【20日 470年01月】柔然再始動! 応じる北魏
【470年01月】
資治通鑑原文1638文字(255/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
7/1-蕭道成-8/1
7/5-馮太后-8/10
7/17-拓跋宏-8/19
・準メインキャスト
6/27-劉彧-7/22
7/16-蕭賾-8/14
【あらまし】
北魏は吐谷渾を攻めるも、柔然に攻め寄せられてもいます。宋では袁粲が枢要に立ち、同時に蕭道成の存在感も大きくなっています。宋の最終局面がにじり寄りつつあります。
【できごと】
西方戦線の話が載ります。吐谷渾を攻め、押し込み、吐谷渾拾寅が使者を発して貢納品を収めようとしたら、その使者を収監。北魏の態度が強硬と言うよりも、東方線戦の大成果を前に西方陣営に焦りが出た、と見るほうが正確そうです。この頃の仇池の話、宋書魏書を紐解けば拾えるんでしょうかね。なんだかんだで北魏にとってどでかい楔になっていそうです。
宋では、先日ちらりと名前を挙げた袁粲が尚書右僕射となりました。ようは宰相です。ちなみに荀彧の末子、荀粲リスペクトのあまり改名したというエピソードは拾っておくべきでしょう。名の文字を重ねる、は、字を犯す以外に敬仰を示すニュアンスも出る、と確認できますので。もちろん、これは同時代人相手にはできないでしょうけれど。
一方で、このひとの名も挙がります。蕭道成。任地にあって「天子の相あり」と評されたがために明帝より疑われ、中央に召喚されかけています。後に皇帝となったという結果から史書記述が構築されている以上あまりうっかり拾い切るわけにもいきませんが、この段階で隠然たる力を持ちつつあったことまでは拾って良さそうです。
北では、しばらくおとなしかった柔然が再び動き始めます。献文帝はこの動きに対し、親征にて対応。柔然を大破します。更に帰還すると、北魏がこれまで抱えていた俸禄問題に手を付けます。とは言っても献文帝自身は臣下を厳しく締め付ける方向で対応を考えていたのですが、臣下からの諌めもあり、この対応を取りやめた、というのがその内容です。ここで諌めの言葉を投げかけた張白澤の言葉が重要だと思ったので取り上げておきましょう。「昔、周の下士でさえ耕作代行の禄がありました」。つまり俸禄とは、あくまで国事に身体を取られて農事に従事できない、そのぶんの補償であった、というわけです。もちろんそんな名目はほかならぬ周の時点で吹っ飛んでいたことでしょうけれど、このカビ臭い名目論を敢えて持ち込まなければならないレベルで北魏における俸禄が問題外と認識されていたらしい、とは拾えそうです。 また青州戦線の主将であった慕容白曜が乙渾に味方していた、という理由から誅殺されました。これ、逆に言えば乙渾がそれだけ凄まじい実権を握っていた、となりそうですね。ともあれ、献文帝の権力が徐々に高まりつつあるのを感じます。対する馮太后は、いったいどのように動くのでしょうか。




