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【完結】祈りの才が微弱な私が贈った剣は役立たずだったそうですが、その剣で魔王を討ったのは誰の祝福ですか?  作者: 木風


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第一話 婚約を破棄する

 旅立ちの朝は、悔しいくらいに晴れていた。


 アーレンス伯爵邸の中庭。

 芝の露がまだ乾かないうちから、ユリウスは旅装のまま立っていた。


 艶やかな黒髪に、朝日を受けて琥珀に透ける瞳。

 三つ年上の幼馴染は、いつのまにか私が見上げなければ顔も見えないほど背が伸びていた。


「リゼ」


 私の名を、彼はそう呼ぶ。

 リーゼロッテという長ったらしい名前を、六つの頃からずっと。


「泣かないでくれ。俺は必ず帰る」

「泣いてません」


 嘘だった。声が震えていた。


 魔王討伐軍。

 王命によって国中の精鋭を集めた遠征だ。


 北の果て、瘴気の満ちた黒い山脈の向こうへ。

 帰還率は三割に満たないと、父が書斎で漏らしていたのを聞いてしまった。


 私は両手で抱えていた細長い包みを、彼の胸へ押しつけた。


「持っていってほしいの」


 ユリウスが布を解く。

 現れたのは、装飾らしい装飾もない白銀の直剣だった。


「……これは?」

「お祖母様の生家に伝わっていた剣です。銘もない、古いだけの剣。でも」


 でも、と私は言葉を継いだ。


「三日三晩、祈りを込めました」


 私は聖女ではない。

 神殿の適性検査では「祈りの才、微弱」と判定された、ただの伯爵令嬢だ。

 癒しの奇跡も、浄化の光も使えない。

 それでも、彼が死なないでほしいという願いだけは、誰にも負けないと思った。


 だから眠らずに祈った。

 指先の感覚がなくなるまで、刃に額を押し当てて。

 ユリウスは剣を鞘から抜き、朝日にかざした。

 刃は水面のように澄んでいて、なぜかその日、ひどく綺麗に見えた。


「……すごいな。手に馴染む。まるで最初から俺のために鍛えられたみたいだ」

「大げさです」

「本当だよ」


 彼は剣を鞘へ戻すと、私の左手を取った。

 薬指には、彼が去年の誕生日にくれた、小さな青玉の指輪。


「五年、待っていてくれるか」

「五年でも、十年でも」

「そんなにかからない。俺は君のところへ帰る。帰ったら、真っ先に結婚しよう」


 朝の光の中で、彼は笑った。

 あの頃の私は、その笑顔を疑うということを、まだ知らなかった。




 五年が過ぎた。

 魔王討伐の報が王都に届いたのは、雪解けの季節だった。

 街は三日三晩沸き立ち、教会の鐘は喉が嗄れるまで鳴り続けた。


 私は二十一になっていた。

 社交界では「行き遅れ」と囁かれる歳だ。


 それでも待った。

 手紙は二年目から途絶えていたけれど、戦地では珍しくないことだと自分に言い聞かせて。


 凱旋式の日、王城の大広間は目の眩むような人で埋まっていた。

 中央の緋色の絨毯を、討伐軍の英雄たちが進んでくる。

 その先頭にユリウスの姿が。


 五年前より肩幅は広く、頬は削げ、琥珀の瞳には見知らぬ翳(かげ)りがあった。


 それでも彼だった。

 腰には、あの白銀の剣。

 胸が詰まった。

 生きて帰ってきた……それだけで、五年が報われる気がした。


 ――けれど。

 彼の隣を歩く女性。


 純白の聖衣。

 銀糸の刺繍。

 腰まで届く淡い金髪。


 聖女ミレイユ。

 五年前、下位癒し手として討伐軍に加わり、遠征の途中で聖女として覚醒したと伝えられた女性。


 彼女の祝福を受けた剣によって魔王が討たれた。

