第3話 最弱スキルで、空飛ぶ魔物を倒してしまった
謎の少女エリシアの正体は、アルカディア王国の第一王女だった。
彼女を狙って現れた上位魔族を前に、レオンは覚醒したばかりの【保存】スキルで立ち向かうことを決意する。
しかし、圧倒的な力を持つ敵を相手に、レオンの能力には思わぬ限界が待ち受けていた。
最弱と呼ばれた少年の、初めての本格的な戦いが始まる。
目の前に広がる光景を見つめながら、俺は自分が置かれている状況が、ほんの数時間前まで想像していた未来とはあまりにもかけ離れていることに、今さらながら気づかされていた。
勇者パーティーを追放されたときには、これから先どうやって食べていけばいいのかということばかりを考えていたのに、気がつけば王国の第一王女を背中にかばい、街の建物を軽々と破壊できそうな巨大な魔物と向かい合っているのだから、人生というものは本当に何が起こるか分からない。
もっとも、そんなことをのんびり考えていられる状況ではなかった。
「人間の小僧が、我の前に立ちはだかるとはな。命知らずというべきか、それとも単なる愚か者というべきか」
黒い鱗に覆われた巨大な魔物は、建物の屋根に鋭い爪を食い込ませながら俺たちを見下ろし、その口元に人間を嘲笑うような不気味な笑みを浮かべていた。
魔物の背中から伸びる二枚の翼は、広げれば街の通りを覆い隠してしまいそうなほど大きく、翼の付け根から漏れ出す黒紫色の魔力は、雨粒に触れるたびに小さな火花を散らしていた。
「……レオン、お願い。逃げて」
背後から聞こえたエリシアの声は、先ほどまでとは比べものにならないほど弱々しく、俺が振り返ると、彼女は青ざめた顔で魔物を見上げながら、震える手で俺の外套を握りしめていた。
「あなたには関係のないことなの。私を置いて逃げれば、あの魔族もあなたまでは追わないかもしれない」
「かもしれない、だろ?」
「でも、このままじゃ二人とも殺されるわ!」
エリシアの言うことは正しかったし、俺自身も、目の前の敵とまともに戦えば勝ち目がないことくらいは理解していた。
勇者パーティーにいたころ、上位魔族との遭遇は絶対に避けるべきだと何度も教えられていたし、実際に討伐できるのは高位冒険者や王国騎士団の精鋭くらいだと聞かされていたのだから、まともな戦闘訓練すら受けていない俺が立ち向かうなど、無謀以外の何ものでもない。
それでも、俺はエリシアの前から動くことができなかった。
「……俺さ、今日までずっと、自分には何の取り柄もないと思ってたんだ」
「……え?」
「勇者パーティーでも、俺は戦うことができなかったし、誰かが怪我をしても治してやれなかった。だから、役立たずだって言われても、仕方ないと思ってた」
俺は右手を見つめながら、少しだけ笑った。
「でも、さっき初めて、自分の力で誰かを助けられたんだ。だから、ここでお前を見捨てたら、きっと一生後悔すると思う」
エリシアは何も言わなかった。
ただ、俺の外套を握る手に、ほんの少しだけ力が込められた。
そのとき、頭上から低い笑い声が響いた。
「くだらぬ。人間とは、いつの時代も感情に振り回される愚かな生き物よ」
魔物は大きく息を吸い込むと、その口の奥に赤黒い炎を集め始め、周囲の空気が急激に熱を帯びると同時に、雨に濡れていた石畳から白い蒸気が立ち上り始めた。
「王女を渡さぬというのなら、その身もろとも灰にしてくれる!」
次の瞬間、魔物の口から巨大な炎の奔流が放たれ、建物の壁を焼き焦がしながら、俺たちのいる路地へ向かって一直線に迫ってきた。
俺は反射的に右手を突き出した。
「保存!」
青白い光が手のひらから広がり、迫り来る炎を包み込もうとしたが、炎の勢いはほとんど衰えることなく、むしろ俺の能力を押し返すように激しく燃え上がった。
【高密度火炎魔法を検知】
【保存可能容量を超過しています】
【完全保存は実行できません】
「……くそっ!」
俺は歯を食いしばりながら、どうにか炎を消し去ろうと意識を集中させたが、目の前に浮かぶ警告は変わらず、火炎魔法は容赦なく距離を縮めてきた。
このままでは間に合わない。
そう判断した俺はエリシアの身体を抱き寄せ、路地の脇に積み重なっていた木箱の陰へ飛び込んだ。
直後、耳をつんざくような轟音とともに炎が路地を駆け抜け、先ほどまで俺たちが立っていた石畳を赤く染めながら、向かい側の建物の壁を一瞬で焼き崩した。
「きゃあっ!」
エリシアが悲鳴を上げ、俺も熱風に背中を焼かれるような感覚に襲われたが、どうにか致命的な直撃だけは避けることができた。
