7-5
家ではアルフォンスと目を合わせることができず、店ではリーアと目を合わせることができない。
何とも気まずい状態ではあったが、それ以外は問題なく日々が過ぎていった。
そんな日常の裏で、決起の準備は着々と進められていく。
ビゼー伯爵は、家族を呼び戻して決意を告げていた。二人の息子も賛同し、共に戦うことになった。
セドリックとオレリアは、馬車や食料の手配に奔走していた。
セレスティーヌも、いつでもアパートを引き払えるよう荷物の整理に余念がなかった。
やがて二週間が過ぎた頃、予定通りレナルドが戻ってきた。
その夜、全員が伯爵の元に集まって報告を聞いた。
「残念ながら、檄に応えた領主は一人だけでした」
「一人だけ?」
「はい。ただ、ほか領主も我々に敵対する様子はありません。状況を見極めたいというのが本音なのだと思います」
レナルドが、この二週間で見聞きしてきた様子を語った。
現在、王国南部は第二王子の強烈な干渉を受けているという。王子の息の掛かった役人が巡回と称してやってきて、領主のやることに難癖を付けたり、公然と賄賂を要求したりするらしい。
その上、ビゼー伯爵の屋敷跡に城が建てられることになって、普請のための重い負担が近隣領主に課せられていた。
「南部の不満は爆発寸前です。旗揚げをすれば、影で支援してくれる領主は多いと思います」
「分かりました、ご苦労様でした」
レナルドを労うセレスティーヌを、決意を込めてビゼー伯爵が見る。
「我らの準備は整っております。殿下、ご指示を」
それに頷くと、全員の顔を見渡してセレスティーヌが言った。
「出発は二日後の早朝とします。レナルドとセドリックは、計画通り先行してください。レナルド、疲れているのにごめんなさい」
「この身は殿下と王国のためにあります。存分にお使いください」
レナルドが姿勢を正す。
「オレリアは、宿を引き払ってわたくしの部屋へ。伯爵は、準備に気を取られて奥様への配慮をお忘れなきよう」
「お心遣い感謝致します」
オレリアが頷き、伯爵が深く頭を下げた。
「この決起には王国の未来が掛かっています。出発までくれぐれも油断なきように」
「はっ!」
全員が動き出した。
セレスティーヌも、アルフォンスと共に宿を出た。
いよいよ事態は動き出した。
ここ数日は心を乱されることの多かったセレスティーヌも、今は決起に向けて集中している。
前を見据えて歩くセレスティーヌの隣で、アルフォンスがふいに言った。
「お前、本当に王女らしくなったな」
少し驚いたセレスティーヌが、真顔で答える。
「わたくしは、昔から王女です」
「おっと、そうだった」
おどけるアルフォンスを睨み付けたセレスティーヌが、ふと立ち止まった。
「アルフォンス」
「なんだ?」
「あなたは、これからもわたくしの側にいてくれますか?」
不意打ちを食らってアルフォンスが息を呑む。
その顔をセレスティーヌがじっと見つめた。
揺れる瞳と真っ直ぐな瞳が向かい合う。
夜風が町を駆け抜ける。
「俺は」
アルフォンスが口を開いた、その時。
「冗談です」
セレスティーヌが、笑った。
「明日は忙しくなります。アパートの大家さんにご挨拶をして、女将とリーアにお礼の品を渡して」
セレスティーヌが前を向く。
「不要品の処分はビゼー伯爵のご家族にお願いするにしても、部屋のお掃除はできるだけしておきたいですわね」
後ろで両手を組んで、セレスティーヌが歩き出した。
「あなたは、職場へのご挨拶だけですぐに帰ってくるのでしょう?」
「あぁ、そうだ」
「わたくしは、お昼過ぎまで働いてきます。最後のご奉公ですわ」
饒舌なセレスティーヌの後ろを、アルフォンスが黙ってついていく。
「この町での経験はじつに得難いものでした。王国が正常化した暁には、ぜひとも治政に活かしたいものですわね」
返事をしないアルフォンスを振り向くことなく、前だけを見てセレスティーヌは歩き続けた。
日の出にはまだ間があったが、空は徐々に朝の色へと変わり始めていた。
一緒にアパートを出たオレリアが、セレスティーヌが持つ荷物に手を伸ばす。
「殿下、私が」
気遣うオレリアに、セレスティーヌが笑ってみせた。
「これくらい、買い出しの荷物に比べたらどうということはありません」
セレスティーヌに無理をしている様子はない。
