表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇八月】四八一年〇六月~五一〇年一二月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
238/238

【25日 504年03月】義陽激戦! 一方北では

【504年03月】

資治通鑑原文3633文字(114/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 8/3-蕭衍-10/14

 8/23-蕭統-9/23

・準メインキャスト

 8/18-元恪-9/5



【あらまし】

 義陽・鍾離戦線が加熱する中、北魏で高氏の専横がさらに強まります。とは言え北方では柔然が再び攻めてきていたりと、この頃の北魏って南に戦力注ぎ込んでる場合だったんかいなとは思わずにおれません。


【できごと】

 北魏の第二次鍾離攻勢が終了しました。大々的な動員がなされながらもはかばかしい成果を挙げきれず、更には淮水の洪水にも遭遇し、逃亡者なども大いに出してしまいます。こうしたことから撤退に際してのしんがりはほぼ死が約束されたようなものでしたが、ここでしんがりを請け負った賈思伯は、本来あまり軍務に詳しくなかったはずであるのに、見事に任務を努め、しかも生還さえ果たします。元澄はこの働きに感服しました。が、一方で今回の作戦における元澄の責任は重大。そこで朝廷では総指揮官たる元澄の降格について議論されましたが、この段階では確定しなかったようです。ちなみにここまでの流れから想像がつくかとは思いますが、元澄は結構宗室から疎んじられていたそうです。


 そして宗室と言えば、この人の名前が出てきます。北海王、元詳。中央で権勢を振るい、かつ贅沢淫行も甚だしかった、と紹介を受けます。これがさすがに度を越してきていたということで王を廃され、庶人に落とされました。更にはその不品行ぶりに元詳の母である高太妃が激怒、元詳およびその正妃である劉氏、かの劉昶の娘を棒で打ちました。そして、この後の展開がなかなかに興味深いです。元詳が「突然死亡した」と書かれるのです。怪我が元で、でも、病死、でもありません。これには南斉高帝が宋の皇族を粛清する中で皇族の死を「病死ではない」と論じたことに通じるものがあるように感じます。


 そして、激戦地の義陽です。援軍であった曹景宗は近くにまで赴きましたが、なぜかそこから進軍しません。そこで武帝は別将を派遣しましたが、結局のところ義陽は陥落。梁軍はその南にある、その名も文字通り南義陽に拠点を移し、引き続き抵抗します。ここで援護に出なかった曹景宗を弾劾すべきだ、という声も上がったのですが、武帝はこれまでの曹景宗の功績を踏まえ、不問としたそうです。


 一方北では、柔然が沃野鎮や懐朔鎮を攻撃。こちらはすぐに追い払うことが叶ったのですが、この当時の六鎮は旱魃などにより防備にも事欠く有様でした。このため支援のために別途九つの城を築き、補給体制を整えたそうです。これは言い換えれば、ここまでの六鎮は単独でもかなりの防衛力を誇っていたが、その資源が衰えた、と見ることが叶いそうですね。


 さて、戦争の話ばかりが続きますが、両国の都では学問の促進が盛んでした。これは武によって覇を競う一方で、文についても競争が進められていたのが伺われます。この辺りには、やはり孝文帝の影響を見ることができそうです。 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