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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇七月】四五一年一二月~四八一年〇五月

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208/242

【26日 475年09月】献文暴崩! 太后の復讐?

【475年09月】

資治通鑑原文2003文字(228/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 7/1-蕭道成-8/1

 7/5-馮太后-8/10

 7/17-拓跋宏-8/19

・準メインキャスト

 7/16-蕭賾-8/14


【あらまし】

 宋ではまた例によって有力宗族が乱を起こし鎮圧され、また少し蕭道成の発言力が上がります。北魏では献文上皇が突如崩御。司馬光さんはこれを馮太后による「愛人を殺された復讐」と、なにやら気持ちの悪い動機の矮小化をしています。いや普通に政争の結果でよくない?



【できごと】


 ここに来て突然、後廃帝が凶暴失徳のひとと書かれます。随分と都合のいいタイミングです。ここでは後廃帝がそういう人物であったから、そのいとこ、早世した明帝の兄たる劉宏の子、劉景素に輿望が集まり始めた、と書かれます。いつものパターンが始まりました。ここで後廃帝の側近まわりはエスカレーションを煽りますが、袁粲と蕭道成はとりなしに回ります。しかしそれにも限界があり、結局劉景素は京口に挙兵。このため鎮圧軍が編まれますが、その鎮圧軍には劉景素と内通しているものもありました。蕭道成や息子の蕭賾は建康で守りを固めるていで後方から鎮圧軍の動向を監視します。結果から言うとわりとゆるい統率の鎮圧軍以上に劉景素軍の結束はゆるく、あっさり京口は陥落、劉景素も討ち取られました。こうした結果から、蕭道成は内通者たちの動きを不問としました。またこの動きを聞くと蜀の反乱鎮圧に出ていた沈攸之は軍を東に返そうとしますが、現地の宋将らに足止めを食らい、乱鎮圧までにたどり着くことが叶いませんでした。


 突然火の手が上がったと言えば、この年の北魏でもド級の火の手が上がります。献文上皇の崩御です。これを資治通鑑は「馮太后が愛人の李奕を6年前に殺されたことを恨み、毒殺した」と断言しますが、そこから馮太后のプライベートの乱れを強調し「しかし政務は優れていた」と書きますので、司馬光さん的には馮太后を叩きたいからこそ勇み足を決めた、と見るべきでしょう。これは前年に献文上皇の統治が優れていたことを強調していたことからも明らかです。つまりこの先で馮太后がどれだけ良い統治をしたとしても、司馬光さん的に馮太后は悪だから「つまらない理由で献文上皇を殺害した」でなければならないのです。ちなみに献文暴崩周りについては、北史の記述も「李奕が殺されたことを恨みに思ったので殺した」となっていますが、問題は魏書です。ここでは「皆が馮太后の仕業だと噂していた」となっています。つまり北斉の段階ですら確証もって言えなかったことを、唐と北宋では断言しているわけですね。ここまで見てきたとおり献文上皇と馮太后は政治的対立がありますので、暗殺疑惑が出るのは不可避にせよ、それを後世人が「愛人を殺された恨み」に矮小化させたい意図を感じます。誰も疑問に思わなかったんでしょうかね、このネジ曲がり?

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