼い頃より活発で、馬術の心得もあった王女は馬に飛び乗り、駆け出した。騎士の身を案じることはしなかった。王女が特別非情なのではない。今この状況で王女が残ったところでできることは何もなく、むしろ騎士の死を犬死にしないためにも逃げることこそが王女の成すべきことであった。


王女は駆けた。脇目もふらずに駆け続けた。途中で馬が潰れ、草むらに逃げ込んだ。しばらく歩いていくと、持ち主のない軍馬を見つけた。誰の馬かもわからなかったが、貰うことにした。数日は敵に見つかることもなかった。


しかし、再び発見されてしまった。必死に逃げたが、遂に落馬した。そこにハマト王国軍が現れたのだ。


「でも、何故ハマト王国の兵がここにいるの?」


ナスリーンはマシニッサに問いかけた。


ここはまだハカーマニシュ王国領だ。属国の兵はみだりにハカーマニシュ国内に入るべからず、とは明文化されてはいないものの暗黙の了解であり、不文律であった。


「伝令がありましてね。スーサにいる我が国の者が、独自の方法で殿下がハマト側に落ち延びることを伝えてきたのですよ」


「独自の方法?」


「私は一介の武人に過ぎませんよ。詳しいことはわかりかねます」


どうも、マシニッサの口調はどこかくだけている。ハカーマニシュ王国の王女にして王位継承権を持つ者に対する属国の将軍の態度としては、いささか不適切であった。いや、いささかどころではなく不適切であり、無礼と言われても仕方がないものだ。だが、不思議とナスリーンは不快には思わなかった。


顔を隠す覆面をとったマシニッサは、ハマト王国軍第一騎兵連隊長という地位にしては意外なほどに若かった。17歳のナスリーンよりは年上であろうが、どう見ても30を過ぎているとは思われなかった。浅黒い肌に真っ黒な髪、澄んだ黒い瞳の、なかなかに整った容姿である。綺麗に手入れされた口髭が男くさかったが、皮肉そうに歪んだ口元が悪戯っぽさを感じさせた。ハカーマニシュ王国の、どこかなよなよとした武人たちよりもずっと逞しく、頼り甲斐があるように感じられた。


「何にしても殿下は助かったんです。もう安心ですよ」


「まあ、それはそうね」


ナスリーンは苦笑した。


何から何まで、今までに見たことのない男だ、とナスリーンは思った。そして彼がいれば、自分は安全なのだと、不思議な確信めいたものがあった。


やがて一行はハマト王国の都ラルサに辿り着いた。ハマト国王シャーヤーン以下文武の重臣総出で出迎えられ、大歓迎を受けた。シャーヤーン王はハマトの総力を挙げてナスリーンを支援しハカーマニシュ王国復興に尽力することを全ての神々に誓った。


ナスリーンは異国の地での手厚い待遇を喜んだ。ハマト人は素朴だが信義に厚く、善良な人々だった。また、ラルサはハカーマニシュ人である初代ハマト王ロスタムらによって築かれた都市であり、基本の造りはハカーマニシュ風であるが、どこか異国情緒を感じさせ、それもまたナスリーンを楽しませた。全てが、王都陥落に次ぐ逃避行で疲れ果てた心と体を癒してくれた。


だが、平穏な日々は長くは続かなかった。エリマイス王カユーマルスが、ハマト王国への遠征軍を派遣したというのである。その数、5万。実にハマト王国軍の2倍以上の兵力であった。

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