中央集権
ナスリーン女王の下、再興されたハカーマニシュ王国。その宮廷で一番の実力者は誰かと問われれば、人々の意見は二分されるだろう。
パルティア国王にしてハカーマニシュ王国軍総司令イスファーンと、カリア国王にして副宰相ファルザームとに。
イスファーンは30万の精兵を指揮下におき、目に見える形での力を持っていた。一方のファルザームは麾下のカリア軍の大部分をハカーマニシュ王国軍に編入され、総司令ファルボドもイスファーンの副将のような立場となっているため、軍事的な影響力は持たなかった。だが政治面においてはその影響力はハカーマニシュ王国中に浸透していると言っても過言ではなかった。
本来の立場で言えば、ファルザームはあくまで副宰相であり、宰相の補佐役に過ぎない。しかし現宰相たるハマト国王シャーヤーンは善良ではあっても特別優れた能力を持つわけではなく、野心もなかった。任命当初より宰相など荷が重いと感じていたが、主君から与えられた地位をそう簡単に放棄することはできない。そこで息子のシャーカームに代理を任せ、自身はラルサへと帰還した。こうなると、奇妙な事態が生ずる。宰相と副宰相を比べれば宰相の方が地位が高いのは言わずもがなであり、宰相から代理を任された者が副宰相より立場が上であるのも別段不思議はない。だが、シャーカームは王子であり、ファルザームは国王である。外交上の立場で言えば王は王子より格上だ。そもそもカリアは伝統的に属国筆頭とされる国であり、ハマトなどより地位は高い。加えて、シャーカームは父に似て善良だが平凡な男であり、自身の強い意思というものは有していなかった。自然、ファルザームの発言力は強まり、実権も握っていった。
ハカーマニシュを掌握するための手段として、ファルザームがまず手をつけたのは官僚制の整備である。自国から役人を呼び寄せ、密接な協力関係にあるパルティアからも役人を提供してもらい、さらに生まれや身分を問わず有能な人材を抜擢して人数を集めた。彼らを王国内の各機関の実動部隊とし、自分の手足として動かした。
次に領地の再編を行った。一連の戦いで断絶あるいはトゥーラーン側につき取り潰された貴族の領地や、困窮する貴族から高値で買い取った領地をかき集めて古くからの王家直轄領に加えていった。これらの土地には前述の役人たちを代官として送り込んだ。役人たちにはファルザームの息がたっぷりとかかっており、王領とは言うものの実質的にはファルザームの支配下にあった。これら王領に割譲された土地を合わせれば、ファルザームとイスファーンの2人でハカーマニシュ王国全土の半分以上を手にしていることとなる。
残った貴族たちについても、徐々に牙を抜いていった。一連の戦いで多くの貴族が失われており、生き残った貴族も大部分が疲弊していたことは、ファルザームにとって幸いだった。貴族たちを労り、困窮が著しい者には経済的に支援し、これはイスファーンの承諾を得て軍役を軽くした。軽くした分の兵力はハカーマニシュ王家が給金を払い、王国軍に組み込んだ。軍事力の保有は貴族の権利である、と主張する貴族については王国軍の将校あるいは士官とし、不満を和らげた。また、スーサに多数の邸宅を王家の資金で建設し、貴族たちを住まわせた。その際、貴族の実際の身分よりも一つか二つ格上の屋敷とした。貴族の夫人や娘は華やかな王都での生活を喜び、貴族たちも自尊心をくすぐられ、スーサに移住した。ファルザームは貴族たちを縁組みや贈り物で懐柔していき、反抗心を削ぐことに力を注いだ。その上で、反発を買わないようにゆっくりと貴族の権利を奪い、逆に貴族から権利を得ていったのである。
スーサに移住した貴族たちの領地にも自身の部下を送り込んだ。軍事的に重要な土地や城塞についてはイスファーンに委ねた。土地から上がる収益については維持費が必要であるとして多くを吸い上げ、貴族に渡すのは一部だった。無論、これまで貴族が自らの懐に入れていたよりも僅かに多い額を渡し、不満が出ないようにした。
また産業を奨励し、貿易についてもより大きな利益が出るよう工夫した。官僚制及び大規模な王家の常備軍の整備、及び貴族の懐柔や拡大した領地の経営には莫大な資金が必要だったのである。
こうして、ファルザームは政治面、イスファーンは軍事面で中央に力を集中させていった。両者の利害は一致しており、密接に手を結んでいた。その体制は磐石であるかに思われていた。