第33話 「両手に花」の片方は
「うん、やっぱり……」
そう言って、竹内は急にうつむいた。
「私は、海野さんにはかなわない」
「え、いやいや俺なんか――」
そう言いかける俺に、竹内はただ首を振る。
「陽和は元々明るい性格だったけれど――あなたに関わり始めてから、今まで見たことのなかった笑顔を、もう何度も見ているの。気分がよさそうな時は、ほぼ必ずあなたの話をする。楽しそうに……」
陽和が? どうして――?
「いっそのこと、海野さんが陽和の隣に立ってあげた方がいいかもしれない。あんな笑顔、私は3年かけても、一度もさせられなかったんだもの」
そう言う竹内の表情は寂しさか、それとも悔しさなのか……
「その方がきっと、陽和も喜ぶはず。私は『副部長』でいい、陽和と海野さんの邪魔をするより――」
「待って、待って。そういうの、なし!」
俺は慌てて言葉を遮った。
「竹内と俺はあくまで別人だから。俺は陽和といい友達になりたいけど、竹内の代役なんて務まらないよ」
俺はそう言ったが、竹内はなぜだか、ひどく不満そうな顔を向けてくる。
どうにかしてその表情を解こうと思い、言葉を探す。
「別に陽和の横に立つのは、ひとりって決まってるわけじゃないし。そうだ、何なら俺と竹内とで、両脇から陽和を挟めばいいんだ」
3人で横に並べばいいじゃないか、と思って――
「そうすれば、陽和にとっては両手に花だよ。その方が喜ぶって」
――そう、言った。
それを聞いても竹内はまだ不満そうだったが――
……なんだか、困ったような表情にも見えた。
「両手に花、か……」
ぽつりと、つぶやく。
「――?」
それから竹内は俺の顔をじっと見て――
「海野さん。私、どうみえる?」
――と、聞いてきた。
・・・・・・
「え――?」
意図が分からず言葉に詰まると、竹内は顔を逸らして、小さくため息をついた。
「陰気な人だ、って思うでしょうね。暗い顔してるって、よく言われるし」
どうして急に、そんな事を……?
陽和の話をしていたはずなのに――
……いや、違った。
今ここで話しているのは、陽和のためじゃない。
「竹内とも、できれば仲良くしたい」……そんな事を考えて、俺が声をかけたんだった。
今は陽和じゃなくて、竹内の話をしているんだ。
「私、どうみえる?」、か。
……確かに、竹内はちょっと暗めな印象ではある。
それをそのまま言ったら、竹内はたぶん傷つくだろう。
でも、大切な仲間であってほしい竹内を、ここで傷つけたくない。
どう言っていいか分からず、竹内の顔をじっと見てみる。
見られた竹内は、困ったように目だけ逸らす――
「……」
その姿は、なんだか少しだけ、いじらしく見えた。
「えっと――」
言うべき言葉を思いつかず、俺はとっさに――
「かわいい――、と思うよ」
――と、言った。
聞いた竹内は、びくっとしてぎゅっと両脇を締める。
それを見て俺は、今の言葉がそんなに間違いじゃあないと自分に言い聞かせた。
竹内は少し息を吐いて、身体の力を解いた。
「……今のは、聞かなかったことにしておくね」
「……」
そう言われると、だいぶ恥ずかしい。我ながら、もう少しましな台詞はなかったのか。
それでも――竹内の表情は、もう硬くない。これでよかったんだ。
半ば安堵し、半ばどぎまぎする俺に、竹内が言った。
「陽和が寂しがっていたよ、夜ふたりで会う約束だったのに、って」
――うん?
陽和……?
会う約束――? なんだ、それ。
しかも夜って……
夜にふたりで会う約束なんか――
『今度の月曜さ、練習終わったら一緒にあそこ行かない?』
『夜までふたりで話したとこ』
「――あ」
思わず声に出た俺を、竹内が眉を寄せとがめるように見つめる。
金曜の夜、陽和とスマホ越しに結んだ、約束。
しかし約束の月曜は、俺と竹内とで言い争いをして――俺は練習室から出て行って、そのまま帰ってしまった。
もしかして陽和はあの後、来ない俺を待っていたのだろうか。
今日は水曜、約束の日から2日経っている。忘れられたままの陽和は――
いけない、まずい。
なんとかしないと。謝って、それから――
待たされた2日分の陽和のこころを、満たしてあげないと。
早く陽和に、声をかけなければ――
・・・・・・
天井のスピーカーが、大音量のチャイムを鳴らした。
始業10分前の合図だ。
「戻りましょう、そろそろ」
竹内が椅子から立ち上がる。
「うん」
俺も立ちあがったが……ふと、ある事に気付いた。
「竹内、そういえばうちのクラスに用事があったんじゃ? ごめん、こんな時間まで」
しかし竹内は俺にほのかな笑顔をみせて、言った。
「いいえ――もう、済んだから」
……? 済んだ?
