【11日 375年02月】王猛死亡! 対する晋は
【375年02月】
資治通鑑原文860文字(327/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛▲
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
【あらまし】
前秦で、王猛が死亡しました。王猛の遺言はのきなみのちの伏線としか言いようのないものでした。対する晋では謝安と桓沖を中心とした軍事態勢が編成されています。淝水の戦いまで、あと八年。
【できごと】
この年、晋の政局体制がほぼ謝安と桓沖のツートップ状態となります。桓温の弟たちと言えば桓豁もいるんですが、たぶん桓温の母親が最も家門が高く、次に桓沖、くらいの感じだったのでしょう。桓沖は中央の政治を謝安に任せ、自身は京口に出ました。つまり北府の統括です。そしてこの当時の西府統括は桓豁であり、「むしろ桓氏が軍務で引き続き重要な立場にあった」というのが凄まじい。謝安という重石のすごさ、そして目の前に迫ってきている前秦がどれほどの脅威であったかを占えよう、と言うものです。
そして、その前秦。ここで決定的な転機が訪れます。王猛の死亡です。王猛はその死の床において苻堅の今後を本気で、めちゃくちゃ、心底心配しており「始め良くても終わり全うできた王が少ないことを肝に銘じてくれな」「はっきり言っていま晋攻めるの下策だからな」「そんなことより鮮卑と羌を除いとかないとやべーぞ」と言い残し、死亡。苻堅はギャン泣きして 「天は私に天下を統一させたくないのか! なぜこれほど早く、私から景略を奪うのだ!」と叫んだ、とされているのですが……これ、石勒や苻健の嘆きと全く同じ内容なんですよね。ともあれ苻堅は王猛という重要な片腕を失ったことに対する不安を抱いたのか、「いまは武を収め文を養うこととしたい」と宣言、そのための政策を打ち出しています。
ここで東晋に話を戻します。孝武帝の皇后に王氏が就きました。これまでも様々に王氏が出てきているので、ここで改めて紹介しておきましょう。晋には著名な王氏の流れがふたつあります。王導が属する琅邪王氏。もうひとつが、太原王氏です。ここで王皇后は太原王氏の出身でした。これまでも太原王氏出身の名士は多くいたのですが混乱を避けるために紹介を避けていました。ただ東晋末を追う上でこの一族がまた重要になってくるので、この辺りでリマインドをしておきたいと思います。陳郡謝氏、琅邪王氏、太原王氏、そして譙郡桓氏。こうした一族が組んずほぐれつをし、淝水前夜、つまり晋末前夜を彩るのです。あと彭城劉氏。現在、ただの金魚のフンです。




