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イスファンディヤール戦記  作者: 北の旅人
凋落編
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戦いの後

(勝ったのか…?)


薄れ行く意識の中、バムシャードの目は、耳は、勝利に沸くエリマイス兵とその歓声を朧気に捉えていた。


絶え間なく襲い来るハカーマニシュ兵を突き殺し、切り捨て、馬で踏み潰した。まさに獅子奮迅の戦いであったが、バムシャードも無傷ではいられなかった。いや、それどころか、バムシャードは既に満身創痍だった。身体中に矢が突き刺さり、数え切れないほどの刀傷や刺し傷があった。特に右脇腹に刺さった槍は、彼に致命的な傷を負わせた。血が止めどなく溢れ、激痛が走る。バムシャードはもはや起き上がることもできなかった。


(ここで死ぬのか)


バムシャードはふっと笑った。何故笑ったのか、自分でもわからなかった。


(俺は死に場所を得たのかもしれんな)


パライタケネの戦いでは敗軍の将でありながらおめおめと生き長らえた。だがこの「ラガシュの戦い」では一時全滅を覚悟するほどの苦戦に陥りつつも、援軍のおかげとは言え勝利した。そして自分は今、死につつある。


最後にこれほどの大軍を指揮することができた。天下分け目と言っても過言ではない戦いを任された。武人として、武将としてこれほどの名誉があるだろうか。


(悔いはない)


バムシャードは静かに目を瞑った。瞼の裏に、これまでの数々の戦いが浮かんでは消えた。


エリマイスの誇る猛将バムシャードは看取るものもなく、静かにその荒々しい生涯を終えた。




目が覚め、アフシンは自分が天幕の中にいることを理解した。


「気がついたか、アフシン」


声のした方に目を向けると、そこにはミラードがいた。


「ミラードか。俺は生きているのだな」


「ああ。まったく悪運の強い奴だ。あの混線の中で倒れていながら、よく踏み潰されもしなかったものだ。ダーラー将軍は無残にも死んでいたというのにな」


「俺は幸運の女神に愛されているからな」


「ぬかせ」


ミラードは鼻で笑った。


「ところで、だ。何故おまえがここにいる?パルティアに向かう軍に加わっていたのではないのか?」


「ああ。だがな、パルティアはもう攻め落とす必要もなかったのだ」


「どういうことだ?」


「おまえ、バハードゥルを覚えているか?」


「バハードゥル…?ああ、オイラートの王だった奴か」


ミラードの話は次のようなものだった。ミラードたちがパルティアを目指して行軍していると、ヒュルカニアでパルティア支配に対する反乱が起きたという情報が入った。詳しく調べてみると、バハードゥルという男がヒュルカニア人をまとめ、蜂起したのだという。事前によく組織されていたのだろう、反乱は瞬く間に広がり、遂にはヒュルカニアからパルティア人を追い出した。だがそれで終わりではなく、余勢を駆ってパルティアに雪崩れ込んだ。激戦が予想されたが、結果は呆気なかった。パルティア軍の守備隊は次々に門を開け、バハードゥル軍の通行を許したのだ。王都ダーハもまた、城門を開いて降伏した。


「何故そんなことになったのだ?」


「カユーマルス陛下の軍師アルサングって奴が調略を進めていたらしいな」


「そんなにうまくいくものなのか?」


「パルティアでは、イスファンディヤールに不満を持つ者は多いからな」


「そうなのか?」


トゥーラーン戦役で敢闘したにも関わらず、重用されなかった者。軍制改革により力を奪われた貴族。それに、パズマーンら不正により粛清された者の遺族たち。また、王の目、王の耳により監視されることに不満を感じる者。


「それに、イスファンディヤールはほとんどパルティアにいなかった。数年のうちに、影響力は小さくなっていたのだな」


「なるほどな。で、おまえはパルティアを制圧する必要がなくなった訳か」


「まあそういうことだ。バハードゥルはイスファンディヤールに強い恨みを抱いていてな。自分はヒュルカニアとパルティアをまとめなければいけないから動けないが、兵を貸してやると言って5000騎を預けてくれたのだ。これにエリマイス騎兵や俺の一族の兵を合わせ、7000騎を用意した」


その兵を率い、ミラードは一気に南下した。途中、アーブティン隊に合流した。アーブティンはイスファーンに忠誠を誓う小領主たちの抵抗に手を焼いており、ミラード隊の到着を喜んだ。