 その功績から、帰還前には神殿から正式に聖女として認められている。


 その聖女が今、ユリウスの隣にいた。

 二人の距離は、あまりにも近かった。


 玉座の前で一同が跪く。

 国王陛下が英雄たちを讃える言葉を述べ、拍手が広間を満たし――

 ユリウスが立ち上がると、まっすぐに私を見る。


「リーゼロッテ・フォン・アーレンス伯爵令嬢」


 貴族たちの視線が一斉に集まると、私は震える膝で進み出て礼をした。


「お帰りなさいませ、ユリウス様。無事の帰還――」

「婚約を破棄する」


 何を言われたのか、理解が追いつかなかった。


「……なんと、おっしゃいましたか」

「婚約を破棄する、と言った」

「……破棄……?」

「陛下より王命が下った。魔王を討伐した俺は、聖女ミレイユ殿と婚姻を結ぶ。神と国の祝福を受けた者同士の結びつきこそ、この国の新たな礎となる――と」


 王命……その二文字が、喉を塞いだ。

 伯爵令嬢にすぎない私に、覆せる言葉ではない。


「……王命であれば、致し方ございません」


 そう言うのが精一杯だった。

 声が割れないように、爪が掌に食い込むほど手を握った。

 それで終わりだと思った。

 なのに、ユリウスは続けた。


「それに、リゼ。君にも知っておいてほしい」


 彼は腰の剣を抜き、掲げた。

 白銀の刃が、シャンデリアの光を跳ね返す。


「魔王を討ったこの剣――君がくれた剣だ。だがな、北の砦で瘴気に晒されたときには、何の力も示さなかった。刃も傷み、俺はこれでは戦えないと思った」


 どこかで含み笑いが起きた。


「そこへ祝福を与えてくださったのが、ミレイユ殿だ。彼女が祈った直後、この剣は眩い光を放ち、瘴気を退けた。それからは魔を断つ聖剣となった。彼女の祝福がなければ、俺も、討伐軍の全員も、あの山脈で死んでいた」


 ミレイユが一歩前へ出て、慎ましく目を伏せる。


「わたくしは、ただ神に祈っただけですわ」


 鈴を転がすような声に、広間から感嘆の声が漏れた。

 そして彼女は、伏せた目のまま、私にだけ聞こえる声で言った。


「……申し訳ありません、リーゼロッテ様。祈りの才が微弱でいらっしゃるとか。それでも、あなたのお気持ちだけは、きっと少しくらいは残っていたのでしょうね」


 顔から血の気が引いていく。


 ――ああ、そうか。

 この人は、私に恥をかかせに来たのだ。

 王命という盾を持ちながら、わざわざ公衆の面前で、私を「英雄に釣り合わなかった女」に仕立てるために。


 私は深く礼をした。


「……ご無事での帰還と、ご結婚を心よりお祝い申し上げます」


 左手の指輪を抜き、絨毯の上へ置く。

 青玉が、こつん、と乾いた音を立てた。


 顔を上げないまま広間を出た。

 背中に刺さる視線の一本一本が針のようだった。

 回廊に出て、柱の陰まで来たところで膝が抜ける。

 倒れる……そう思った瞬間、背中に大きな手が回った。


「掴まれ」


 顔を上げると、黒い騎士服の男が、私を支えていた。


 鋼色の髪。

 灰青の瞳。

 頬には古い刀傷。


 王国騎士団長、アルヴィス・レーンフェルト侯爵。


 噂は聞いたことがある。

 無口で無愛想、剣の腕は国内最強。

 令嬢たちが震え上がるほど強面の、二十八歳。


「……申し訳ございません、団長閣下。すぐに退きます」

「退かなくていい」


 彼は私を柱にもたれさせ、自分の外套を肩にかけた。

 ずしりと重く、暖かかった。


「醜い場だった。あなたが恥じることは何一つない」


 それだけ言うと、口を閉ざした。

 慰めの言葉も、同情の視線もなかった。

 だからだろうか……その日、初めて涙が出た。

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