第16話 その話、聞こうか
週末が過ぎて、月曜日――
土日のうちに残りの楽譜は全て記入し終わり、万全の態勢が整っている。
……さて。
やるべきことを、やりに行こう。
もう開いていた教室のドアを抜けると、俺の席の隣には既に明が座っていた。
ゆっくり歩いていくと、明が気付いて振り返る。
「お、輝。おはよー」
「……ああ、おはよう」
さて、どう切り出そうか――
「で、今回は何考えてるわけ?」
……。
なにも言う前に……こいつには隠し事なんてできやしない。
でも、手間は省けた。後はもう腹をくくって話すしかない。
先週岩村先生に話した、合唱部のためのふたつの案、その2つ目について。
合唱部を年度末まで活動させられるのに必要な、舞台について。
「……明、お前器楽部だよな」
我ながらへたくそな切り出し方だ。そんなの聞かなくても、もう知ってる。
「ああ、その通り。俺は器楽部だよ」
そして俺のへたくそな話にきっちり返事を返すのが、いつも通りの明だ。
「えーっと……頼みがある。すごく自己中心的で、厚かましい話なんだけど――」
俺の言葉は歯切れが悪い。
「へえ、なに?」
対する明は表情も声のトーンもそのまま。
でも分かってる。その顔の下ではもうある程度察して、次の言葉を待ち構えているんだろう。
「……」
――だめだ。ここまで言い出しておいて、口を閉ざすな。そのまま言え!
「……器楽部の定期演奏会に、合唱部を出させてほしい。少しだけでいい――15分だけ」
……。
「…………」
明はぽかんとした顔をして、言葉が出ないようだった。
この明にこんな顔をさせたのは、たぶん俺が初めてだろう。
しばらくして、明が口を開く。
「いやー、予想外の方向に来たな、輝。返事をすぐ出せなかったのは、俺の人生で初めてだぜ、たぶん」
そう言って、明は肩をすくめた。
・・・・・・
器楽部の定期演奏会は3月にあると、以前聞いたことがあった。受験や就活から戻って来れた最上級生と一緒に、最後の演奏会を開くのだそうだ。
当然それは、音楽ホールを借りて行われる。そして同じホールで、合唱もできる。
今の合唱部は人数不足で、来年2月のコンクールは人数制限の下限を満たせず出られない。最後に出られる舞台は、人数制限のない夏のコンクール。それが終われば、解散する予定になっている。
だがもしも、3月に行われる器楽部の定演の舞台をわずかばかりでも借りられれば、合唱部の最後の舞台はそこになる。年度末まで、その「本番」を目指して「練習」ができる。
夏のコンクールからから3月まで、果てしない練習が続くことになるが……それでも、その先に本番があるのなら、その練習には意味が生まれる。
それが、俺の考えていることだ。
・・・・・・
明は机に肘をつき、こちらを見据えた。
「あのさ輝。正直、何が言いたいか分からないんだけど」
そう言う明はこちらをまっすぐ見たまま……聞くつもりの構えだ。
……明が聞いてくれるなら、俺もひとまず言ってしまおう。
「合唱部に、年度末に出る舞台が欲しいんだ。本来は自分らでホールを借りてやるべきだけど……まず、無理だから」
それを聞いた明は首を傾げた。
「えーっと……とりあえず、何で年度末?」
「そこが、今年度出られる最後の舞台になるから」
それを聞いても、明は首を傾げたまま……こういう反応は、珍しい。
明はちょっと考えてから、言った。
「なら、別にそんな無理言う必要ないじゃない? 来年のかおる祭まで、ゆっくり待てば」
「…………来年は、ない」
「……?」
「合唱部に来年はない。来年には合唱部はない」
……。
「ああ、そう――」
明の声のトーンが下がった。察しがついたのだろう。
それから明は、俺をまっすぐに見据えた。
「まず、聞きたいんだけど」
「うん?」
「どうして輝が、それを言う?」
……?
ちょっと理解しかねた俺に、明が補足する。
「お前、合唱部員じゃないだろ」
「……ああ。だけど、今は一応メンバーだから」
「今は、って……」
明は少し表情を険しくした。
「お前、合唱部と関わり始めたの、先週だろ? 10日も経ってないぜ。練習に出たのは、たかだが1日じゃないか」
「……」
たかだか――
「うん、たぶん10日も経ってない。練習はこないだの金曜だけ。でも――」
そう言いつつ、思わずため息が出る。
「――体感的には、もう1ヵ月くらい経った気がする……色々、本当に色々あった」
そう言って、俺は言葉を切った。
それを見た明は肘をついたまま、興味なさげに言う。
「ふうん……それで? 情でも湧いた? 合唱部に」
……。
「……」
生じた沈黙は、重かった。
「…………」
「…………」
そして先に音を上げたのは、意外にも明のほうだった。
「ごめん。言い方が悪かった。さっきのはナシで」
「――いや、明の言う通りだ」
そう言う俺を見て、明は肘をつくのをやめた。
「マジでごめん、ちょっと言葉選びミスっただけだから、いや、ほら……」
珍しく慌てふためく明。
そしてもっと珍しく、静かに言葉を続けていく俺。
「違うんだ。言われて初めて気付いた。俺がこうしているのは、本当に合唱部に情が湧いたから――たぶんそういう事なんだと思う」
俺は少し部員たちの姿を見ただけだったけど……それでもこうして無理を言っているのは、「情が湧いた」ということなんだろう。
明はそれを聞くと、いつも通と同じように落ち着いて机に肘をついた。
「なるほど、ね。情が湧いた、か」
……。
「よし、じゃあ最初の話に戻ろうか」
……? 最初の話?
明は少し俺の顔を見て、それから困ったように笑った。
「おい、輝。お前が言い出した話だろ。合唱部を器楽部の定演に出させろって話」
――そういえば、そうだった。
「いま『そういえば、そうだった』って思ったろ? ……まあそれはいい。お前の話、ここできっぱり答えておこう」
……「きっぱり」か。
「『お断り』だ」
だろうな……。
「分かった。すまん、変な話して。忘れてくれ」
妙な話を聞かせることになった明に、俺は少し謝った。
元より成功の見込みはほぼなかった交渉だ。これで予定通り、といったところか。
俺は前を向いて座りなおした。
しかし――
「おーい輝、まだ話終わってないぞ」
「へ?」
見ると、明はまだこちらを向いて座っている。相変わらず、机に肘をついたまま。
「こっち向けよ、こっからが本題だろ」
本題ってなんだ? もう話は破れて終わったはずだ。
明は少し笑みを浮かべて言う。
「今のは当然、器楽部としての答えだよ。部全体としては、当然拒否する。ただ、俺個人としては、できれば受け入れたいと思ってるから、ね」
……明にしては、妙に感情が入った言い方だ。
俺は明の方に向き直った。
「どうしてこんな案、受け入れようと思うんだ?」
言った俺自身も、うまくいくなんてほとんど思っていない話だ。
明は少し視線をそらした。
「……さて、どうしてだろうね。案外、輝と同じ理由……かもな」
「同じ理由?」
明はまた少し笑った。
「そう。まあ、輝はさっき自分が何て言ったか忘れてると思うけど」
……。
「さて、話を聞こうか」
明は悠然とそう言った。




