【第十四話】 9姉妹の歌
「……悲劇」
帰宅したオレ達が見たのは、神殿の影からじとーっとした目を向けるメルポメネーだった。
悲劇ってなんだよ、いきなり。
と思っていたら、ふらふら出てきて恨みがましい顔でオレを見上げた。
「クレイオー姉さまと2人きりで出かけて……朝帰り」
「い、いや、多分メルポメネーが想像してるようなことはなかったと思うよ? ずっと他の人も一緒だったし。アレースとか、アルテミスの姉上とか……」
「……本当?」
本当だとも。
出かけた時も運転手さん一緒だったし、その後はアレースやらアルテミス姉さんやらと一緒にいて一瞬たりともオレ達が2人きりだった時間などない。
しかも、突然大掃除しなきゃいけなくなったりお腐れスパゲッティ―にまみれたりして何だかんだで大変だったんだから!
と、一部始終を説明したらメルポメネーはやっと納得した顔になった。
「テレプシコラーがまだなの。でも、他はみんな集まってる」
メルポメネーはオレ達をいつもエラトーとかが音楽活動してる中庭に促した。
よくよく聞いたらメルポメネーは9姉妹の5番目で、テレプシコラーやエラトーはその下らしい。
童顔だし、小柄だから下から三番目くらいだと勝手に思ったけど、妹の方が発育が良かったりする場合もあるんだろうな。
女の人の年齢を胸や尻の大きさで判断してはいけないようだ。
中庭ではカリオペーが姉妹たちを座らせ、レジュメのような何らかの資料を配っていた。
エラトーがそれを見ながら何やら口ずさんでいるところを見ると、歌の歌詞らしい。
カリオペーはオレ達の姿を見ると、手を振りながら小走りでやってきた。
「お帰りなさいませ、アポロン様。今、みんなで今度の宴のための新しい歌の歌詞を確認していましたの」
「歌?」
「神が集まる宴会では、私達9姉妹が歌を披露するのが恒例なんですのよ。今回は3日間ですからまだ余裕がありますわ」
ミューズ9姉妹には、何かイベントごとがある時に合唱を披露して場を盛り上げる役目があるらしい。
宴会の間中ずっとBGM的な感じで歌い続けるらしく、そのために用意する曲は1曲や2曲ではない。
今回は3日間の日程に合わせ、既に24曲が用意されていた。
まさか、ゼウスから連絡受けたこの1日の間に速攻で仕上げたのか?
そう思ってたら、「まさかぁー」みたいな感じでみんなに笑われた。
「今シーズン私たちが地上に下ろした歌の中から特によいものを選んで皆様にご紹介するんですのよ。天界で演奏するのにふさわしいように歌詞の内容やアレンジを少し変えてね」
抒情詩のエウテルペーの手元には、赤字で歌詞を修正した素案の束があった。
歌詞の変更は今回、エウテルペーやタレイアが担当。
曲のアレンジはまだ来ていないテレプシコラーがいつものスタッフさん達と一緒にやっていくらしい。
9姉妹の中で普段から一番忙しいテレプシコラーは今、誰かと打ち合わせをしているらしく、あと30分くらい来ないとのこと。
彼女を待つ間に、先に歌詞を確認することになった。
「とりあえず、アレンジ前の状態で歌ってみましょうか。 エラトー、ピアノの演奏の準備はできてるかしら?」
「ええ、もちろん。でもカリオペー姉さま、アポロン様は今回当日の主役なのでしょう? 歌は内緒にしておいた方が良いんじゃないかしら」
「そうねぇ……。アポロン様、当日の楽しみになさいます?」
「うーん、どうしよう」
正直、どっちでもいいとか思ってしまった。
エラトーとかが歌を歌うのは普段から聞いてるし、9姉妹の合唱がどうなるのかは何となく想像できる気がした。
神様だし、歌はうまいんだろうけど、たかが合唱だし……ねぇ。
でも、何かみんな真剣な顔をしていて、そんな事を言ったら怒られそうだった。
ここは1人抜けるべきか。
オレはとりあえずいったん下がることにした。
「実は、神殿の中の書庫を片づけたいんだよね。要らない本が多くて、ごそっと捨てる事になりそうなんだけど」
「まぁ、書庫の本を?」
「そう。だからカリオペー、とりあえずみんなだけで話し合ってよ。オレが何かやることあったらまた呼んでくれればすぐ行くし」
「分かりました。では、アポロン様に加わっていただくのはまた明日にいたしましょう」
「うん。じゃあみんな、頑張って」
オレは広場に姉妹を残し、1人で神殿の中に引っ込んだ。
さて、書庫の片づけだが。
要らない本が多い、というかオレはほぼ全部捨てる気でいた。