恐縮するオレリアとは対照的に、アルフォンスが平然とセレスティーヌに言った。
「そっちの荷物も持ってくれ」
「分かりました」
「夜が明けきる前に北門に着きたい。急ぐぞ」
「そうですわね、急ぎましょう」
大きな鞄をたすき掛けにし、片手に荷物を持ったセレスティーヌが、オレリアを促して歩き始めた。
集合場所は町の北門だ。そこで伯爵父子と馬車が待っている。
セレスティーヌたちを監視する者はいないと思われるが、目立たぬよう町を離れるに越したことはない。
まだ暗い町の道を、口をつぐんで三人は進んでいった。
ところが、一行は思わぬ人物の待ち伏せにあうことになる。
「アンナ!」
「リーア!?」
驚くセレスティーヌにリーアが駆け寄ってきた。
「見送り不要と言われていたのに申し訳ありません。どうしても最後にお別れを申し上げたくて」
セレスティーヌの故郷は南ということになっている。だから、北に向かうところを見られないよう見送りは断ったのだ。
「あの、わたくし」
セレスティーヌが狼狽えたが、リーアは笑っていた。
「アンナが北に向かったことは、誰にも申しません」
セレスティーヌが目を丸くした。
オレリアが警戒の目で睨むが、それをアルフォンスが制する。
アルフォンスに軽く頭を下げて、リーアが言った。
「知っていましたか? 女将さんって、この国の南部出身なんですよ」
「そうなのですか?」
「そうなのです。ですから、食堂のメニューは南の地方のものが多いのです。それなのに、アンナは何一つ知らなかったでしょう?」
「それは」
動揺するセレスティーヌを見て、リーアがまた笑う。
「そもそも、アンナはこの国のことを知らな過ぎます。少しお話をすれば、アンナが他国の出身だということは分かりますわ」
がっくりとセレスティーヌがうなだれた。
「それと、もう一つ」
リーアがふいに声を落とした。
「ベルクール王国の第二王女と言えば、輝くブロンドの髪と透き通るサファイアの瞳を持った、美しくも気高い女性として知られています。その王女が、反乱に巻き込まれて不慮の死を遂げた」
咄嗟にオレリアが短剣を抜いた。
即座にセレスティーヌがたしなめる。
「オレリア、控えなさい」
慌ててオレリアが短剣を収めた。
それを確認したリーアが、改めてセレスティーヌを見る。
「私も貴族の娘です。情勢を見定め、人物を見極めるよう教育されてきました。アンナのことも、高貴なお方なのだろうと想像はしていたのです」
民にうまく溶け込んでいると思っていたのだが、どうやら思い上がりだったらしい。
リーアの告白に、セレスティーヌはため息をこぼした。
そのセレスティーヌの手に、リーアが小さな何かを握らせる。
「失礼を承知で申し上げます。アンナは、私にとって初めての、本当に大切な友人だったのです。だから、嘘をついたままお別れをしたくなかったのです」
両手でセレスティーヌの手を握り、それを額に押し当てた。
「どうかご無事で。そして、できることなら、私のことを忘れないでいてくださいませ」
切なさと暖かさで、セレスティーヌの胸が熱くなった。
「リーアは大切な友人です。忘れるはずないではありませんか」
リーアが顔を上げた。
その目には涙が滲んでいた。
込み上げる熱いものを飲み込んで、セレスティーヌが笑顔を作る。
「落ち着いたら必ず手紙を書きます。リーアも、どうかお元気で」
「はい!」
もう一度額に押し当てて、リーアはセレスティーヌの手を放した。
「お気を付けて」
「ありがとう。いってきます」
セレスティーヌが歩き出した。
リーアが背筋を伸ばしてそれを見送った。
リーアの姿が見えなくなった頃、アルフォンスが苦笑する。
「完全にやられたな」
「そうですわね」
答えて、セレスティーヌはそっと手を開いた。
そこにあったのは、小さなお守り。
それをセレスティーヌが強く握り締める。
「わたくしは、必ず王国の秩序を取り戻します。そして、いつの日か正式にリーアを王国に招待することを誓います」
輝き始めた空に向かってセレスティーヌが力強く宣言した。
「そうだな。頑張らないとな」
アルフォンスも空を見た。
その声は、しかし、心なしか頼りない。
それにセレスティーヌは気付いていたが、あえて何も言わなかった。
民として暮らした町を離れ、セレスティーヌは戦場へと赴く。
世間知らずの我が儘姫の、怒濤の日々の始まりだった。