しかし、安心している暇はなかった。
炎によって建物の一部が崩れ始め、頭上から焼け焦げた木材が落下してきたため、俺はエリシアの手を引いて路地の反対側へ走り出した。
「レオン、後ろ!」
振り返ると、魔物が再び口を開き、二発目の火炎魔法を放とうとしていた。
俺は走りながら必死に考えた。
傷は保存できた。
剣の斬撃も保存できた。
それならば、炎だって保存できるはずなのに、どうして今は失敗したのか。
答えは、目の前に表示されていた警告の中にあった。
【保存可能容量を超過しています】
つまり、保存できないのではない。
一度に保存しようとしている量が大きすぎるのだ。
「……だったら!」
俺は足を止め、迫ってくる炎の中心ではなく、その周囲に広がる小さな火の粉へ意識を集中させた。
「保存!」
すると、今度は青い光が火の粉を包み込み、炎の一部分だけが空中から消え去った。
【火炎魔法の一部を保存しました】
【保存領域:1/3】
「……できた!」
思わず声を上げた俺だったが、すぐに新たな問題に気づいた。
保存できたのは、巨大な炎のほんの一部分にすぎない。
しかも、現在の保存領域は三つしかなく、一つの領域に保存できる量にも限界があるらしい。
このまま小さな炎を何度も保存していたところで、あの巨大な魔物を倒すことなどできないだろう。
「どうした、小僧! 先ほどまでの威勢はどこへ行った!」
魔物が笑いながら翼を広げ、屋根から飛び立った。
巨大な身体が空中へ浮かび上がると、周囲の建物が激しい風にさらされ、割れた瓦や木片が雨とともに舞い上がった。
俺はエリシアを安全な場所へ逃がそうと周囲を見回したが、すでに大通りには炎が広がり始めており、逃げ惑う人々の声があちこちから聞こえていた。
そのとき、少し離れた建物の二階から、子供の泣き声が聞こえてきた。
「お母さん! お母さん、どこ!?」
見上げると、燃え始めた建物の窓から、小さな男の子が顔を出していた。
建物の一階部分にはすでに炎が回っており、このままでは逃げ道を失ってしまう。
「……まずい!」
俺は思わず駆け出そうとしたが、エリシアが俺の腕をつかんだ。
「レオン、待って! あそこへ行ったら、あなたまで……!」
「でも、放っておけないだろ!」
そう言って走り出した瞬間、俺の視界に新しい文字が浮かび上がった。
【保存対象を検知】
【対象:燃焼状態】
【保存可能】
俺は思わず足を止めた。
「……燃焼状態?」
今まで保存できたのは、傷や斬撃といった一時的な現象だった。
しかし、もし燃えているという状態そのものを保存できるのであれば、建物を焼いている炎を取り除くこともできるのではないだろうか。
俺は燃え盛る建物へ右手を向け、できるだけ広い範囲を意識しながら叫んだ。
「保存!」
青い光が建物の壁を包み込み、燃え上がっていた炎の一部が、まるで見えない手によって消し取られるかのように消失した。
【燃焼状態を保存しました】
【保存領域:2/3】
炎が弱まったことで、建物の入り口を塞いでいた火の勢いが一時的に収まり、近くにいた大人たちが子供を助け出すために駆け寄っていくのが見えた。
「よかった……!」
俺は安堵の息を吐いたが、その直後、頭上から凄まじい殺気を感じて顔を上げた。
「我を無視して、人間の子供を助けるとはな」
魔物が空中から俺を見下ろしていた。
「よほど死にたいらしい」
その口元には、先ほどまでとは比較にならないほど濃密な魔力が集まり始めており、周囲の空気が震えるほどの熱量を放っていた。
「レオン!」
エリシアの叫び声が響く。
俺は逃げようとしたが、足が動かなかった。
いや、正確には、逃げても間に合わないと理解してしまったのだ。
魔物の口から放たれた巨大な炎の柱が、空を赤く染めながら俺へ向かって落下してくる。
その瞬間、俺の頭の中に、先ほどまで保存してきた二つの現象が浮かんだ。
【保存済み:火炎魔法の一部】
【保存済み:燃焼状態】
二つとも炎に関係するものだ。
もし、これらを一つにまとめることができれば。
「……頼む!」
俺は両手を前へ突き出し、保存領域に意識を集中させた。
「二つを……一つに!」
すると、突然、視界の中央に新しい表示が現れた。
【保存対象の共鳴を確認】
【同系統の状態を統合できます】
【統合を実行しますか?】
「実行!」