さらに、別の軍勢もアーブティン隊に合流した。3000のダルダニア軍である。ダルダニア王パルハームは軍事に向かぬ男でありながら、総司令キールスの才を欲したイスファーンによりハカーマニシュ王国軍副司令の地位につけられ、事実上冷遇されていることに強い不満を抱いていたのだ。これらの援軍の活躍もあり、アーブティン隊はなんとか小領主たちを鎮圧した。ミラードはここで新たに2000の騎兵を得、9000騎を率いてラガシュに急行した。そして間一髪のところで間に合ったのだという。


「イスファンディヤール軍を叩くだけ叩いてから、俺は別動隊の下に向かった。だがハマト軍はイスファンディヤール軍の敗北を知るとすぐに去って行った。奴らを深追いしてもいいことはない。ハカーマニシュの残兵を狩りながら負傷者の救助を行い、おまえを見つけたという訳だ」


「この戦い、意外なことが多すぎるな。思わぬ敵がいて、予想外の味方がいる。だいたい、何ヵ国が参加したのだ?」


「トゥーラーン三国。いやオイラートとドランギアナが共に兵を出しているから、トゥーラーンは4ヶ国か。ハカーマニシュ、パルティア、ハマト、ダルダニア、ヒュルカニア。9ヶ国だな。いや、アレイヴァの兵もいたとか」


「訳がわからんな」


「ああ。ハカーマニシュと言っても、どちらがハカーマニシュかわからんしな」


「確かにな」


「だがアフシン、これからだぞ」


「これから?」


「ああ。戦乱はまだ終わらない。ハカーマニシュ王国には今、多数の勢力が入り乱れている。そして俺たちは降将だ。こき使われるだろうな」


「そうか…」


降伏した将兵はいいように使われるのが常だ。


「ならば、せいぜい優秀な猟犬になってやろうじゃないか」


「内に狼を秘めつつ、な」


アフシンとミラードはにやりと笑みを交わした。




マシニッサはラルサを目指して駆けた。後一歩で勝利できた。いや実際、既に勝利したも同然だった。だが、友軍が敗れた。駆け付けてきた敵兵は1万に満たなかったが、すぐに新手が来るだろう。イスファーン軍が敗れた以上、ハマト軍が戦場に留まる意味はない。下手に敵騎兵部隊と争って泥沼にはまるのも避けたい。マシニッサは即座に撤退を決断した。


(利益のない戦いで損害を被るのは砂漠の民の流儀じゃないし、俺の趣味でもない)


その際、反乱を起こしたハカーマニシュ兵たちは放置した。彼らのほとんどは歩兵であり、撤退の足手まといとなる。そもそも、ハマト軍に彼らを保護する義務はなかった。敵を足止めするための捨て駒程度にしか、マシニッサは考えていなかった。


(シャープール陛下はかんかんに怒るだろうな)


トゥーラーン軍の勝利とイスファーン軍の壊滅。それはナスリーン女王を奉じて天下に号令をかけんとするシャープールの野望が実現から遠退いたことを意味する。


(まあ、女王様にとってはその方が幸せかもしれんがな)


ナスリーンはハカーマニシュ宮廷を窮屈に感じ、自由なハマトを好んでいる。1人の少女にとってハカーマニシュ国王の座は大きすぎ、また澱んでい過ぎる。


(後はなるようになるだろう)


マシニッサは深く考えることを止め、無心に馬を駆けさせた。




ハカーマニシュ王国とオドニスの国境沿いの山。イスファーンは後を振り向いた。


「ここを越えれば、オドニスだな」


「閣下…。私は悔しゅうございます」


オミードが隻眼に涙を溢れさせ、言った。


「ああ。悔しいな。だがな、オミード。俺はまだ終わる気はないぞ」


「閣下…?」


「俺はまだ、ハカーマニシュを諦めた訳ではない。幸いオドニスは1つにまとまった国ではない。多数の小国が群雄割拠している状態だ。ならば、個々の勢力を1つずつ潰し、一大勢力を作り上げてやる。そしてオドニス王国を建国し、ハカーマニシュに攻め入ってやるのだ。一から軍隊を鍛え直して、精兵を作り上げてやる。体制が万全ならば、カユーマルスやシャープールなど何するものぞ」


「閣下!」


オミードをはじめ、従者たちの瞳が一様に輝いた。


「どこまでもお供いたします!閣下が行かれる所、どこまでも!」


「ああ」


口々に熱く忠誠を誓う従者たちにイスファーンは短く返した。


「行こう。東へ、オドニスへ、我らの夢へ向かって」


イスファーンは一歩を踏み出した。

以上で、「イスファンディヤール戦記 凋落編」は完結です。

この後、「僭王編」が続く予定です。構想ができたらまた更新しますので、その際はまたよろしくお願いいたしします。

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