蔵書はほとんど、先代アポロンがコレクションしたエロ本である。
一通りざっと見てみたところ、中には「そそる」ものもあったけど、ほとんどがオレの趣味じゃない感じのジャンルで、よほどエロスを極めた人じゃないと楽しめない難解なオカズが多かった。
だから、オレは好きなやつだけ100冊くらい選んで取っておいて(もったいないのもあったので)、あとは一気に燃やしてしまう気でいた。
しかし、変態神様のコレクションはそれはそれは手ごわいものだった。
棚を埋める、何十万冊ものエロ本。
運び出すだけで何日もかかってしまいそうだ。
誰か、手伝ってくれる人を呼ばなければ。
思い浮かんだのは、元気なニートボーイのアレース君だった。
あいつなら、棚ぎっしりのエロ本を見せても引かなそうだし。
昼ごろ、いつものようにバッカスさんがやってきたのでオリュンポス山に戻った時に連絡してくれるようにお願いした。
「ええ、アレース様ならすぐにご連絡できますが」
「昨日の今日で悪いんだけど、暇なら、って伝えてくれますか?」
「構いませんが、恐らくお呼びしなくてもアレース様はこちらに向かっておられるはずですよ」
「え、何で?」
「私が今ここに来たのと同じ方法です。アポロン様、アレース様を心の中でお呼びになったでしょう?」
バッカスさんいわく、この辺の神様は自分の事を誰かが呼んでるとそれが分かるとのこと。
オレが「アレース来てくんないかな」と思ったのも相手に伝わっている可能性が高いらしい。
酒の神様バッカスさんや果物の神のプリアポスさんなんていう「食品担当」の神様はそれが特に敏感で、誰かが「腹減った」「酒飲みてえ」と思っていると0.1秒で分かるんだとか。
メールとかそういう感覚なんだろう。
そういうのがあるんなら早く教えて欲しかったよ、とか思ったけど「受信」ができない人もいるらしく、完璧に使いこなしている神様ばっかりじゃないんだとか。
オレも多分やってもできないし、アレースもそこまで敏感じゃないらしい。
だけど、暇だからオレが呼んでたらすぐ来るだろうとの事。
いっそこき使ってしまえばいい、みたいなことをバッカスさんは言った。
「正式な伝令を伝えなければいけない時や、ゼウス様やヘラ様のような偉い方を呼び出すのは失礼ですが、仲のよい兄弟に用事、なら構わないと思いますよ。わざわざ伝言を誰かに頼むのも面倒ですしね」
「そっか。でも、オリュンポス山まで遠いのに良いんかな」
「この頃は戦もなく、アレース様は力を持て余しておいでです。ヘラ様やゼウス様もアポロン様があの方に仕事をお与えになることを歓迎なさるのでは?」
「そうかなぁ……だって、エロ本の片づけだぜ」
「それからいっそ、要らない本は全部アレース様の馬車で売り歩いていただけばよろしいでしょうな。オリュンポスの神々も『そういう本』は嫌いではありませんから」
パーンさんとかいつもの飲み会メンバーは結構引き取ってくれるんじゃないか、みたいな事を言ってバッカスさんは笑いながら次の場所へ向かった。
天下のオリュンポス12神にエロ本売りをさせますか。
いやぁ、バッカスさんて意外に毒舌……っていうか、アレースのことやっぱ嫌いなのね。
流石にあの馬車でエロ本売らせたらあの怖そうな御母上が怒るだろうなぁ、と思っていると、暫くしてバッカスさんの言った通りホントにアレースがやってきた。
奴はエロ本書庫を見るなり、腹を抱えて大笑いしていた。
「マジでここ全部エロ本になんですか!? 昨日のことといい、兄上と一緒にいるとホント退屈しないですね!」
「やかましいよ。オレ、ホント困ってるんだから」
「分かってますよ、兄上。とりあえず、オレの馬車に積めるだけ積み込みましょう」
「え、マジでエロ本売りやってくれんの?」
「兄上のお望みであれば」
あんまりそういう事を恥ずかしいと思わないらしいアレース君。
本気で「エロ本入りませんか」をやってくれる気でいる彼に、オレの方がビックリだった。
アレースは神殿の入り口に馬車を横付けし、書庫の奥から順番に本を運び出した。
流石は戦いの神。
その力は相当なもので、一度に数十冊は軽く運んでいた。
しかも、自分が欲しい本はちゃっかり脇に置いてキープしている。
このニート君、なかなか侮りがたい。
ちゃんと働かせればデキル男なのだ。