次の瞬間、二つの保存領域が青白い光を放ちながら重なり合い、まるで別々の川が一つの大きな流れになるように、保存されていた炎の力が一つの領域へ集約されていった。
【保存統合に成功しました】
【保存済み:高密度火炎状態】
【保存領域:1/3】
俺はその表示を確認すると、迫り来る巨大な炎へ向かって右手を突き出した。
「……これなら、どうだ!」
【同系統の魔力反応を検知】
【保存済み状態との共鳴を開始】
【対象の火炎魔法を部分保存できます】
青い光が俺の手のひらから広がり、迫ってきた炎の中心部へ食い込むように伸びていった。
炎全体を消し去ることはできなかったが、中心に集まっていた魔力の一部が保存領域へ吸い込まれたことで、巨大な炎の柱は急激に勢いを失い、俺の左右へ分かれるようにして石畳へ激突した。
「ぐっ……!」
熱風が全身を襲い、俺は思わず片膝をついた。
しかし、まだ生きている。
そして、保存領域には、これまでとは比較にならないほど強大な魔力が蓄えられていた。
【保存領域:3/3】
【警告:保存容量が限界に達しました】
「……これで、最後か」
俺はゆっくりと立ち上がった。
頭上では魔物が驚愕の表情を浮かべ、先ほどまで余裕に満ちていた声を荒らげていた。
「馬鹿な……! 我の炎を、人間ごときが受け止めただと!?」
「受け止めたんじゃない」
俺は荒い呼吸を整えながら、右手を空へ向けた。
「……少しだけ、預かったんだ」
魔物が翼を大きく広げ、さらに上空へ逃れようとする。
しかし、その動きを見た瞬間、俺は一つのことを思いついた。
保存した攻撃は、任意の対象へ再現できる。
それならば、相手が空にいようと関係ないはずだ。
「返してやるよ!」
【保存済み:高密度火炎状態】
【対象を指定してください】
俺は魔物の胸元を見据えた。
「……あいつだ!」
【対象指定完了】
【再現を実行しますか?】
「再現!」
その瞬間、魔物の胸元を中心に巨大な炎が出現し、まるで身体の内側から爆発したかのような轟音とともに、黒い鱗に覆われた巨体を包み込んだ。
「グオオオオオッ!」
魔物が絶叫する。
自分自身の魔法を利用されたことが信じられないのか、巨大な翼を激しく動かしながら炎から逃れようとしていたが、保存した火炎状態は指定した対象の表面に直接再現されているため、どれだけ飛び回っても簡単には振り払えないようだった。
しかし、相手は上位魔族。
自分の炎に対する耐性も高いらしく、炎そのものによって致命傷を与えることはできていなかった。
「……やっぱり、これだけじゃ倒せないか!」
俺は歯を食いしばった。
保存領域は空になった。
もう一度同じ攻撃を受ければ、今度こそ防ぎきれないかもしれない。
それでも、魔物は明らかに弱っていた。
翼の動きが不規則になり、身体を覆う魔力も先ほどより薄くなっている。
そして、そのときだった。
【特殊条件を達成しました】
【強大な魔力を持つ対象との戦闘を確認】
【保存対象の拡張条件を満たしました】
「……何だ?」
俺が表示を見つめると、さらに新しい文字が現れた。
【新機能:魔力保存を一時解放】
【対象が放出した魔力を保存できます】
【ただし、保存可能量には制限があります】
俺は思わず笑ってしまった。
「……本当に、何でもありだな。このスキル」
しかし、笑っている場合ではなかった。
魔物は最後の力を振り絞るように上空へ舞い上がり、全身から黒紫色の魔力を放出し始めていた。
「人間の小僧が……! ここまで我を追い詰めるとは……!」
その声には、先ほどまでの余裕など微塵も残されていなかった。
「だが、これで終わりだ!」
魔物の身体を包む魔力が急激に膨れ上がり、空中に巨大な赤黒い球体が形成されていく。
俺はその光景を見た瞬間、背筋が凍りつくのを感じた。
あれが街に落ちれば、周囲の建物だけでは済まない。
何百人もの人間が巻き込まれるかもしれない。
「……そんなこと、させるか!」
俺は右手を掲げた。
【対象:高密度魔力球】
【保存可能】
【警告:保存容量を大幅に超過しています】
またしても、容量不足。
だが、今度は最初から分かっていた。
全部を保存する必要なんてない。
魔力球を構成している力の一部だけを取り除けば、その均衡を崩すことができるかもしれない。
「保存!」
青い光が魔力球へ伸び、その表面から魔力の一部を吸い取った。
【魔力の一部を保存しました】
【保存領域:1/3】
「もう一度!」
【魔力の一部を保存しました】
【保存領域:2/3】
巨大な魔力球が不規則に震え始めた。
