第38話 無茶苦茶かどうか
放課後、練習室にて――
「失っ礼しまーす」
間の抜けた声と共に岩村先生がやって来たのは、ちょうど体操が終わって発声練習に移ろうとしていた時だった。
先生はその場に立って、室内を見渡した。
「みんな、今日は欠席なし?」
不意にそう聞いた先生に、陽和が応じる。
「はい、全員います」
「そうかー」
また間の抜けた声で答えつつ、先生は俺にちらりと視線を向けた。「いいね?」と言外に尋ねてきている。
何のことかは、分かっている。俺は少しだけうなづいた。
岩村先生が口を開く。
「じゃあ、輝くん。例の件、みんなに言っておこうか」
「はい」
かおる祭まで、あと3週間。色々あって伝えるのが遅れ、しかも伝えていないのにバレてしまって問題を起こしたこの話だが、正式に伝えるにはもうこれ以上は遅くできない。
「さてみんな、輝くんに多少の考えがあるのは……もう知ってるね?」
みんなが静かにうなづくのを見て、先生は続ける。
「本当は輝くんに説明してほしいところだけど、まあこの間のこともあるし、ちょっと言いづらいだろう。だから代わりに俺が言っちゃうよ」
そう言ってから、先生は少し言葉を付け足す。
「そうそう、勘違いしないでね。あくまでこれは、輝くんの考えだから。俺の『指導』じゃあなくて、きみたち生徒同士のお話だよ」
そして先生は、以前俺と話し合った内容をみんなに話した。
まずは、現在練習中の5曲のうち1曲をやめ、代わりに俺ひとりが歌う男声独唱の曲を追加すること。
先生は「俺としても、やっぱり1曲減らした方がよさそうだと思うなあ。その分、残りの4曲を頑張るってことで」と、暗に各曲の完成度についても指摘した。
そして次に、俺の考えている男声独唱の狙いについて。
まあ、愛や里奈など数名には、俺のクラスに来た時に既に話してしまっているけれど――
今回男声独唱をする狙いは、およそ千人の全校生徒の前での独唱を成功させて、注目を集めること。そしてそれを聴いた生徒たちのうち2人か3人でも、俺の歌声と歌う姿にあこがれなり野心なりを持って合唱部にやって来ないだろうか、ということだ。
2人か3人も来てくれれば人数不足は解消され、高3が引退しても2月のコンクールの参加資格を満たせる。そうなれば、廃部の話はひとまず撤回できる。
ただ、それには問題がないわけではない。
もし入ってくれる生徒がいたとしても、おそらく合唱は未経験だ、ということだ。
今の合唱部は、既にかなりの人数不足に陥っている。かおる祭で高3が引退したら、残るのは5人だけだ。そこに複数の未経験者が入れば、この先の練習は困難をきわめ、今年のコンクールの成績はおそらく過去最低となる。
だが、それでも合唱部がなくなるよりはずっといい。もし部がなくなれば、歌を練習できる場所さえなくなってしまうのだから。
部が存続さえしていれば、これまで通り山口先生や岩村先生が来てくれて、歌の指導をしてくれる。
今ここにいる者――部員たちに俺と岩村先生を加えた9人は、初めはみんな未経験者だった。今のように歌えるようになったのは、練習の場があったからだ。
この部活さえ残っていれば、後から来た未経験者たちは、いずれ経験者に変わっていく。
だから――この合唱部を、ずっと未来まで残したい。
・・・・・・
「どうかな、これ。俺はわりといい考えだと思うけど」
岩村先生はそう言った。
そうだ、俺が千人の前でひとりで歌って、それに魅せられた生徒が何人か合唱部にやって来て、そして廃部は回避される。
……。
我ながら、なかなか壮大な絵空事だ。
そんなに都合よく新しい生徒が来るのか、俺はそんなに魅力的に歌を歌えるのか。
そもそも、かおる祭の熱気のなかで、この廃部寸前の合唱部のステージ発表を、そんなに真面目に聞いてくれる生徒はどれくらいいるのか。
絵に描いた餅……かもしれない、これは。
「ま、どうせ今年で廃部でしょ」
突然、岩村先生がそう言った。
「確かに無茶苦茶な考えだ。失敗したら、廃部は確定だね。そしてそれは――」
「――先生!」
里奈の高い声が響いた。見ると、片手を挙げて岩村先生を見ている。
「なに?」
何気なさそうに返事をする先生。
「廃部は初めから決まってます。だから輝さんの考えが失敗しても、何も変わらないです」