それでも何十万冊もの本はなかなか片付かなかったため、オレは神殿の周りで掃除とかしているおじちゃん達にも「好きなのあったら持ってっていいから」と言って何人か来てもらった。
その過程で、蔵書が全部エロ本になってしまったいきさつについても聞くことができた。
「先代のアポロン様は、恐らく前にあった真面目な本を全部読み切ってしまわれたのでしょう。いつかは忘れましたが、大昔に要らなくなった画集などをいただいた記憶があります」
「ああ、そっか……。何千年も生きてれば書庫一個分の本くらい読めちゃうかもな」
だからといって全部エロ本に替えちゃうのもどうよ、ってとこだ。
毎年新しい本は出るんだし。
結局、総勢十数人の手を借りて書庫の片づけは終わった。
そうしてできたのは、見上げる様な高さのエロ本の山。
デジカメがあったら写真に撮りたいような規模で、とてもじゃないがアレースの馬車には乗り切らなかった。
「オレが巨大化すれば運ぶのだけは何とかなりそうですが、良く考えたら、屋根がないと雨が降ったときにこまりますね」
アレースが野ざらしになった山を見て言った。
そうだ。
そう言えば、屋根の事を全く考えていなかった。
オリュンポス山は山なので天気が変わりやすいらしい。
古い本が多いし、売り歩いている間に雨が降ったら一発でダメになってしまうだろう。
しかも間の悪い事に、オリュンポス山の方面には嫌な感じの黒雲が立ち込めてきていた。
あれは、下手すればカミナリがなっちゃう系の雨雲。
これからエロ本売りを始めるのは危険な感じだった。
「兄上、もう一度神殿の中に動かしますか?」
「いや、みんなにまたこれを動かしてもらうのも悪いよ。アレースにそんなに何度もここまで来てもらうのも大変だし。やっぱ、いっそ火をつけて燃しちゃうのがいいかなぁ……」
「それはもったいないですよ。やっぱり、一度に引き取ってもらえる神を先に探した方が良かったですね。もしくは、在庫の仮置き場を貸してくれる神か」
「そんな神様いんのかなぁ」
何十万冊ものエロ本。
タダでくれるんなら何でももらう、みたいなタイプはいそうだけど流石に数が数だ。
普通の家なら多分、本だけで生活スペースが埋まってしまう。
オリュンポス山の神様の家はみんな豪邸だったけど、それでも迷惑には違いない。
いきなり持って行って全部引き取ってくれる奴がいたらマジで「ネ申」だよなぁ。
そう思っていると、遠くから誰かがすごい勢いで走ってくるのが見えた。
頭に翼のついた帽子を被った若い男。
走ってくる、というより半ば宙に浮いていて、辺りには風が沸き起こっていた。
誰だろうなぁ、と思っているとアレースが「ヘルメースだ」と言った。
「昨日話していたオリュンポス12神の伝令です。なるほど……あいつなら顔が広いから、きっと本の引き取り手も何とかしてくれますよ、兄上」
ヘルメース君はアルテミス姉さんが言っていた、今度の宴会の幹事さんだ。
アレースより微妙に年下らしく、例によってオレ達の異母兄弟。
なんと、アレースとは共にあのヘラ様のお乳を飲んで育った仲だというから驚きだ。
どうやらオレに宴会の件で話があったらしいが、どういう訳かヘルメースも目の前にあるエロ本の山の事も知っていた。
途中でバッカスさんに会って話を聞いたとの事だった。
「バッカス様にも聞きましたが、蔵書の引き取り手を探していらっしゃるとか。父上から、『とりあえずウチに持って来れば何とかしてやる』と伝言を預かっております」
「え、ゼウス様が?」
「はい。雨が降る前に持ってこい、との事です」
そう言えば昨日、ゼウスにもこのエロ本のこと話したんだっけか。
確かにあのでっかい神殿なら全部この本入りそうだけど、神様のトップ……っていうか、仮にも自分の親父であるあの人にこれを引き取ってもらうのってどうなんだろう。
オレは何だか心配になってしまったが、ヘルメースは大丈夫だと笑っていた。
「今度の宴会でやるビンゴゲームで景品にするそうです。丁度、10等を何にするか決めてなかったのでちょうど良かったです」
「大丈夫かな、景品ていうより軽く罰ゲームな気がするんだけど。しかも、女の神様に当たったらやばくね?」
「意外と喜ぶ方もいますよ。アフロディーテ様とか」
アフロディーテ様って確か、美の女神かなんかじゃなかったっけか。
ヘルメースはあっけらかんと言ってるけど、エッチな本が好きな美の女神ってなんやねん。
ウチのタレイアみたいな感じの「そういう系」が大っぴらな女神様なんかね?
