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イスファンディヤール戦記  作者: 北の旅人
凋落編
33/55

砂漠の王子

「何?女王陛下の行方がわかったと!?」


イスファーンは思わず叫んだ。


「どこだ?」


「はっ。それが、ハマト王国に保護されているようでして」


「ハマトだと?」


またハマトか。イスファーンは呻いた。トゥーラーン戦役の時にも、ナスリーンを保護したのはハマトだった。今回もナスリーンを手中にしたのはハマトである。奴らめ、狙っているのではなかろうか。イスファーンが疑うのもっともな、奇妙な偶然だった。


「では、シャーヤーン王に伝えてやろうではないか。賊軍は既に滅びたり。もはや心配に及ばず。女王陛下をスーサにお送りするべし、とな」


だが事態は思わぬ方向へと進んだ。


「何!?シャーヤーン王が殺されただと?」


「はっ。下手人は第二王子シャープール殿下にございます。シャープール殿下はハマト国王を名乗り、その…」


「その、なんだ。言え」


「はっ。恐れ多くも閣下を逆賊呼ばわりし、ハカーマニシュ王国をあるべき姿に戻す、と叫んでおります。手始めに、宰相を僭称するシャーヤーン陛下を弑した、と」


がーんと頭を殴られたような気分だった。遂にきたか。この数年、それを主張する者の出現を恐れてきた。確かに、イスファーンが行っていることは革新的なことなのだ。属国の王が宗主国たるハカーマニシュの宰相や総司令に任じられるなど、これまでにないことだった。属国の王がハカーマニシュ王や貴族をないがしろにし、国政を欲しいままにするなど、許されぬことだった。属国の王がハカーマニシュ王の許可なくハカーマニシュ貴族を罰するなど、あり得ないことだった。属国の王が勝手に人事を行うなど、あってはならないことだった。属国の兵をハカーマニシュ正規軍に組み込むことなど、前代未聞だった。


挙げればきりがない。イスファーンとファルザームによる改革は、見方によっては秩序を破壊するものだった。これまで大きな反感がないように思われたのは、その体制がファルザームの政治力とイスファーンの抱える軍事力に支えられており、またナスリーンを旗印としていたからだ。だが今、イスファーンとファルザームは旗印を失った。3万にも膨れ上がった反乱軍は、体制への不満を持つものがそれだけ多いことを示していた。


「…なるものか」


「なんでございましょうか?」


「なるものか。こんなところで終わってなるものか!」


イスファーンはかっと目を見開いた。


「ただちにハマトに遠征軍を差し向けよ!父殺しの悪党、逆賊シャープールを討つのだ!」


イスファーンの号令一下、ハカーマニシュ全軍が動き始めた。




(なんだってこんなことになったのかしら)


ナスリーンはぼんやりと窓を見つめていた。激動の情勢に頭がついていかず、まだ現実のこととは思われなかった。


最初にダードベフらが反乱を起こした。副隊長サンジャルをはじめ多数の近衛兵が反乱に与しており、彼らはナスリーンの身柄を確保するために動いた。だが、少数の近衛兵がそれを阻んだ。近衛隊長はハカーマニシュ貴族ながらもイスファーンに忠誠を誓う武将であり、なんとしてもナスリーンを反乱軍に渡すまいとしたのである。彼は自ら指揮を執り、500ほどの部下を率いて反乱軍と戦った。ナスリーンが抜け穴から逃げ出す時間を稼ぐためである。彼らの働きは目覚ましく、圧倒的な兵力差にも関わらずしばらくの間反乱軍を押し留めたのである。最終的には一人残らず命を落としたが、彼らの奮戦によりナスリーンは無事王都を脱することに成功した。


ナスリーンの足は自然とハマトに向かっていた。以前、ハマトに逃げて助かったから?それもある。ハマトの地が懐かしかったから?それも理由の一つだ。だが、一番ナスリーンの心を占めていたのは、ある男だった。


(彼ならば)


礼儀正しいとは言いがたいが不思議と憎めない男。女王としてではなく、一人の人間として自分を見てくれる男。誰よりも強いとナスリーンが信じる男。


(マシニッサ)


「砂漠の風」を頼れば安心だと思った。彼に会えれば、全ては良くなると信じた。


果たして、ナスリーンを保護したのは今度もハマト軍だった。だが、指揮を執る男はマシニッサではなかった。


「よくぞご無事で。このシャープールが、陛下を安全にハマトにお連れいたします」


シャープール。ハマトの第二王子にして「フェリドゥーン作戦」におけるハマト軍司令官。短く刈られた黒髪に鋭い目つきの、精悍な顔の男だ。


(違う)


ナスリーンは思った。同じハマト人だが、違う。同じ武人だが、違う。同じ瞳の色と同じ黒髪だが、違う。


マシニッサの瞳はもっと澄んでいた。マシニッサの顔つきはもっと優しかった。マシニッサの雰囲気はもっと温かだった。


(でも、ハマトに行けば…)


その思いで、ハマトに向かった。


しかし、ハマトの都ラルサにマシニッサはいなかった。反乱の報を受け、万が一反乱軍がハマトに攻めいって来たときのための準備を進めにいったのだという。


だがナスリーンには、マシニッサの不在を嘆く暇などなかった。


ほどなく、反乱の終息が伝えられた。シャーヤーン王はナスリーンをスーサに送り届ける用意を始めていた。そんな時、事件は起こった。


第二王子シャープールが父王に近づいた。親子のことである。誰も気にとめなかった。直後、シャーヤーン王が倒れた。その胸からは血が流れていた。呆然とする廷臣たちを武装した兵が取り囲み、シャープールへの忠誠を強いた。亡きシャーヤーンに忠実であると見なされた者は、残らず殺された。中にはハマト軍総司令やシャープール自身の弟も含まれていた。


ナスリーンはシャープールに「保護」された。




予想されるハカーマニシュ王国軍の攻撃に備え、軍勢はハループに移動した。最低限の物資を残し、民は捨て置かれた。トゥーラーン軍と違い、ハカーマニシュ軍はハマト国民を害することはしないだろう。むしろ、物資が不足していれば救援しなければならない。その分、ハカーマニシュ軍に負荷をかけることができる。民衆を武器とした、非情な策だった。また、砂漠の騎馬の民も多数集められた。


そして遂に、ハカーマニシュ軍の出陣が伝えられた。


「して、その数は?」


「はっ。20万を称しております。イスファンディヤール自ら指揮を執り、先鋒5万はキールスが率いております」


「ほう」


これは思った以上に本気だな。シャープールは思った。20万というのは誇張だろう。多く見積もって14、5万といったところか。それでも大軍である。しかもイスファーン自身が来るならば、あの「狼部隊」もいるだろう。侮りがたい敵だ。


(だが、思い通りにはさせん)


シャープールには武器があった。ハマトの大部分を占める、広大な砂漠。これ自体が武器だった。ハループなど捨てて構わぬ。ナスリーンを連れ、砂漠に逃げ込みハカーマニシュ軍の脆弱な部位、すなわち補給線を叩く。大軍は大軍であるが故に、補給に苦しむだろう。弱りきったところで、一気に滅ぼしてやるのだ。


(そしてその後は)


ナスリーンを旗印に、スーサに押し寄せるのだ。主力を失ったハカーマニシュ軍など怖くはない。シャープールはイーラジの再来であり、マウソロスの再来でもあるのだ。イスファーンはさしずめザッハークと言ったところか。


(俺の時代だ)


シャープールは静かにほくそ笑んだ。

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