何も変わらない、って――いったい何を言い出すのか。
里奈に続いて、愛が手を挙げる。
「里奈の言う通りです。輝さんの考えを実行しないなら、私たちにはもう廃部を回避できる考えがありませんから、当初の予定通り合唱部は廃部になります」
「うん、そうなるね」
岩村先生は、声のトーンを変えずに言う。
愛もそのまま、言葉を続ける。
「今の私たちにとって、『廃部』以上のマイナス要素はないと思います。ですから輝さんの考えを実行し、それが失敗したうえで廃部になっても、特に問題はありません」
あまりにもきっぱりと、愛は言い切った。
「たとえ無茶苦茶な考えであっても、これは廃部を回避する唯一の案ですから、思い切ってやってみるのがいいと思います」
……どうだろうか。ただの空回りで終わるかもしれない。
「本当に無茶苦茶なのかどうかは、かおる祭が終わって学校のみんなの反応を見なければ、分かりません」
……。
「やってみて、成功したらそれでいいでしょう。もし失敗しても、マイナスにはならないわけですから――その時は、みんなで笑って済ませればいいと思います」
そう言う愛の言葉を、腕を組んで聞いていた岩村先生は、そこで顔を上げた。いつも通り、冴えない顔。
「うん。そう――あはは、俺が言うまでもなかったかな」
そう言って、みんなを見渡す。
「そう、この部活にこれ以上のマイナスはもうない。だから、やってみても損はしないだろう」
その言葉にうなづくみんなを見てから、先生は言った。
「この件について、至急考えてほしい。本番まで3週間、もう時間がない。この案を、採用するならする、しないならしない――急で申し訳ないけど、今日ここできっぱり決めて、本番に臨もう」
・・・・・・
「よし、それじゃあすぐに話し合いに――」
「先生――」
落ち着いた声が、岩村先生の言葉を遮った。
「その前に、少しだけお時間をいただけませんか?」
「まあ、ちょっとだけなら」
適当そうに答える岩村先生。
その言葉を聞いて、俺に歩み寄ってきたのは、琴音。
「輝、さっき里奈と愛はああ言っていたけれど……」
そう言って、じっと俺の顔を見た。
険しい表情で、小さくため息ついてから――
「発案者のあなたが、そんな顔をしていたらだめでしょう」
――そう言ってきた。
「一応話し合いはするけれど、答えはもうほとんど決まっているのだから。あなたの考えは――」
琴音はじっと、俺の目を奥まで見通すように見て……
「あなたの考えは、今日から『みんなの考え』に変わる。その発案者のあなたが、そんな顔をしないで」
そう言って、琴音は少しぎこちなさの混じった笑顔を、俺に見せた。
「もっといい顔をして、自信たっぷりに。でないとみんなが、あなたを心配してしまうから」
……。
「返事は?」
「う、うん……」
「ふっ……」
俺の情けない返事に、愛が軽く吹き出す。
琴音にじろりと視線を向けられた愛は、びしっと姿勢を正して目を逸らした。
その様子を見て、表情を緩める者、やれやれと言わんばかりに首を振る者――みんなは、案外気楽そうだ。
「輝、いい――?」
琴音は俺に視線を戻して言う。
「少なくとも、かおる祭が終わるまでは――みんなで、一緒にやりましょう」
琴音も、そんな事言うんだ……。
ああ――難題だな。
無茶苦茶かどうかは、かおる祭が終わるまで分からない。そしてそ、の無茶苦茶を通すためには――
まず自信がないと、声が出てくれない。
もうこの際、思い込みでもいいか。こんな事言われちゃったら。
うまくいくと思って、やってみるしかない。
こちらを見つめている琴音に、俺は言葉を返した。
「分かった。明日までにはいい顔にするから」
「今日中にお願いね」
また愛が吹き出したのが聞こえて、俺は思わず苦笑いさせられた。
・・・・・・
「先生、お時間をいただいてすみませんでした」
「いいよ、ちょっとだけだったから」
そう言って、先生はまたみんなを見渡す。
「それじゃあ、今日はまず話し合おう。どの曲をやめるか決めないと、この後の練習ができないから」
それから、さらに付け加えた。
「もちろん主導権はみんなにある。この案を却下して5曲全て歌ってもいい。どう決めてもいいけど、大事なかおる祭の舞台のことだ。誰も悔いを残さないよう結論を出してね」
その言葉に、7人の「はい」という声が重なった。