そして、何故かアフロディーテの名前が出ると、アレースが困った顔をしていた。
どうやら、アフロディーテはアレースの愛人らしい。
もし10等がアフロディーテに当たると、エロ本の山が自分の神殿に持ってこられる可能性があるとの事だった。
「ヘルメース……やっぱ、やめとかない?」
「ゼウス様のご命令なんで、取り消せません。さぁアレースの兄上、巨大化して一気にオリュンポス山までレッツゴーですよ」
「げー……超嫌な予感がすんだけど」
乱暴にすると傷みそうな本だけを馬車に乗せ、残りはカーテンの布に包んで巨大化したアレースが運ぶことになった。
オレは馬車をヘルメースに操縦してもらい、エロ本と一緒にその後ろに乗っていくことになった。
この世界ではやっぱり自分で馬車を動かせないとダメらしい。
ヘルメースの肩越しにやり方を見ていると、馬が外側に行ってしまわないようにうまい事真っ直ぐ走らせているのが分かった。
あれがコツなのか。
真剣に見ていると、「後でアレースに教わればいい」と言われた。
「アポロン様の馬車はメラメラしてるから大変そうですよねぇ。でも、基本的に馬はみんな一緒ですから、コツさえつかめばすぐにイケますよ」
「そうかなぁ……だって、オレの前の人ってアレのせいで黒焼きになって死んだんでしょ?」
「あははは。大丈夫ですって。馬も大事な主人を焼き殺したくはありません。正しく接すればちゃんと言う事を聞いてくれますよ」
例の「燃えてる馬車」を引く馬は神殿の裏にある馬屋にいる。
木とかだと燃えてしまうので、馬屋は頑丈な石でできた「パン焼き釜」みたいな造りになっている。
オレが近くに行くと馬たちは嬉しいらしく、「ブルルル」なんて甘えた声で鳴くが、何せキャンプファイアーみたいな状態なので撫でたり直接餌をやったりなんてできない。
棒の先にバケツをつけて水をやったり、遠くから藁やニンジンを投げてやるのが精いっぱいだ。(失敗すると速攻で燃えるけど)
彼らとはいつになったら仲良くなれるのか。
オレは何だか気が遠くなった。
「ところでアポロン様、余興は何をいたしますか?」
「余興?」
「今度の宴会では、ぜひアポロン様も何か出し物をしていただきたいのです」
「え、でもオレ……一発芸とか持ってないけど」
急に振られて、オレは戸惑ってしまった。
3日間もいろいろやってもらって、自分は何にもしないのはダメ、っていうのは分かる。
だけど、恥ずかしい事にオレは今までの人生の中でそういうのを求められたことがないために何も身に着けてきていない。
モノマネとかもやったことないし。
やったところで多分滑りまくるし。
と、思っていたらヘルメースは困ったように笑った。
「アポロン様には竪琴の演奏があるじゃないですか。あれで良いのですよ」
「あ、ああ……」
「宴会の時にはアポロン様の竪琴演奏で締めるのが恒例です。楽しみにしてる方も多いですから、ぜひお願いします」
神殿には何でか知らないが素人のオレでも引けちゃう不思議な竪琴がある。
しかも、あれを弾いて歌えばどんなデタラメソングも名曲になってしまう神器中の神器である。
この間なんか、酔った勢いで「オラは死んじまっただー」と弾いたらものすごく哀愁漂う感じのメロディーになってしまい、エウテルペーとメルポメネーが号泣して大変な事になった。
「酔っ払いが死んで天国に行って帰ってくる歌」はアポロン神の近辺では状況的に良くなかっただけでなく、深読みするとシリアスに成りえるストーリーである。
あれ以来オレは、竪琴でバカソングを演奏するのは自重している。
でも、あれでいいのか。
ならちょっとばかし練習してみんなの前で演奏しても緊張しないように心の準備をしておこう。
ヘルメースに「どんな曲がいいか」と聞くと、「笑える感じの明るい曲で」との事だった。
例えばどんなのかというと、「聞こえようによっては卑猥に聞こえてしまう名前の主人公がお姫様を助けて大冒険する歌」とかがいいらしい。
オレが演奏する頃にはもうみんな酔っ払いだから、成功すれば大盛り上がりになるそうだ。
うーん、自信ないかも。
失敗すればうちの泣き上戸たちがまたキンタ君の活躍に感情移入して泣き出してしまいそうだ。
その日は結局、オレは夕方までかかってエロ本をゼウス神殿に届ける事になった。
敷地内に入ると、門のところにいる一つ目の巨人たちの兄弟だか親戚だか、っていう人たちがわらわら出てきて何にも入っていない車庫みたいなところに本を運んでくれた。
書庫にはアレースが先に運んでいた本が既に治まっていて、中ではゼウスが真剣な顔で図録に見入っていた。
何してるのか聞いたら「景品にする前の検品作業だ」というもっともらしい答えが返って来たけど、あの顔はガチで見入ってた系だ。
そのまま全部引き取ってくれればいいのに、とか思った。