「陽和の事――あなたが言うように、私たちと陽和と3人で、頑張ってみるのもいいかもね。『両手に花』、なんて」
そう言って竹内は部屋を出かかったが、ドアの前で足を止め、振り返る。少しだけぎこちない、笑顔を浮かべて――
「名前は竹内琴音、パートはソプラノです」
――そういえばまだ聞いていなかった、竹内の自己紹介。今、ようやく聞くことができた。
「うん、よろしく」
俺は笑顔を向けて、そう答えた。
――はずだったが、竹内の笑顔は消えてしまった。視線が、逸らされる。
「……どうした?」
聞いてみたが、答えない。竹内は俺に背を向け、部屋を出て行こうとする。
どうして? さっきは笑ってくれたのに。
「あの、……琴音? どうかした?」
初めて呼ぶ名前のせいで、少しぎこちなくなった言葉。
その言葉に、竹内は立ち止まった。
そばに寄って様子を見ると、わずかに見えた横顔は、少しはにかんでいるようにも見えた。
琴音はその顔を逸らして――
「いえ、別に」
そう言って、部屋を出て行く。
「それじゃあ、また部活で」
「あ、うん」
部屋の中に、ひとり残された。
・・・・・・
そんな事があった日の、午後。
昼休みに、明がとがめるような声で問いかけてきた。
「おい輝、なんで朝ギリギリで来たんだよ。なんだ? 何か『言いたくない事』でもあったのか?」
――? 何のことだ?
確かに朝は時間ギリギリだったけど、それは琴音と話していただけだ。
「別に大したことじゃないよ。てか『言いたくない事』って、お前何の事言ってるんだ?」
明は表情を険しくした。
「そりゃお前――合唱部、昨日行かなかったんだろ」
「へ――?」
ますます、何を言ってるのか分からない。
「合唱部は行ったよ?」
ちょっとした偶然に助けられもしたけど、昨日はちゃんと合唱部に行けた。
しかし――
「じゃあ今朝のは何だ? どうして遅刻2分前なんてギリギリの時間で来た? 話す暇もなかったろ。合唱部の事、後ろめたいから話したくなかった――そうじゃないのか?」
明は、なぜか納得しない。こんなに人の話を信じない明は珍しい。
「合唱部は行ったよ。今朝はちょっと、人と話し込んでたから。……うん、それも合唱部の関係で」
琴音との話が、意外に長引いたんだ。わざとじゃなかった。
「本当に?」
それでも明は納得しない。普段はのらりくらりとしているやつなのに。
「昨日合唱部行ったんなら、楽譜持ってるはずだな。見せてみろ」
「楽譜を? どうして?」
そう答えつつ、鞄に入れてあるクリアファイルを取り出す。中から取り出した紙には、5線譜の上に踊る音符たちが連なっている。
「ほら」
どうだとばかりに見せてやったが、明の表情は険しいままだ。なんだ、今日は。どうしたんだ。
「……偽物じゃんか、それ」
「うん? 本物の楽譜だろ」
むしろ偽物の楽譜ってどんなのだ?
「それは本物のお前の楽譜じゃない。本物は昨日来た部員に持ち逃げされてただろ」
「そうだけど……」
昨日、愛は俺の楽譜を返してくれなかった。
「取り返せてないってことは、合唱部に行かなかったってことじゃないか。お前、そんなやつじゃないと思ってたけど――」
あ――! そうか――!
「待った待った! そういう事ね、分かった」
らしくもなく、むきになってるなと思ったら――
明は、あれだけ俺を迎え入れようと頑張った部員たちに対して、俺が応えなかったと思っているらしい。
あの時愛は「返してほしかったら練習室まで来てください」と言っていた。明はたぶん、俺が練習室へ行ったなら、愛から自分の楽譜を取り返せたはずと思っているんだ。
少しだけ説明すれば、その誤解は解ける。そうすれば納得してくれるはずだ。
「合唱部には行ったんだ。だけど楽譜は盗られたまま、まだ人質にされてる。こいつは代わりに渡されたやつ」
そう言って、楽譜をよく見せる。「鈴木愛」と名前が書いてある。
それを見て、ようやく明の険しい表情は解けた。
「……そうか」
そして、でかいため息をついた。
「行った、か。それならいいや」
それから明は、いつもの顔で俺を見て言う。
「合唱部を器楽部の定演に出すって話、あれは万が一お前が合唱部に行かなかった場合を考えて、昨日は話さないでおいた」
俺はだいぶ信用されていなかったらしい。ちゃんと行ったよ、一応。
「ま、毎日話しても進展はないだろうし、多少間隔を開けつつ話すつもりだ。だから今日は、特に話せるような成果はない」
明はまだ、俺が頼んだことをやってくれるつもりだ。それならまあ、俺が合唱部に戻らなかったら怒るだろうな。
――ありがたい話だ、本当に。
「それから――」
明は机に肘をついた。
「桜井が今朝、だいぶお前のこと心配してたぞ。お前ギリギリまで来ないもんだから、ずっとここに立ちっぱなしで待ってたんだ」
陽和が――?
「なんかちょっと疲れたような表情にも見えたけど……お前、心当たりある?」
ある――今朝、琴音に指摘された俺の「約束破り」。
「疲れたような表情」……明の観察力を考えれば、確かにそうだったんだろう。陽和、ずっとここで待ってたのか。
「あるんだな、心当たり」
「……」
「なんとかしろよ。俺はそっちの面倒は見れないからな」
俺は陽和の席を見たが、そこに陽和の姿はなかった。