魔物が異変に気づき、慌てて魔力の制御を取り戻そうとする。
「なっ……貴様、何をした!?」
「お前の魔法、少しだけ借りた!」
俺は残された保存領域を確認すると、そこに蓄えられた魔力を、魔物の翼の付け根へ向けて再現することを決めた。
相手を倒すためには、まず飛行能力を奪う必要がある。
「再現!」
青白い光とともに魔力が解放され、魔物の翼の付け根で激しい爆発が起こった。
「グアアアアッ!」
魔物は悲鳴を上げながら体勢を崩し、巨大な翼を不規則に動かしたが、片方の翼がうまく動かなくなったことで空中にとどまることができず、街の外へ向かって急激に落下し始めた。
その直後、制御を失った魔力球が空中で弾け、赤黒い光が夜空を照らした。
俺は思わず両腕で顔を覆った。
轟音が響き、強烈な風が街を駆け抜ける。
しかし、魔力球は地上へ落下する前に崩壊したため、街そのものが消し飛ぶような事態だけは避けられた。
やがて光が収まり、俺が恐る恐る顔を上げると、魔物の姿はすでに空から消えていた。
遠くの森の向こうで、大きな土煙が上がっている。
「……倒した、のか?」
俺は信じられない気持ちでつぶやいた。
そのとき、視界に新しい文字が浮かんだ。
【上位魔族の戦闘不能を確認】
【保存対象の解析が進行しました】
【新たな保存領域が解放されます】
【保存領域:3 → 5】
「……五つ?」
俺は呆然と表示を見つめた。
つい先ほどまで三つしかなかった保存領域が、五つに増えている。
しかも、今回の戦いでは火炎魔法だけでなく、魔力そのものまで保存できるようになった。
これまで役立たずだと思っていた能力が、戦うたびに新しい可能性を見せてくる。
「……レオン!」
背後から声が聞こえた。
振り返ると、エリシアがこちらへ駆け寄ってきていた。
「大丈夫!? 怪我はない!?」
「……ああ。何とか生きてる」
俺がそう答えると、エリシアは安心したように大きく息を吐き、そのまま俺の胸元へ飛び込んできた。
「……本当に、よかった……!」
突然抱きつかれた俺は、どう反応していいのか分からず、しばらく両手を宙に浮かせたまま固まってしまった。
「お、おい……エリシア?」
「……もう、駄目だと思ったの」
彼女の声が震えていた。
「あなたまで死んでしまったら、どうしようって……」
俺は少しだけ困ったように笑いながら、彼女の肩へそっと手を置いた。
「大丈夫だよ。ほら、ちゃんと生きてるだろ?」
エリシアは顔を上げると、涙の浮かんだ青い瞳で俺を見つめ、ようやく小さく微笑んだ。
その表情を見た瞬間、俺はようやく、この戦いが終わったのだという実感を得ることができた。
しかし、安心したのも束の間だった。
突然、視界の中央に、これまで見たことのない金色の文字が浮かび上がったのだ。
【警告】
【封印領域への干渉を検知】
【保存者の記憶が反応しています】
「……封印領域?」
俺がつぶやいた瞬間、頭の奥に鋭い痛みが走った。
「ぐっ……!」
思わず膝をつく。
「レオン!?」
エリシアが慌てて身体を支えてくれたが、俺の視界は急速に暗くなり、周囲の景色が遠ざかっていくような感覚に襲われた。
そして、意識が完全に途切れる直前。
頭の中に、聞いたことのない声が響いた。
――ようやく、目覚めたか。
低く、静かな声だった。
――千年の時を経て、再び保存の力を持つ者が現れた。
俺は必死に問いかけようとした。
「……誰、だ……?」
しかし、声は答えなかった。
代わりに、最後の言葉だけが、はっきりと頭の中に響いた。
――最後の保存者よ。世界が再び滅びる前に、七つの封印を解くのだ。
その瞬間、俺の意識は完全に暗闇へと沈んだ。
そして、倒れ込む俺を必死に支えるエリシアの姿を最後に、俺の記憶は途切れた。
第3話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
上位魔族との激しい戦いを通して、レオンの【保存】スキルがさらに進化しました!
そして、最後に現れた謎の声と「七つの封印」という新たな秘密。
果たして、千年前の保存者とは何者なのか。そして、レオンの中に眠る力には、どんな秘密が隠されているのでしょうか?
次回、第4話「王女様に拾われた俺、なぜか指名手配される」では、レオンとエリシアを取り巻く状況が大きく変わります!
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次回もよろしくお願いします!




